星の泉〈1〉




 彷徨いの森は歩くにつれ闇が迫ってくるように思えた。



「お腹すいたわね。少し休もうか、ココア」



 腰掛けるのにちょうど良さそうな木立の隅に、ルファは腰を下ろした。



 斜め掛けの鞄から街のパン屋で買った干しぶどう入りのパンを取り出す。



「悪いけど、あたいは食欲ない。あんたってばよくこんな所で食べれるわね」



「だって、歩けばお腹は減るものよ」



「あたいはあんたの肩で楽してたから減ってないの。よかったらあたいの分もあげるわよ」



「ほんと? 遠慮なく食べちゃうわよ。でも、焼き菓子は残しておきたいの」



「なんで?」



「これはね、宿館でアルザークさんを誘って、午後のお茶の時間に出そうかと思ってたお菓子だから」



「げーっ。あいつとティータイム⁉ 絶対あたいを誘わないでよ! それに死神が菓子なんか食うかよ。断るに決まってるわ」



「あら、どうして?」



「だってなんか似合わないしさ。それにルファ、あんた絶対嫌われてるぞ、あいつに」



 んー、確かに。と一瞬、思ってしまったルファだったが。



「だから少しでも歩み寄りたいと思ってるんじゃないの。それに私、なぜアルザークさんに嫌われてるのか判らないもの」



「嫌いというよりもルファのこと苦手なんだと思う」



「苦手? ますます判らないわ」



 千切ったパンを口に運びながら、ルファは考える。



 第一印象は「恐そうな人」だった。けれど星が導いた相手なのだ。


 恐ろしい通り名や噂など、ルファにとってはどうでもいいことだった。


 無愛想で口数も多くはないけれど。


 出逢ってから今までの態度や接し方からは、ふざけたところもなく誠実さは感じられる。



「────にゃ ⁉」



 突然、ルファの肩の上でココアがピクリと頭を上げた。



「ココア、今何か聴こえた」



「うん。聴こえたけど……」



 ココアは髭を震わせ、可愛らしい耳をピクピクと動かせた。



 視線の先には闇の広がりがあるだけ。



「行ってみよう」



 ルファは食べかけのパンを鞄に仕舞い立ち上がった。



「なんだかいい感じはしないよ、ルファ」



「でも聴こえた。今も聴こえるわ」



 例えるなら、それは歌うような声だった。



 甘いソプラノ。少女のような歌声。



「ルファ、身の危険を感じたら〈魔法力〉を解放して護身術程度には使ってよね」



「わかったわ」



 ルファは微かに流れ来る音の先に向かって歩き出した。




♢♢♢♢♢



 ラウルと名乗った少年は、まるで獣のような機敏さで森の中を進んで行く。


 見失わぬようにアルザークは後を追いかけながら考えていた。



 尋ねたいことは山程あるが。


 けれどその質問に少年がひとつひとつ丁寧に答えてくれるとは思えなかった。


 そして不用意にこちらも口を開かない方がよいと感じた。



「ちょっと休憩させて。さすがだね、お兄さん。軍人なだけあって基礎体力が出来てる。僕の方が息あがりそうだよ」



 ラウルは足を止め地面に座ると空を仰いだ。



「おまえこそ人間の子供とは思えない走りだったぞ」



 アルザークの言葉に、ラウルは肩を竦めて笑むだけだった。



「ここが彷徨いの森だと言うのなら果てがないと聞いている。一体どこに向かっているんだ」



「星の泉。ほんとはあんまり喋ったらいけないんだけど。星護りにならいいかな。

 僕らはいつも昼間は動かない。昼は眠って夜に移動するはずだったのに。それがどういうわけか真昼にこの森が現れて。これはどこかが歪んで境い目に影響が出たと気付いた」


「境い目?」


「そう。天と地の境い目。この彷徨いの森はそんな境域の一部なんだ。僕らはここでこの時期、決まった儀式を行う係」



「かかり? もっと判るように説明しろ」



「でもそろそろ行かなきゃ。森が前より歪んできてる。一箇所に長く居ると辿り着くのが遅れる。この歪み、たぶん誰かがわざと歪ませたと思う。急がないと遠くなる」



 少年の闇色の視線が、何かを見分けるように動き一点へ向いた。



「視えた。この先だ」



アルザークには前後左右どちらを向いても同じ、暗く深い森の広がりが見えているだけだった。



(やはりこいつ、人ではないな)



 案内してくれるとはいえ、この少年に対する警戒心を解くわけにはいかない。



 いつでも剣を抜けるように、アルザークは慎重に後を追った。



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