導きの光



 携え星を奪われたせいで本来の輝きを失い、心地よい春風でなく凍るような冷気を漂わせた風の獣は悲鳴のような咆哮をあげた。


(苦しそう。可哀想に)


 夜空図の消えた室内は霊獣が放つ灰色の明るさだけとなり、勢いを強める邪風の影響で壁や天井が軋む音を立てていた。


 このままではやしきが破壊されてしまう。


 怪我人も出るかもしれない。


「アルザークさん! ……少しだけ、もう一度だけ魔法力をっ」


「ダメだ! ルファっ、もうすぐ扉が開く!」


「でもこのまま霊獣が暴走したら! 歪んだ風のままじゃダメなんですっ。路を示してあげないと!」


「落ち着け!やり方は何かほかにもあるはずだ」


(なにかが……? 路を示すための───)


 アルザークのその言葉は、ルファが忘れそうになっていたことを思い出させた。


〈──知り得た詩は路を示す力となるだろう〉


 マセラの手紙に書かれた予見。


 そして心によぎるあの詩。そして旋律。


『星の泉』の詩にも『風の詩』にも手掛かりはある。


「おまえの信じるものは何だ。魔法力だけか?」


「私が信じるもの……」


 月星が与えてくれる安らぎや希望。星の導き。


 純粋に、心が感じるままに。


 その輝きを信じて祈り、願う。


 ならば今は妖魔が好む魔力ではなく、彼等が嫌う輝きだけを必要とすればいい。


 昼ならば陽の光。夜ならば月星の輝きを。


 魔法力で光を喚び、紡いで腕輪を作ったときのように。



「春星のスピカ。風の獣の携え星よ、ここへ来て」


 セティの中に視える小さな光を見つめながらルファは喚んだ。


「ゃや……め、ろぉぉ……ッ」


 ルファの想いに反応するかのように真珠星は瞬きを強め、セティは苦し気に胸を掻きむしった。


 そして次の瞬間、弾けるような光がセティの身体から飛び出し、室内を明るく照らした。


 その光を受け、妖魔セティは悲鳴をあげた。


 妖艶な女性の形を成していたセティの躰が変形していくのが見えた。


 皮膚は黒ずみ、そこから徐々に腐敗し、ぼろぼろと朽ち崩れる。


「カエセッ……カエセっ! ボクノカラダ─── ‼」


 セティは真っ黒な塊となり、真紅の双眼だけが邪気を放っている姿になった。その眼光に捉えられるとルファの身体は動かなくなった。


───恐怖にギュッと目を閉じたとき、轟音と振動を感じた。


 その直後、強い力が自分を引き寄せ、包まれる感覚にルファが目を開けると、アルザークの顔が間近にあった。


 後方では仕掛けが解かれ、扉が開いていた。


「ぁ、ぁる……」


「無事か‼」


 上手く声が出せずにいるルファを見下ろしながらアルザークが尋ねた。


 こくこくと頷くルファを、アルザークは腕の中へ引き寄せた。


 無事であることを確かめるように。アルザークはルファを抱きしめていた。


 そして安堵するような吐息が、ルファの耳元で感じられた。



「この星は?」


 二人の傍で、美しい輝きを放ちながら浮かぶ光があった。


「これは真珠星といって、風の獣の力となる星です。狩られて操られていたのは、この星の力を妖魔が奪ったからです。この星を風の獣に返します。星の力が戻れば風の獣は星の泉を目指すはずだから」


 ルファはそっと手を伸ばし、重ねた両手で星を包んだ。


 するとどこからか懐かしい声が聞こえた。

 

……歌う声が。


(この声はラアナ⁉)


 そしてこの詩は………。


「この声はあいつか? 」


「アルザークさんにも聴こえてますか?」


「ああ。おまえが星霊主かもしれないと言っていた双子の片割れか」



「───ルファ、そして星護り。妾の声が聴こえるか?」



「ラアナ! 聴こえるわ」



「───やっと繋がったな。霊獣の携え星を取り戻してくれてありがとう。これでようやく風も流れる。でもあと一度だけ、ルファ。もう一度だけ力を貸してほしい、魔法力を」


「どうすればいいの?」


「星の泉まで霊獣と一緒に星路を渡ってきてくれ。風の獣が迷子にならないように。携え星をよく見てごらん、欠けてしまっているだろ」


 見るとルファの両手の中で輝きを弱めた真珠星は三日月のような形をしていた。


「不完全な力を霊獣に戻しても迷子になってしまうかもしれない。星とよく似た色の花が咲いている場所もあるからな、間違えて路を外れたら大変だ。おまえが欠けた星の代わりになって霊獣を案内しておくれ。星路の歪みを読み解いたルファにならできる。正しい路へ導くのじゃ」


(私が風の獣と一緒に?)


「真珠星の欠片を持つ者が星の泉に向かっている。その者からは魔占術の気配を感じる」


 それはきっとセシリオに間違いない。



「アル! ───奴が動くぞっ」


 一撃され気配が消えていた妖魔が再び動き出したことに気付いたレフが声をあげ、アルザークは片腕にルファを庇いながら聖剣を持つ手を構えた。


「レフ。ルファを頼む」


 合流したレフに向かって言いながら、アルザークの手がルファの背中を押した。


「アルザークさん⁉」


「さがってろ」


「でもっ」


 血のにじむアルザークの腕が心配だった。


「いつもと反対だな」


 アルザークはフッと目を細め、優しい眼差しをルファに向けながら言った。


「心配するのはいつも俺の方だった。でもおまえは何も心配しなくていい。今やるべきことを考えろ。風の獣を助けるんだろ? そうしたいと言ってたじゃないか。先に行ってろ、星の泉に」


「アルザークさん……」


「おまえならきっとできる。俺はそう信じてる。妖魔を片付けたら俺も後から行く。すぐに追いつくから心配するな。おまえの星護りを信じて進め」


「……はぃ」


 ルファは泣きそうになりながら頷いた。


 アルザークはルファの頭を優しく撫でてから背を向け、妖魔へと歩んだ。



「───ルファちゃん」


 傍に来たレフがアルザークの後ろ姿へ視線を向けながら言った。


「大丈夫だよ、アルは。妖魔が蓄えていた魔力は尽きようとしてる。本体の核になっていたような力も抜けてしまったようだからね」


 それは風の獣の星が体内から抜けたからとも考えられた。


「屍と残瘴気で繕った躰も脆くなっていたんだろうな。力を保つほどの魔力はもう残っていない」


 聖剣を構えたアルザークを前に、妖魔の動きは鈍くなっていた。



「レフさん。私、風の獣にこの光を返して、それから星の泉に連れて行きます。霊獣をここに止めておくわけにはいかないから」


「わかった。俺にも何かできることはあるかい?」


「この強い風に、これ以上お屋敷が壊されなければいいのですが」


「術で防壁をしよう。ほかには?」


「後でこれをアルザークさんと読んでください」


 ルファは上着のポケットに仕舞っておいたマセラの手紙を取り出してレフに渡した。


(ごめんなさい。アルザークさん、レフさん。本当のこと言えなくて)


 ルファは風の獣に向く前に一度だけアルザークを見つめた。


 銀色の輝きを放つ聖剣をアルザークが振るう度に、黒い塊となった妖魔が切り刻まれるように消えていくのが見えた。



 ♢♢♢



 風の獣に近付くルファの耳に、ラアナの歌声はまだ聴こえていた。


 ココアは嫌な感じのする旋律だと言ったけれど。


 よく考えたらこれは、歌というよりも詠唱のようだ。


 呪文の響きがあるから、妖種のココアは苦手なのかもしれない。


 けれど風の獣にとってこの歌はきっと路を示す力になるのだ。


 ルファは星の泉の詩を旋律メロディーにのせて口ずさむ。


 ラアナの歌声に重なるように。


 するとだんだんに風は弱まり辺りが静かになっていった。


 風の獣は金色の眼でじっとルファを見つめた。


 ルファはその前に真珠スピカ星を差し出した。


「受け取って。あなたの星だよ」


 人の言葉が霊獣に伝わるのかわからないけれど。


 祈り、願い、信じながら。


 ルファは言葉にした。


「暗闇から戻りし星よ。霊獣に宿り、輝きの力となって風を巡らせて……」


 風の獣は大きな口をあけ、輝く真珠星を吸い込んだ。


「ルファ! 霊獣に掴まれ!」


 ラアナの声にルファは幾重にも揺れるヒレに掴まり、その間から伸びる翅のような部分に足を掛けた。


 風の獣はルファを乗せたまま眩い光を放ち本来の姿を取り戻していく。


 鱗は灰色ではなく明るい月のような金色と白金プラチナの星色に輝いていた。


 そして瞬く間に部屋から抜け、外へ出ると天に昇った。


 その速さに目を開けていられず、じっと霊獣にしがみ付いていたルファだったが。


 動きを止めた霊獣の気配に気付き、そっと目を開ける。


 眼下に小さく星見師の邸が見えた。


 髪を撫でていく風が優しい。


 見上げると空を覆っていた厚い雲がゆっくりと動き出している。


 その隙間に。ルキオンの夜空に。星々が瞬いているのが見えた。


「ルファ、妾の歌声を追って来い」


「───はい!」


(でも、行く手にはまだ光が足りない)


 ルファは一度閉じた夜空図を魔法力で再び空に開いた。


 そうすることで、いくつもの星路の光が夜空を翔けた。


 向かう方角は北。星の泉へ繋がる路をルファは定めた。


「行こう!」


 すっかりおとなしくなった風の獣の額には真珠星があった。


 欠けている部分にそっと手を置き、ルファは呟いた。


「あの路の向こうに光の糧があるからね。それまで私が星の欠片の代わりになってあげる。───大丈夫、月星の輝きが導いてくれるから」


 導きの光を紡いで歌声に繋げながら進もう。



 隠れた光が戻るまで。


 眠りの空が晴れるまで。


 忘れた音が届くまで。


 「となりて導きゆく……」



 季節を運ぶ風の獣に、光の歌を聴かせながら星路を翔けるなんて。


 まるで〈風の詩〉のようだと思いながら、ルファは星の泉を目指した。








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