Chapter2:冥府の果てから-6

 アクアが淹れた温かいコーヒーが、皆に振る舞われた。実際安いインスタントコーヒーだが、喉を潤す熱さが、束の間心に刻まれた傷を埋めてくれるような気がした。


「それからしばらく放浪を続けて、2カ月後アルタイル社に拾われた。戦争が終わったと、そこで俺は初めて知った。俺たちの経歴を抹消し、船と機体の登録を変え……そしていまに至る。なぜ助けられたのか、いまを持って分からないがな……」

「連邦を脱走した兵士だったのか……戦後のどさくさに紛れたわけなんだな」


 イルダはそこでようやく合点がいった。なぜ、彼らが一傭兵にあって最新鋭装備を所持しているのか。民間人らしからぬ、彼らの戦闘能力はどこから来るのか。そして、なぜ彼らの間に、長きに渡り共に戦ってきたにもかかわらず、確執が存在するのかを。


「一つ聞きたい。あんたたちは戦場で死ぬことを良しとせず、仲間を犠牲にしながら逃げて来たわけだろう? それなのに、なぜ……傭兵を続けているんだ?」


「ヨナの提案だ」

 それにはダルトンが答えた。


「人を殺し、仲間の命を犠牲に生き永らえた自分たちには、安息を迎える権利はないと。シゼルはそれに同調した。アルカも、積極的に反対はしなかった。結局のところ、あいつらには家族も親しい友人もいない。戦場から離れても、まともな生活は送れねえ」

「そして、戦場を離れられない子供たちを守るためにあんたたちにここに留まったのか」

「そんなに格好のいいことじゃないさ。ただ、《アルタイル社》が俺たちを保護した条件は、自社契約の傭兵として活動を行うことだった。俺たち兵隊上がりは、他に出来ることもない。それに従うつもりだったが、それでも……」


 章吾の目に涙はなかったが、イルダは彼が泣いているようにも見えた。


「それでも、あいつらにはまともな生活ってのを送ってもらいたかった。俺たち大人が奪っちまった、あいつらが生きるべき道ってやつを、教えてやりたかった……」


 アルカも、シゼルも、彼の言葉を黙って聞いていた。いままで押し隠して来た気持ちを、章吾は初めて吐露した。それは、彼がいままで抱えて来た、罪悪感がゆえか。誰もが彼の気持ちを察し、言葉を出しかねている時、格納庫から通信が入った。


「こちら格納庫、ハンク。みんな戻ってんならなンか言ってくれよ。ったく」

 空気を読まずにハンクが通信をかけて来た。仕方なしに、イルダは応じた。


「あー、悪かったよ、ハンクさん。それで、いったいどうしたんだい?」

「どうもこうもねェよ、イルダ。ヨナの嬢ちゃん、船に戻ってくるなり機体の中に引きこもっちまってンだ。整備の邪魔だが、てこでも動かねェ様子でよォ」


 どこに行ったものかと誰もが思っていたが、まさか船に戻り、格納庫を占領しているとは。どこか駄々っ子めいた姿を思い浮かべ、イルダは苦笑した。


「済まねえ、ハンクさん。俺がそっちで説得する。すぐに終わらせてみるよ」

「そうかぁ? なんだか、鬼気迫るってェかよ。尋常じゃねェ有り様だったからよ。言葉は悪いが、あンたみたいな部外者がどうにか出来るとはとても思えねェンだが」

「まあ、そこは実際やってみてからのお愉しみというところで。大丈夫、みんなと距離の遠い部外者みたいな俺だからこそ、言える言葉だってあるってもんだろ?」


 イルダは悪戯っぽく笑い、ハンク老人との会話を終了させた。そして一人、艦橋から出て行こうとした。そこを、シゼルに呼び止められた。


「イルダさん、その……」

「ヨナのことは任せてくれ。俺だって、無駄に歳を重ねて来たわけじゃない。楽勝だ」


 トン、と胸に親指を当て、シゼルの頭を撫でた。彼女は驚いたような表情を浮かべたが、黙ってそれに従った。大粒の涙が、彼女の頬を伝って落ちた。


「東雲さん。俺はあんたがしたこと、間違っているとは思いませんよ」

「俺が、誰かから肯定して欲しくてあんなことをやったとでも思っているのか?」

「いえ別に。けど、誰からも否定されて生きるってのも、悲しいもんだと思いまして」


 それだけ言って、イルダは艦橋から出て行った。しばらく歩いて、彼は誰に言うでもなく、一人虚空に言葉を吐いた。

「そうさ、生き残りたいっていうその気持ち……間違っているはずがねえだろうが」


 格納庫のハッチは固く閉じられている。通常の隔壁だけではなく、緊急時にだけ展開されるアダマス鋼障壁によって、出入りは完全に封じられているのだ。これもすべて、ヨナが勝手に脱走しないようにハンクが独断で行ったことだ。さすがに船の内部を壊すようなことはしていないようで、ヨナはマルテの中でじっとしていた。


「おう、イルダ。来たか。あいつどうにかしてくれよ……」

「おやっさん、あんたも隠れてないで説得とかしてみたらどうなのよ?」

「バカ言え、俺だってあいつからしたら、助かるために逃げ出した人間の一人だ」


 そして、自分自身でもそう思っているのだろう。ハンクの声にはいつもの張りがない。イルダはため息をつきながらエレベーターに乗り、デッキへと降りて行った。


「……近付かないでください、イルダさん」

「そんなこと言われたって、キミがそこにいるからしょうがないじゃん。そこにいられると機体の調整とかできないから、引きこもるなら部屋にして欲しいんだが……」


 そういうと、イルダはヨナが乗っているマルテの足元に座り込んだ。体長3.4mの巨人、人間と比べれは、その大柄さが引き立つ。どけようとすれば、どうとでもなる。だがヨナは、彼を押しのけることはなかった。


「キミたちの話、聞いたよ。あの戦争の時、何があったのかを」

「……」


 ヨナはイルダの言葉を、黙って聞いていた。聞き流しているのではない、そうでないことは、彼女の息遣いから分かった。イルダはそのまま続けた。


「仲間を殺して、自分だけ生き残ったことに罪悪感を持っているのは、分かるよ」

「初めてじゃないんです、私が大切な人を見捨てて、逃げ出したのは」


 ヨナは静かに、イルダの言葉に答えた。彼も静かに、次の言葉が紡がれるのを待った。


「私が過ごしていた国……グラディウス王国は、静かで、美しい国でした」

「グラディウス王国……帝国の質量兵器で滅んだ、世界最後の王国……だっけ?」


 グラディウス王国は、中東にあった世界で最後の王制国家だ。人口は3000万人、主要な輸出物は石油と、水素電池製造に使われる希少金属だ。水素エネルギーの安定化による、エネルギー革命においても上手く立ち回り、小国でありながら中東の盟主として知られていた。欧州世界にも強い影響力を持っており、国民連邦にも参加していた。

 強力な軍備と、潤沢な資金力。そして、国民連邦のエネルギー政策に深く関わるその姿勢は、帝国軍の格好の餌食となった。大戦初期、まだ質量兵器への対策が十分になされていない段階で、王国は数多降り注いだ流星によってこの地球から姿を消すことになった。残された国民たちは、《太陽系連邦》の管理下でいまも生きているという。戦後、質量兵器と核をはじめとした大量破壊兵器は、滅びた彼の国の名を取った《グラディウス条約》によって規制された。


「あの時も、私は自分が王族だという理由だけで逃げ延びてきました……帝国への憎しみを晴らすために、兵士になって。それで、誰か救うことが出来るって、そう思っていた」

「でも、現実は違った。連邦の広告塔として利用されて、利用価値がなくなったら前線に送り出されて、殺されそうになった」

「私たちを活かすために、章吾さんはあんなことをしてしまった……」


 コックピットの中から、ヨナの無念を秘めた声が聞こえてくる。彼女の顔はいま、きっと東雲省吾のそれと同じだと、イルダは思った。


「ヨナちゃん。キミは、スノーフォールの雪の下で死にたかったのか?」

「……もしかしたら、その方がよかったのかもしれません」

「そんなことはありえねえ」


 イルダの声は小さかった。しかし、様々な感情が入り交じった、強い言葉だった。短く、シンプルなフレーズが、ヨナの耳に残響めいて残った。


「死んでよかったなんてあり得るかよ。死ねばそんなことを考えることは出来ない。死ぬってことは、自分がいままで生きて来たすべてが、無に帰るってことだ」

「死者が……遺せるものだってあると思います」

「そんなものは生きている人間が勝手に決めることだ。死者への感傷を誤魔化しているだけだ! 死人の思いを勝手に解釈して、歪めて、都合のいいように理解しているだけだ。死にたくて死んだ奴なんて、いるわけがないだろうが……!」


 絞り出すようなイルダの言葉に、ヨナは何も返すことが出来なかった。ほんの数日、一緒にいただけだが、イルダがこんな激情を見せる男だとは、彼女は思っていなかった。飄々とした優男、それが彼女にとってのイルダの評価だったのだ。


「あー……すまない。怒鳴っちまって。ちょっと、感情が昂ぶっちまったんだ」

「いえ……私こそすいません。何か、気に障るようなことを……」


 イルダは立ち上がり、体を伸ばした。そこにいたのは、ヨナが抱いている印象そのままの男。まるで仮面だ。


「東雲さんがキミを生かしたのは、生きているキミに出来ることがあると思ったからだと思う。それを、それだけは理解してあげて欲しいんだ。あの人がやったことの意味を」

「イルダさん……」


 その時、アラートが鳴った。ローマンのものではない、『アクイラ』のものだ。


「緊急事態発生。現在『アクイラ』は、正体不明の武装勢力によって攻撃を受けている。敵機の構成から、《太陽系解放同盟》による攻撃と思われる。繰り返す……」

「《太陽系解放同盟》……!」


 ヨナは虚空を睨み、イルダはすぐさまゼブルスに飛び乗り、機体を立ち上げた。


■◆■◆■◆■◆■◆■◆■


 『アクイラ』は現在、質量兵器攻撃によって出来た新造湖『オケアニデス』に停泊している。宇宙線によって汚染された小惑星による攻撃で出来たクレーターにしては珍しく、『オケアニデス』はまったく放射能汚染のない湖だ。シーズンになれば観光客が訪れ、観光客向けの小さなコテージがいくつか建てられている。


 だが、いまここにいるのはもちろん観光客ではではない! 『アクイラ』を包囲する多数のバトルウェア、アームドアーマー、そして戦車や戦闘ヘリ! 機体側面や肩には誇らしげに国民連邦のエンブレムたる、地球と寄り添う月を象ったエンブレムが描かれる。突如として立ち上がった砲声と銃声に驚き、保護指定を受けた野鳥が飛び立った。

 『アクイラ』にもいくつもの砲弾が当たるが、それらは船体表面を覆う電磁反応装甲によって無力化される。キャリアーの大部分はこうした防御能力を持っており、その中でも最新鋭である『アクイラ』の装甲出力は極めて高い。とはいえ、研究や環境維持に大量の電力を裂かなければならない『アクイラ』が防御に使える電力はそれほど多くない。


「待機中の機動部隊に召集をかけ、隊が集合した時点で順次発進させなさい! 先行している護衛部隊には引き続き周囲の警戒を! 第二波による攻撃に備えさせなさい!」

「『銀の茨』、『紅蓮鬼』、応援要請を受諾。出撃します!」

「応援部隊と情報リンク! 周囲の環境マップも渡しなさい!」


 第一波による奇襲を受け流し、九鬼はすぐさま攻勢に転じた。『アクイラ』の砲門により敵に隙を作り、その間に機動兵器部隊を出撃させる。確認されている敵機の数はそう多くない、駐留している自社機動兵器部隊によるものでも事足りるが、しかしなるべく損害は避けたかった。傭兵たちにも《太陽系解放同盟》との交戦経験を積んでもらう必要があった。九鬼は眼下で出撃していく部隊を見ながら、敵を観察した。


(こちらに戦力が集結している時を狙ってしまうとは、不運なことね……)


 傭兵たちには秘匿された暗号化コードによって通達を行っていたため、外部にこれが漏れることはない。『アクイラ』を落とそうとした同盟が先走った結果だろうと九鬼は判断した。各方面で、敵の撃墜報告が続いている。抵抗を続けるか、それとも逃げるか。いずれにしても、こちらの優位が揺らぐ事はないだろう。


「『ブルーバード』イルダ機、応援要請を受諾。出撃します」

「了解しましたわ、順次合流を指示しなさい」


 眼下の水面に、一機の青いバトルウェアが飛ぶのを見た。ローマンのカタパルトから投げ出されるように射出されたそれは、背中と両足首、膝裏に備え付けられたスラスターを器用に操作し飛行。対岸の地面へと見事に着地した。

 発進命令を出してから数秒、得も言われぬ違和感を九鬼は覚えていた。そして数秒後、九鬼はポンと手を叩いた。指揮官の奇行を、部下たちは見て見ぬふりをした。


「イルダ=ブルーハーツ……あの方、いつの間にフリーじゃなくなったの?」


 ヨナに出撃しないよう言い含め、イルダはすぐさまローマンを飛び出した。敵の戦力はそれほど多くないが、航空戦力がいるのは厄介だ。おまけに、湖の間は開けており、ロクな遮蔽物も存在しない。対して、《太陽系解放同盟》側は湖の周囲を取り囲むようにして群生した木々の間に隠れながら行軍を行っている。

 攻撃ヘリの放ったロケット弾がいくつもの白い尾を引き発射される。着弾点で凄まじい爆音が鳴り、辺りは一瞬にして火の海に包まれた。ナパーム弾だ。

 イルダは助走をつけ、跳んだ。数メートルほど飛び上がったそれを、噴射剤の力によって押し上げ、攻撃ヘリと同じ高度まで一気にイルダは飛翔した。


「なっ……バカなァっ!」


 ヘリパイロットは信じられないものを見るような目で、ゼブルスを見た。苦し紛れに放ったガトリング砲は、しかし全てゼブルスの表面装甲によって弾かれた。イルダは右腰部にマウントされていたコンバットナイフを引き抜き、居合めいた斬撃を攻撃ヘリに浴びせる。コックピットガラスが飴玉のように砕け散り、赤い飛沫が破片を汚した。コントロールを失ったヘリは黒煙を上げながらどんどん降下していき、ついに地面に激突し爆発した。その爆発を尻目に、イルダは次のヘリへと狙いを定めた。


 改修型のゲデルシャフトが空飛ぶバトルウェアを撃墜せんとして、ライフルを掲げ次々と弾丸を放つ。イルダは空中で身を捻り、複雑な軌道を描きながら飛ぶ。胃袋が捻じれ、中身と一緒に擦り切れて行きそうな感覚に何とか耐えながら彼は飛ぶ。そうしている間に、対空砲火を行っていたゲデルシャフトの頭が仲間の傭兵によって刈り取られた。


「はっはっは! 相変わらず派手にやっているみたいだな、イルダ!」

「空の敵は俺に任せてくれよ。最近、キルマークが足りてないんでなぁっ!」


 バレルロール回転をしながら浮上、ヘリの真上を取ったイルダは、ヘリのローターを踏み潰すように蹴りつけた。反動を使い更に上昇、前進。左腰にマウントされていた刀を抜き放ち、戦闘ヘリを串刺しにして仕留めた。その後方に回る攻撃ヘリが一機。イルダはそれを冷静に観察。攻撃ヘリの一機が放った20mmガトリング砲の斉射を装甲で受け止めながら、刀を振り抜いた。突き刺さっていたヘリが抜ける、攻撃をしてきたヘリに向かって。超高速で迫るそれを回避出来ず直撃し、二機のヘリが空中で爆散した。


 周囲を見回すと、展開していた攻撃ヘリの大部分は撃墜されていた。イルダが派手に目を向けさせたことによって、突破口が出来たのだ。バトルウェアの銃撃で、アームドアーマーの対空ミサイル攻撃で、『アクイラ』の対空迎撃砲火によって。


「地上部隊も順調に落とされているみたいだな……これならば」


 そこで、イルダは奇妙なものを見た。一機のゲデルシャフトが立っていたのだ。だが、その姿はどんどん地面に向かって消えて行った。しゃがんでいるわけではない。やがて体長10mの巨人は、木々の中に隠れて完全に見えなくなってしまった。呆気にとられながらもそこに近付いて行くと、地面に小さな亀裂が走っているのが見えた。


「いや、これ亀裂じゃなくて……まさか、これって……」


 軽く見て見ただけでも、その辺りがただの地面でないことは明白だった。大量の金属反応がある、恐らくは偽装されたリフトかなにかなのだろう。イルダはその場でしゃがみ込み、慎重にゲートをこじ開けようと試みたが無駄だった。リフトの入り口はバトルウェア一個小隊が余裕を持って入れるほど巨大だったのだ。一機でどうにかなるわけはない。


「あいつら、これを使って奇襲して来たっていうのか……?」

 イルダの頭の中で、いくつもの疑問符が浮かんでは消えて行った。

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