Chapter3:英雄の幻影-5

 アルフェンバイン陥落の報より24時間前、アルフェンバインキャリアードック。グース率いる盗賊団によって打撃を受けていたアルフェンバインであったが、各方面からの支援物資を受け、一先ずは日常生活が送れる程度の安定を取り戻していた。

 それでも、奪われた命は戻らない。失われた信頼は戻らない。アルフェンバインを経由する輸送便は、あの日からめっきり減ったという。多少値は張っても、海沿いや空路を取っていく者が多いという。街は陰気な雰囲気に包まれていた。


 駅前広場も、事件の前といまとでは打って変わっていた。人通りのなくなった中央広場で、ヨナはただ一人佇んでいた。思いつめた彼女に声をかける者すらいない。


(私が生き残って、それで出来ることって……いったい何なんだろう。家臣や家族、民の命を見捨ててまで生き残った私に、出来ることなんてあるのかしら……)


 空を見つめても、答えは返ってこない。アルフェンバインの空模様は、彼女の心中を、そしてこれからの行く末を暗示するかのような曇天であったのだから。ため息をつき、彼女はベンチから立った。船へと戻ろうとする中、彼女はあるものを見た。


「……子供?」


 人気のない駅の前に、一人の少女がいた。歳の頃は12、3といったところか、ヨナよりも少し年下に見えた。まるでぬいぐるみのような、彼女の頭よりも大きな帽子を被っており、紺色のパーカー、名状しがたいキャラクターが描かれたシャツを着ている。明らかに周りの雰囲気から浮いていた。少女は辺りを見回したり、駅前を行ったり来たりしては、元の場所に戻ってため息をついていた。


(もしかして、あの子迷子なのかな……?)


 そう思ったヨナは少女に近付いて行った。何か理由があったわけではない、強いて言うならば何もすることがないから彼女の近付いて行ったのだ。


「あの……あなた、お父さんとお母さんはどうしたのかしら?」

 突然話しかけられた少女は、警戒心を込めた目でヨナを見つめた。


「って、警戒するのは当たり前よね。私はフェゼル=ヨナ=グラディウス。あなたは?」

「私は……テッカ。テッカ=グレイフット」


 少女、テッカは帽子を脱ぎ、抱きかかえた。ヨナへの警戒心がそうさせる。あくまで彼女は冷静に、ゆっくりと少女に語り掛けた。


「ずっとそこにいるけれど、どうしたの? お父さんとお母さんはいるのかしら?」

「この時間に来ることになっているんですけど……でもいつまで待っても来ないんです」

「それは、困ったわね。お父さんたちに連絡を取ることは出来ないのかしら?」


 ヨナがそういうと、テッカは首から下げていたポシェットから携帯端末を取り出した。長年使い古されているようで、ヨナもこれほど古いタイプのものは見たことがない。物理キーを慣れた様子でタッチし、駅の壁にもたれかかりながら応答を待った。


「あっ、パパ! ちょっと、時間……え、まだ? まだ来れない? もー、いつもそんなんなんだから。大丈夫、私がホテルに行くから。待っててね、パパ!」


 テッカは起こったような口調で、しかし幸せそうな顔で端末の向こう側にいる『パパ』への悪態を吐いた。通話が終わると今度は地図アプリを立ち上げた。


「もしかしてあなたのパパ、約束をすっぽかしちゃったのかしら……?」

「そうなんだよ! 私のパパって、なんていうか研究しか頭に残ってないような人だからね! たまにこういうことあるんだ。まあ、いつも頑張ってるってことなんだろうけど」


 テッカは笑いながら答えた。ヨナはこっそり、彼女の端末を覗き込んだ。ホテル『パシフィコ』に両親は泊まっているようだ。ここからだとそれなりに遠い。先日の襲撃に乗じて、盗賊の類が街に潜伏しているという噂があった。子供一人を歩かせるには危険だ。


「それじゃあ、お姉ちゃんありがとう! 私はそろそろ行かないと」

「あ、ちょっと待ってテッカちゃん。一人じゃ危ないわ、私も一緒について行く」


 テッカは不思議そうな顔でヨナを見上げた。ヨナは微笑んだ。テッカも微笑み返した。


 傷つき、瓦礫の山と化した街で、人々は懸命に生きていた。建築資材を満載したトラックが慌ただしく行き交い、住民と職人たちの怒号とも思える声が響き渡る。二人の少女は、そんな道を危なっかしく歩いていた。街頭テレビが先日の惨状を映し出す。


「先日の続報です。アルフェンバインを襲った盗賊一味の行方は、未だ分かっていません。タカツチさん、今回の件についてどのように考えますか?」

「やはり政府への不満が高まっていると考えるべきでしょうね。そもそも防衛力を拡充出来ない政府が悪い。この責任を取って議会は解散すべきです」


 街が燃え、人が死ぬ。センセーショナルな映像が流れ、生き残った人々と思しき者たちがインタビュアーに思いのたけを伝え、インタビュアーは無責任な言質で彼らのヘイトを増幅させた。ヨナの顔は、自然と引き締まっていた。


「どうしたの、お姉ちゃん? 怖い顔、してるけど……」


 不意にヨナは、テッカが不安げな表情で自分のことを見上げていることに気が付いた。なんでもない、そう答えて、ショーウィンドウに映った自分の顔を見た。


「……誰かを守れる人になりたいって、そう思っていました。でも最近、自信がない」

 何を言っているのだろう、そう思いながらヨナは自分の感情を吐露した。


「アルフェンバインを襲ってきた盗賊と、私は戦いました。けど、何も出来なかった……あの人が来てくれなければ、私も他の人と同じように、死んでいた……」

「お姉ちゃん」

「その人は、私が生きていれば、私に出来ることがあるって言ってくれました。でも私は、いまもこうして安全なところに引きこもっているだけ。命を賭けて私を助けてくれた人たちに、こんなんじゃ申し訳が立たないよ……」


 言いながら、ヨナは口元を手で覆った。自分よりも歳の小さな子に何を言っている。自分で思っているよりも弱気になっているんだな、とヨナは思った。


「でもお姉ちゃんは、人を助けるために頑張っていたんですよね?」

 テッカは無邪気な笑みを浮かべたまま、言った。


「もし私に同じ事が出来ても……きっと私はダメです。怖くて震えていそう」

「テッカちゃん……」

「お姉ちゃんはいろんなことに悩んで、落ち込んで、それでも人を助けるために頑張ったんです。そんなこと、普通の人にはきっと出来ません。パパは言ってましたよ、『何かが出来た人間が偉いんじゃない、それを貫き通せた人間が偉いんだ』、って」


 テッカは振り返り、歩きながらヨナに微笑みかけた。無邪気な笑みは、ヨナが抱えていたわだかまりを溶かした。厚い雪が日の光に溶けていくかのように。


「お姉ちゃんには、貫き通したいことがあるんですよね?」

「うん。私一人だけの力じゃ、とても出来ないようなことが、あるよ」

「それなら、色々な人を巻き込んじゃえばいいんです。パパも今回、自分一人じゃどうにもならないからって、いろいろな人に頼んだんですよ」


 不思議な少女だ。歳は変わらない、それなのにずっと自分より大人びている。太陽のように明るく、人の心を照らす。そう、ヨナは思った。


「あっ、テッカちゃん。ここが目的地の……」

「ここですね、ホテル『パシフィコ』」


 アルフェンバインでも歴史のあるホテルであり、この街が出来るはるか前から存在したという。シックなレンガ造りの建物で、先日の襲撃でも大きなダメージを受けていなかった。テッカは礼儀正しく、ここまで送ってくれたヨナに頭を下げた。


「ヨナさん、ありがとうございます。おかげさまで、ここに着くことが出来ました」

「ううん、こっちこそありがとうね、テッカちゃん。あなたのおかげで、いままで悩んでたことを解決することが出来そうだから」


 テッカは不思議そうに小首をかしげた。その仕草がおかしくて、ヨナはクスリと笑った。そんな時だ、アルフェンバインを再び、軍の警報が駆け巡ったのは。


 それは、先日の警報よりも重篤な、街からの退避を促す警報だった。その警報を聞いたヨナは、すぐさまテッカとともに彼女の家族がいるはずの部屋に向かった。しかし、部屋はもぬけの殻だった。あるのは僅かな日用品のみ。行く先を示すものはなかった。

 テッカも携帯端末で連絡を取ろうとするが、回線の混雑でなかなか繋がらなかった。そうしている間に、ヨナにも章吾からの帰還招集がかかった。


「東雲さん! これはいったい、どうなっているんですか……」

「詳しいことはこっちに戻ってから話す、速攻で戻って来い。いいな」


 それだけ言って、章吾は通信を切った。テッカは不安げな表情で端末を見つめていた。ヨナは彼女の肩を抱き、真剣な表情で目を見て言った。


「テッカちゃん、ご両親はきっと大丈夫。いま、退避勧告が来ているでしょう? きっとご両親も、先に港に向かっているはずよ。だから、一緒に行きましょう」


 欺瞞だ。そもそも待ち合わせにホテルを指定したというのに、そこにいないということはどういうことか。内心の不安をヨナはテッカに見せないようにした。

 テッカは言葉こそなかったが、ヨナの真剣な目を見つめ返し、頷いた。微笑み、彼女の手を引きながらホテルを出たヨナは、はるか南方が光りに包まれるのを幻視した。

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