Chapter4:亡霊たちの輪舞《ロンド》-7

 廃ビルの屋上に狙撃ポイントを確保。アルカは辺りを見回した。哨戒に出ている機体の数はそう多くない。赤外線探査でも、トラップやセンサーの類はなかった。


「ヨナ、そこから前方20m地点に哨戒機あり。振り返るからその時に……」

 ヨナは頷いた。猫足立になり音もなく近付くと、背後から強襲。センサー系の集中する首筋を切り裂き、バックパックに内蔵された通信機器を完全に破壊。止めとばかりに、四肢の神経系を切断した。中のパイロットは気絶し、増援が呼ばれる様子もない。


「よし……近くにはいないわね? シゼル、もうこっちに来ても大丈夫」

 廃ビルの隙間に隠れていたシゼルが、ヨナの死角をフォローしながら近づいてくる。安全が確保されたことを確認し、アルカも狙撃ポイントを移動した。

「そろそろ、指定されたポイントにつくわ。それらしいものはあるかしら?」

「それらしいものは見つからないわ。なんだか妙な感じ……」


 ヨナが覚えていた違和感は、二人も感じていることだった。敵の防衛拠点にしては、あまりに警戒が薄すぎる。これまで狡猾な攻撃を行ってきた連中が、こんな単純なミスを犯すはずはないだろう。三人は周囲に意識を集中させた。

 少し進んで行くと、目の前にすり鉢状の盆地が広がった。衛星写真では確認できなかったものだ。もっとも、衛星写真もぼやけていたので無理はない。アルカも射線を確保できないため、二人と合流していた。クレーター盆地、とでもいうべきだろうか。内部の惨状はいままで見て来たそれよりもはるかに凄まじいものだ。

 だが、それより三人の注意を引いたのは、配置されている人形のようなものだった。無塗装メタリックシルバーの大きな人形。思い思いの武器を所持しており、恐らくはそれが警備用に配置されているものだとは容易に想像できた。理解出来ないのは、それがまったく動いていないというところだけだった。


「あれもセブンスターのような、無人機なのかな……? 排除する?」

「まだよく分からない。手を出すのは危険よ。ヨナ、シゼル、先行して。危険があると判断したら、すぐに知らせる。ここから援護するから」


 アルカは背中に二挺背負ったライフルのうち、通常の弾倉がセットされたものを抜き、スコープを覗いた。ヨナとシゼルは意を決し、盆地の中へ滑り込んで行った。

 驚くほどの静寂。生き物は、そこには三人以外居なかった。目標地点の中心、そこは大きな水たまりがあった。機体に内蔵されたガイガーカウンターが危険を告げる。ゆっくりと、ヨナたちは近付いて行った。破壊され、倒壊しかかったビルがいくつも立ち並ぶ光景は、さながら古代神話の戦場めいた荘厳ささえあった。

 進んで行くうち、人形の一体と目が合った。人形の目が、怪しく光った。


「こいつらッ……!」

 ヨナは腰のチェーンソー・ブレードに手をかけた。その瞬間、激しい地響きがした。シゼルはヨナの背中を守りながら、周囲を警戒した。


「アルカ! これは……いったい何が起こっているの?」

「こっちも状況を確認した……! これは、マズいんじゃないかしら……!」


 水たまりが中心から裂け、貯えられた大量の汚染水が地下へと流れ込んでく。水の流れを押しのけ、地下からなにかがせり出して来た。全長25mの人型が。

 それは、ハリネズミを連想させる姿だった。それは巨大で、太かった。巨大な両腕にはエビの降格のような装甲が取り付けられており、いくつもの突起が飛び出している。ショルダーアーマーは一際巨大で、ミサイル発射口が見て取れた。中には、冗談のように巨大なミサイルが露出しているものさえあった。

 腕はマニピュレーター型ではなく、五本のガトリング砲身になっている。一本一本が別々の場所を狙えるフレキシブルな構造だ。脚は短い、全体の三分の一ほどだろう。だがここにも大量の砲門とミサイル発射口がついている。足というよりは武装台だ。一際太いのは胴体。コックピットの真上辺りには巨大な砲口がある。


「あれは……いったい何なの?」

 巨大バトルウェアのスリットアイが怪しく光り、胴体の砲身が光りを帯びる。ヨナとシゼルは同時に左右別方向に飛んだ。直後、太い光線が二人のいた場所に直撃する。


「あれはまさか……エンペラー!」

 巨大ビーム砲撃が行われた直後に、両肩のキャノン砲と両手のガトリングガンが二人に殺到した。倒壊ビルに身を滑りこませ、二人は何とかこれをかわす。

「エンペラー?」

「月決戦で《オルダ帝国》皇帝、グスタフが搭乗したとされる超巨大なバトルウェアだ。規格外の巨大さと高出力な電磁障壁、過大な武装で連邦の兵をことごとく蹴散らしていったという……噂だと思っていたけれど、どうやら実在したみたいだね」


 アルカはスコープ越しにエンペラーの巨体を見た。基本的には巨大化したバトルウェア、胴体にはコックピットハッチらしきものが見えた。アルカは銃を持ち替える。スコープを覗き込む、彼我の距離は3423.4m。焼夷徹甲弾は2000m地点で弾道が大きく下降する。風向・風速は南向き2m。トリガーを引く。焼夷徹甲弾はエンペラーのコックピットに命中、しかし爆炎を上げるだけだ。機体に傷一つついていない。


「硬い……! 電磁反応装甲ッ!」

 さらに、ヨナの側、正確には戦闘区域全体で変化が生じる。白い人形が一斉に動き出したのだ。マルテと同様、躍動感にあふれた俊敏な動き。


「アームドアーマータイプの、無人戦闘機ってことか……!」

「シゼル、アルカをお願い。ここは私が引き受けるから」


 敵マルテ・タイプ、マリオネットは一斉に銃口をヨナに向ける。ヨナは跳躍、スラスターを駆使した三次元機動で敵機の攻撃を紙一重で回避しながら、空中から強襲を仕掛ける。エンペラーのスリットアイも、ヨナの攻撃を捉えそちらに向いた。シゼルは言葉もなく逸れに頷き、反対側へと駆けて行った。

 エンペラーのフィンガーガトリングが、雲を引き裂き天に満ちる。ヨナはスラスターを起動、空中を蹴りビルの隙間に隠れる。それを狙うのはマリオネット! アサルトライフルの銃口が、ヨナ機を捉える。だが、発砲することは出来なかった。空中で投げ放ったチェーンソー・ブレードがマリオネットの頭部を切断したからだ。センサーユニットを集約した頭部を失ったマリオネットは、糸を失った人形のように倒れた。


「やっぱり、あいつらの行動を制御しているのは頭みたい。狙うならそこね」


 ヨナは地上に着地した。その瞬間、彼女は蜘蛛のように身を屈める。彼女の真上を、弾丸が通過した。マリオネットの数は無数、引きつけた機体が殺到する。刀は手から離れている、彼女は頭部を切断し、地面に転がった刀に手をかざす。

 ヨナ機にはもう一つ、装備が追加されていた。両腕のシザーアーム・アンカー。高伸縮性の金属繊維製ワイヤーの先端にハサミ状のアームを取り付けた補助パーツだ。電磁加速によってワイヤーを射出し、軌道制御をはじめとした戦闘行動全般を補助する。アームが刀の柄を掴んだことを確認し、這いずり姿勢のまま腕の力だけでヨナは飛び上がる。地面を弾丸が抉った。

 巻き取り機構を作動させ、刀を回収。同時にもう片方のシザーアームを射出し、ライフル攻撃を行っていたマリオネットの首を狙う。アンカーは避けられた、だが背後にあった飛び出た鉄柱に巻き付いた。スラスターと巻き取りを併用し、一気に距離を詰める。

 直線的な動きをマリオネットが狙う。ヨナはアームを離し、空を蹴り空中で一回転。ライフル弾幕を飛び越し、マリオネットの背後に回りチェーンソー・ブレードを一閃。二つの首が宙を舞い、機能を停止した。


「くっ……! こんなものが、あとどれくらい残っているというの?」


 無理な機動がたたり、彼女の全身を激しい痛みが貫いた。だが立ち止まっている暇はない。盾にしていたビルが崩壊を始める。エンペラーの砲撃圧力によるものだ。左右、どちらに逃げようとマリオネットが待ち受け、エンペラーの攻撃が待つ。だが、彼女は臆さない。刀を強く握りしめ、次なる戦場へと走る!


 瞬時に空間に満たされたベアリング弾がマリオネットの全身を貫き、機能停止に陥らせた。アルカは崩落した柱の陰に滑り込み、追撃をかわす。マリオネットの動きは迅速だった。第一射の失敗後、アルカはすぐに包囲された。新設された近接防御機構がなければ、彼女はすぐに死んでいただろう。シールド裏にマウントされたライフルを取る。


(あいつの発しているECMのせいで、ヨナたちともうまく連絡が取れない……こんな状況じゃ、増援を呼ぶのも絶望的ね)


 マリオネットの動きは、それほどよくはない。セブンスターのそれよりも粗雑だ。前線にセブンスターが展開されていることを考えると、コアユニットの処理能力を上回っているのだろう。自分の兄に対する仕打ちに、アルカは怒りを覚える。


「こちらシゼル。アルカ、無事かい?」

「ようやく通信が繋がった! ごめん、いま取り囲まれてて身動きが取れない!」

「ボクもそっちに向かっている。すぐにそっちの脅威を、排除するから……!」


 シゼルはガトリングガンを構え、アルカの救援に入ろうとする。だが倒壊したビルの横合いから、隠れて来たマリオネットが飛び出してくる。硬質ナイフを構え、接近暗殺でシゼルを仕留めようとしている。だが、彼女の動きはあくまで冷静だ。

 シールドと敵の角度を合わせ、地を蹴る。巨大な鋼鉄板がマリオネットを押し退けた。吹き飛ばされたマリオネットが体勢を立て直す前に、ガトリングがマリオネットを打ち据えた。集約された弾丸は装甲をスポンジケーキのように粉砕した。

 彼女の動きは止まることがない。モニター上で敵機の位置関係を確認、瞬時に優先順位を選定。両肩のミサイルランチャーを斉射、無防備な背中に浴びせかける。二挺のガトリングガンでそれぞれ別の敵機を狙い、斉射。背後から放たれた銃撃がマリオネットを鉄屑に変える。周囲のマリオネットはそれに反応、シゼルを狙う。

 シールドを前面に展開、マリオネットのライフル射撃を受け止める。その背後からアルカが飛び出し、二挺のアサルトライフルでマリオネットを背後から襲う。敵機沈黙。


「ありがとう、助かったわシゼル」

「前線との通信は、そちらも繋がっていないのかい?」

「ええ、多分あいつのせい……どうやって、あんな機体を倒すの?」


 現状、アルカたちには圧倒的に火力が足りていない。エンペラーを撃墜するにはバトルウェアクラスの攻撃力が必要不可欠だ。だが、そのためにはセブンスターによって包囲された前線を突破してくる必要がある。相応の犠牲を払わねばならぬ。そうしないようにするための奇襲作戦だったのだから。


「その事だけど……妙なんだ。エンペラー自体の発熱量はそう多くない」

 エンペラーの巨体を維持するには相応量のエネルギーが必要だ。だが、それを本体が賄っている様子はない。如何なることか。アルカはスコープを覗き込んだ。


「……エンペラーの背中から、ケーブルが伸びている」

「外部電力ってことだね。どこかから、あいつは電力を供給されている」

「それさえ無力化すれば、あいつをどうにかすることが出来るはずだ!」


 エンペラーの放ったビームが空を焼く。それをことごとく避け、ヨナは飛ぶ。彼女の推進剤とて無限ではない、このまま戦いを続けていれば、いずれ尽き果てる。ヨナがエンペラーの注意を引きつけられる、この瞬間にしか勝機は有り得なかった。


「シゼル、援護するわ。あなたはケーブルの破壊に専念して」

「アルカ、でもキミは……」


 アルカの提案に、シゼルは抗議の声を上げた。彼女はアルカの抱えている重大なハンデを知っている。それでも、アルカは微笑み発言を続けた。


「どうせ、私じゃマリオネットの包囲を突破することは出来ないわ。でも、あなたになら出来る。どうせ、私たちに遠慮していままで本気で戦ってこれなかったんでしょ?」

「アルカ、ボクは……」

「言ってる場合じゃないでしょ、シゼル。みんなで一緒に生き残る。そのために、あなたの力を貸してほしいの。シゼル」


 シゼルはほんの数秒迷った。だが、すでに答えは決まっている。そうしなければならないのだ。アルカとシゼルは静かに頷き、走り出す。シゼルはマリオネットの注意を引きつけるべく派手に動き、アルカはその裏で廃墟の街に潜った。


(マリオネットが減るごとに、こいつら動きがよくなっている……! このまま戦い続けたんじゃ、倒される。迷っている暇なんてない……!)


 ほんの一瞬前まで通用していた攻撃が、次の瞬間には通用しなくなっている。敵がものすごいスピードで学習しているとともに、マリオネットが減るごとに本体にかかる負荷が減っていることの証左だ。マリオネットからの攻撃を出来るだけ無視し、シゼルは進む。バトルウェアがいないことは救いだ、エンペラーだけでも身に余るというのに、倒せない敵がこれ以上増えては手に負えなくなっていただろう。

 シゼルはシールドを細かく操作、マリオネットからの銃撃を防ぎ、ビルの隙間に潜り込む。それと同時に手榴弾を設置、彼女を追って地上から追跡を仕掛けて来たマリオネットが爆発に巻き込まれて吹き飛んだ。


(次からはこの手は通用しない。けど、きっと警戒してくれるはず……!)


 敵の吸収速度は速い、あまりに速すぎる。機械と直結した脳は瞬時に最適解を導き出す。どんな小さな可能性も見逃さない。ゆえに、それを利用することが出来る。機械に曖昧さはない、1か0かだ。可能性があれば必ず検討する!

 シゼルを追い、障害物の上から追うマリオネットはアルカによって撃破された。センサー感度を最大まで上げ、周囲の音を決して聞き逃さないようにする。


「中に人が詰まっていないだけ、頭を吹き飛ばすにも罪悪感がなくていいわね……」


 一射ごとに身を潜め、狙撃ポイントを変える。マリオネットの過敏さは脅威でもある。

 シゼルの接近に反応し、エンペラーも迎撃態勢を取る。腕に空いた穴が光った。いくつものビームが腕から放たれた。シールドの蒸散塗料が一気に剥ぎ取られた。シゼルは唇を噛みながら、しかし止まることなくエンペラーの背後まで進んで行く。

 シゼルは腰部レールガンを展開。通常は手で保持しながら使う必要がある。だが、マリオネットの攻撃を凌ぎ、エンペラーの攻撃をかわしながらでは文字通り手に余る。前方のマリオネットをガトリングガンで牽制しながら、攻撃目標を確認した。残ったケーブルは6本、両腰のレールガンを一斉に放つ。凄まじい反動がシゼルを襲った。

 金属プレートによる防御も、高出力レールガンの攻撃を受けてはひとたまりもない。ケーブルは半ばで切断され、バチバチと電光を辺りに撒き散らす。成果をたしかめるシゼルだが、喜んでばかりもいられない。エンペラーからの攻撃はより執拗なものになる! 天から降り注ぐ光の矢が、一帯をマリオネットごと吹き飛ばす!


「くぅっ……!」


 倒壊したビルの窓枠から内部に滑り込み、攻撃をかわそうとする。だが、コンクリートを貫きビーム攻撃が降り注いだ。シールド越しに重い衝撃がシゼルを襲う。シールドの限界を告げるアラートが、シゼルの視界一杯に広がった。


「お前の相手は……この私だァーッ!」


 ヨナはワイヤーアンカーを放ち、エンペラーの砲身に巻き付けた。巻き取り機構を作動させ、エンペラーの右肩に乗る。超至近距離では、さしもの攻撃力も打つ手なし! ヨナはチェーンソー・ブレードを肩口に突き立てた。だが貫けない……!

 地上のマリオネット軍団が、肩に乗ったヨナに対して銃撃を行う。砲身と砲身の間を縫い、ヨナは走る。マリオネットのアサルトライフル程度ではエンペラーに傷はつけられぬ。だがヨナは諦めない、肩の上を走り、跳ぶ。エンペラーの頭に向かって! 頭部に備え付けられた近接防御機構が作動、要塞にも匹敵する弾幕がヨナを襲う。

 それでもヨナは止まらない。すべての時間が停止し、発射された弾丸一発一発の軌道が見えているかのような錯覚にヨナは陥った。鈍化していく主観時間、しかしそれに飲まれることはない。両手でチェーンソー・ブレードを構え、居合めいて抜き放つ。全体重をかけて突き放たれた刃は反応装甲を叩き伏せ、保護ガラスを貫き、カメラを射抜いた。

 深く突き刺さった刀は抜けぬ。目を潰しても防御能力はいささかも衰えない。ヨナは刀を諦め、エンペラーの顔面を蹴った。落下しながらワイヤーアンカーを倒壊しかかったビルの窓枠に絡ませる。高速三次元機動を行うヨナを、無数の砲弾と銃弾が追う。砲弾はやがてビルにも及び、ギリギリのところで踏み止まっていたビルの足場を崩した。


「こんなところでッ……! 死んでたまるかァーッ!」


 ヨナは必死で走る。段々と床が直角に近付いて行く。それでもなお走る。何もない窓から中空へと飛ぶ、何の遮蔽物もない。空っぽの眼孔が、ヨナを見据える!

 しかしその瞬間、エンペラーの巨体が揺らぐ。更にケーブルが破壊される。シゼルは自分へのダメージも構わず、レールガンを連射する。残り4、3、2、1……

 脚部防御機構が作動する。足のハッチが開き、マシンガン、ミサイル、キャノン砲、ビーム砲が展開、たった一機のアームドアーマーを破壊するにはあまりに過大な火力がそこに集中する。はるか遠くにいるアルカにも、それが見えた。叫ぶ間もなかった。


「シゼルッ!」


 爆炎と爆風が、シゼルを包み込んだ。生きているのか? 通信も繋がらない状況では、彼女の生存を確かめることすら出来ない。アルカは焼夷徹甲弾装填のライフルを掴み、発射。爆風を抜けて飛来した弾丸が、残った最後のケーブルを爆散させた。


「これで止まる……!?」


 止まらない。エンペラーは止まらない。弱々しい熱源が、エンペラーの中に生じた。排気口から白い蒸気が、まるで吐息のように吐き出された。自立発電機。


「……そんな都合のいいことが、有り得るはずなんてないわよね……」


 電源喪失を想定していないはずなどなかった。やるべきことは、即座に撤退し現状を知らせることだった。判断ミスが、仲間を死なせた。あの時と同じ、変わっていない。


(変わっていない……? ううん、いまは違う……!)


 狙撃手の位置を確認し、マリオネットが殺到するのをヨナは見た。四方八方、彼女を殺すために。矢も楯もたまらずヨナは叫んだ。


「逃げて、アルカ!」


 取り囲むマリオネット、正面にはエンペラー。胴体の砲口が彼女を向いた。どれだけの威力を持っているか、もはや想像するだけでもバカバカしい。少なくとも自分を跡形もなくこの世から消すには十分なのだろうな、とアルカは思った。それでも。


「逃げるわけにはいかないわ。いまなら……多分こいつを倒せるからッ!」


 アルカは逃げずにスコープを覗いた。エンペラーの自立発電能力は低い、恐らく数分間機体を動かすので精々だろう。電磁反応装甲を作動させるだけのエネルギーもない。これまでエンペラーが放っていた電磁波が失われたのがその証拠だ。


(私の目じゃ……包囲網を突き破ることは出来ない)


 冷静に、コックピットの照準を合わせる。彼女の目には、敵の姿だけが映る。


(結論から言えば、妹さんの視力が戻ることはありません)

 アルカは扉越しに、医師の言葉をぼんやりと聞いていた。両目には包帯が巻かれ、自分がどこにいるのかさえ把握することが出来なかった。フランス全土を襲った質量兵器攻撃から、アルカとソルカの兄妹は運よく逃れることが出来た。しかし、逃げる途中飛来した瓦礫がアルカの頭を打った。強烈な光を感じて、アルカは意識を失った。


(頭部に負った損傷、それが原因です。脳の一部、視覚野にダメージを受けている。彼女の視野は我々のそれよりも狭い、両目で60度から70度の間くらいしか見えていません。物体の動きを認知する機能も衰えています)

 包帯を取ったその日、アルカの世界は狭くなっていた。兄、ソルカは心配そうな顔でアルカを見ていたが、彼女にはそれすらも見えていなかった。


「ごめんね……お兄ちゃん。ごめんね」


 どういう状況か、彼女なりに理解していた。あの事故以来、両親は病室に一度も姿を現さなかった。その意味が分からないアルカではなかった。テレビでは連日、パリ侵攻の被害とそれに伴う戦災孤児の増加を報じ、帝国への憎悪を煽り立てた。

 視線を落とすアルカの前に、ソルカは顔を出した。


「アルカ。これなら、見えるだろ?」


 自分も泣きそうな顔をしながら、それでもソルカは、精一杯笑顔を作った。二人ぼっちになった兄妹は、人目もはばからずに泣いた。


「逃げないよ、お兄ちゃん。あなたがそこにいるなら、私は……!」


 もし、ソルカ=フェストゥムが同盟に囚われ、その命を奪われているというのならば……その手で、彼を殺す。それが、アルカが抱いていた、覚悟だった。

 トリガーを引く。弾丸が放たれる。マリオネットが走る。その光景を、ヨナはずっと見ていた。光の奔流が、一瞬にしてアルカの姿を隠した。叫ぶ暇もなかった。

 ビームの放出は数秒間に渡り続いた。圧倒的ビームの出力により、コンクリートさえ溶融し、大気中の水分が一瞬にして蒸発、白い煙が周囲を包んだ。光が収まった時、エンペラーの腹には巨大な穴が開いていた。開かれた大穴から電流が蛇のように這い出し、エンペラーの巨体が崩れて行った。完全に崩れた時、エンペラーは爆発四散した。

 同時に、マリオネットたちが完全に動作を停止、倒れ落ちた。その光景を、ヨナは遠目にぼんやりと見つめていた。煙の奥、アルカがいたところをずっと彼女は見ていた。


 やがて煙が晴れ、陽炎の中から一つの影が現れた。ライフルを構えた、アルカの姿が。ビームのラインは彼女の僅か横をすり抜けていたのだ。


「アルカ……! よく、よく無事で……!」


 ヨナは涙を浮かべながら、ビルを駆け下りて行った。アルカの方は動かない。回復した通信機からは、アルカの荒い息遣いが聞こえて来た。ビームは彼女を焼かなかったが、発した熱はマルテの電子機器のほとんどにダメージを与えていた。自分一人だけでは、もはや機体から脱出することすらかなわなかったのだ。


「お兄ちゃん……」


 あの時、エンペラーのビーム砲は確実に彼女を殺せたはずだった。だが、現実に彼女は生きていた。いまは亡き兄が、自分のことを守ってくれた。そうとしか思えなかった。


「どうやら……成功したみたいだね。みんな」

 通信機からシゼルの声が聞こえた。瓦礫の山を押し退けて、彼女が這い出して来た。機体の損傷は大きい、片腕は引き千切れていた。


「シゼル……あなたも生きていたのね」

「ギリギリで塹壕に潜り込むことが出来たけど、そのせいで瓦礫に足を取られてしまってね。でも……これで、ボクたちの仕事は終わったんだね」


 そう、彼女たちは困難極まる任務を終わらせたのだ。三人は喜び、歓声を上げた。空を見上げると、二つの光が無限の交差を描いていた。

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