Chapter4:亡霊たちの輪舞《ロンド》-4

 会議が終わり、順次解散の流れとなった。ヨナたちは潜入作戦のための最終調整に向かい、章吾たちは前線の陽動部隊に参加するため入念なミーティングを行っていた。そんな中にあって、イルダはただ一人、宙ぶらりんな状態になっていた。


「参ったなあ、いまから調達できるような機体、どこかに転がってねえかな……?」


 先ほどの戦闘でイルダのゼブルスは取り返しがつかないほどボロボロに傷つけられた。焼き切られた右腕は言わずもがなだが、メインカメラの損傷も含めて大小様々な傷を負っている。ハンクでさえ、このままバラして新品を買った方が安くなると匙を投げた。

(陽動作戦に、誰が出てくる? いや、無人機の相手でも半端な機体じゃ……)

 そんなふうにして一人悶々としていたイルダに、突然声がかけられた。


「兄さん、そんなところで悶えてどうしたの。天下の往来、通行の邪魔」

「ユーナ、外で兄さん呼ばわりはやめろ。隠してる意味がないじゃねえか」


 そこにいたのはユーナだった。先ほどまでの戦闘服ではなく、濃紺のスーツ姿だ。薄く化粧もされており、平時の彼女を知らなければただのサラリーマンだとしか思うまい。


「あなた宛てに、呼び出しがあります。すぐに向かっていただきたい」

「俺を呼び出し? いったい、どこの誰が俺なんて呼び出すんだ?」

「ここであなたを呼ぶような人は、そう多くないと思いますけど?」


 まったく、その通りだった。だからこそ、イルダは嫌だった。だが彼は観念し、ユーナに促されるままエレベーターに乗った。ユーナはエレベーターを閉め、地下行きのボタンを押した。地下三階、ガラス張りの研究ブロックを通り抜け、当たりの雰囲気とはそぐわない重い樫の扉をユーナは開いた。『会長室』。


「時間通です、ユーナさん。話終わるまで待っていて、あなたにはまだ用がある」

「分かりました。それでは、適当に待たせてもらいます」


 会長、メルティオ=アルタイルはユーナとの短いやり取りを終えると、優し気な、撫でるような視線でイルダを見た。ハーフフレームの眼鏡をかけた才女。長い桜色の髪が、彼女の動きに合わせてゆらりと揺れた。前大戦末期、前会長から《アルタイル社》を引き継いだメルティオは、卓越した経営手腕と、まるで未来でも見通しているかのような市場予測能力で小企業に過ぎなかった《アルタイル》を一躍ビッグブラザーに押し上げた。

 最終戦争の折りには和平派と協調、資金面や物資面で様々な支援を行った。彼らの存在なくして、いまの平和は訪れなかっただろう。そのような事情があるため、《アルタイル社》は現在の政府に対して強い発言権を持っている。そうでなければ、元軍事企業の社長が職を退いたという理由だけで、《太陽系連邦》の理事になることは出来まい。


「久しぶりだな、メルティ。あれから何年経ったっけ……?」

「あなたが去ってからは1年と4カ月。でも、初めて会った日から数えれば10年ね」


 かつて、イルダとメルティオは同じコロニーで暮らす、普通の市民に過ぎなかった。だが、あの戦争でイルダはキャバリアーに乗り、メルティオは会社を継いだ。

 月決戦の後、ほぼコックピットブロックだけで宇宙を漂っていたイルダを助けたのは、《アルタイル社》の息がかかった部隊だった。密かに彼を回収し、死を偽装し、イルダという新しい戸籍を作り上げた。彼を生かし、死なせたのはメルティオだ。


「あなたは私のところに戻ってくる。そう思っていました、イスカ。いえ、イルダ」

「世間話がしたいわけじゃないだろ。何のために俺を秘匿された会長室に呼んだ?」


 会長室は本来、上層階にあることになっている。だが剥き出しになったビルでは暗殺の危険がある。そのため、実際の会長室は本社ビルの地下深くに建てられているのだ。この事実を知っているのは、現社長をはじめとしたごく少数の上層部メンバー、そしてユーナのような会長直属のメンバーだけだ。


「まずは、新型ブースターのテスト、お疲れ様でした。あなたがもたらしてくれた

データのおかげで、我々の技術力は火星のそれに近づくことが出来るでしょう」

「それはどうも。でも、ゼネラルがあるんだ。そこから引っ張ってきてもいいだろ?」

「自社で開発できない技術に意味はありません。無意味なお金を使うだけですから

 魔女。メルティオ=アルタイルはそう呼ばれている。彼女の能力はあまりにも現実離れしすぎている。市場への介入のタイミング、技術開発への投資。先見の明というにはあまりに出来すぎている。まるで未来が見えているかのようだ。ありとあらゆる手段を使い、確実に欲しいものを手に入れる。メルティオはそういう女だ。


「それで……イルダ。あなたは、また戦場に戻るつもりなのですか?」

「ああ。いまは一人じゃない、仲間がいる。そいつらのためにも戻らなきゃならない」


 クスリ、とメルティオは笑った。上目がちにイルダを見る目は、まるですべてを見通しているかのようだ。その目は、本当にそれだけなのかと問いかけているように見えた。自然と、ねっとりと脂汗が額を滑り落ちて行った。


「ねえ、イルダ。あなたは平和に生きていくために、あの戦いを生き抜いたのでしょう? でも……あなたはいま、自分から戦場へと身を投げていく。それは、なぜ?」

「それは……」

「今回の戦い、あなたがいなくてもこちらの勝利は揺らがないでしょう。これはそういう戦いよ。それが分かっていたとしても……あなたは、またあそこに戻るの? あの場所には、あなたが嫌いなものしか、存在しないというのに……」


 イルダは苦悶した。過去の光景が何度もフラッシュバックする。守りたいと思った、それでも守れなかった。逃れたいと思った、それでも逃れられなかった。彼が手にしたいと思ったものは、砂粒のようにその手から零れ落ち、滅ぼしたいと思ったものは、この世界に残った。メルティオの言う通りだ。戦場にはイルダが嫌いな痛みしかない。

 だが、しかし、それでも。迷いに満ちた、たどたどしい口調で、イルダは言った。


「メルティ、お前の言う通りだ。俺は、戦場から離れるために戦場で戦ってきた。二度とあんなところに行きたくねえ、そう思ってずっと俺は戦ってきたんだ」

「それならば、どうして自分から戻ろうとするのです?」

「あそこには……置いて来ちまったものがある。あんなもんに未練なんて何もねえ、そこで朽ち果ててくれるんなら大歓迎だ。けどな、そんなものが俺を追いかけてくるんだ」


 イルダは顔を上げた。その表情は、壮絶としか言いようがなかった。恐怖と焦り、過去への後悔で歪み、脂汗を垂らし、声を震わせながらしかし、彼は続けた。

「二度と取り戻したくないと思っていたものが、どこまでも俺を追い詰めてくるんだ。俺を自由にしないために、過去って鎖ががんじがらめに縛り付けようとしやがる。うんざりなんだ、もう。だから、俺はやらなきゃいけない。止まったら、そこが袋小路になる」


「過去に打ち勝つため、あなたは戦いを続けると?」

「違う。過去が俺を追いかけて来るってんなら、俺はそれを打ち砕いてやる。名前も過去も、いままでの生活も全部捨てて、ようやく俺は自由を手に入れたんだ。それを邪魔する奴らを全部振り切って、俺は過去から……逃げ切ってやる!」


 それは、あまりにも情けない宣誓だった。しかし、それを嘲笑うものはこの場にはいない。メルティオも、ユーナも、イルダの苦悩を、苦境を、間近で見て来たのだから。彼の悲壮な決意を、誰よりも理解しているのだから。


「過去から逃れるため、ですか。あなたらしい。それでこそ、ですね」

「だいたい、俺がしたことの責任を取らなきゃいけないっていうならそうするべき連中はもっと多くいるだろ。そいつらが何の苦労も背負わず、お偉いさんとして椅子に踏ん反り返ってるんだぞ? 実行しただけの俺だけに累が及ぶなんて不公平すぎるだろ」


 先生を終わったイルダは、軽口を叩けるだけの余裕を取り戻していた。そこまでイルダが回復したことを確認して、メルティオは本題を口にした。


「では、契約通りあなたにゼブルスをお渡しいたします。試作型ブースターもお付けいたしましょう、あれのセッティングはあなた向けのものになっていますからね。推進系の構造を多少変更しただけですから、パーツの互換性はあります。整備性は高いですよ」

「……なあ、メルティ。こーいうのって、俺の覚悟を聞いて新しい機体とか、新兵器とか、そういうのを俺に譲ってくれるとか、そういう流れじゃないのか?」

 イルダは呆れたような表情で呟いたが、メルティはそれを嗤い返す。


「やですねえ、イルダ。ロボットアニメじゃないんですよ? そんなにポンポン、新型を作れるはずがないじゃないですか。あなたからのデータを精査して、それからですよ。ああ、もちろん先ほどの戦いで大破したゼブルスは私たちの方で直させていただきました。あとでドックに行って、機体の調整を行っておいてくださいね。機体の装備もあなたの好みでもういいですよ。自由なカスタマイズが可能になりますね」


 散々、イルダに戦いを止めるように煽っておきながら、これである。イルダ=ブルーハーツという男が誰よりも、戦いから逃れられない人間だと知っているのは彼女なのだ。掌で踊らされ、恥ずかしい告白をさせられたことにイルダは気付いた。


「なあ、自由なカスタマイズが出来るなんて言ってるけど、その代金を持っては」

「あなたと私の仲ですからね。多少は、お安くさせていただきますよ?」


 天使のような顔で、悪魔のように微笑み、メルティオはそろばんを弾いた。イルダは頬をひくつかせた。なんて厄介な女に目をつけられてしまったんだ。彼女と出会った10年前のことを思い出しながら、イルダは考えることを止めた。

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