Chapter1:ある日の始まり『イルダの場合』-end

 次の日。一日の休暇を言い渡されたイルダは、キャリアードックからそう離れていない場所にある喫茶店で一息ついていた。観光マップにも載っている有名な店で、パンフレットの通りチョコレートケーキは絶品だった。


「はぁ……」


 もちろん、そんなものを食べたとしてもイルダの心は決して晴れはしない。結局、扉の修繕費はイルダが持つことになった。彼自身は金を持っていないので、いまは遠くワルシャワでデスクワークに勤しんでいる妹に頼んで立て替えてもらった。


「なっさけねえなあ、俺ってやつは。

 どうしてまた、こんなことになっちまう……?」


 イルダは店に入ってから何度目かの深いため息を吐いた。ここのところ、まったくいいところがないように思っていたし、実際その通りだった。ヨナやアルカ、シゼルは《アルフェンバイン事変》での戦いで確かに何かを乗り越え、成長しているように思える。それに加えて、自分はどうだ。アスタル=ペンウッドを切って何かが変わったか?


「……違うよな。俺はあの時、何かを変えたくて切ったんじゃない……」


 あの戦いには何の意味もなかった。エンペラーが落ち、無人機セブンスターが機能を停止した段階で、あの戦いの勝敗は決していた。

 アスタルはそれを知ってもなお、決着をつけ、先に進むためイルダに戦いを挑んだ。イルダはそれをただ受けただけだ。

 アスタル=ペンウッドの進んだ先は、ともすれば自分が進んだかもしれない道だ。進むべき道を見失い、過去にしか目を向けられなくなった男の末路だ。


 そしてそれは、いまのイルダにも十分に当て嵌まるものだ。

 過去を捨てようと思っても、過去からは逃げられない。

 逃げ出そうともがいても、そこからは一歩とて先には進めていない。


「呪縛、のようなものなのかもしれないな……」


 10年間続いた戦争が、確実にこの世界を蝕んでいる。それは自分も例外ではない。過去を捨て去ろうとしても、その過去はずっと追いかけて来る。猟犬めいて。


(そこから逃げられるってんなら、俺も何だってすると思うんだがね……)


 ウェイトレスが持ってきたお代わりのコーヒーを啜りながら、イルダは街並みを見た。先進的な欧州都市。だがここは、二度に渡った《星間戦争》の縮図だ。


 フードを目深に被り、ヴェールで顔を隠しているのはグラディウス王国からの難民だ。かつて中東にあった、世界最後の王国。《第二次星間戦争》の中期、《オルダ帝国》が降らせた質量兵器によって、この地球から影も残さず消えた国。

 だが、国が消え、国土の大半が砂に呑まれたとしても、そこにいた人々が消えてなくなることはなかった。


 戦中からグラディウス王国からの難民は欧州に渡ってきていた。

 第一世代難民たちは避難した国で難民認定を受け、中にはその国の国籍を取得した者たちもいる。

 かつて彼らの国にしかなかった、ヴィチャと呼ばれるタマゴ状の屋根をした神殿が、いまでは欧州の大都市ではどこでも目にすることが出来るようになっている。


 難民として逃げてきた先でも、彼らの生活は決していいものだとは言えない。

 誰も口には出さないが、難民たちへの根強い差別感情が存在するからだ。純然たる事実として、難民流入移行犯罪率は軒並み上昇し、彼らを救済するために多額の税金が投入されている。難民たちは独自のコミュニティを形成し、現地住民との交流を否定していた。


 もちろん、着の身着のままで逃げて来た難民たちは生きるために犯罪をせざるをえない状況にあることはたしかだ。

 寄る辺を無くした人々が、安定と平穏を求めて現地でのコミュニティを作ることも致し方ないだろう。

 だが感情の問題は容易に解決出来ない。


 また、現地の犯罪組織が難民たちに『就職先』として、彼らの下部組織を紹介している実情もある。難民たちは小銭のために命を賭けなければならなくなる。現地組織は自分たちの手を汚さず、すべてのヘイトは難民たちに集まるようになる。許しがたい搾取構造。


(今回の事件も……背景には難民への憎悪があるのか……?)


 そう考えたが、しかしイルダは胸中で首を横に振った。

 現在、このスフィンデルでは多くの地区が爆破テロの標的になっている。


 その中にはもちろん、難民たちが暮らす居住区も存在するが、反対に現地住民たちが昔から住んでいた地区でも発生しており、相応の犠牲が発生している。

 どちらか片方に組するものであるならば、そんなことをするだろうか。やるとしたら、それはどちらかには被害が出ないようにやるのではないか。


(っと、いけねえ。今日はゆっくりしねえと……章吾さんに怒られちまうわ)


 この日何度目かのため息をつき、視線をもう一度道路に向ける。人々が道を行き交う中、何人かの子供たちが一緒に遊んでいた。彼らの肌の色は白であったり、褐色であったり、あるいはそうでなかったりした。彼らの表情はどれも朗らかで、そこにどんな隔たりも存在していないかのように思えた。


(ま……どんなところに居ようと、ガキどもは変わらないってこったな……)


 その視線に気づいたのか、褐色の少年がイルダの方を見た。

 その瞬間、光が見えた。


 何の?

 そう考えるよりも前に、音が聞こえた。凄まじい轟音、爆音。

 次に炎が立ち上り、衝撃波が商店のガラスを吹き飛ばした。


 辺りが一瞬にして煙に包まれ、その中から悲鳴と怒号がとめどなく聞こえてくる。いったい何が起こったのか、イルダには判断がつかなかった。煙が少し晴れると、そこにいたはずの少年がいなくなっていた。


 違う、少年たちだ。そこら辺に散らばっている赤と白、それから黒の物体が、何なのか分かってしまった。爆弾が一瞬にして彼らを吹き飛ばしたのだ。


(テロリスト……!?)


 あの時見たものは、やはり見間違いなどではなかったのだ。なぜあの時あいつを逃がしてしまった? イルダの胸中を後悔が満たした。その時だ。


 喫茶店の片隅。黒いボストンバッグが置いてあった。

 いつからそこにあったのだろう、まるで初めからそこにあったかのように鎮座していた。店の中から、爆発を聞きつけた客たちが我先へと逃げ出そうとしている。

 そんな人々は、バッグに目もくれない。


 まさか。そう思った時にはすでに遅かった。

 防御姿勢を取ることすら出来なかった。目の前で圧倒的なエネルギーが炸裂するのを感じた。間近にいた客の一人が爆炎に呑まれ、消えていくのが見えた。吹き飛ばされた手足が、イルダに砲弾のような速度で迫ってくる。遅れて衝撃波が彼を襲い、イルダの体はまるで紙で出来ているかのようにあっさりと吹き飛ばされ、背後の壁に激突した。頭部に重い衝撃。


■~~~~~~~~~~~■


 ピチョン、ピチョンという水滴が落ちる音が、やけにはっきり聞こえて来た。イルダは二日酔い明けのようにガンガンと痛む頭を振り、目を開いた。

 彼が気を失う前とは、辺りの景色は一変していた。

 レンガ造りの古い建物で、かび臭い臭いが彼の鼻を襲った。古臭い木箱が壁一面に積まれている。何が入っているかは分からないが、相当な重量感だ。


 さっきから聞こえていた水音は、割れた天井から雨水が落ちてきている音だった。

 部屋の片隅で水たまりが出来ていた。ひび割れた壁の隙間からは時々ネズミが顔を出す。


「ううッ、頭が……ここは、いったいどこだ……?」


 なぜこんなことに?

 それをイルダは思い出した。喫茶店を襲った爆発で吹き飛ばされ、気を失いかけたイルダに、何人かの人間が近寄ってきたのだ。男か女か、それすらも分からなかった。助かった、そう思ってあの時は、意識を手放した。だがそれが大きな間違いだったことは、いまの状況を考えれば火を見るよりも明らかだろう。


 とにかく立とう、そう思って足に力を込めたが、まるで動かない。もう一度試してみても、イスが僅かに揺れるだけだ。イルダは足元を見て、それがなぜかを知った。


 彼の足は地面についていなかった。

 背の高いイスの足に、自らの足を縛り付けられているのだ。硬い金属ワイヤーで縛り付けられているようで、どれだけ体を揺さぶっても、力を込めてもそれは少しも動かなかった。むしろワイヤーの食い込みで足の方が痛んだ。


 ならば手を動かしてみよう、とイルダは無駄な抵抗をした。起きた時点ですでに後ろ手に縛られていることは分かっていた。腕を動かしてみるがびくともしない。硬い金属ワイヤーで縛り付けられているようで、どれだけ体を揺さぶっても、力を込めてもそれは少しも動かなかった。むしろワイヤーの食い込みで手の方が痛んだ。


 いったい何がどうなっているのだ。気がついたらどこか知らないところに連れ去られていて、イスに縛り付けられている。『監禁』の二文字がイルダの脳裏に過った。しかし、そうであったとしてもこんなことをする目的はいったい何なのか?


 そう考えていると、彼の目の前にあった金属製のドアがギシギシと音を立てて開いた。入ってきたのは二人組だ。

 一人はスキンヘッドの男。濃緑色のタンクトップから覗く腕は丸太のように太い。片目には刀傷のようなものがあり、その眼は白濁していた。それだけでなく、体中には傷が刻まれており、彼の由来に何らかの暴力が深く関わっていたことは明白であった。タンクトップの男は、ドスの利いた声をイルダに吐いた。


「起きたか……ぐっすり眠っていたようだが……

 手前にこれから、安らかな眠りってやつは永遠に訪れないもんだと思いねえ……」


 それはいったいどういうことだ、とイルダが問いかけようとしたところで、腹に重い衝撃が走った。タンクトップの丸太のような膝がイルダの腹にめり込んだのだ。

 肺の中にあった酸素がすべて吐き出されるような感覚、ここ数日間で何度も味わった感覚だが、タンクトップのそれは一際強烈なものだった。


「いいか、これから姐御があんたにいろいろと質問をする……それに対して、あんたは正直に答えるんだ。法律なんてもんが手前を守ってくれると考えているんならそれは捨てることだ……いいな、すべてを正直に答えるんだぞ?」


 状況が飲み込めず、答えあぐねているイルダの頬にタンクトップの拳が突き刺さった。丸太のように太く、岩のようにごつごつした拳で殴られ、イルダの右頬が赤く腫れた。


「返事はどうした? 正直に答える、それだけでいいんだぜ……」


 状況が飲み込めず、答えあぐねているイルダの頬にタンクトップの拳が突き刺さった。丸太のように太く、岩のようにごつごつした拳で殴られ、イルダの左頬が赤く腫れた。


「待て! 待って、分かった。何だか分からないが、正直に答えるよ……」


 さすがに何かを答えないと命にかかわる。そう考えたイルダは、何だか分からないがとにかく相手を刺激しないようにすることを選んだ。振り上げられたタンクトップの腕が下がったのを見て、イルダはほっと息を吐いた。


「さて……あんたに聞きたいのは、さっき街で起こった爆破事件についてだよ」


 姐御と呼ばれたのは若い女だった。

 少なくとも、タンクトップの男よりも若いようにイルダには思えた。天然のものと思しき艶やかなファーのついた厚手のコートを身に纏っている。

 真黒なアイシャドウ、濃いファンデーション、血のように赤い口紅。それらのすべてが、彼女の持っているきつい印象を更に高めていた。

 ショートボブの女はまるでドブの底を見るような目でイルダのことを睨み付けた。


「ああ、俺も確かに、その場にいたけど……何か答えられることなんて……」

「あんたが、あの爆弾を仕掛けたんじゃないのかい?」


 胃がひっくり返って口から出て来そうなほど衝撃的な言葉に、思わずイルダは素っ頓狂な声を上げた。タンクトップの男が拳を振り上げるが、女がそれを制した。


「ここんところ頻発している爆破事件……あれのせいで私たちの商売も上がったりでね。警察とは別口で、独自の調査を進めていたってわけだ。とすると……どうだ?」


 ショートボブの女はイルダの顎をくっ、と持ち上げ、自分と視線を合わせた。

 蠱惑的な動作に思わずイルダの鼓動は高鳴るが、頬に走った衝撃ですぐに落ち着いた。ショートボブの女はイルダの頬を打った平手を戻さずに、そのまま話を続けた。


「あんたがこの街に来た直後に、爆破事件が発生している。

 聞けばあんた、昨日騒ぎを起こして警察に捕まったそうじゃないか?

 テロリストを見たとか何とか言っていたがその実……あんた自身がおかしなことをしようとしていたんじゃないのかい……?」

「いや、ちょっと待ってくれ。俺がこの街に来たのは昨日の話なんだぜ? 爆破事件は俺がここに来る前から頻発しているんだから、俺が犯人のはずはグワーッ!」


 戻って来た手の甲が、今度は反対側の頬を打った。女の目はもはや憎悪に近い。


「そうだね、あんたが最初の爆破を起こすことは出来ないだろうさ。だがあんたは街の外からやってきた、言うなれば応援なんじゃあないのかい?

 そうすると納得がいく」

「待てよ! 俺が爆弾を仕掛けたんならなんで俺が爆発に巻き込まれるんだよ!?」


「何事にも、不幸な偶然ってのはあるものだろう?

 あたしたちが見に行った時、あんたは爆発の犠牲になって人の下敷きになっていた。つまりこういうことだ……

 あんたは自分の起こした爆発を見届けてからそこから立ち去るつもりだった、けど爆発に巻き込まれた犠牲者があんたの方に飛んできて、体勢を崩したあんたは壁に頭を打ち気を失った……」


 ぐうの音も出なかった。自分が爆弾を仕掛けた、というところ以外はまったくその通りだったからだ。その沈黙を、彼らは無言の肯定と受け取ったのだろう。またしばらくの間痛めつけられた。顔も体も、まったく遠慮はなかった。


「ふう……ここまでは、まあいいだろう。問題はここからだよ。あんたの仲間がこの街にどれほどいるのか、それを喋ってもらわないとねえ。あんたがそれをべらべら喋ってくれるってんなら、あんたの身の安全は保障しよう。悪くない条件だろう?」


 なるほど、確かに悪くない。だがそれは、イルダが何かを知っているのならばの話だ。まったくの偶然でさらわれたイルダにとって、それは到底容認できない条件だ。

 知らないことを話すことは出来ない。必死に弁明したが、その度にイルダは殴られた。気を失おうとしても、その度冷水を叩きつけられて無理やり起こされた。


「ふーむ、これだけ痛めつけてもまだ吐かないとはな……見上げた忠誠心だぜ、それをもっといいことに役立てられりゃあいいのによぉ……!」

「いや、だから何度も言ってるだろ!? 知らないことは知らなグワーッ!」


 弁明をしようとしたイルダはまたタンクトップの男に殴られた。最初の頃よりもずっと殴る力が強くなっている。タンクトップも苛立ち、焦っているのだろう。肩を震わせ、握り拳を作ってイルダの目の前に置いて見せた。


「いいか! 手前のやった事のせいで、罪もない人が大勢死んだんだ!

 腰抜けのくっそたれどもがよォッ!

 犠牲者の中には小さい子供も入ってんだ、分かってんだろ!?」

「ッ……」


 イルダの中の、出来れば忘れたかった光景がタンクトップの言葉でフラッシュバックした。炎に飲まれていく少年の、何も分かっていない表情が思い起こされる。

 沈黙に苛立った男は拳を振り上げるが、しかしその拳を途中で止め、苛立たし気に振り回した。

「姐御! もうこんなことしたって意味ありませんよ!

 こいつは絶対に吐かない!」


 そう言うと、タンクトップはズボンの裏ポケットに手を伸ばし、仕舞っていた拳銃をイルダに向けた。銃口のリアルな感触が、彼を恐怖させた。


「こいつらは手前の目的のためなら、誰が死んだって構わねえって、そういう奴なんだ! そんなのに構ってる暇があるんなら、俺は街の警備に戻らせてもらいてえ!」

「待て、ちょっと待ってくれ! 俺を殺すのか!?」

「そうだ! 手前にも味あわせてやる、みんなが味わった苦痛の万分の一でもな!」


 タンクトップの男は両目の目から涙を流していた。死んだはずの右目からもとめどなく涙が溢れて来る。トリガーにこもる力が、徐々に強まって行く。


「待ちなさい、トルネロ。この男を殺してはなりません」

「なぜだ、姐御! こんな奴、生きている価値なんてないクセに!」


 少なくとも姐御と呼ばれた女は、イルダをこの場で殺す気はないようだ。イルダは心の中でガッツポーズを取った。


「この男はテロリストとの交渉材料としての存在価値がありますから。それに……」


 女の手には、いつの間にか金属具が握られていた。

 ガッツポーズを取るのはまだ早かったとその時になってイルダは思い知った。巨大なペンチでいったい何をするのか。


「まだ彼は痛みを知りません。体表が感じる痛みなど、生ぬるい。本当の痛みは、体の中から発するものだと、彼はまだ知らないのでしょう……」


 もう片方の手には別の金属フレームが握られている。女はタンクトップにイルダの口を開くように命じた。抵抗虚しく、屈強な腕によってイルダの口は開かれた。口に入れられたフレームのせいで、イルダの口は開きっぱなしになってしまった。


「私たちの質問に答えなければ、歯をへし折ります。そうなりたくなければ答えなさい」


 口を開きっぱなしにした状態で、どう答えろと? そんなことを考えている間にペンチが近づいてくる。イルダはじたばたと体を揺らして抵抗しようとするが、まったく体は動かない。冷たいペンチの先端が、歯に当たったような気がした。


 なぜこんなことに? イルダ=ブルーハーツは、これまでの出来事を思い出した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る