Chapter3:スフィンデル大捜査線-2

 バクスター家の装甲リムジン。装甲車やアームドアーマーにも採用される硬化チタンで構成されたボディは軽く柔軟だ。爆発や銃撃のダメージを効率的に受け止め、搭乗者を守る。窓ガラスも何重にも重ねられた防弾仕様だ。これが走る時には、必ず目立たない場所に護衛が立つことになっている。これを襲撃して来た者は即座に肉塊へと変わる。


 これが街を走るのは今日で二回目だ。さすがに住民たちも奇異の視線を向ける。中には朝と同じくソノラとリカルド、そして新たにイルダが乗っている。


「……俺、こんな高価な服を着たのは生まれて初めてかもしれない……」

「そうね、なんていうか……服に着られているって感じがぴったり合うもの」

「前から思ってたけど、あんた初対面の相手に大分辛らつだよね……」


 イルダは呆れたような顔で苦笑いするが、彼の知り合いがこの姿を見たのならば十中八九このような反応を取るだろう。ダルトンやハンク辺りは面と向かって大笑いするかもしれない。

 清潔な絹のシャツと明るい薄緑色のネクタイ、薄墨色のジャケットとスラックス。特にジャケットの方は意匠一つをとっても製作者のこだわりを感じさせる逸品だ。これだけで平均的なサラリーマンの月収は軽く飛んで行くだろう。


「それで……俺はこれからどこに連れて行かれるんだ?」

「そうねえ、強いて言うのならば……挨拶周りと言ったところかしら?」


 ソノラの言葉にイルダは怪訝な視線を向けた。なぜ組織の長がそんなことを?


「よく分からないんだけど、そういうのってもっと下っ端がやる仕事じゃないのか?

 話聞いた限り、あんたが『バクスターファミリー』のトップなんだろう?」

「名目上のトップは、たしかに私よ。けれど、私よりも実権を持っている者は、大勢いる。それだけ分かっていればいいわ。あまりこちらの都合に首を突っ込まなければね」

「……まあ、俺も面倒なことは嫌いだからな。心配しなくてもその辺はほっとくよ」


 しばらくの間、リムジンの間に気まずい沈黙が流れる。イルダは時々チラチラとソノラの方を伺っている。実際のところ、イルダは『バクスターファミリー』のお家事情に興味津々だ。面倒は嫌いだと言っておきながら突っ込んで行くのがこの男の性分だ。


 とはいえ、相手はマフィアだ。下手なことを聞けばそれこそ命を失うことになりかねない。だからこそ、イルダも攻めあぐねている。


「しかし、マフィアとはな。俺映画の中にしか実在しないものだと思ってたぜ」

 なので、イルダはなるべく外側から攻めていくことにした。


「そうね。私の父も、マフィアとは名ばかりの存在だと思っていたみたいよ」

「え、そうなのか。代々続く闇の家系‐、とかそういうのイメージしてたんだけど」

「世界が安定すると、闇の世界の住人は住処を追われる。実際、2000年代後半犯罪組織はほぼ殲滅されかかったそうよ。その状況が変わったのは、100年位前ね」


 火星移住計画発動当初は、その投資額に見合う成果は上げて来られなかった。回収が見込めない事業からはすぐに撤退するのが投資の常道だ。

 だが、動き出した火星移住計画にはすでに多くの人間が送り込まれていた。投資を打ち切るということは、火星へと向かった人々を見捨てるということだ。『国連最大の失敗』と呼ばれた事業を続けることは、もはや各国の税収だけでは不可能になってきていた。


 そこで台頭してきたのが、アルゴーン重工をはじめとする巨大企業群だ。政府の財布の紐を握り、国家よりも強大な力を持つに至ったメガロコーポの支配が始まった。


「あなたも学校で習ってこなかったかしら? 資金と生産、その両面を握られた政府は企業側の意向に従わざるを得なくなった。それにより実施された偏向政策……」

「……いや、悪い。俺まともにハイスクールも通ってなくてさ」

「そう、ごめんなさい……」


 意外にも、ソノラはしおらしい顔をした。慌ててイルダは取り繕った。


「いや、そうじゃない! ただの不良生徒だ! 話を聞いてなかっただけだ!」


 予想外の反応に、イルダは慌てて取り繕った。実際のところ、彼はまともな教育を受けていない。キャバリアーに乗り込み、アスタル率いる機動兵器部隊とともに敵陣を切り抜け、月面前線基地に辿り着いたのとほぼ同時に《第一次星間戦争》は終結。

 その後、約一年半の間彼は月基地に軟禁されることとなった。彼がそこから出る事が出来たのは、《第二次星間戦争》開戦時の月奇襲作戦が起こったその時だ。


 軟禁時の待遇は、まさに地獄というに相応しいものだった。ほとんどの時間をデータ収集に追われ、まともに勉強を行う時間さえなかった。

 月基地の司令官は銃殺刑に処されないだけマシだと言っていたが、その真意は瓦礫の下に永遠に埋もれてしまった。開戦後はほぼ強制的に連邦軍に組み込まれ、最前線で戦いを続けることになった。守ってきたと思っていた妹と友人が自分と同じような待遇だったことを知った時はすべてを捨てようとも思った。そのすべてが巡り巡って、いまのイルダ=ブルーハーツが存在するのだが。


 ともかく、なんとかその場を取り繕うことは出来たようだった。それどころか、イルダの必死な姿が彼女には可笑しかったらしい。堰を切ったように彼女は笑い出した。


「いや、あの……そこまで笑われるとさすがに傷つくんだけど……」

「あははっ……ごめんなさい。でもなんだか、あなたの必死な姿が、その、おかしくて」


 涙を拭いながらソノラは答えた。目元に引かれたアイシャドウが少し落ち、優しげな瞳が露わになった。手が黒く染まっているのには、彼女も気付いた。


「……あら、落ちてしまったわね。これは困った……」

「メイクしてない方がいいんじゃないのか? そっちの方が、とっつきやすい」

「マフィアのボスが取っつきやすい印象になっても困るでしょう? そういうものよ」


 ソノラは微笑し、目を伏せた。顔を上げた時には、元のマフィアボスの顔になっていた。自然とイルダの背筋が伸び、車内に再び緊迫した空気が戻ってくる。


「……ええと、そう。どこまで話したかしら? 確か、メガロコーポの支配体制のところまでだったわね。100年前、世界は企業の支配する世界になっていた。一部の巨大企業が。それはいまも変わっていないかもしれないけれど……ともかく、そういう世界になった。弱い人間から、搾取を続け、肥えていく世界が出来上がってしまった」

「そこに現れたのが、キミたちマフィアだと?」


「マフィアは元々小さな島で、抑圧の中から生まれた。苦しみと痛みに対する報復、そして共に生きる者たちを守るために。島民は皆血を分けた家族。家族はみんなのために、みんなは家族のために。そのために、私たちは存在している……」


 『バクスターファミリー』が中心となって構成された抵抗戦線は、いまの《バルト同盟》のようなものだった。彼らは自給自足圏を形成、連邦からの圧力を跳ね除けるため、独自に軍備を強化した。この軍備がのちに《オルダ帝国》による侵攻を跳ね除け、戦後復興を助ける原動力となっていったのだ。


「……それなら、中心になったのはファミリーなんじゃないのか? そのトップが、どうしてこんな使い走りみたいなことを……」

「始まりはたしかに、私の祖先が始めたこと。でも分かるでしょう、何をするにも

お金はかかる。それを調達してきたのが、ハノーヴァー一族なのよ」


 ハノーヴァーは世界の変化をいち早く感じ取り、軍事企業を買収。機動兵器生産技術を手に入れ、生産体制をバルト地区に拡充させた。彼らの手腕がなければ『バクスターファミリー』の理想は単なる夢想に終わり、連邦の圧力に飲み込まれたことだろう。


「詰まる所、《バルト同盟》真の盟主は私ではない。ベガルタ=ハノーヴァーその人よ」

「そんなこと……俺に話しちまっていいのか? 俺みたいな余所者が、その……」

「知ったら、消されるような秘密かもしれないわね……?」


 ソノラは怪しく微笑み、サイドボードから一丁の拳銃を取り出し、イルダに向けた。イルダの体を緊張が走る。しかしソノラはすぐにそれを崩した。


「冗談よ。このくらいのこと、このスフィンデルに住まう者なら誰もが知っているわ。誰が一番金を持っていて、一番武器を持っていて、権力を持っているのか。それに、それを知ったとしてもあなた方の動きは変わらないでしょう?」


 拳銃を握る指を人差し指以外放す。くるりと銃は半回転し、その銃底はイルダの方を向いた。受け取れ、と言っているのだろう。マガジンは入っていなかった。イルダはおっかなびっくりにそれを受け取り、銃の確認を行った。


「銃口を覗き込まないッ! 暴発するかもしれないでしょう!」


 迂闊な行動を取ったイルダに厳しい声が浴びせられる。その声に驚き、反射的に人差し指にかかる力が強まる。カチリと音がした。ソノラの言葉は正しい。


「……あなた、もしかして銃の扱いは素人なの? 傭兵で、パイロットなのに?」

「まあ生身で銃を撃つ機会なんてなかったからな。見よう見まねで少しくらい……」


 連邦軍発のバトルウェアパイロットであったイルダは、軍内ではかなり優遇されてきた。だが、それは脱走や反乱の危険を取り除いたうえでの話だ。

 いかに機動兵器に乗れば無敵であろうとも、生身であれば簡単に制圧出来るように格闘術や銃の取り扱いと言った、兵士にとって基本ともいうべき技能の数々を、彼は取得していないのだ。


「これから調査を進めて行けば、それを使うことになる機会はあるでしょう。その時、あなたはそれを使うことが出来ますか?」

「いや、そりゃ……仕事なんだから、やるしかないでしょ……」

「もっと言うならば、イルダ。あなたはその銃で人を殺すことが出来るのですか?」


 言葉に詰まった。バトルウェア越しに人を殺した数ならば、恐らくイルダに勝る人間はいないだろう。だが彼は、生身で人の死に立ち会った経験がそれほどない。彼自身手を下した人間は一人としていない。なにせ、銃を握るのも初めてという男なのだから。


 ズシリとした重み。命の重み。胸の前にそれを置き、イルダは自問する。


「……もっとも、あなたが撃つか、ということとはまた別問題でしょうけれども」

「……もしかして、俺のことを慰めてくれてるのか?」

「そういうわけじゃありません。ただ、犯人を前にして悩まれるのも面倒なだけです」


 クスリ、とソノラは笑いイルダにマガジンを差し出して来た。フル装填された凶器は、引き金を引くだけでも人の命を簡単に奪う代物だ。それを受け取り、考える。


(バカバカしい話だぜ。平気で殺すのと武器で殺すの、どれだけの違いがある?)


 拳銃にマガジンを差し込み、スライドを引く。サムセイフティをかけ、コートの裏に備え付けられたホルスターにそれを収めた。ソノラはそれを満足げに見ていた。


「さて、それじゃバクスターさん。これから俺はどこに行けばいいのか、そろそろ教えてもらってもいいかな?」

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