星の泉〈2〉


♢♢♢



 歌声のようなその音が空耳ではなかったと思えるほど近くに感じた瞬間、ルファの目の前が開けた。


 薄闇だったその場所が突然光に包まれたせいで目が馴染めず、軽い目眩が起こる。


 目の前に広がる銀色の輝きは水面の光だった。


 泉が湧いて小さな池になっているような場所だった。



「ルファ、あれ見て!」



「あの子は……」



 それは不思議な光景だった。


 泉の中央、水面の上に少女が一人立っていた。


 浮かんでいるような感じだ。


 背を向けているが、その姿は確かにルファが迷子だと思い、追いかけたあの少女の風貌によく似ている。


 腰より長い琥珀色の髪が水面から立ち上る光に反射して金色に輝いていた。



「誰じゃ?」



 少女がゆっくりと振り向いた。


 闇色の瞳がじっとルファを捉えた。



「ほう。おまえは妾が見えるのか? ───ふむ、おまえ星読みだね? 白粉で上手く隠してるようだけど妾には視える。おまえの額の星印がな」



(隠していた星印が見えているなんて。この子はいったい……)



「気をつけてルファ。あいつ、人間じゃない」



 肩の上からココアの緊張が伝わる。


 警戒心むき出しで、ココアはルファの肩に爪を立てていた。



「ココア。いきなり飛びかかったらダメだよ。私がお話してみるから」



「お、お話っ⁉って、ちょっとルファ!」



 水面の輝きが泉なのかどうかもルファにはよくわからないが。水面の手前、自分の足元にはまだ固い地面がある。



 もう少しだけ前に進めそうだと考え、ルファはゆっくりと歩きながら少女に尋ねた。



「あなたはここで何をしているの?」



「おまえ達こそ何をしている?」



「私たち、迷子になってしまったみたいで。ここは彷徨いの森だと思うのだけど。でもあなたはなぜ水面の上を? なぜ宙に浮いてるの?」



 なにもかも不思議だった。



 不思議でたまらない光景はルファにとって追求心となって膨らむ。


 恐怖心よりも勝ってしまうのだ。


 少女は何も答えることなくルファを見つめ、そして言った。



「どうやらここに歪みを与えたのはおまえ達ではないようだね」



「ゆがみ? ……あの、歌を唄っていたのはあなた?」



「うた? そうか、歌に聴こえたか。あれは数えていただけじゃ。星をな、数えていたのだ。ほら、ここをよく見てごらん。星読みならば視えるだろ」



 少女は自分の足下を見つめた。


 ルファも同じように泉の中へ視線を向けた。



「えっ、星 ⁉ そんなっ、これは……」



 まるで星空がそのまま泉の中に落ちたような光景に、ルファは目を見張る。



(まるで夜空図だ。でもこの星図は───)



 ルファは星の配置を読んだ。


 チカチカと瞬く中にある色星イロボシ彩星サイセイ


 金や銀ではない色を持つ星のことだ。


 広がる水面の底に緑と赤の星が視えたことでルファには判ることがあった。


 これは春の星図。今この時期に一番近い夜空図の一つだ。


(もしかして。これは空が眠り夜図ヨズでなかったらルキオンの地上から見えていたかもしれない夜空?)



 ルファは思わずその水面に触れてみたくなった。



「これ、触るでない。引き込まれて境い目に落ちたらどうする。いくら魔法力を持つ星読みでも戻れぬぞ」



 慌てて手を引っ込めたルファを見て少女は笑った。



「ここは人には知られてならぬ場所。彷徨いの森で迷う人間はいても、星の泉には誰も近寄ることはできない。我等が結界を張るのでな」



「あなた……。あなたは……あの、よく御存知なんですか?この森を。この森が持つ意味を」



「ああ。よく知ってるよ。森のことも泉のことも。星読みのこともね」



「だったらあの、私の質問に答えていただけませんか?」



「質問?」



「私は奇現象である彷徨いの森が〈眠り夜空図よぞらず〉との関連性を調査するためにこの地へ来ました。でももう何日もルキオンの夜空図が読めません。だから調査も進まなくて、八方塞がりで。知りたいことはたくさんあるのに」



「知ってどうする。おまえ、妾が怖くないのかい?」



「怖い感じはしませんよ。とても綺麗だとは思いますけど」



「これは愉快。人ではあるがさすがに星読みじゃな。おまえ、名前は?」



「ルファ・オリアーノです」



「気に入ったぞ、ルファ。以前から星読みに逢ってみたいと思っていたが、妾にとってそなたが初めて目にする星読みでよかった。妾の名はラアナ。ここで逢えたのも何かの縁じゃな。全て話すとは言えぬが教えてやってもよい。但し、条件は付くぞ」



「ダメだルファ!」



 ココアが叫んだ。



「話に乗るな。こいつ絶対とんでもない条件付けてくる気だぞっ」



「ルファ、妾は星読みの魔法力とやらを見てみたい」



 こういうと、ラアナはすぅーっと水面を進みルファの目前で止まった。



「その力、星を読み解くだけではなかろう」



「おまえっ、ルファに何させる気だッ」



「ふむ、そうじゃな。妾は美しいものが好きじゃ。おまえのその星屑のように美しい白金の髪を少しと、この泉から湧く光を紡いで妾に綺麗な腕輪を作っておくれ」



「腕輪ですか? でも私、そういうの作ったことないんですけど」



「光を紡いだことくらいあるだろ」



「はい、一度だけ。祝福を得た日に儀式の流れで老師衆に教わりましたけど。でも掟で禁じられてて」



「妾が許す。やってみるがいい」



「はぁ……」



「ばかルファ! 騙されんなっ。身体の一部を捧げるなんて! もしもこいつが妖魔と通じてたらどうするの! 支配されちゃうよっ!」


 もう我慢ならないというように、ココアはラアナに飛びかかろうとする姿勢になった。



「待ってココア。お願い、我慢してて」



 ルファは肩の上のココアを優しく制して言った。



「ラアナは妖魔とかそういうのじゃないから」



「もーッ。なんでそんなに落ち着いてられんのさっ。……ルファ、もしかして判るの? あいつが誰なのか」



「ココア、私は星読みだよ。月星の祝福を得て、人には無い魔法力を授かった者だから。普通の人が知らないことでも星読みにだけ解ることもあるの。ラアナはね、人ではないけど妖魔に通じてもないよ。ココアが心配するほど悪い子じゃないから大丈夫よ」



「ルファ……」



 ココアは一瞬、何か言いかけてやめた。


 そして仕方ない、というように首を竦めた。



「さあ、どうするのじゃ。交換条件を受けるか?」



 ルファは少しだけ考えた。



 星読みの魔法力は、夜空を読み解くだけではない。


 これを知っているのはごく一部の人間だけだが。


 魔法力には微力だが魔術に繋がる力もあった。




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