四章(急)・21
ふらり、と女神が何処かへ行くことが増えた。
無論、何処か別の異世界、ということは無い。
そのような発想を彼女は持ち得ないし、また、天使も注意して、与えぬように振る舞ってきた。万が一にでもそんな場合になれば、折角の仕込みが台無しだ。
基本的にその役割は監視を兼ねるので、天使は女神の帰りが遅い時には、異世界転生課を出て探しに行く。
直接的な創造/被造の関係には無いが、創造神たる女神の力を以てすれば、念話の経路増設、座標情報等状態把握の錨を打ち込むのは容易い。互いの同意の下、オンオフの決定権はどちらも自らにあり、通信も相手の都合次第という条件で、天使と女神は繋がりを持っている。
無論、女神を弄ぶバリエーションを増やすにの、【本当の主】たちの差し金で。
だから、探しに行くというよりは、実際には何処にいるか知っている相手を迎えに行く、話をしに行くというのが正しい。
迂遠にだけれど。
これは、不器用で、何も知らない彼女なりの、コミュニケーション手段の一環なのではないだろうか、と、天使はふと思った。
最初には、無かったはずの機能。
つまり、
天使との出会いで生じた――ハルタレヴァたちも意図していなかった、
「夢、ですか」
その日の女神は、小高い丘……と、呼べなくもない、ただ地面が一部が盛り上がっただけの、座れば不快なほどに堅い白色の物質の上に座り込んでいた。
普通であれば。
こういう高い場所というのは、風景を眺めるに最適であったりする。
けれど、この世界でそんなものを求めるのは虚しい。
代わり映えもない。
見出せるものなどない。
そのように教え、そのように誘導した。
【ひたすらに誰も来ない空間を、誰も行きたいと思えないような異世界を無意味に創らせ続けること】。
それが、ハルタレヴァを代表とする見物客たちの求める大原則だったから。
「素敵ですね、それは」
このように何も無い場所で物好きだな、【純エーテル】などという猛毒の満ちる世界では、人間の脆弱な殻を被り純度が落ちた分霊ではない本体の神か、その手による第一次被造物でない限り一瞬にして【滅菌】される為、やれることなど知れているか、逃避に走る以外することがないのだな――そんな本音を、無論、天使は口に出さない。
最初から完成されていた、そのように創られた、嘘偽りの笑顔――誰が見ても自然でしかない柔らかな微笑みを、完璧に浮かべる。
「一体、どのような? 今後の参考に致しますので、是非、この天使にもお教え頂ければ」
当然、【苦しめ方】の参考だ。
それを聞き出せば、ハルタレヴァもお喜びになる。あの方は、本当の主は、そういった【相手をどう調理するのか】が、【どのように欲望に付け込むのか】を考えるのが、それこそ並外れて巧い。
だから、だろう。
天使の意見は今まで一度として求められたことが無いし、ほんの少しでも役に立てばと思い、かつて一度だけ、自分なりの【やり方】を口にした時は、静かに、しかし深い怒りを以て窘められた。道具の分際で使い方を囀り出すとは、主よりも優れたつもりか――そう言われ、天使は自らの思い上がりを恥じた。
身の程を弁えること。
自分はまさしく、それを偽りの創造神に与える為にいるというのに。
「我が女神。自分は、貴女の味方ですから」
「――ここにね。私の世界に、いっぱい、いっぱい、お客様たちが、来てくれて」
そして、と笑う。
隣に座った。天使の目を見て。
「あなたが、しあわせになる夢」
「…………………………………………、え?」
全てが、演技だった。
何もかも、順当だった。
「気付いたの。遅過ぎるぐらいだけれど。私の、私が住む世界は、創っていく世界は、もう、私だけのものじゃない。貴女がいてくれる場所なのだから、貴女が教えてくれた世界のなのだから、私が満足する前に、貴女が楽しくなくちゃいけないよね」
純朴とは無知。
疑いを知らぬは阿呆。
だからまんまと付け込まれる。自分で考えたつもりでも、他者の意図した結果に過ぎない。
「ねえ、天使。私、聞きたいわ。私、とっても知りたいの。あなたなら、どうする? あなたは、何が欲しい? あなたへの、感謝は――この愛おしさは、一体、どうやったら、ちゃんと伝えられますか?」
計画は、成った。
この台詞を引き出すことこそが、天使の、最も重大な――自分とハルタレヴァしか知らない役割。
全幅の信頼。
役目を越えた親愛。
単なる協力者から、現時点を以て、天使は女神の
「――――ありがとうございます。その御言葉だけで自分には、身に余る光栄と存じます、我が女神」
「……もう。いつも、そういうふうなんだから。いいわよ、わかったわよ、あなたに聞かなくても見抜いてやれるように、自分で考えて、こっちから渡してやるんだから。その時はちゃんと、真面目に、正解かどうか答えてね」
天使は、いつだって真面目だ。
ふざけたことなど一度も無い。虚偽であるか否かは別に、自らの使命を果たすべく、身の振り方の隅々にまで、神経を張り巡らせて接してきた。
――――けれど。
つまり、この時が、初めてだった。
初めて、彼女は、目的達成の真意とは、別の――
――個人的な本音を隠して、言葉を吐いた。
その御言葉だけで自分には、身に余る光栄と存じます。
嘘だった。
“して欲しいこと”を。
心の中に浮かんだ――自分でも持て余す、今まで一度として感じたことの無い、欲求を。そこにあった、感情を。
天使は、確かに、偽った。
これだけは絶対に、偽りの主にも、真実の主にも知られることはないだろうと、抱いた瞬間、奥底に封じ込めた。
それが、百年前の話。
世暦二百年の昔。
それから暫しの期間を掛けて、創造神ハルタレヴァは大創造神ハルタレヴァとして、神々の世界でも屈指の力と信仰を身に着けて。
――――そして。
ハルタレヴァが、興味を持っていた、ある異世界の、ある人間――そこに彼女を送り込むことが、念話によって告げられた。
「我が女神、」
物語は、
そこから始まる。
「世界に、人を招く為の助言ならば。その【人間】に、どうすればいいかと協力を仰ぐのは如何でしょうか。そのほうが率直に、好みを把握することが出来る。」
「……! す、凄いよ、天使! それって確かに、うん、今までとても考え付かなかったけど、一番いいアイディアだ! でも、この世界には、」
「ええ。ですから――他の異世界の、人間に。【あなたはどういう異世界に転生したいですか】と、尋ねるのですよ。そうですね、私も最近伝聞で聞いたのですが、地球という異世界の、守月草という場所には、優れた異世界転生課職員が――」
世界と世界は、こうして繋がる。
全ては神の、意のままに。
春に会い。
夏に別れ。
秋に実る。
天使の、喜ぶべき、彼女の主の悲願はついに、三百年の時の果てに実を結ぼうとしている。
それでも。
永きに渡る計画が、最終段階に入った、この半年間も。
やはり。
天使は、ずっと。
――――夢見る度に、思い出す。
いつかの日。
無機質な丘の上。
初めて自分の幸福を願ってくれた、自分が陥れている相手の、柔らかな笑顔。
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