携え星
「は? 何のこと?」
「とぼけないで。私には視える。そして感じるわ、春風の獣の気配が。狩られたことで風は路を見失った。迷子になったせいで───いいえ、迷子にさせたせいで季節風が運べなくて、風が滞ってしまったのよ」
〈眠り夜空図〉と呼ばれる晴れない夜空の奇現象がこんなに長く続くのもそのせいだ。
季節の巡りが進まなくなってしまったから、ルキオンの空にはいつまでたっても本当の夜空図が……春の星空が現れない。
魔法力で星路を開いても風の歪みを治してあげなければ。
「だからなに? おまえに何ができる」
嘲笑うようにセティは言った。
「助けるわ。私が」
「助けるだって?」
セティはククッ、と笑った。
「風の獣にかけた魔術を君が解くとでも?」
「そうよ。言ったでしょ、私には視えるって。感じるって。だから隠さないで返して。風の獣の星を」
「な……んだと⁉」
セティが顔色を変えた。
「あなたは星の光を隠してる。風の霊獣にとってそれはとても大切な力よ。季節毎の代表星のことを『霊獣の宿す星』や『
季節を運ぶ役目を担う四季の獣たちは皆、季節毎の代表星を携えて星路を渡る。
冬の代表星〈オリオン〉は、もうかなり前からルキオンの空に現れていない。
イシュノワの記した偽りの星図には書かれていたが。
サヨリも言っていた。
オリオンは冬風の獣と一緒に星路を渡り、天へ戻ったのだろうと。
(星を携え、天へ帰る………)
季節を運びながら。星を巡らせながら。
春風の獣にも大切な宿す星が、携え星があるのだ。
ルファの大好きな『風の詩』の一節にもある。
『───美しい 星の瞬きをその身に宿し 世界の果てまで駆けゆける』。
そういえばマセラ様の予見では、詩が路を示す力になると───。
ルファの心によぎるものがあった。
けれど自分を取り巻く不穏な気配が増し、邪気を阻む術陣が弱まっていることに気を取られ、思考は中断する。
セティの攻撃に慌ててもう一度、魔法力の光で五芒星を描く。
霊獣に〈携え星〉を戻せば
狩られた風の救出は、奪われた星を霊獣に戻すことだ。
「あなたが隠した光が私には視える。春風の獣が魔力で眠らされていることも感じる」
セティは一瞬表情を歪めたが、ルファを見下ろす眼は妖しく細められた。
「それっぽっちの力で僕から奪えるわけがない」
ルファにはセティの身体の中で瞬くものが視えていた。
(あれはきっと春の代表星『
「どうした、星読み。ほら、取れるものなら取ってみろよ。もっと魔力を高めないと僕の力には勝てないよ」
(魔力を……)
魔法力には魔力に通じる力もある。
(使い分けが出来るほど、私はまだ魔法力の扱いに慣れていない)
落ち着いて。冷静にならないと。
こう自分に言い聞かせようとするのだが、術陣の力が弱くなっていることに焦りが募る。
アルザークたちと約束した時間も過ぎようとしている。
「ふふふ。何を焦っているのかな」
笑う声と赤い髪が揺れて、セティの身体が動いた。
「力を使うんだよ。魔力をもっと」
セティの膝下は足首まで形を成していた。そしてまだ繋がっている暗闇を引きずるようにゆっくりと歩きだした。
ルファは慌てて光の陣を描いた。
「無駄だよ、もうそれ効かないから」
セティの言う通り、ルファが操る光はセティの放つ強い邪気に消されていった。
「ねぇ。いいこと思いついた。交換すればいいんだ、僕の中にあるこの星と君の魔力を。……さあ」
差し出されたその手に触れてはいけないと思うのに。
ルファはセティに向かって手を伸ばしかけた。───そのとき、
「やめるんだっ。ルファ!」
(アルザークさん⁉)
「───ルファ、俺の声が聴こえるか?」
それは耳に聴こえるというよりも頭の中に響いているような感覚だった。
「───聞こえるなら返事をしてくれっ」
「聞こえますッ、アルザークさんの声が!」
返事をした途端、アルザークの姿が目の前にぼんやりと視えた。
半透明だが確かにその姿はアルザークで。ルファを真っ直ぐに見つめて話しかけてきた。
「ルファ、今すぐ魔法力を止めろ。セティは魔法力に含まれる〈魔力〉を吸収することで弱まった力を回復しようとしている。おまえがこのまま力を使い続ければそれだけ奴は───、」
言葉は途中でかき消され、セティの放った邪気が黒い影となってルファへ伸びた。
輝きは弱くなっていたが咄嗟の術陣で直撃は免れた。
けれど衝撃でルファは体勢を崩しそうになる。
「ルファ‼」
よろめいたルファへアルザークが手を伸ばす。その腕には赤く滴るものが見えた。
(アルザークさん、怪我を⁉)
アルザークが負った傷に驚きながらも、ルファは差し出された手を掴もうとした。
けれど視えるというだけでアルザークは扉の外にいるのだ。
結局、指先に触れるものは何もなく、そのまま倒れるように床へ膝をついたルファに、セティが迫った。
「おまえの魔力は僕のものだ!セシリオなんかに渡すものかッ」
セティの手がルファの肩へ触れようとしたとき、部屋の四方に仕掛けてあった術札から白い光が飛び出した。
光はセティの眼前を飛び交いながらその動きを阻む。
「────くそッ、あの術師の札か!」
セティはまとわりつく光を振り払おうと必死になった。
「今のうちに扉へ向かえ、ルファ!」
アルザークの声にルファは立ち上がり扉へと走った。
「ルファ、魔法力を止めるんだ。おまえが魔法力を使うことで仕掛けられた魔占術が働く。扉が開かないのもそのせいだ」
先ほどよりも耳に近くアルザークの声が聞こえるのは、この扉のすぐ向こうに彼がいるからだろうか。
「アルザークさん……」
「焦らなくていい。少しずつでいいから力を弱めるんだ。セティの魔力がまだ完全じゃない今のうちに」
「………アルザークさん。腕、大丈夫ですか?」
「心配ない。俺は今すぐここを蹴破ってそっちに行きたいが、罠が仕掛けられている可能性があるとレフに言われてる。………すまない、すぐに動くと言ったのに。怪我はないか?」
「ないです。───わかりました」
マセラの指示通り二つの標が揃う夜空図を描くことができた。そして天象図は完成し星路は魔法力により繋がった。
「この夜空図を一旦閉じます」
光が暗闇に戻るようにと祈りながら、ルファは室内に広がる星明りを少しずつ消していった。
「でも、私まだ……」
風の獣に星を戻して春風の流れを清浄なものにしなければ。
「風の獣のことが気になるのか?レフが気配を感じると言っていた。おまえもなのか?」
「はい……」
「風の獣を助けたいと思ってるんだな?」
アルザークの言葉にドキリとしながら、ルファは返事に詰まった。
「イシュノワたちの行方は判ったのか?」
「………はい」
星見師の行方よりも、狩られた風の救出が本当の任務であることは誰にも言えない。
「 風の獣のことは俺もレフも一緒に方法を考える。だがまずは無事におまえと合流してからだ」
「させるかぁッ───‼」
セティの叫びが響き渡った。
「力を止めたな! そんなに風の獣が心配なら会わせてやる! やつを眠らせて封じておく術は魔力を消耗するからな。放って暴れさせた方が楽だ。仕掛けた術を解いてこの鬱陶しい光を消してやる!」
白い光に抗いながらも、セティの眼は細く笑んでいた。
「あいつは……セシリオのやつは先読みを間違えたようだね。だって僕はあいつの言う通りにはしないから」
セティの足元を覆う暗闇が波打つように揺れた。
そして闇の中から邪気を孕んだ風が渦を巻くように吹き上がり、凍るような冷たい気配と共にゆっくりと何かが現れた。
それは暗い灰色をした巨大魚。───風の獣だった。
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