欧州戦線

Chapter1:欧州戦線-1

 ……10年後!


 20世紀の人間がもし、現代の地球を宇宙から見ることがあれば、その姿に愕然とすることだろう。美しい自然の緑は燃え尽きて久しく、一部の原野で慎ましくその存在を主張しているに過ぎない。大陸の姿は彼らが習ってきたものとは大きく異なっており、なくなっているものや、かつて存在しなかった大地が隆起し現れている場所さえある。

 《第一次星間戦争》が始まった当初は、誰も地球が穴だらけのスイスチーズのようになるなどとは、それを実行した者ですら考えていなかっただろう。しかし、争いは憎しみを生み、憎しみは戦いを通じて醸成され、増幅していった。言葉による戦いが兵器による殺し合いに変わり、やがて大量破壊兵器による殺戮に変わるまでそれほど時間はいらなかった。


大戦末期、文字通り雨霰のように降り注いだ質量兵器により地球は大陸の形さえ変えるほどの被害を受けた。質量兵器とは小隕石の軌道をブースター装置によって変更し、地球へと落下させる兵器の総称だ。安価で高い効果をもたらすため大量に用いられた。地殻変動や放射線による汚染が広がり、極地の氷は焼け溶け海面水位は300年前と比べて約1m上昇。たった10年の戦争で、地球の人口は50億ほど減ったと言われている。


 そもそもの発端は、21世紀後半に旧国民連合を中心に提唱されたテラフォーミング計画と火星移住計画に端を発する。宇宙は過酷な環境であり、水も、食料も、大気でさえも自分たちの手で賄うことは出来なかった。そのため、移住当初宇宙開拓者と連合政府の関係は必ずしも対等なものではなく、むしろ搾取的で、奴隷的なそれに近かった。

 その状況が変わったのは、西暦2294年。テラフォーミングが完全な形で成功した時だ。大気構成を地球のそれと同等までに変動させることに成功。呼吸可能な大気を手にしたことで、開拓者の生活水準は大きく向上した。特に、地球型の動植物を栽培可能になったのは大きかった。大気と水、食料を自給可能になった開拓者たちは、次第に連合との隷属的な関係を断ち切るために動き始めた。


 無論、それを許すわけはない。地球の工業生産は火星から産出される鉱物に大きく依存していたのだから。連合側と開拓者側との交渉は平行線に終わり、西暦2305年にはついに武力衝突にまで事態は発展していった。

 開拓者は武器を持っていなかった。軍備に関しては地球側が独占していたのだ。そのため、衝突は早期に集結し、これまで通りの関係が維持されるだろう。誰もがそう考えていた。だが、それは見通しが甘かった。開拓者側は牙を研ぎ、待ち受けていたのだ。


 開拓民側の用意した『新兵器』によって、戦況は五分となっていた。むしろ、地球は兵員と兵器の打ち上げ作業が必要な分、攻撃能力に関しては開拓民に対して大きく劣っていた。一方の開拓者連合もまた,根本的な人員不足により大々的な攻勢を打つことが出来なかった。

どちらも決定打を出せないまま、開戦から10年が経過。憎悪の渦の中で『月宙域決戦』が行われたのはいまから2年前のことだ。互いの持てる力と、最大限の破壊力を込めた戦いは、双方タカ派の全滅という形で決着がついた。疲弊した両軍代表はその後講和を結び、それから1年後、地球圏と火星圏は再び手を取り合うことになった。


 無論、戦後すべての問題が解決したわけではない。戦争によって破壊し尽された市街地の再建はほとんど進んでおらず、雇用の不安定化などの潜在的な問題も多く残っている。しかし、それでも……多くの人々はこの星で生きている。絶望的な体験をし、命の危機すら残るこの星でたしかに、生きているのだ。


■◆■◆■◆■◆■◆■◆■


 西暦2317年、西欧地域。かつてパリと呼ばれたクレーターの東方に、寄り添うように建っている街が、アルフェンバインだ。《第二次星間戦争》によって、瓦礫に飲み込まれた街から離れた人々が築き上げた小都市で、現在は欧州地域の交通の中継点としてそれなりに繁栄している。


 古き良き時代の再建を目指して作られた都市区画は美しく整えられており、展望を遮る建物は少ない。赤褐色のレンガめいた建材で作られた建物は、どこか見るもののノスタルジーをかきたてる。まるで大半の人間が見たことすらない、古い映画の中に迷い込んでしまったかのようだ。

 特に、街の中央にあるアルフェンバイン中央駅は壮観だ。かつて存在し、観光名所としてその名を知らしめた駅をモデルとして作られたその場所は、ありとあらゆるもの、建物の形状であったり、街灯の設置個所であったり、街路樹と生垣の場所であったり、すべての構成要素が左右対称に作られている。駅の入り口にはアンティーク調の大時計が設置され、この街にいるすべての人間に正しき時間を伝えている。

街を東西に分断する駅の周辺には商業施設が集中しており、自然ここに集まる人は多くなる。これも計算されてのことだ、そもそもアルフェンバインという街自体が、『互いに顔を突き合わせることがないから、戦争が起こる』という理念の元作られたのだから。


交通の要所であり、また観光都市としての側面を持つアルフェンバインには、多くの人間が訪れる。幼い者、老いた者。チャンスを狙う者、平穏を望む者。逃れた者。多種多様、老若男女の人間が訪れるこの街において、しかしその男は異彩を放っていた。

リニアモーターカーから吐き出されたその男を見て、多くの人は足を止め、その姿を見た。美形、と表現してよいだろう。耳と襟足を隠す長く青い髪は、この時代においてそれほど珍しいものではない。風を受けてたなびく長い髪から、憂い帯びた切れ長の瞳が覗く。長い手足と、均衡のとれた体つき。着ている服が古ぼけ、色あせた軍用コートであることに目をつぶれば、モデルのような体型であり、その場にいるだけで男たちの羨望と嫉妬を一身に受けるような男だった。


ただし、その雰囲気を除けば、であるが。憂いを帯びたと言えば聞こえはいいが、ようするに半開きになった目であり、瞼の下には隈がはっきりと刻まれた陰鬱なものだ。顔色は白を通り越して土気色に近く、色濃い疲労と絶望感を辺りに撒き散らしている。幽鬼めいた虚ろな足取りで歩くその姿を、人々は遠巻きに見つめ、ひそひそと噂話をしあう。

しばらく男は歩き続けた。よく見れば、呼吸も荒い。足取りはゆっくりと遅くなり、駅ロータリーにある一軒の店の前で止まった。彼は視線を上げ、掲げられた店の看板を見た。そして、まるで糸の切れた操り人形のように勢いよく倒れた。店の名は『タパージュ』、このあたりでは評判のフランス料理店だ。


「ちっ……きしょぉ……! 腹ァ、減った……」


 何がそんなに悔しいのか、大粒の涙を目に浮かべながら男は呻いた。その声を聞きつけたのか、あるいは彼が倒れた音を聞いたのか。『Close』となっていた店の扉が小さなベルの音とともに開き、中から不機嫌そうな顔をしたスキンヘッドの店主が出て来た。


「これ見よがしに店の前で倒れてんじゃねェ。さっさと入って来い」

 その言葉を聞き、男は跳ねるように飛びあがり店の中に笑顔で入って行った。


「いやぁ、すいません。実は俺文無しでしばらく何も食ってなかったンすよ。んで駅から見えたのがこの店。何か食うもんねえかなー、って思って覗き込んだんだけど、この通り店は閉まってたでしょ? この世のすべてに絶望したねー、あん時は」

「お前、店が開いてりゃ文無しで食い物頼む気だったのか……?」


 磨き抜かれた水晶めいて輝くスキンヘッドに、青い筋がよく映えていた。青髪の男はそれを見て見ぬふりをしているのか、皿に盛られた賄い飯を物凄い勢いで平らげていく。それほどマナーにうるさくないカジュアルな店だとはいえ、まるで腹をすかせた犬のように乱暴な食い方をする男を見て、店主は内心苦々しい思いをしていた。


「ッ……ごちそうさま! 腹に染みるなぁ、なんてったって3日ぶりの飯だ!」

「3日何も食べてなかったのか? お前みたいな若い奴が、どうして」

「んなに若くないさ、24。親元を離れる歳だし、そもそも親父もお袋も前の戦争で亡くなってるんだ。頼る人もいないし、その日の銭も稼げない日もあるってもんさ」

「そうか……悪いな。ヤなことを思い出させちまったみたいで……」


 スキンヘッドの店主は沈痛な面持ちをしたが、彼にとっては言葉通り、それほど気にする必要のないものだった。この地球上、親を亡くして一人になった子供など決して珍しいものではない。そうした戦争被害者に対する政府の保証は、決して十分とは言えない。身の安全が保障されているわけもない。戦後、親を亡くした子供たちが、人知れず闇に消えている。そうした者たちに比べれは十分幸せだと、彼は思っていた。


「俺はイルダ=ブルーハーツ。申し訳ないついでに……雇ってくれると助かるんだけど」

 その瞬間まで目の前の青年、イルダの境遇に同情しているようなそぶりを見せた男は、その瞬間「何言ってんだこいつ」という表情を作った。


「賄い飯までかすめ取った挙句、ここに置いてほしいだと? お前図々しいにもほどがあるだろう。だいたい、お前ほど若い奴なら復興工事で引っ張りだこだろうが」

「いや、それほど長い間働きたいわけじゃないんだ! 何日か、最長でも一週間! 最悪、給料は貰えなくても飯と寝床がもらえればいいんだ! もちろんベッドはいらない」

「お前働くことっていうか、むしろ生きることをナメてるだろ?」


 少し機嫌を良くしていた店主の顔が、みるみる険しくなっていく。イルダは慌てて、次の言葉を紡いだ。


「待って! つまり、そう、これは俺の本来の仕事に関係していることなんだ!」

「本来の仕事だと? お前、働いていたのか?」

「そう。こっちの方でデカいヤマが動くって情報を手に入れて、大枚はたいてこっちに来たんだ。ところが、こっちじゃビジネスの気配は全くない。まあ、ガセを掴むのもこの業界じゃよくある話だ。何日か様子を見て、それで何もなければ街を去る予定だったんだ」


 イルダの仕事は少し特殊だ。需要が逼迫していることもあれば、まったくそうでないこともある。それだけ稼ぎの振れ幅が大きい、大きな上がりの期待できる仕事である、ということでもあるのだが。


「まあ……復興関連に人員を取られて、こっちじゃまともにウェイターも雇えねえからな。人手が増えるっていうんなら、こっちとしても断る理由はないな」

「ありがとう、さすがだオッサン! まず何からすりゃいい、皿洗いからか?」


 それはお前が汚した皿のことだろう、と言おうとしたが、その前にイルダは自分が使った皿を掴み、奥の流しまで足早に走り去ってしまった。店主はため息をつき、彼のことを考えた。何をしているか分からないが、一文無しとは尋常なことではあるまい。有り金全てを使ってこの街に来るほどの価値が、いまの街にあるのだろうか。詐欺師か、盗人か。

 しかし……それなりに長い間生きてきて、人を見る目があるのだと彼は思っていた。イルダの言葉にはウソは感じられなかった。皿を洗う姿も楽しげだ。まるで、初めてそれをするかのように。なにか言っていない、隠していることはあるだろうが、誰にだって人に言えないことの一つや二つはあるだろう。


「イルダ。寝床なら上を使え、一部屋まだ空いているからな」

「えっ! ホントに屋根まで貸してくれるの? 言ってみるもんだな!」

 イルダは無邪気な笑みを浮かべて喜んだ。店主は苦笑しながら、あまりにも図々しい男を軽く小突いた。


◆■◆■◆■◆■◆■◆■◆


 ところ変わって、東欧ワルシャワ。旧ドイツ連邦の色合いを残すこの都市には、現在太陽系連邦欧州本部が置かれている。《第二次星間戦争》終結後、地球側と開拓民は和解した。その後、両陣営は統合され、いまに至る。

地球圏が一変するような事態がスムーズに進んだのは、地球に存在した国家群の多くが宇宙軍の攻撃により壊滅し、国民連合に取り込まれていたことと、開拓民側の国家であった《オルダ帝国》が独裁体制を敷いていたことに由来する。まとまっていたものを更に二つにまとめたというわけだ。更に言うならば、《オルダ帝国》の法体系や組織構成は、概ね旧国民連合時代のものを継承していたことも理由の一つと言えるだろう。


 西暦2316年、《太陽系連邦》は二つの組織の人員と軍備の大部分を継承し、誕生した。無論、和平に反対する主戦派の粛清を完了させてからだ。現在地球は欧州をはじめとした5つの統治区分に分割され、宇宙側も火星を中心として各コロニーに高度な自治権を認める、緩やかな連帯関係を元に成り立っている。各統治区分はその中でさらに細分化され、細分化された地区はそれぞれ地区議会と行政執行機関を持つ。地方の問題は基本的に、地方で解決しろ、というわけだ。


 問題がないわけではない。むしろ問題だらけだ。特に、議会と軍の問題は深刻だ。なにせ、中央高官を除く旧国民連合議員や官僚たちは温存され、同じポストに滑り込んだ。そして反対派のすべてが声高に反和平を叫ぶわけではない。獅子身中の虫が秘密裏に支援を行うこともあれば、肥大化し監査の目が届かなくなったのを良いことに中世代官めいた悪逆非道な支配体制を敷いていることすらある。軍の力を笠に着て、だ。


 その統制下にある軍の方はもっと深刻だ。統合によって肥大化した軍事力をすべて賄うほどの資金力が、新興組織たる《太陽系連邦》にはなかった。戦後、首を切られた兵士の数は軍高官の指をすべて足しても足らぬだろう。死を賭して戦い、戦いが終わった途端に放り出された彼らを受け入れてくれる場所はもはやなかった。反戦感情と軍への反発は市民の間で根強い。

 生きる術を失った兵士たちが行き着く先は、二つに一つ。死か犯罪かだ。軍人と同じく放出された物資を使い盗賊のようになる者もいれば、《太陽系連邦》打倒を掲げテロリストへと堕する者も少なくない。戦争終結から2年、地球圏の治安は悪化の一途をたどっている。そしてそれは宇宙側も同じだ。ワルシャワの執務室で、元々険しい顔を更に苦渋に歪ませる男、ヘイゼル=クルーガーもまた、対策に追われる人間の一人だ。


「今年度に入って、すでに12件か。去年の前年比が138%増だったか」

「はい、大佐」


 赤毛の男、ヘイゼル=クルーガー大佐は苦々し気な顔を作った。彼こそが《太陽系連邦》、欧州方面軍の司令官である。一介の佐官である彼が、だ。

 なぜ彼が、自らの地位に見合わぬ高い位置に付いているのか? ひとえに戦後処理の問題だ。将官の多くは大戦末期に『名誉の戦死』を遂げ、生き残った者の多くも粛清の対象となった。ゆえに、彼のような軍の全体から見れば下位の者にもお鉢が回って来たのだ。


(もっとも、この状況……利用すれば、俺は更に上を目指すことが出来る)


 ヘイゼルは野心的な男だ。元々、彼に政治的な主義主張は存在しない。それを演じることはあったとしても。そうでなければ、この生き馬の目を抜く軍で生き残っては来られなかっただろう。彼にとって軍人であるということはその先への通過点に過ぎない。かつてのそれは国民連邦首領、今の彼にとってのそれは、《太陽系連邦》大統領。


「欧州でも、発生件数にはばらつきがあるな。東欧地区での発生件数は1か」

「このあたりは連邦軍のテリトリーであります。彼らも迂闊に手は出せないのでしょう」


 然り。欧州を統括するワルシャワ周辺には未だ軍が駐留しており、更には軍産複合体アルタイル社の本社とそれが運営する民間軍事会社PMCが存在するため、各統治区画の中でも別格と言っていい防衛能力を有している。それに比べ、群を抜いて発生件数が多い地区が存在する。


「旧フランス領では7件か。異常な数だ、まだ今年度に入って一カ月も経っていない」

「他の地区ではまだ発覚していないだけでは?」


 副官は控えめに進言した。彼の言っていることは正しい、前大戦時地球を取り囲んでいた監視衛星は、旧帝国軍によってその多くが破壊されてしまっている。戦線が拡大する中両軍がこぞって使用したECMとECCMの大部分が回収もされずに残っていることも大きい。300年前は監視衛星によって地球の全人類が監視されていたが、現代では自身の統治領域内を監視することさえままならないのが現状だ。


「しかし、この地区で戦闘が多発しているのは事実だ。我々太陽系連邦軍は、テロリストに屈しない。草の根かき分けて奴らをかき分けて、最後の一人まで皆殺しにする。そのための活動だ。『千里の道も一歩から』、古い格言にもこうある」


 副官は納得しきってはいないようだったが、それでもヘイゼルの言葉に頷き、部屋を後にした。旧フランス領での作戦計画を練るためだ。ヘイゼルは軍事作戦の大目標を決め、現場レベルでの活動には関与しない。彼が処理すべき問題は、多く存在するのだ。


(旧軍の亡霊ども……せいぜい、足掻け。俺の功績を作るために、な)

 ヘイゼルは内心でほくそ笑み、すぐにもう一つの報告書に目を通した。

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