Chapter3:英雄の幻影-end

 それから数時間。ワルシャワへと進んで行く船団が攻撃を受けることはなかった。避難民と撤退作戦に参加した傭兵たちは、生きて土を踏むことを許されたのだ。


「おい、見て見ろよお前ら。憧れの街へのご到着、だぜ」


 ハンクは少女たちにモニターを見るよう促した。彼女たちは襲撃を警戒し、ずっとコックピットで待機していた。戦闘へと向かおうとする少女たちを、章吾は止めなかった。

 ローマンの艦橋に設置されたカメラには、ワルシャワの威容が映し出されていた。古都の趣を残す居住区、鉄とコンクリートで形成された工業地区。そして、街の中央に鎮座する巨大構造物。天まで届くそれは、持ち主へのやっかみも込めて『バベル』と呼ばれている。《アルタイル社》本社ビル、それがこの街を睥睨する塔の名だ。

 アメリカ大陸が質量兵器によって押し潰されたその日から、ワルシャワは旧国民連邦の本拠地として整備されてきた。その流れを汲む《太陽系連邦》が、この街に本部を置いていたとしても、何も不思議なことはないだろう。《アルタイル社》と併設されて建てられた議事堂と官庁舎、そしてそれらを含め、ワルシャワのすべてを守るために、外周部と都市の一部には防衛システムが設置されている。


「ワルシャワ……私たち、生きてここまで辿り着くことが出来たんですね」

「あ、それに見てくださいよー。『アクイラ』が接岸してます。珍しいですねー」


 巨大都市ユニットである『アクイラ』は、都市郊外の基地と一体化できるような設計になっている。周辺にはいくつものキャリアーが列をなしていた。ローマンもその列に加わる。どれも、少なからず傷を負った船ばかりだった。


「あれって、同盟への攻撃に参加した人たち、ですよね……」


 傷ついたキャリアーの奥に、死者の面影を見ることが出来るような気が、ヨナにはした。しばらくすると、小さな振動とともに昇降許可の緑色のランプが灯った。


「まッ……いろいろあったが、ようやく落ち着くことが出来そうだな。お疲れさン」

「ええ、なんていうか……もうヘトヘトですよ……」


 ヨナたちはコックピットから降りた。皆疲労困憊した様子で、ヨナに至っては立ちながらにして目を閉じ、その場にへたり込んでしまった。力が抜けてしまったヨナを、シゼルは甲斐甲斐しく世話する。自身も額に汗を浮かべながら、ヨナを肩に担いだ。


「ボクはこのまま、ヨナを部屋まで連れて行くよ。後のことはごめん、お願いね」

「ええ、いつもありがとう。シゼル。私の方にも指示は来ていないし、特にすることはないと思うの。二人とも、ゆっくり休んでね」


 アルカは微笑み、二人を見送った。影が見えなくなったころ、アルカは息を吐いた。


「この前までは一触即発、って感じでしたけどー。すっかり仲直りですねー」

「ええ。前の二人を見ているみたい。色々あったけど、元通りになってよかった……」

 ほっとした表情で二人を見送るアルカに、艦橋からの通信が入った。


「こちら艦橋、格納庫のクルーに通達……なんだ、二人はどこに行ったんだ?」

「えっと、その……今回は二人とも、かなり頑張ったのでもう休んでもらうことに」

「そういうのは、俺の許可を仰いでからやれって言ってるだろうが」

「まあ、そうですよね。すみません」


 困り顔で顔を掻きながら、アルカは整備クルーの二人を見た。ヨナとシゼルを見逃した二人は、そうしたのと同じように同じタイミングで顔を逸らした。


「ったく……まあいい、大してやることもないからな。だが、イルダの奴と連絡が取れない。『銀の茨』ってとこの船に乗っていたはずだから、戻っていると思うんだがな。疲れているところすまんが、イルダの奴を探しに行ってもらえるか?」

「うっ……分かりました、頑張ってみます……」

 通信を終えると、アルカは大きなため息を吐いた。アクアは頑張って、とでも言いたげな笑みをアルカに投げた。彼女はおざなりにそれを受け止め、船を下りた。


◆■◆■◆■◆■◆■◆■◆


「ご挨拶が遅れましたが、本日より『アクイラ』本体に合流することになりました、海東夕菜です。コールサインはコーギー1、よろしくお願いいたします」

「堅苦しい挨拶は、それくらいでいいでしょう。助かりましたわ、ユーナ」


 『アクイラ』艦橋。船団司令官であった九鬼は、戦闘時のそれとは打って変わって柔和な笑みでユーナを出迎えた。ユーナと九鬼とは歳は離れているが同期だ。新入社員時代、それなりにやり合った仲でもある。そこで培われた絆は固い。


「そうですね。あなたの尻拭いをすることには慣れていますから、大丈夫ですよ」

「ぐっ、言われる通りだから反論できないのがムカつく……!」

 九鬼は拳を握りしめ、やり場のない怒りをなんとか自分の中に押し止めた。仲は悪くない、悪くないはずなのである。


「それはともかく、あの無人機。かなり厄介な代物のようですね。本社の調査チームも、あんな物があるとは言っては来なかったのですが……」

「本社と連邦の調査力を欺き続けてきた、というわけですわね。一本取られた、と言わざるを得ませんわね。敵ながらにあっぱれと言ったところでしょうか……」

「それについてだけど、耳に入れておきたい話が一つだけある」


 ユーナは神妙な顔をして九鬼に言った。飄々とした、余裕に満ちたユーナがこんな顔をするときは、だいたい悪い話をする時だ。九鬼は襟を正し、彼女の話を聞いた。

「前大戦の末期、行方知れずになった人々が多くいることは聞いているとは思う」

「両軍が出した、大量のMIAのことね」


 作戦中行方不明者。特に混沌とした大戦末期は、人員の把握をすることすら両軍は出来なくなっていた。執拗な質量兵器攻撃、あるいは核兵器攻撃によって、ほんの一日で数万単位で人間が消えてなくなることもざらだったという。それすらも、戦場に蔓延る噂の一つでしかない。

 そんな混沌とした状況を利用し、軍から装備とともに逃げ出した者たちがいる。それは章吾たちのような脱走者であったり、あるいは《太陽系解放同盟》の兵士のような、自らの理想を達するために身を切った者たちだ。


「同盟には多くの脱走者が参加している。大半は国民連邦の所属者」

「それは、彼らの思想や行動を見ていれば明らかですわ。それくらいのことは……」


 そういう九鬼の鼻先に、ユーナは一枚の写真を置いた。今時となっては珍しい、現像されたフィルム写真だった。デジタルデータは改竄の危険性があるため、こうしたアナログなデータ媒体が用いられることはままある。問題なのは、それに映っている人物だ。

 レストランでの、和やかな談笑シーンにも見える。一人の老人を、没個性なスーツ姿の男たちが取り囲んでいる。老人は笑みを浮かべている、見ようによっては祖父を訪ねてきた孫たちとの心温まる一幕にも見えよう。老人の狂気的な笑みさえなければ。禿げ上がった頭頂部と脇に残った僅かな白髪、皺だらけの顔は彼の顔つきを年相応、あるいはそれよりもはるかに年上に見せた。精力的な目とは対照的だ。


「この老人……! まさか、彼が同盟に下ったとおっしゃるのですか、ユーナさん?」

「私も今回の戦闘に参加するまでは、半信半疑だった。でも、はっきりしたわ。ECM環境下で自律稼働し、ECCMをものともしない電送性能。そんな夢物語のような技術を実現できる技術者を、私は知らない。彼がいるならば、すべての辻褄が合う」


 ユーナは脂汗さえ浮かべながら、話を続けた。写真の老人の名はジェイガン=ハーヴァード、かつて旧国民連邦に所属し、様々な技術的ブレイクスルーを開発。戦争史をたった一人で書き換え続けた異能の天才の名だ。


「博士は大戦末期、謎の失踪を遂げている。表向きは飛行機事故によって死んだことになっているけど、死体は終ぞ発見されていない。そして、彼の死期は《第二次星間大戦》終結後よ。彼が死を偽装し、終結しつつあった同盟に逃れた可能性は高い」

「この件、上はどうお考えですの……?」

「さあ、上の考えていることまでは、よく分からないわ。でも、ジェイガン博士が作り出した技術を流用し、自らの地盤を固めようとする者がいても不思議じゃない」


 彼がこの戦いで見せたセブンスターの技術は、現代の軍事常識を根底から覆すものだ。高度な電波妨害技術が開発され、相手を目視しなければ戦争が出来なくなったからバトルウェアなどというものが主力兵器になったのだ。仮に、ジェイガン博士の技術を手にすることが出来れば、世界は再びスイッチ一つで戦争できる世界に逆戻りする。


「恐らく上は、その技術の破壊を命じるでしょうね。いま社の業績を支えているのはバトルウェアやアームドアーマーと言った、新兵器産業。時代が逆行すれば困るのは上よ」

「私としても、この技術を放置しては置けないと考えている。先ほどの戦闘で集積したデータを入れておいたから、あとで確認しておいて。次もあなたが指揮をするのでしょう」

 それだけ伝えて、ユーナは反転し、艦橋から出て行こうとした。それを九鬼は止めた。


「ユーナ、これほどの情報をどうやって手に入れたのかしら?」

 彼女が置いて行ったデータの中には、サラマンダーやセブンスターの設計図、詳細な電送方式、データ暗号化方式などに関することが事細かに記述されていた。もちろん、傭兵団はサラマンダーも、セブンスターすらも回収することが出来ていない。戦闘が終わってから書かれた報告書にしては、あまりにも詳細に書かれ過ぎていた。


「あなたは、『アクイラ』に偶然配属されたの? それとも、ここを狙っていて……」

「大したことはない。でも、たまには九鬼おばさんのお小言も悪くないと思っただけ」

 『おばさん』に瞬時に反応し、九鬼はペンをユーナに投げつけた。しかし、それはユーナに届く前に扉に遮られ、カランカランと床を転がった。


「まったく……! 誰がおばさんですか、誰が! あなたと同い年ですわよッ!」


 荒い息を吐き、呼吸を整える。平静を取り戻した九鬼は、ユーナから渡された資料をもう一度見た。『次もあなたが指揮をするのでしょう』と、ユーナは言った。疑問形ですらなく、彼女は確信を持って言った。無意識のうちに、デバイスを握りしめる。


(起こってしまった過去は、変えられない。取り返しのつかないミスだって、ある。それでもユーナ、あなたは私が再起すると信じてくださいますの……?)


 同期からの予期せぬ激励を受け、九鬼はもう一度、自分の心を奮い立たせた。昨日の今日で、あれほど大規模な戦力を移動させられるはずはない。まだ反撃のチャンスはある。九鬼はユーナから渡された資料と並行し、各傭兵団から挙げられたレポートを表示した。


 『アクイラ』接岸デッキ。艦橋にいた時とは打って変わって、ユーナは苛立った様子で肩を怒らせながら歩いた。いつもの印象とは、まったく違ったものだった。


(まったく、待っていろと言ったのに……あの男はいったいどこにいるのです)


 目を皿のようにして辺りを見回して、ユーナは遂に目的としていた男を発見した。下部デッキ、すでに船から降りようとしている。ユーナは手すりを飛び越え、一気に男の目の前まで下りて行った。

「だわっはぁっ!?」

 男は情けない声をあげ、尻餅をついた。ユーナは屈伸で上手く4mから落下した衝撃を殺し、優雅な仕草で立ち上がり、尻餅をついた男、イルダを見下ろした。


「お久しぶりですね、兄さん。どこに行こうとしていたんですか、あなたは」

「えっ! いやー、だって俺がこれ以上『アクイラ』にいてもどうにもならないだろ? 言ってなかったけど、いまはチームに所属してるんだ。戻らないといけないんだよ」

「お調子者で信頼感ゼロの兄さんが、どこかチームに所属することが出来るとは喜ぶべきことですね。ですが、いま問題にすべきことはそれではありませんよ」


 ユーナはじっとりとした、どこまでもイルダを追い詰めるような目で見つめた。その目に耐え切れず、イルダはむすっとした顔をしながら目を背けた。しばらくそうしていたが、ユーナはため息をつき睨むのを止めた。


「そんな情けないことをしないでください、兄さん。それでも私の兄ですか?」

「いまの俺はイルダ=ブルーハーツ、知ってんだろ、お前の兄さんは死んだんだ」

「あなたが死にたがっていたことは知っています。けれど……あなたはたった一人の兄さんなんです。弘大さんも、アスタルさんも、みんな私の前から消えて行った……その上、あなたまで本当に失うようなことが、あってはいけないんです」


 ユーナの目は相変わらず感情の読めないものだ。だが、彼女の言葉に偽りはないように感じられた。二十年も、ずっと聞き続けた妹の声だったから、それが分かった。

「……分かったよ、悪かった。で、そんなことをお前は言いに来たのか?」

「そうじゃないことは分かっているはずですよ、兄さん」


 その通り、イルダには分かっていた。誰よりも、何よりも。立ち上がり、壁にもたれかかり息を吐いた。そしてしばらく、そうしていたが、ようやく口を開いた。

「お前がそれを知っているってことは、ずっと調べて来たってことだよな?」

「ええ。兄さんだけじゃありません、この二年間。ずっと行方を追ってきたんです」


 イルダの脳裏に、いくつもの光景がフラッシュバックする。先ほどの戦闘で見たサラマンダーとセブンスターの動き。二年前に見た、彼の最後の姿。戦友の姿。


「まさか、探し続けてきた奴が地球の、それもこんな近くにいるとはな。探し物の才能はないってこと、今更思い知らされるとは思わなかったぜ」

「それで、どうするつもりなんですか。兄さん」

「あいつが同盟に囚われているっていうなら、俺がやるべきことは一つだけだ」


 イルダは閉じていた目を開いた。その目は、もはやいままでの彼のそれではなかった。

「ソルカはこの手で殺す」


 甲高い金属音が、二人の静寂を引き裂いた。二人はまったく同時に、音がした方向を向いた。『アクイラ』の接岸橋、そこにはアルカ=フェストゥムがいた。

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