四章(急)・30



 美しいものがあった。

 輝けるものがあった。

 素晴らしいものがあった。

 愛おしいものばかりだった。

 だから。

 当然だな、と彼女は思った。


『何が?』


 自らの罪。

 憎まれること。

 償わなければならない、弔わなければならない、悔やまなければならない、頭を上げてはならない。


 幸せなど。

 生涯、夢に見られない。


『全部、命令されてやらされたことで、もう、自分でも思い出せなかったのに?』


 だから、余計に罪深い。

 この手は。

 この眼は。

 自分が葬ってきたものを、今の今まで、忘れていた。


 否定するより惨酷に。

 何もかもを、【無かったこと】のように扱ってきた。

 三百年の間。

 片時も忘れなかった者がいる程の、激しい悲しみを。


 ――時折。

 自分でもどこから来るのか理解出来ない【劣等感】、正体の知れない【無力感】を――【凄過ぎて今の自分には及びもつかない】のとは決定的に異なる寂寞を、別の世界を知る度に覚えてきた。


 今となっては、その理由など明白だ。。

 他者が積み上げた、憧れるほどの【熱】。

 生み出された者たちとの間に、築かれていた【絆】。


 二度と取り返しのつかないものを、数え切れないほど台無しにしてきた自分は、もう、誰にも許されることが無いし。

 どれだけそれを尊いと感じたところで、そこに手を伸ばすのは何よりもおこがましいのだと、きっと、無意識に理解していたからこその感覚だったのだろう。


 その。

 見ないようにしていたものが、ついに、目の前に突きつけられた。

 大創造神ハルタレヴァという形で。


『だから、償おうと思ったのか』


 正しいことかどうかなんて、わからなかった。

 まずいことになるだろうと、わかってはいた。


 それでも。

 あの眼を見た。


 怒りを見た。

 嘆きを見た。

 祈りを見た。

 願いを見た。

 それを、放っておくことは出来なかった。


『真面目だなあ』


 いや。

 きっと、不真面目なのだろう。

 結局、逃げたのと変わらない。

 怖がったのと、何も違わない。


 真正面から向き合う勇気が無かったから、争わずに従った。そうするほうが楽だから、【償い】という餌に飛びついた。

 本当は。

 もっと、もっと――どうにかなる道を、探すべきだったのに。


『それが、どんなに辛くても?』


 もう。

 自分が、どう思われようと、構わない。


 誰かに。

 嫌われたくなくて。

 恨まれたくなくて。

 好かれたくて。

 愛されたくて。


 そんな我儘に、逃げていてはいけないのだろう。

 それを知った。

 ついさっき。


『彼か』


 彼だ。

 彼は、来た。

 自分の身を、省みず。

 憎しみを受けようと。

 本心で忌まれようと。


 相手に。

 痛みを与えることを、厭わなかった。

 悼みが。

 過ぎれば己を滅ぼすと、伝えに来た。


 つまり、彼は。

 あの、ちっぽけな人間は。


 神様を、救いにきたのだ。


『身の程知らずだ』


 そうかもしれない。

 でも、それは。


『愉快な、話だ』


 心が、躍る。


『そうか。そうだったんだな。簡単なことだったんだ』


 最初から。

 わかっていたことだった。


『神が、人を救うように――神だって、人に頼れば良かったんだ』


 だって、それが、


『異世界和親条約。神と、人の、その距離が――近しくなった、新時代』


 風が吹く。

 硬く塞がれ、閉ざされていた概念に、開いた穴から、吹き抜ける。

 その冷たさに、厳しさに、けれど、悲しむばかりのことではない。

 嘆いてばかりの、ものでもない。


『知らないことが起こるってのは、中々どうしていいもんだ』


 それを、希望と呼ぶのだろう。

 それを、未来と呼ぶのだろう。

 楽しみと。

 期待と呼べば、いいのだろう。


『なら、もう、わかってるよな』


 歴史に曰く。

 天岩戸から、天照大神がその顔を覗かせたのは――

 

 ――うんざりだと思っていた外が、あまりに面白そうだったから。


「さあ、行ってこい。本当に手のかかる――自分の、二人目の神様よ」

「ありがとう、“    ”」


 その。

 囁かれた言葉を、最初、彼女は、きょとんとした。

 何のことだか、わからないようだった。

 そうした様子に、女神はおかしそうに


「約束、したじゃない。次に会う時は――感謝と、名前を送るって」

「――――ああ。そうだったな、そういえば」

「あー、もう、忘れていたの?」

「はは。忘れたい、と思ってた」

「大丈夫だよ」

「、」

「私が、ずっと、覚えているから」

「……そう、か。それが、貴女の、答えなんだな」


 泣き笑いの顔に、

 後光が、差した。

 天使の、その背後から、日が昇る。

 暗闇の中の世界が、眩しく染め上げられていく。


「もう一度言うよ。――貴女のことが、大好き」

「今ならば言える。――自分もです、我が女神」

 

 手に手を取って。

 光の中で。

 三百年を共に過ごした友人は、目を合わせて、心の底から笑い合った。


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