Chapter3:スフィンデル大捜査線-1
口を利けないイルダは首を振って必死に抵抗するが、すぐにリカルドに捕まり身動きが取れなくなる。イルダ=ブルーハーツの奥歯は無残にへし折られてしまうのか?
その時、拷問室の扉が開きファミリーの構成員が中に入って来た。慌てた様子だ。
「ノックもせず、ここに入ってくるとは何事か!」
「も、申し訳ありませんソノラ様! し、しかしこの屋敷に侵入者が!」
「侵入者……? この男を取り返すためにここに来たというの……」
扉を開けて来た黒服の男が突然つんのめり、硬い石畳の床に倒れた。その奥から現れたのは、無精ひげを生やし時代遅れのミリタリーコートを纏った男、東雲章吾。
「なんだ、手前……何しにここに来やがった、ああ!?」
「黙ってろ、三下。手前と話をしている時間はねえ。ソノラ=バクスターだな?」
有無を言わせぬ迫力でリカルドを黙らせた章吾は、その鋭い視線をソノラに向けた。ソノラの方もそれに動じることなく、その目を睨み返した。
「私の名を知っているな? ならば、貴様が誰に物申しているか、分かっているだろう。その狼藉、万死に値するものと知ってのことか?」
「不法侵入のことならばお詫びしよう。だが、貴様らは俺の仲間をさらい、地下に押し込め、あまつさえ暴行を働いた。そんなことを許していちゃあ俺たちの面子が立たん」
ソノラと章吾の舌戦はあくまで静かなものだ。どちらも余裕がある。章吾にしてみればイルダ奪還は正当な理由となるし、ソノラの方にしてもその通りだ。公的な視点から見れば拷問を行っているソノラにとって少し不利になるが、スフィンデルなら問題ない。
「この男はテロリストに組し、この街に住まう者たちを殺傷した嫌疑がかかっている。この男の潔白を証明するものを、貴様は何か持っているのか?」
「こいつがテロリストだというのならば、それを証明すべきは貴様らの方だ。立証責任は貴様らにあるということを忘れるな。合理的な疑いがない限りはそいつを返してもらう」
章吾はソノラを無視し、ずいと部屋に立ち入る。ソノラもそれを妨害することはない。だが、章吾の手がイルダにかけられた瞬間、リカルドはその前に立ち塞がった。
「放せ。俺はまだ、これを話し合いで終わらせようというつもりがある」
「手前らの都合なんて関係ねえ。こいつにはまだいてもらわなきゃ困るんだよ!」
リカルドは脂汗をにじませながら、章吾に対して凄んだ。リカルドにとってみれば章吾ははるかに格上の男だ、だがだからと言って退いたのでは立つ瀬がないというものだ。リカルドは章吾に手を伸ばす。
それと同時に、彼は風切音を聞いた。次の瞬間には、反対側の壁に弾痕が刻まれていた。壁に跳ね返った銃弾がチリンと音を立てて転がる。
「話し合いで済ませよう、と言っているんだ。分かるな、この意味が?」
今度こそリカルドは言葉を失った。どれだけ犠牲を払おうが、イルダを取り戻さない限り章吾はここから立ち去る気がないと気付いたのだ。リカルドは手を引っ込めた。それを見ると章吾は満足げに微笑み、イルダの口に嵌められた開口器を外した。
「っはぁーっ! た、助かった! 助かったよ、章吾さん!
ありがとう、マジで、マジで洒落にならなかったんだ!
はぬ、歯抜け、俺が、歯抜けって……!」
「嬉しいのは分かったから、ちょっとは落ち着けよお前……」
涙さえ浮かべながら章吾に感謝を述べるイルダを、若干引きながら章吾は見ていた。
「リカルド、この方の手錠を外して差し上げなさい」
「手錠を、って……! え、し、しかし、いいんですか姐御?」
「私が外せと言っているのよ? いいから早く外しなさい」
リカルドは不承不承と言った感じでそれに頷き、イルダの両手足にかけられた手錠を外してやった。イルダは手首をさすりながら、リカルドの方を威嚇するように睨んだ。
「さて、人質がいなくなったいま、ようやく対等な話し合いが出来るというものだな?」
「食えないお人……これ以上、私たちと何か話をすることがあるので?」
「もちろんだ。この一帯を支配するマフィアグループ、『バクスターファミリー』。軍や警察さえ手出しが出来ないあんたたちと話した方が、いろいろ手間が省けるってもんだ」
イルダはいままでマフィアに囚われているとは考えていなかったのだろう、章吾の言葉に顔を青くした。下手をすれば死んでいたと考えれば、仕方のないことだが。
「我々は、ここスフィンデルで発生しているテロ事件の捜査、解決を依頼された傭兵団、『ブルーバード』だ。以後、お見知りおきを。ミス・バクスター?」
柔らかに微笑み、章吾はソノラに言った。ソノラは観念したように首を横に振り、そして拷問室から出た。振り返り、ソノラは三人を促した。
「リカルド、お客様にお茶をお出しするよう言っておいてください。お二人とはこれから、仕事の話をせねばなりませんから」
イルダと章吾を迎えたダイニングは、先日の結成式とは対照的な、緊張感に溢れた会食となった。急な来客とは思えないほど見事な料理が二人に運ばれてきた。
「さっ……さすがは、お金持ち……」
目を白黒させ、料理とソノラを交互に見るイルダを無視して話は進められた。
「まずは非礼をお詫びいたしましょう。リカルドがあなたから受け取った行動ログ、そして警察から提出された監視カメラの映像を確認したところ、彼に不審な行動は見当たらなかったということです」
「生きて帰って来たんなら、言うことはないさ。あんたらと事を構える気はない」
章吾とソノラは形式的な挨拶を交わした。給仕がグラスにワインを注ごうとするが、章吾はそれを断った。仕事中ゆえ、酒を入れていい体ではないのだ。
イルダは飲んだ。貧乏な舌では表現しきれない味わいだ。
「しかし、どうしてイルダさんがここにいることが分かったのです? あなたたちには我々と違い、彼の行方を知る手段はなかったはずですが」
「こいつが今日休暇を取り、近場の喫茶店に行くと言っていたのは知っていたからな。で、あの爆発騒ぎだ。すぐに現場に向かったが、イルダはいなかった。で、周りに倒れていた連中に聞いてみたら、あんたたちがイルダを連れ去って行ったと……」
「そうですか、住人から私たちの存在を……」
「あの爆発騒ぎの後じゃなければ、こうはいかなかっただろう。『バクスターファミリー』はこの街の裏を牛耳る、誰もが知るビッグブラザーだ。もし、俺たちが辿り着くのが少し遅かったら、今頃こいつはサーモンの餌になっていただろうさ」
すでに酒が回っているのか、イルダは章吾の言葉につられて笑った。ソノラと章吾は無言。章吾はわざとらしく咳払いをして、話を進めた。
「お話しした通り、我々はスフィンデルで発生しているテロ事件解決のためここに来た。手腕に関しては、先ほどお見せした通りだ。我々を捜査に加えていただきたい」
「……ええ。短い時間で屋敷への包囲を進めたあなたたちの手腕、高く買います」
ソノラは一瞬考えるようなしぐさをして、それから言った。
「あなた方にもこの事件を解決するために力を貸していただきたいと思っています。ただ、一つ条件がある。イルダ=ブルーハーツの身柄は我々が預からせていただく」
「はっはっはっは! は……はぁ!?」
酔いの回っていたイルダの耳にその言葉はするりと入り込み、一瞬にしてその意味を理解させたようだった。陽気に笑っていたイルダの顔色は一瞬にして変わった。
「ちょっと待ってくれ! 俺たちへの嫌疑は晴れたんじゃなかったのかよ!?」
「確かに、その通りです。ですが、保険は掛けておく必要があります」
「つまり、一連の騒動があんたたちの油断を誘うための罠だと?」
「そういうことです。他所から来た者たちを、簡単に信用することは出来ません」
ソノラの言葉は凛とした力強いものだった。章吾のそれに勝るとも劣らない説得力。今度は章吾の方が考える番だ。少しして、彼も自らの結論を出した。
「いいだろう。イルダ=ブルーハーツはそちらに預けよう。確認しておくが、『ブルーバード』の活動に対して何らかの制限を設けることはあるのか?」
「制限はありませんが、こちらから応援メンバーを何人か派遣しましょう。皆様、この街には不慣れなようです。彼らの力は役に立つでしょうからね」
それはストレートな監視宣言だった。余所者を信用しないというのは、かなり根深い問題のようだ。もっとも、そんなことを口に出す章吾ではなかったが。
「では、これで決まりだな。良き協力関係を、ソノラ=バクスター」
「こちらこそ。あなたたちの活躍を期待していますわ、東雲省吾さん」
「待って、ちょっと待って! ここで話を終わらせようとしないでください!」
にこやかな握手で会談を終了させようとしている二人の間に、イルダが割って入った。大変失礼な行為だが、そんなことを考えている余裕はイルダにはなかった。
「オイオイ、何か問題があるのか? イルダ?」
「問題あるに決まってるでしょうが!
俺さっきこいつらに殺されかけたんだぞ!?」
「貴重な情報源を殺すような間抜けを冒すような気はありませんでしたが……」
ソノラは控えめにツッコミを入れるが、イルダは聞こえていないのかそれを無視して章吾に食って掛かった。それは章吾がいままで見た中で一番必死な姿だった。
「こいつらどうかしてますよ、俺の身元も分からねえウチから拷問なんて!
ありえねえ、こんな奴らと一緒に仕事なんて出来ませんよ、章吾さん!」
「だがそれでも、いまは俺たちのビジネスパートナーだ。相手の信頼に応えることも、俺たちの仕事には必要なことだ。
ではこいつは任せるので、好きに使ってください」
絶望的な表情をするイルダをその場に置いて章吾は身を翻し、部屋から出て行った。かくして、ダイニングにはイルダとソノラの二人だけが残されたのだ。
「……お、終わった……俺、どうなっちまうんだ……」
「食事を摂ったかどうか……は、聞く必要なさそうですね。私たちが話している間にずっと食べていたんですから。早速ですがイルダさん、仕事があります」
ビクリ、とイルダは身を震わせ、油の切れたブリキ人形めいてぎこちなく振り向いた。
「そんなに恐れないでください。先ほどのようなことはもうありませんから」
「あ、あはは……そ、それならさっきのことを謝ってくれたりは……」
「しません」
「即答かよ」
「我々はこのスフィンデルを守るために、必要なことをしたまでです。それに、あなた個人への嫌疑はまだ完全に晴れたとは言えない……そのための監視です」
罪もない一般市民をあれだけ痛めつけておいて『必要なことだった』とは恐れ入る。イルダは思ったが、口にすると厄介なことになるのが目に見えていたので言わなかった。ソノラはナプキンで口を拭うと右手を上げ、パチンと音を立てた。その音を聞きつけたのか、リカルドが部屋の外からすぐさま現れた。
(もしかしてこいつは形から入るタイプなのか……?)
「リカルド、車の用意をなさい。少し早いですが、出発することにします」
「かしこまりました、姐御。十分以内に用意を終わらせますので」
リカルドは主に恭しく一礼し、物音を立てずに部屋から去って行った。ソノラは立ち上がり、イルダの傍まで来た。厚い化粧の下に隠れたあどけなさを残した顔がイルダに近付く。彼は鼓動がドキリと高鳴るのを感じた。
「あなたにもついて来てほしいけど、薄汚れた格好をしているわね。部屋と着替えを用意させるから、すぐに着替えてきてちょうだい」
「この服汚したのがあんただってことはちゃんと理解してくれていますよね?」
ため息をつきながら、イルダはソノラについて行った。郊外の小高い丘に建てられたバクスター邸は、二階建ての広大な洋館だ。色とりどりの花々が植えられた広々とした中庭、屋敷の周りを囲んでいるのは棚田めいた寒冷対応ブドウ畑。窓の外から見える光景も、窓の内側の光景も、イルダにとってはまるで現実離れしていた。映画のセットにでも迷い込んだような気分になった。
案内された客室も、彼の想像の埒外にあるものだった。天然の木で作られた家具の数々。シングルサイズでありながら、彼の知るダブルサイズよりも大きなベッド。重厚なクローゼットの中には一人で着るには多すぎる服がかけられている。
家主をリラックスさせるはずのリラクゼーショングッズの数々が、逆にイルダの心を圧迫していった。
「適当に着替えてください。終わるまでは待っていて差し上げますから」
「とはいっても、こんなもんどう選びゃあいいんだかさっぱりだぜ……」
「服の着方が分からない、とは言わないでちょうだい。まあ、仕方がありません」
ソノラはまた指を鳴らした。すると、扉の外からいくつもの足音が聞こえて来た。軍隊めいて整列したそれは一種の行進曲のようだった。数名のメイドがエントリーする。
「時間がないので手早く終わらせて。コーディネートはあなたたちに任せるわ」
「待て、待ってくれ! 女の人に着替えを任せるくらいならやる、やるから!
頼む、待ってくれ! 俺の話を、少しは聞いてくれーッ!?」
イルダの悲鳴を聞き流しながら、ソノラは部屋から出て行った。
彼がこの街に来たのは、果たして偶然なのだろうか? ほんの少しのやり取りしかしていないが、変わった男が来たとソノラは思っていた。
そしてそれは……それほど悪いものではないのかもしれない。自嘲気味に彼女は笑い、リカルドの待つエントランスへと歩き出した。
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