Chapter1:欧州戦線-2
「いらっしゃいませ。アイスティーしか作ってないけどいいかな?」
「おいコラ、黙ってろイルダ。ああ、好きなところにかけてくれ。それから注文を」
イルダ=ブルーハーツがレストラン『タパージュ』に転がり込んでから、早4日が経った。それなりに繁盛する店で、イルダも店主もきりきり舞いになっていた。イルダが注文を取り、店主が料理を作り、イルダが運び、片付ける。そう言う分担だ。
「おいコラぁっ、イルダ! お前、もうちょっと気を付けて食器を運びやがれ、手前! キズモノになったらどうしてくれる、バカ野郎!」
「大丈夫大丈夫、そうならないように気を付けて運んでるからさぁ!」
イルダはとかく適当な男だった。それでも致命的な結果にならないのは、彼のセンスの賜物かもしれないが。ともかく、物一つを運ばせるにも細心の注意を払わねばならない。厄介な奴が来たものだな、と店主は内心で嘆息した。
「大将、そろそろ空いてくる時間だけど……この前のお使い、片付けてくるかい?」
「ん……ああ、そうだな。そろそろ無くなりかけだ。あとは俺がやっておく」
イルダはOK、とハンドサインを作り、前掛けを脱いで裏口から店を出た。店の裏に立てかけられていたモーターサイクルに跨り、アルフェンバインの街に漕ぎ出した。優しい風が、彼の火照った体を撫でた。車通りはそれほど多くない、快適な旅路。
「大半は調味料……これがなかったら絶対に嫌だったな。行こうぜ、相棒」
イルダは悪戯少年のように笑い、モーターサイクルを漕いだ。裏道は複雑だったが、数日の間にイルダはすっかりこの街の地図を頭に入れていた。職業柄地図を覚えるのは得意だった。道行く人に軽い挨拶をしながら、目的地である輸入雑貨店まで辿り着いた。
「おばちゃん、『タパージュ』のもんだ。大将から連絡来てると思うんだけど」
「お疲れ、イルダくん。ちょっと待っててね、すぐに持ってくるから」
雑貨店の女将は裏に入った。野太い声で夫を呼ぶ声が、扉越しにも聞こえて来た。これはしばらく時間がかかりそうだな、と思いながら彼はカウンターにもたれかかった。
「……ん」
特に意識して、そこに目を向けたわけではない。だが彼の視線の先に、一人の男がいた。頭頂から爪先まで黒一色、葬儀人めいた出で立ちだったがそう言う類の人間ではないようだった。ネクタイは着けておらず、ジャケットは乱雑に着崩されている。髭も剃っていない。もし宗教的な意味を持つ葬儀人なら、こんなラフな格好はしていないだろう。
「……ん。あんた、俺に何か用でも?」
それなりに距離を取っていたが、黒服の男はイルダの視線に気づき、彼にハスキーな声を投げかけた。好奇心から彼を見ていたイルダは、急にバツが悪くなった。
「……いや、何でもない。ただ、あんたみたいな恰好の奴が珍しくってさぁ」
「お前、ここの住人なのか? そうは見えないがな」
黒服の男はイルダの姿を見て、鼻を鳴らしながら言った。あざ笑うかのように。
「そいつはいったいどういう意味だい? 俺がこの街の雰囲気に合ってないって?」
「ああ。ここは……古い時代へのノスタルジアで出来た街だからな。違う気がした」
思わず言葉に詰まる。そう、たしかにその通り。この街は素晴らしい街だ。だが、未来はない。人口の大半は高齢者だ。この街はただの通過点に過ぎない。汚染されたパリクレーターから20Kmも離れていないこの場所に移住して来ようなどという者もいない。在りし日の幻影、緩やかに滅びていく街。それがアルフェンバインだ。
「ええ、まあ……仕事の都合で来ただけです。ジロジロ見ちまって、すいませんね」
「そうだと思っていた。いや、別にいいんだがな。気にするな」
それだけ言って、黒服の男はイルダから視線を外した。荷物を持ってくるまでの数分間が、いやに長く感じられた。あまりの空気の悪さに、イルダは再び口を開く。
「あなたはこの街にどうして? いつからここにいるんです?」
「お前と同じ、仕事だよ。この街には補給に来た。長旅になるだろうからな」
「長旅……もしかして、流しの傭兵かなにかで?」
短く彼はそうだ、と答えた。少し驚いたが、しかし彼の纏っている雰囲気が、長く戦場に身を置いて来た人間のそれだとも感じていた。しかし、傭兵とは。
数年前と比べれば、傭兵の数は飛躍的に増えているというデータをイルダは見たことがあった。要因はやはり、政府の予算不足。地球はもとより太陽系のすべてを賄うだけの兵員を養うだけの資金力など、どんな政府にも持てはしない。そこで推し進められたのが兵力のアウトソーシング、すなわち民間軍事会社の積極的活用だ。その道の最高峰、《アルタイル社》に軍事部門管理の一部を委託することで、予算の圧縮に成功したそうだ。
「参考までに聞いておきますが……最近どうですか? 景気は」
「あまり良くはない。もっとも、俺たちが不景気だってことはいいことなのかもしれないがな。戦争終結から2年、反政府勢力も相当元気が無くなってきているからな。最近のトレンドは中東、アフリカ……欧州じゃもう、ほとんど俺たちの出番はない」
ある意味、それは当たり前の事だった。前大戦終結時、復興が優先的になされたのは欧州地区だ。《太陽系連邦》中枢にいるのは、かつて欧州、それも西欧諸国と呼ばれていた場所に存在した国家群だ。それ以外の地区の復興は後回しにされた。質量兵器の大量投下によって汚染された北アメリカ大陸は、もはや人の住めぬ荒野と化した。
「いい街ですよ。よければまた来てください。きっと歓迎されますから」
そこまで言ったところで、店主たちがイルダの荷物を持って裏から出て来た。話している時とは打って変わってイルダは笑顔を浮かべ、代金を支払うと重い荷物を持ち出て行こうとした。その後ろ姿を、黒服の男が呼び止めた。
「オイ……お前も、俺たちの同業者なんじゃないのか?」
去ろうとする彼の体が、一瞬だけ止まった。笑みを浮かべ、彼は振り返った。
「でも……ここに骨を埋めるのもいいんじゃないかなとも思ってますよ」
それだけ言って、彼は店から出て行った。話の内容を知らない店主は、二人の間を不思議そうに見ているだけだった。黒服の男、
鼻歌交じりにサイクルを漕ぎ、イルダは帰路を急ぐ。しばらくの間忘れていた、傭兵としての感覚が思い出される。だが、それはすべて忘れることにした。アルフェンバインで、普通の人間として生きていくには、まったく不要な感覚だからだ。
戦い始めた時のことを、いまでも鮮烈に覚えている。ずっと戦場に立って、戦争が終わった途端世界に放り出された。何をすればいいのかは分からなかったが、その場にとどまっていれば命がないことだけは分かり切っていた。2年の間にいろいろなことがあった。戦争が終わり、世界が変わっても、平和や平穏とは世界は無縁だと分かった。だが、それでも。イルダにとっては、そんなことは至極どうでもよかった。
「ずっとこうしていたい……」
さんさんと照り付ける太陽の下。心地よい風を感じながら。きっとそんなことは出来ないんだろうな、と考えながら。イルダは願いを込めて、誰にも聞かれず呟いた。
店に戻れば、また慌ただしい時が待っていた。店を閉めるまでの数時間の間、ロクに休憩も取れないまま彼らは仕事に没頭した。すべての客が家に帰り、店を閉めると、彼らは残った食材をまかないとし、ワインを楽しみ、明日に備えた。
「うーむ、料理ってのも楽しそうだな。今度頼んでみようかな……」
イルダはそれほど柔らかくないベッドに横になりながら、シェルフに置かれた料理本を手に取った。そこには彼がまったく知らない言葉がいくつも刻まれており、色とりどりの食材と料理のイラストが描かれていた。興味は尽きない。
「そういえば……この部屋って誰のもんなんだろう」
居候を始めてから数日、しばらくは考える暇もなかったが、暇が出てくると今度は好奇心が鎌首をもたげて来た。気を回してみるとなるほど、この部屋は単なる空き部屋としては片付きすぎていた。部屋に入った時埃がたまっていることもなかった。調度品もあるし、いま彼が見たような本もある。まるで誰かが使っていたかのような。
イルダはベッドから身を乗り出し、その下を覗き込んだ。古めかしい段ボール箱がいくつもあり、中には物が詰まっているように見えた。彼はその手前、上半分を切り取られ、皿のような形になった箱を引きずり出した。僅かに埃が被っていた。
そこには丁寧に折りたたまれた国民連邦軍の制服と、いくつかの勲章。そして、一枚の色あせた写真があった。この軍服を着るには丈が足りない、小さな少年が映っていた。その両隣には、壮年の男と女。いまと雰囲気は違うが、店主の老人と思しき人が映っていた。それだけではない、彼らを囲む幾人もの男女。娘や息子、孫たちだろうか。撮影日は12年、いまから5年も前のことだった。幸せな家族の肖像が、そこにあった。
誰に見られているわけでもない、それでもイルダには罪悪感があった。写真を戻し、それを誰にも見られることのない安息の場所へと戻し、明かりを消し眠りについた。
僅かな居心地の悪さからか、イルダは深い眠りにつくことが出来なかった。太陽はまだ昇っていなかったが、階下からは物音が聞こえてくる。店主が仕込みをしているのだろうか? 目をつぶっても、その音が耳から離れなかった。結局彼は起き上がった。
少し急な階段を下りて行くと、厨房で店主が慌ただしく朝の仕込みを行っていた。
「……なにか、手伝うことはあるかい? なんだか、その、眠れなくてさ」
「もうすぐ終わる。ちょっと待ってろ」
ぶっきらぼうに言いながら、彼は作業を続けた。イルダは大人しく壁にもたれかかり終わるのを待った。最後の仕込みが終わった時、再び彼はイルダに視線を向けた。
「……なにをしている。来ないのか?」
「なあ、爺さん。どうして俺を……あの部屋に入れてくれたんだ?」
意を決して、イルダは聞いた。店主の表情は、古ぼけた樫の木のように動かなかった。静かに一杯の茶を、自分とイルダの分を注いだだけだ。二人はそれを無言で飲んだ。
「……息子の部屋だ。戦場に行ったっきり、帰っては来なかった。消息調査だとか、そういうのも打ち切られた。この街にいる連中は、そういうのの集まりなのさ」
「みんな同じ傷を抱えて……それでも、生きている?」
イルダの言葉に、店主は自嘲気味に笑い、首を横に振った。
「誰も認められないだけだ。自分たちの人生がもう、終わっちまってるってことを。もう子供の成長を楽しむことが出来ない。もう孫をこの手で抱くことが出来ない。もう……誰にも看取ってもらえない。ただ昔の記憶の中に引き籠もっているだけだ」
なにもイルダは返せなかった。彼もまた、戦争によってすべてを奪われた人間の一人だったからだ。故郷を、友達を、両親を、平穏を。普通に暮らしていれば手に入れられるはずだったいろいろなものを、イルダは10年前に置き去りにしてきてしまった。
「なあ、イルダ。お前も傭兵なんだってな?」
「どうしてそんな……」
「雑貨屋の店主に聞いた。この街じゃ、噂話ってのはすぐに広まっちまう」
あの時黒服の男としていた会話を聞かれていたのだろう。
「俺は、兵士や兵隊が嫌いだ。あいつらは俺の息子を奪い去っていった。あの戦争が終わって、俺は誰に……この怒りを向けていいのか分からなくなっちまった。だからよ、イルダ。明日、ここを出て行ってくれ。このままじゃ俺はお前を殴っちまいそうだ」
そう言って、店主は顔を伏せた。両肩が震えているのを、イルダは見た。ほんの数日間、それだけだったが、彼が涙を見せるとは思ってもみなかったのだ。
「ああ、分かった……分かってる。これなら、最初に言っておくべきだった」
「すまん。すまんな、イルダ。だが、俺は……」
「俺も、兵隊は嫌いだ。嫌いにならない人間なんていない。分かるさ、だから」
感謝の言葉を紡ごうとした。だが、それが永遠に届くことはなかった。夜を切り裂くけたたましいサイレンが、彼らの耳に届いた。それと同時に爆音が大気を震わせた。街のいたるところで火の手が上がり、数秒後『タパージュ』が瓦礫に変わったからだ。
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