四章(急)・32
「あなたの手助けをしようと、邪魔をしてきた、異世界公安の女に、ちょろちょろしていた餓鬼共も。最後の最後で血迷った、裏切り者の天使も。あなたの大切なお友達を、たくさん。それでも――それでもまだ、同じことを、私に、言える?」
ねえ、たなちゃん。
歪な表情。
否定を待ち望む挑発。
そこに、
「君が犯した過ちは。僕が、君を見捨ててもいい理由には、ならない」
「――――え、」
「それがどうした。ああ、それがどうしただよ、ハルタレヴァ。その全てが事実でも――僕が、君を、許せないほど憎くってもッ!!!! それがどうして、君の本当の悲しみが、蔑ろにされていろってことにならなくちゃあならないんだッ!!!!」
「…………何を、言ってるのよ、あなた」
「そんなの! 僕だって、知るかッ!」
「は、」
「わかんないんだよ、自分だって! 悪いか、どうせ人間だっ! あんたら神様と違って、いつも無様にもがきっ通しだ! そうだ、昔からずっと、君は、僕の、憎たらしさの象徴で、最低に苛立つ対象で、面倒臭くてしょうがなくて、ちっとも好きになんてなれなくて――――でもッ!!!!」
叫ぶ。
その眼に。
浮かぶ、涙。
「こんなことになってたって! いつも僕をからかう裏で、どれだけ悲しんでいて、どうしてこうなっちまう前に、気付いて止めてやれなかったんだって――――本当に、本当に本当に本当に本当にッ!!!! 悔しいぐらいには、愛着があったんだろうが、馬鹿野郎ッ!!!!」
浴びせかけられる、感情。
それは、これまで、彼女が――――世暦以来の三百年も、それ以前の時代でも、受けたことの無い、文句。
「ふざけるなよ、くそッ! こういうことにならない為に、悩んでいる神様を助ける為に、僕は、異世界転生課に入ったんじゃないのかよッ!!!!」
こんな時代、だからこそ。
起こったのであろう、場面。
異世界和親条約。
創造神と、
公務員。
「――――はじめて、だわ」
呆然と、神様が言う。
「あなたのことが。こんなにも、わからないと思ったの」
「ですよね」
声が、聞こえて。
「田中さんは、そういう人なんです」
殻が、割れた。
そのような、変化だった。
「――――な、」
その役割を終え――薄れるように消えていく、【天岩戸】。
外壁に押し付けられる体勢だった田中は地面に落ち、ハルタレヴァももつれるように転びかける。
そして、見る。
現れた――【葬世神】でも、【創造神】でもない、
その二つの【
だが、それではない。そこだけではない。
ハルタレヴァが、息を呑んだ理由は。
「……そう。最初から、そういうことだったわけね」
女神の周囲。
傷一つなく無事の、しかし、意識を失った状態で眠っている、工藤、藤間少年以下十二人の子供たち――天使。
「ずっと、私に、完全に掌握されてなどいなかった。操られたふりをしてきっちりと、従えないところには従わなかった――壊しちゃあいけない、救わなきゃいけないものは、守っていたと。第三層の連中も、もう、戻るべきところに帰しているってところかしら」
「――――」
「……ああ。その眼、本当に、厭らしい眼」
ハルタレヴァの眼が。
再び、熱を帯びる。
濁り。
澱み。
とろけた、熱を。
「私の願いは、もう叶わない。【異世界和親条約】なんて、【世暦】なんて勝手に決めた、忌々しい【連盟】の奴らに、思い知らせてやることは」
「は、ハルタレヴァ、」
「でも」
未だ衝撃の影響が抜けない、田中の腹を踏みつける。
くぐもった悲鳴が漏れる。
「あとひとつだけ。やれちゃうことがあるようだわ」
あなたに。
あなたに。
あなたにも。
せめて、
精一杯の、
「わたしと同じ苦しみを――味わうがいい、アンゴルモアッ!!!!」
その足が。
荒ぶる神の激情が。
ちっぽけな人間を、この世から永遠に失わせようと――
「【
する、
よりも、
「【
早く、
深く、
高らかに。
「【
世界が、
変わった。
「――――――――――――――――――――――――――――――――あ、」
その中で。
彼女に、大創造神にして――荒御霊たるハルタレヴァに、あらゆる暴力性を、凶悪な衝動を、醜さを保っていることは、不可能だった。
何故ならば。
そうしなくていい理由が、ここには皆、揃っていた。
与えられることで。
ハルタレヴァは、狂乱を欠いた。
「――――これは、…………ここ、は」
忘れもしない。
そんなわけがない。
今。
目の前に広がっている、風景は。
穏やかな自然と、懸命な人々が、精一杯にその在り方を謳歌する、素朴で、丁寧で、特出しているとは言えずとも、けれど、けれど、ああ、けれど――
――心の底から、愛した世界。
彼女が、その手で、創った世界。
「覚えています」
村を一望出来る丘の上でへたりこむハルタレヴァの、その隣に彼女は立つ。
すっと、寄り添う。
「あなたの世界が、あなたの子らが、どのように美しかったのか。輝ける日々を生き、素晴らしさを生み出し、どんなに愛おしいものだったのか。それを、あなただけじゃあない。この世界の最期を看取った私もまた、ずっと、抱えて、弔いながら――未来に連れて、生きていく」
「…………アンゴルモア、」
「もう、その名ではありません」
屈み込み、
その手を取る。
「新しい私を育てて下さったのは、あなたです。おかあさん」
「――――――――は、」
「私から、全て奪うため。それでも、その為に、天使を通して、私に色々なものを与え、私の心を育ててくれたのに、なんの変わりがありますか」
女神は、言い切る。
微笑んで。
「だから、当然です。私は、あなたを愛します。その幸せを望みます。――あなたの世界に、かつてあった、六十万の命と同じように。私もまた、ハルタレヴァの子なんです」
何を。
考えていいのか、わからない顔。
何もかも、突然過ぎて。
からっぽになった、心。
だから。
そこから染み出してきたそれは、きっと、真実だと言えるのではないか。
ずっと、ずっと。
三百年間、怒りと苦しみと悲しみと憎しみと、そうしたもので自分を満たすしかなかった、自らの世界と命を愛しすぎていた創造神の。
終わりと。
始まりから溢れた、雫。
くしゃくしゃに潰れた、表情。
「もう自分の願いは叶わないなんて、もう楽しいことは何もないみたいな、そんな悲しいことは言わないでください。あなたが生きるのは、【あなたの世界】だけじゃない。これまでやってきたことが、全部嘘や無駄なんかじゃない」
「、」
「異世界中の人々が、あなたに惹かれて、大好きで――私だって! 田中さんと頑張ってきた間中、大創造神ハルタレヴァを、尊敬して、大ファンで、ライバルだと思って、勇気を貰ってきたんですから!」
「、……っ、!」
「また。あの楽しいライブを――あなたも、心から笑えていた時間を、見せてください。ハルタレヴァさん」
「……う、」
「今、ここで。全部の悲しみを、出し切った後で」
「うう、」
「あなたの怒りも、苦しみも――――わたしがきちんと、受け入れます」
「うぁぁあぁぁぁあぁぁぁぁああぁああぁああああああんっっっっ!!!!」
そうして。
あらゆる感情が綯い交ぜになった涙を、創造神は止め処なく流し続ける。
かつて在り、そして終わった世界への、決別と、清算の――葬送の、涙。
荒ぶる御霊が、鎮まっていく。
神の涙は風に乗り、六十万の墓標の、その全てを等しく塗らしていった。
「――――敵わないなあ、まったく」
その結末を見届けながら。
今回、あまりに似合わない大立ち回りを繰り広げた人間風情は、最後の解決の、最もいいところを掻っ攫われて、
「やっぱ、凄いな。神様ってのは」
けれど。
さほど悔しそうでもなく、ただただ満足そうに、
「これだから。どうにも嫌いになれないんだよ」
笑って、
笑って、
何の心配も無く、
眠るように、眼を閉じた。
「つかれた」
依頼者――甲、【異世界公安】。
対象神――乙、【大創造神ハルタレヴァ】。
【異世界侵食性荒御霊慰撫委託業務】、これにて完了。
【第四章・急、了】
【続――――エピローグ】
【田中さんと女神様】
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