Chapter4:亡霊たちの輪舞《ロンド》-2

 『アクイラ』接岸デッキ。そこには三人しかいなかった。イルダ、ユーナ、そしてアルカ。アルカは突然聞こえてきた、自分の兄の名前にひどく戸惑った。


「アルカ……どうして、こんなところに」

「あの、あなたはいったい……誰なんですか?」


 アルカはイルダの言葉を無視し、困惑した視線をユーナに向けた。当のユーナは、顎に手を当てたり、首を捻ったりしながら、少ししてから名乗った。


「初めまして、アルカさん。海東夕菜です。兄がいつもお世話になっております」

「おいちょっと待てやぁっ、ユーナぁっ! 何言ってくれちゃってんのォォツ!?」

「いやあ、だってお世話になっている人にはちゃんと挨拶しなさいって兄さんが」

「俺が聞いてんのはそこじゃないことくらいお前には分かってるよね!?」


 イルダはやけくそめいたテンションでユーナに向かってまくし立てた。イルダの

イメージとまったく違ったため、アルカは大層面食らったが、すぐに気付いた。


「海東……夕菜さん? あの、海東イスカの、妹さんの……?」

「思ったより、私は有名人みたいですね。その通り、そのユーナです」

「それじゃあ、兄さんってことは……イルダさんの本当の名前って……」


 アルカは疑惑の目を、真っ直ぐにイルダに向けた。イルダは言葉に詰まったが、

しかしアルカの純真な瞳に見つめられるのは耐えられない、という風に答えた。


「……そうだよ。俺の本当の名前は海東イスカ。秘密にしておきたかったんだが」

「でも、海東イスカは月決戦で、死んだって」

「確かにそうなってるな。けど、爆散して機体も残らなかったのにどうして死亡が

確認できる? 普通はMIA認定されて、それから時間を置いて死ぬはずだろ? 

いや、死んでるのに死ぬって表現もおかしいけどさ」

 そこで一旦、イルダは息を吐いた。


「取引をしたんだ。当時の連邦上層部、いまの《太陽系連邦》中枢とな。俺は月決戦で死んだことにする。俺のことを、もう二度と追わないようにってな」

「どうして、そんなことをしたんですか……」

 その質問に、イルダは答えなかった。アルカにとってもその質問はそれほど重要なことではない。彼女は核心に迫った。


「私の兄……ソルカ=フェストゥムを、あなたは知っているんですか?」

「その口ぶりだと、アルカも俺がソルカと知り合いだってことは知っているんだな?」

「兄さんは、手紙で書いていました。英雄と同じ部隊に配属されることになったって」


 英雄、という言葉を聞いた時、イルダは思わず顔をしかめた。それは彼が、死んでも逃れたいと思った言葉だったからだ。そして、ソルカが自分をそう呼んでいたことを思い出した。暗澹たる気持ちをぶちまけそうになりながら、イルダは続けた。


「俺がソルカと会ったのは4年前。あいつはかつてフランスに住んでいたが、戦争で故郷を失ったと、故郷を失う人をこれ以上増やしたくないと言って入隊して来た。戦争屋にしては珍しい、理想を恥ずかしげもなく口にする男だった。最後に会うまでね」


 狂気に陥ったアスタルの作戦行動は常軌を逸したものになり、帝国軍の殲滅に命を賭けるようになっていた。アスタルの強攻軍に、イルダとユーナ、弘大は付き合った。ソルカは新兵だったが、卓越した操縦技術と凄まじい吸収力で皆が培ってきた経験を学び、いつしか隊の存続に欠かせない人間になっていた。

 理想家だったソルカは、アスタルと対立することも多かった。共にパリ攻撃で家族を失ったものでありながら、その姿勢が正反対であったことも要因の一つだっただろう。必然的に、イルダがその間を取り持つことが多くなった。そんなことをしているうちに、歳が近いこともありイルダとソルカは徐々に打ち解けていった。


「あいつは言ってたよ。連邦と帝国、元は一つの人間だった。だからそれが、いつの日かまた一つになれる時が来る。その時を信じて、自分は戦うんだ、ってな」

「兄は……私にもよく言っていました。誰も、恨んじゃいけないって」


 そうしていくつもの戦場を渡り歩いて来たが、戦争は徐々に激しさを増していった。イルダとソルカはそれぞれ隊を任され、別々に行動するようになっていた。そしてあの日。

 ソルカと彼が率いる隊は、宙域の哨戒任務に出たまま帰ってこなかった。捜索を志願したが、拒否された。しばらくして、ソルカ隊の全滅が伝えられた。残骸は戻って来なかった。彼と対立していたアスタルも、この時ばかりは涙を流した。


「それが、いったいどういう関係があるんですか?」

「《マンデバイスプロジェクト》。俺が戦後、存在を突き止めた連邦の計画だ」


 当時軍の支援を受けて進行していたプロジェクトだが、難航していた。最大の問題は、素材となる人間の選定だ。デバイスとして利用された人間の脳は短期間に破壊されてしまうが、理論上電子的に増幅された感覚に耐えうる脳が存在するはずだったのだ。提唱者樽ジェイガン博士は、それを《エクスグラスパー》と呼んでいた。


「《エクスグラスパー》……?」

「簡単に言えば、通常の人間よりも処理能力に優れ、大量の情報を捌き切れる人間のことらしい。要するに、飛んで行った銃弾の行方を完全に把握し、こっちに飛んでくる弾の量を見分け、それが当たらない位置を完全に割り出せる人間のこと、らしい」

「らしい、ってことは……それが実在するかどうかは分かっていないんでしょう?」

「博士も、最終的にそれが存在するのか確認できていなかったみたいでね」


 声色こそいつもと同じだが、イルダの言葉には確かな怒りが感じられた。当然だ、長年一緒に戦ってきた戦友を、訳の分からない計画で殺されたのだから。


「だからあなたは……イルダさんは、兄さんを殺すしかないっていうんですか?」

「デバイスとされている以上、ソルカがもはや人の形をしていないことは明白だ。そんな姿になったままの友達を……俺は放ってはおけない。死なせてやるのが情だろう」


 アルカは、それに反論しようとした。しかし、言葉に詰まり、そこから先を言えなかった。それでも、アルカは顔を上げた。決意を込めた目で、彼女は言った。


■◆■◆■◆■◆■◆■◆■


 ワルシャワ中心街、議会ブロック。地方行政府、軍部、傭兵団本部と言った、都市運営機能のすべてを集約した地域が、ここだ。有事に際して、迅速な情報伝達を可能とするための措置であり、世界の中心とさえ呼ばれている場所だ。

 赤毛の男、ヘイゼル=クルーガーは数人の部下とともに議場へと歩みを進めていた。前線から戻った兵士たちの報告を受けたヘイゼルは、すぐさま会議を開催した。この事態のまずさが分からない男ではない。しかし、その歩みが止まった。


「……私は少し遅れて行く。それまでの間に、準備を進めておけ。周辺基地からの

情報、それから戻って来た傭兵からの聞き込みを重点的に行っておけ」


 よく訓練されたヘイゼルの部下たちは、彼の言葉に疑問を挟むこともなく先に進んだ。そこに残っていたのは、ヘイゼルと章吾だけだった。


「あんたが生きて、ここにいるとは思わなかったよ」

「……二年前に戦死したものと思っていた。まだ生きていたのか、お前は」


 かつて見捨てた男が目の前に戻ってきているというのに、ヘイゼルにはほんの少しも感情が動いた様子はなかった。あの時と同じだ、章吾は思った。


「いま、旧交を温めている暇はない。私には対策しなければならないことがある」

「ふん……そうだな。このままでは……連邦に重大な損害を与えるからな」

 二人は並んで、冷たいリノリウムの床を歩いた。独特の緊張感が辺りに漂う。


「とげのある言い方だな、東雲少佐」

「あんたにとって人の命は数字だ。対策もなにもかも、数字の交換に過ぎんのだろう」

「その通りだ。人的損害は経済的、統計学的な損害だ。それをできるだけ少なくすることが、我々軍人の責務だ。違うかね、東雲少佐?」


 二年経った程度では、この男は何も変わっていなかった。ありとあらゆるものに執着を持たず、単なる数字として判断する。それゆえに、この男の決断には迷いがない。その気になれば、自分の命さえも単なる数字として処理するだろう。


「……別にその話はいいさ。あれから二年、いやでも決着をつけざるを得なくなる。俺が聞きたいのはそれじゃない……イルダ=ブルーハーツという男のことを知っているか?」

「海東イスカのことか?」

 あまりにもあっさり放たれた言葉に、章吾はしばし言葉を失い、歩みを止めた。ヘイゼルはしばらく歩いていたがやがて立ち止まり、章吾に振り返った。


「私にそれを聞くということは、ある程度予想は出来ていたのだろう?」

 イルダ=ブルーハーツは謎だらけの男だ。彼を雇うに当たり、章吾は当たり前に行う調査を彼に対しても行った。だが、彼の素性はそれでもまだ謎だらけだった。軍時代のコネを利用したが、それは虚しい努力に終わった。そしてそれは、軍が彼の存在を秘匿している証明に他ならなかった。だからこそ、彼はここに赴いたのだ。


「あんたたちは……海東イスカが生きていることを知っていたのか?」

「そうだ。彼に新しい名前と、次の人生を与えたのも……この我々だ」

「バカな、なぜそんなことをする必要がある?」

「新しい英雄が生まれてもらっては困るからだ。《太陽系連邦》は人間の政府だ」


 ヘイゼルは、話は終わったとばかりに振り返り、議場に向かって歩き出した。もちろん、章吾はそんなことでは納得できない。彼を追いかけた。


「《オルダ帝国》が誕生した経緯は知っているだろう? 旧国民連邦への不満を貯め込んだ人々は、しかしそれを発散する術を知らなかった。日々の生活に追われ、それを心の中に仕舞い込み、日々を暮らしていた。そこに現れたのが……」

「《オルダ帝国》皇帝、グスタフ=カール……」

「彼は人々を扇動し、国民連邦に反旗を翻した。新兵器を開発し、帝国を勝利へと導いた。帝国は、彼というカリスマの下になければ成り立たない組織だったと言える」


 事実、皇帝が死んだ月決戦以降、連邦との和平交渉は想定よりもはるかにスムーズだったという。皇帝の存在が、方針に反対する和平派すら押し込んでいたのだ。


「彼が生きていれば、いずれその存在は白日の下に晒される。幼少より父に託されたマシーンを駆り戦い、人類の平和と自由のために戦い続けた戦士。連邦の核ミサイルを止め、帝国皇帝との一騎打ちに勝利した最強の兵士。それは新たなカリスマとなりえる」

「だから、イスカを死んだことにしたのか。なぜ殺さなかった……」

「彼と利害関係が一致したからだ。我々は新しい英雄の誕生を望まず、そして彼自身、海東イスカであることを望んでいなかった。そのためだ、東雲少佐」


 イルダ自身の願い。章吾は戸惑ったが、しかし、理解することも出来た。

 救世主、海東イスカの名は栄誉であり、呪いだ。誰もが彼を知る、彼が知らぬ者が。英雄の名は、決して利点ばかりではない。特に独立を阻まれた開拓者からは、彼は蛇蝎の如く忌み嫌われているだろう。死を求めた理由が、少しだけ章吾には分かった。


「我々は世界の安定を求めて活動している。それは過去も、これからも、例外ではない。数多の犠牲の上に築いたこの世界、滅ぼそうとする者がいるなら立ち向かうのが我々の仕事だ。他に何か質問があるかね、東雲少佐?」


 章吾は首を横に振った。聞きたいことはすべて聞けた、これで十分だ。

「お前の力、いまの混沌とした状況では、何にも変えることの出来ない重要なものだ。再び、その力を私の下で役立てる気はあるか?」

「ふん……二年間放浪した。分からないことはまだたくさんある。だがな……」

 章吾は大きな一歩を踏み出した。それは明確な拒絶と、敵意を表していた。


「あんたとは決して、ウマが合いそうにないってことだけは分かったよ」

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