Chapter2:冥府の果てから-5

 それから半年。『アイドル部隊』候補生のおよそ半分は、章吾の課した課題をクリアできずにここから去っていった。残った隊員の人数は30名を切っている。そして、この過酷な訓練をクリアしたものでさえ、前線で戦う兵士たちに比べれば未熟としか言えない。


「キミたちは厳しい訓練を潜り抜け、国民連邦軍軍人として新たな一歩を踏み出した。諸君らの戦いが、我々人類の明日を左右するであろうことを、忘れないでいてもらいたい」


 卒業訓示には、当時の国民連邦大統領まで現れた。教官役のアクターが、わざとらしい涙を浮かべてインタビューに答えた。彼にはこれから輝かしいキャリアが待っていることだろう。章吾は裏から、その光景をぼんやりと見つめていた。茶番だ。


「少佐。手配していた機体は、滞りなくこちらに届けられるそうです。せめて新型が、彼女たちの命を救ってくれればいいのですがね……」

「いかに優れた機体でも、それを操るのは人間だ。あいつらに教えられることは全て教えた。この先生き残れるかは……あいつらの実力次第だ」


 章吾は数年来、禁じていた煙草をふかしながらジョッシュの言葉に答えた。薬物や酒、ニコチンに頼る惰弱な精神が、人間を死地へと誘う。それが章吾の持論だったが、しかしこの段に至ってはもはやそれがなければやっていられなかった。少女たちの戦線投入を急がせる上層部を押し止めるので精いっぱいだった。上は彼女たちのことを広告塔、もっと言えば肉の壁として運用することを期待していた。殺した相手が年端もいかない少女だと知れば、敵が傷ついてくれるとでも思っているのだろうか?


「半年間ご苦労だった。傷の具合はどうだね、東雲少佐?」

「……おかげさまで、ギプスなしでも歩けるようになりました。しかし、表にいなくてよろしいのですか? まだ訓示は終わっていないでしょう、ヘイゼル大佐」


 章吾は怒気を孕んだ声をヘイゼル=クルーガーに対して投げかけた。彼は突き上げを行っている上層部の一員であり、部隊の壊滅を誰より望んでいた。


「彼女たちにかけられた金額は、そう安くはない。早々に戦線に投入したいのだ」

「ガキどもを? 冗談でしょう、帝国軍の攻撃は日に日に激しくなってきている。このど田舎、スノーフォールにおいてさえそれが聞こえてくるんです。ど素人に毛が生えた程度のあいつらを、前線に投入しているような余裕はないはずだ!」


 上層部の予想より戦争は激化していた。帝国軍は次々と新兵器を投入し、地上攻略作戦を進行させている。連邦側も宇宙に兵員を移すことに成功したため、質量兵器による一方的な虐殺がなくなったのがせめてもの救いだ。それでも、圧倒されていることに変わりはない。いま必要なのは十分な火力と兵員であり、慰問などではない。


「その通り、戦争は激しさを増している。私はね、東雲少佐。かけた金にはリターンがなければならないと思っているのだよ。それがどれだけ小さなものであったとしてもだ。彼女たちの憎悪が、戦争に使えると判断した。それだけだ、東雲少佐」


 ヘイゼルは感情を込めずに、淡々といった。元々この男のことが好きになれなかった昭吾だが、その時初めて、この男のことが嫌いだと思った。この男の目には、人間は映っていない。人の形をした金の塊が映っている。効率性と言ってもいいかもしれない。人の生死は、この男にとってただの数字に過ぎない。看過できない損害であったとしても、悲しむべき悲劇では決してありえないのだろう。

 ヘイゼルは踵を返し、会場へと戻っていった。ヘイゼルの姿が完全に消えたのとほぼ同時に、章吾は吠え、壁に拳を打ち付けた。建物が小さく揺れた、そんな気がした。強く殴りすぎたため、章吾の拳には血が滲んでいた。


「ジョッシュ。俺の指揮下に入るのは、何人だ?」

「6人、二小隊です。フェゼル=ヨナ=グラディウス、アルカ=フェストゥム、アウラ=ヒディアス、ノール=グラフィス、ヒナ=カグラ。それからシゼル=バルダイン」

「……ガキどもは、きっとこの戦争で残らず死ぬだろうな」


 章吾の悲観的なセリフを、二人とも現実味を持って受け止めていた。それくらい当たり前のことだった。それでも章吾は、自分に言い聞かせるように言った。


「……せめて俺のところにいる6人のガキだけは守る。そのために力を貸せ」


 それが果たせぬものだと知るまで、それほど時間はかからなかった。


■~~~~~~~~~~~■


 一月はよかった。その次の月、アメリカ南部に慰問に訪れていた部隊が都市ごと壊滅した。その次はアフリカ、スーダン。その次はトルコ。しばらくして章吾は数えるのを止めた。西暦2315年、1月12日。その頃には『アイドル部隊』の生き残りは5人にまで減っていた。ヒナ=カグラは戦闘中に脚部を損傷、不幸にも滑落死した。生き残ったとしても死因が変わっていただけかもしれないが。『アイドル部隊』の生き残りは、いまやスノーフォール基地に残った5人だけとなった。


 だがすぐに、生き残りは4人に減った。寒冷地用にカスタマイズされたゲデルシャフトが放ったマシンガンの弾が石油採掘施設の鉄塔をへし折り、巨大な鉄塊にノールが潰されたからだ。自軍、敵軍共に多数の残骸が転がっていた。もう三日も戦っている。

 投降は全く受け入れられない。どこもかしこもそんな状態だと、各地に散らばっていた戦友に章吾は聞いていた。迂闊にも射線上に飛び出した者の行く場所はあの世だけだ。正規軍のスラマニの放ったABWバズーカが何発もゲデルシャフトの関節部に突き刺さり、爆炎を上げ、鉄の巨人を打ち倒した。そう思っていたところに、その後方から放たれたマシンガンの弾が何発も通り抜け、数機のスラマニを一瞬にして破壊した。


「クソ、ここはもうダメだ! 各機、後退しろ! ジョッシュ、弾幕を張れ! 各機の後退が済むまでは、キャリアー隊で奴らの侵攻を押し止めるんだ!」

「了解。キャリアー各機に通達、100秒後に後退を開始する、それまでに……」


 戦場は混沌の極みであった。『アイドル部隊』は後方での火力支援を担当させているため、そこまで目立った被害は出ていないが、正規軍部隊のダメージは如何ともし難い。バトルウェアの装甲を正面から破壊できる可能性のある電磁投射砲装備戦車は早々に全滅、天候は極めて悪く航空戦力を出すことすら出来ない。

 雪原仕様の機体を使っているとはいえ、悪天候下での踏破性においてはバトルウェアのそれと大差はない。機動性による優位を得られなければ、待っているのは圧倒的火力による蹂躙だけだ。


 後方10Km地点には基地があるが、まだ撤退指令は出ていなかった。これから先も来ることはないだろう。要するに、ここを死守しろということなのだろう。彼我戦力差は敵の方がもはや上だ。数自体は少ないため、嫌がらせが効いていることが救いか。


「よし、全員後退したな? 作戦を伝えるぞ……」


 後退と妨害により敵との距離が出来た。距離を取りつつ、ABWバズーカで敵機の関節部を狙撃し破壊、移動を阻害したうえで仕留める。それの繰り返しだ。最近ではABWバズーカ対策に関節防御に重点を置いた現地改修を施した機体さえあるという。この戦法もいずれは使えなくなるだろう。ジリジリと進退が極まってくるのを感じた。部下たちはそれでも章吾を信じ行動している。いや、信じなければならないのだろう。


「クソ、基地からの増援はまだなのか……! これ以上、堪えられないぞ……!」


 あの時後ろを振り返らなければ。そう思わなかったときはなかった。振り返らなければ、あの時迷わず死んでいけた。基地から飛び出すシャトルを見なければ。


「……ベルマン。あの機体、レーダーに反応はあるか……?」

「いえ、ありません。ステルスシャトル、ということでしょうね。どちらに気付かれないようにしているのかは、私には分かりませんが……」

「あの、クソッタレども! 俺たちを捨ててここから逃げる気なのか!」


 逃げる気じゃない、逃げたんだ。そう訂正する気力すら章吾は失っていた。少なくとも、いままで軍には大人しく従ってきたつもりだ。人道に反することも、組織の利益になるのならばとこうしてやり抜いて来た。だがその結果がこれか?

 章吾は戦場を見た。誰もが必死に戦っている。報われる時が来ると信じて。そしてそれは敵でさえ例外ではないだろう。永遠に報われる日が来ないと知らずに戦っている。向かうべき道は同じ、この残骸に満ちた戦場と同じだというのに。それを見た瞬間、章吾はいままで信じていたものが、途端にバカバカしく、下らないものに思えて来た。


「……ジョッシュ。20秒以内に回収できる地点にある機体はどれだけある?」

「……なんですって?」

「いいから答えろ、ジョッシュ! どいつを20秒以内に回収できる!?」

 鬼気迫る表情を浮かべた章吾にたじろぎながら、ジョッシュはその指示に従った。


「回収できるのはヨナ機、アルカ機、シゼル機です。特にアルカ機は、本船を盾にしながら支援狙撃を行っていますから、すぐに回収できるはずですが……」

「シゼル、聞こえるか。しばらくしたら合図を送る、それを聞いたらヨナ機を回収し、なりふり構わず、本船に戻れ。分かったな?」

「了解しました」


 章吾の声にシゼルは、すぐさま返答した。章吾は砲塔を操作した。

「いったいなにをするつもりなんです、少佐!」

「決まっているだろう、ジョッシュ。ここで死ぬわけにはいかないんだ」

 ローマンの砲塔が、密かに山頂を向いた。砲塔の稼働音は吹雪の泣き声にかき消され、誰の耳にも聞こえることはなかった。章吾は手動で照準を合わせた。


「この戦場のすべてを吹き飛ばす」


 腹の底に響く、重苦しい砲声が聞こえた時には、すべてが手遅れだった。一瞬にしていくつもの雪尾が崩れた。硬く凍った雪の層を、柔らかな新雪が滑り落ちた。辺り一帯を飲み込む、激しい雪崩が、一瞬にして戦場を飲み込もうとしていた。


「なっ……! 東雲さん、これはいったいどういう……」

「死にたくないなら、早く船に戻って来い! アルカ! シゼル、回収しろ!」


 章吾が叫ぶ前に、シゼルはヨナ機を小脇に抱えて走り出していた。突如横合いからの銃撃で剣を落とされたヨナは、反応することすら出来ずにシゼルに抱えられた。何の抵抗もなく、バトルウェアも、アームドアーマーも、その区別すらなく、すべてが白に染まる。


「そんな、いったい……どういう……」

 チームメイトであるアウラの悲痛な声が、三人の耳に届いて来た。

「足を止めるな、シゼル! あいつはもう助からんッ……!」


 わき目も振らず、シゼルは走った。ヨナは両腕をがっちりホールドされながら、去りゆく戦場に手を伸ばし続けた。彼女の手は虚空を切り、やがてすべてが飲み込まれていった。開かれた格納庫ハッチにシゼルは飛び込んだ。


「いまだ、ダルトン! 全速後退! 俺たちはこの戦域より離脱するッ!」

「へへっ……合点承知だ、大将!」


 ダルトンとて馬鹿ではない、章吾のしでかした事の重大さは理解している。だが、彼の価値観は単純だ。敬愛する上司の言葉であるのならば、それは非であっても是である! 言われるがまま、さりとて自分の意思でダルトンは船を後退させる。大岩や松林を巧みにシールドとして利用し、圧倒的な速度と質量で迫りくる雪崩を避ける!

 一方で、ジョッシュの行動も迅速だった。すべての通信リンクを遮断し、電子的に存在を秘匿し始めた。船の識別コードを改竄し、船内に設置されたGPSユニットを破壊。あたかもこの戦場で雪崩に飲み込まれ、消えたかのように船を偽装したのだ。


 ……すべては終わった。いや、終わらせた。彼らの生存を示すものは、すべてスノーフォールの雪の中に捨てて来た。彼らは死人、そこに存在しない人間。どうなるかは分からない。だが、見捨てられてまで忠誠を尽し、命を失い、記念碑に名前を刻まれても慰めにもならない。歪み、狂った世界から、彼らは見事脱出して見せたのだ。

 格納庫の映像を映し出す。ヨナがシゼルに食って掛かる。それを何の抵抗もなく、彼女は受け入れている。アルカはそれを止めるが、その力は弱弱しい。当たり前だ、彼女としても何の感慨もないわけもないのだから。


「……連邦の勢力圏から外れるように移動しろ。俺は……行ってくる」

「誰か、ついて行かなくてもいいのですか?」

「いや、いい。俺がやったことだ。誰にも、その責任を負わせるわけにはいかない」


 そう言って、東雲省吾は艦橋から出て行った。誰もかけられる言葉などなかった。

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