四章(急)・31



 ――昔、尋ねたことがある。


『んふー。いいじゃないのいいじゃないの。最初はどうなることかと思ったけど、っふふ、さっすがわたしが見てるだけあって、腕を上げてきたじゃないの、たーなーちゃんっ。うんと褒めてあげるし太鼓判もつけてあげる、これならそう、将来のきみのお嫁さんになる子も大満足だねっ!』

『は。そいつぁどうも』


 高校からの帰り道。

 突然に呼び出された市内のホテルで、いつものように作らされる、まかないめいた即席の一皿。

 そこいらで適当に見繕ってきたという旬の野菜をふんだんに盛り込んだ焼うどんを、ぱくぱくと平らげていく。


『なあ』

『んー?』

『あんた、もっと上等なモンも食えるはずだよな』

『だねー』

『いっつもいっつも時間が無くて、そこかしこの異世界に引っ張りだこなんじゃあなかったっけか』

『自慢だけど、今日もこの後からびっしり予定は詰まってるねー。歌に踊りのお稽古でしょー、取材に講演会、慰問に撮影、今度ライブをやるとこの異世界転生課の人との打ち合わせに、それからわたしの世界で月イチの感謝祭があるからその準備もしなくっちゃ! きゃーっ、ハルちゃんってば人気ものーっ☆』

『……その人気者が。どうして、俺なんかに、……自分を殺しに来た奴に、わざわざ、料理なんか仕込みに来るんだよ』

 

 箸が止まる。

 きょとんとされる。


『なんでかな?』

『ぅおいっ!?』


 んー、と首を傾げられる。

 恐ろしいことに、本物の反応だった。嘘でも冗談でも無かった。


『あれー、おっかしいなー、最初のほうはこう、“徹底的に弱みを握った餓鬼を使って表ではとても出せないアレコレを自在に発散してやるぜウッホヒ”とかって考えてたはずなんだけど、どうして私たなちゃんにご飯とか作らせてるんだろう……?』

『……おい。もしかして、創造神って誰も彼も、こんなアホなんじゃねえよなあ……』

『失礼な!』

『だよな!』

『侮ってもらっちゃ困るね! 神様のいい加減さが、人間に理解出来る範囲で留まるわけがないんだよ!』

『なんっで俺はこんなのに負けたかなあ!!!!』


 頭を抱えて絶叫する、制服の上にエプロンをつけた高校生に、大創造神は『ああ』と思い出したようにぽんと手を打つ。


『そうだ。それだ』

『……あん?』

『きみが悪いんじゃない、たなちゃん』


 要領を得ない。

 眉が寄る。

 神様が、笑う。


『きみが、あんまりにも無愛想なもんだから。生き辛そうで生き難そうで、息苦しそうにしてるから――まるで、手のかかる子供だったから。それどころじゃなくなっちゃったんだ』

『、』

『大したものよ、まったくもう。この大創造神に、世話を焼かせてくれるなんてさ』


 仕方なさそうに言いながら、

 彼女は、箸を置く。

 すっかり空になった皿に、

 ぺこりと。

 この国の流儀で、頭を下げる。


『ごちそうさま。おいしかった。――――さて、あれから三年、これぐらいちゃあんと出来るようになってきたんなら……大学進学も立派に決まった今のたなちゃんになら、そろそろ、本来の遊び相手になってもらうのもいいかもね』


 取り出された箱。

 それが、彼女から彼への、祝いの品だと知って。

 思わず。

 普段は絶対言いはしない、胸中の本音が零れ出た。


『――――あの時は、ああ言ったけどよ』

『うん?』

『……最近の、あんたの歌は、その。…………そこまで、嫌いじゃあない。前よりずっと、暖かくなった気がする』


 その瞬間。

 満面の笑み。


『ふふ。ありがとね、たなちゃん。だけど、だけどね。私は、あたりまえだと言っちゃうよ? ……なんてったって、アイドルは! 常に、その時代の、ファンたちの、願いと、祈りと、望みに合わせてっ! いっちばん欲しいものを、さいっこうのクオリティで届けられるように、進化していくものなんだからねっ!』

 

 喜びと、誇らしさと、達成感と、満足感。

 星屑が散りばめられた夜空を、丸ごと手に入れたような表情。


 それが。

 田中が、大創造神ハルタレヴァと付き合ってきた十四年の日々の中での、最も印象的だった一幕。


 そして、

【神々への憎しみ】を、決定的に薄めることになった出来事だった。


「――――どうして」


 その、彼女が。

 いつだって身勝手で、揺るがない自信を持って、何にも臆さず、堂々と、あらゆることに向き合い続けていた、

 ハルタレヴァが。


「どうして、こんな目に合わなくちゃいけないの」


 ぽろぽろと。

 外見通りの少女のように、泣いていた。

 自らが首を絞める田中の頬に、ぽたり、ぽたり、雫が、垂れる。


「なんで――【世界】は、こんなにも私に、冷たくするの?」


 願ったものは得られない。

 望んだものは奪われる。

 祈りは決して届かずに、

 努力は狗に阻まれる。


「他には何も要らない。それしか欲しくない。それだけでいい。たったひとつくれたのならば、私はそれで、満足できた」


 なのに、

 なのに、

 なのに、

 なのに、


「どうでもいいものばっかり与える癖に。本当に必要だったものだけは、いつだって、こうやって、遠ざかる」

「――――悲鳴だ」


 僕は。

 それを聞いた、と彼は言った。

 その首を絞める手が、ほんの僅かに、緩んだから。


「第四層に、至るまで。その本心へ触れるまでの道、それを覆う殻は、ハルタレヴァ、あなたが自身から欠き、切り離してしまった夢であり、尽き果てぬ嘆きそのものだった」


 第一層、【求愛の灯】。


「たったひとつの魅惑に抗えず、その為にならどのようなこともやってのけると、あなたは欲に失望した。そして、自らが行おうとしている【破滅】もまた、その流儀に沿う相手に相応しい罰で、正しきものだと肯定した」


 第二層、【常春の夜】。


「記憶こそがあらゆる苦悩の原因で、徹底した放棄こそが本当に人を幸せにするのだと、あなたは心を悲観した。そして、【忘れず、覚えて、憎しみを絶やさない】ことが愛情と誠実の証明だと、自身を縛り、追い込んだ」


 第三層、【満願の園】。


「神が何もかもを与えれば、誰も自分自身で何かをしようとは思わなくなると、あなたは人に落胆した。そして、【自らの目的は自らで成し遂げなければ意味が無い】と、環境に囚われた人々を見る度に思い詰めていった」

「知ったふうな口を叩くな」

「知ってるさ」


 掠れた息で、

 それでも確かに、


「ずっと、あなたのことを見てきたんだ」


 正面から。

 彼は、それを、伝えた。


「けれど、そうだ。そうなんだ。僕が出来るのは――所詮、ここまででしかない」


 田中は言う。

 あなたの苦しみは。

 あなたの悲しみは。

 本当に理解出来るのは、自分自身しかない、厳しいもので。

 他の誰にも、本当にそれを取り除くことも、闘うことも出来ないのだ、と。


「誰かを、誰かが、支える時。もう片方に出来るのは、せめて、力を貸すことだけだ。その、貸された力を、どう使うのか。正しく使えるのか、迷わず使えるのか――使うという気になれるのか、何もかも、その本人しか、決められないし、選べない」

「あなたが? わたしに?」

「僕が。君にだ、ハルタレヴァ。それが、なにか、おかしいか?」


 言い切った。

 そこに、微塵の躊躇も無く。

 一切の加減も、出し惜しみも無く。

 田中は。

 大創造神ハルタレヴァの味方であると、宣言した。


「――――まあ。君の、君が望み、望みだと思い込んでいるほうに、そのまま手を貸すとは、限らないけれどね」


 明らかな強がりで。

 苦痛に顔を歪ませながら語り、

 そして、


「殺したわよ」


 ――おまえの。

 大切にしていたものを、わたしは既に、壊しているぞ、と。

 人間のくだらない偽善に、錆びた刃物を突き立てるように。

 ハルタレヴァは、嗜虐と悪意と否定で湿った、どこまでも歪な表情で笑った。


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