四章(急)・20



 ――――夢見る度に、思い出す。


 “こちらでしたか、我が女神”


 日々の欠片。

 些細の記憶。

 何の意味無き、空白の時。


 “何をしていらっしゃるのです?”


 物事は前に進まず。

 状態は緩く停滞し。 

 どこまでも穏やかな代わりに、始まりを欠いた凪。


 “うん。あのね、天使”


 そのことを、彼女だけが知らない。

 自らが、変化を阻害されていると。

 隣に仕える存在が、徹底的にその芽を摘んでいる事実を。


 “夢を見ていたの”



                 ■■■■■



 葬世神アンゴルモア。

 世界を救う為に世界を葬ってきた彼女は、世暦という輝かしき新時代の中に、しかし、新たな居場所を与えられなかった。


 その存在は忌まわしき悲劇を思い出させ、また、危急に強いられてとはいえ、【神々の連盟】が下した決して公にされてはならない非道の証拠である、旧時代の染みの象徴――自分たちでは処分することも出来ず、存在を公にするわけにもいかない、厄介な廃棄物。


【神々の連盟】はその、使い終えた道具を、厳重に蓋をしてから捨てた。

 素知らぬ振りで。

 最初から無関係のように。


 本来透明であった彼女に枷となる自我を付与し、【異世界の権能を奪い取る権能】を【己が体感した世界を再現する権能】に加工され、擬似的な創造神にされた。

 自分ひとりでは何も産み出すことの出来ない偽物の創造神が、こうして生じた。


 その性質状、彼女が世界を創ろうと思えば、学習が不可欠となる。素材として用いる、用例サンプルの摂取が欠かせない。

 だがそれに、彼女自身が気付かない。

 自身の内から湧き出さない想像力、創造性の決定的欠如、【どうしたらいいかわからない】ことの異常性にも――そもそも【これはどうにかするべきことだ】という危機感すらも認識出来ない。


 葬世神から、創造神。 

 その転換は、やはり土台不自然で、無理があって、歪んでいた。

 そして何より、投げやりな悪意が伴っていた。


 改造に携わった【神々の連盟】の中にも、その神の面汚しに対して否定的な派閥が歴然と存在した。そうした連中は、彼女の無様さを、不出来さを、拙さを、悦び、嗤う。溜飲を下げる種にする。


 創造神ハルタレヴァは、その一環として、自らの手駒を送りこむのだと、自身の計画プランを売り込んだ。


 ――――既に、これは、あれを取り巻く状況は、完成した滑稽ではありますが。

 ――――どうでしょう。そこに一味ひとあじ、刺激を加えてみませんか。


 それは。

【元アンゴルモア否定派閥】に取り入り、神々の間での発言権と信用を得るのと同時に、後の【真の思惑】を見越して打たれた遠大な布石であった。


 訪れる

 彼女の真価を知りもしない、会議室から命令するだけで、一度たりとも現場を覗くこともなかった愚物共に先んじて――自らの独断が、あの女神に対して、最大の影響力と決定権を持つ為の。


 その位置。

 その立場。

 自らが直接でなくともいい、【無条件で信頼されている傀儡】を、傍らに配置する為の第一歩は、かくして秘密裏に承認された。その時点で、何の神すらも、ハルタレヴァの真意に気付くことなく。


 一人の女性体が、その為に生み出された。


 葬世神アンゴルモア――名無しの女神の傍にあり、彼女を監視し、成長の機会を丹念に潰し、見物客クライアントの要望に答え、その通りにつつき、反応を見て、愉しむ為に。


 悪意と悪趣味を焦げ付くまで煮詰めた、【神々の残酷の象徴】。神と人ではなく、神と神でさえも優劣をつけて争い合い、そして、神は時として人よりも嗜虐に躊躇を持たないという証明。


 それが、その日。

 汚れた使命を身に、穢れなき異世界に訪れた。


 はじめまして。

 事前の連絡も無き来訪の無礼、お許し下さい。

 新しく創造神として誕生した女神様が、自らの役割を実感出来ず、戸惑っていらっしゃると聞いて、この度異世界より参りました。

 宜しければ自分を、貴女のお傍に仕えさせては頂けませんでしょうか。


 自らに盛られた純然たる【毒薬】を、しかし彼女は、見抜くことが出来なかった。

【他者との交流経験】を持たぬが故に、そも疑いなどというものを持たず。知らず。文化も文明も種族も違えど、何処の異世界にも決まって存在する【嘘】に、まるで一切、免疫を持たず。


 ――しかし。

 もしも、彼女にそれがあったとしても。

 嘘の意味も疑いの必要も、何もかも知っていても。


『……はいっ! ぜひ、ぜひこんな私でよければ、いっしょにいてください!』


 ひとりぼっちの世界。

 ただ、果てまでの地が広がるのみの空間。

 初めて出会った、自分以外の――話し相手の存在を、彼女は、誰が見てもわかるぐらいに、心の底から喜んでいた。


 嘘があっても。

 偽りだろうと。

 そんなものが、吹き飛ぶぐらいの嬉しさで。


『……ああ、そうだ! わかった、わかりました! この次に、私が何と言うべきなのか! 今、びびっと、浮かんだんです!』


 弾んだ口調。

 真っ直ぐな眼。

 そうして、生まれる。

【概念】が、現れる。


『これまでは必要なくて、でも、これからは、ここには、もう私だけじゃあないですから、きっと、要ります! あなたを、あなたのことを、私と違うあなたのことを、何と呼べばいいのですか!?』


【名前】。

 存在に意味を与え、別個のものとして区切り、特別に認識する為の、知恵。万物を司る、根幹の要素。

【来客の現れ】が、彼女にそれを齎した。早速――学習し、理解したのだ。それが必要であることを。そこにある大きな意味を。


 葬世神から。

 創造神への、最初の一歩。

 奪い葬る存在から、創り育てる存在に。

 彼女は、この時、ようやく、歩み出す。

 ――けれど。


『在りません。自分は、自分の創造神より、個別の記号を賜りませんでした。呼ぶならば、そう――ただ、【天使】とお呼び下さい』


 それ以上はまだ許可されていない。

 歩幅ペースも、出来事プランも、逸脱の許されぬ管理の下に。


 与え方も、

 奪い方も。

 弄び方も。

 騙し方も。


 最も見ていて楽しい方法でやるように、本当の主から仰せ付かっている。

 そうとも

 お楽しみは、これからだ。

 ここの、

 今の、タイミングだ。


『あなたと御揃いですね。名無しの女神様』

『……っ! うん、そうだねっ!』


 

 其処より遥か、何処とも知れぬ世界で、拍手と喝采が上がる。


 自らが【名無し】――つまり、その性質の根源に関わる記入欄を空白にしたままで留め於く、創造神として言語道断の不完全な状態を定着させるというのが、見物客たちに提示された、【アンゴルモア堕落】の最初の目玉だったからだ。


 それを改定せぬ限り。

 以後、彼女には、大いなる枷が掛けられる。資質を欠き、十全の権能を発揮出来ることは無い。


 彼女にとって喜ばしき、大変革の出会いの日。

 自ら否定せぬ限り決して解くことの出来ない呪いが、尽き果てぬ幸せに混入されて飲み下された。



                 ■■■■■



 その嬉しさ、喜び、獲得、進展。

 女神は知らず、天使は知る。

 あらゆるものがまやかしであると。


 前に進んでいるようで進んでいない。同じところを回っている。本当に向かうべき場所は巧妙に隠蔽され、誤った指図のままに進路はぐにゃぐにゃと曲がりくねる。

 教え込まれる口が一つしかなく、横からそれを検証する、異なる観点から意見を言う第三者も存在しない。


 天使の忠告こそは、女神にとって、唯一無二の【正しさ】だった。

 まっとうな生物では生きることさえ出来ない、【純エーテル遍在】の環境を蔓延させた。


 最初から閑古鳥になることがわかっているかのように、狭く侘しく機能出来ない異世界転生課の杜撰な製造。


【自然】の概念は教えたが、あくまでも概念のみであり、本物のそれらを一切見たことのない女神では、どれだけ何を創ろうとも、中身の無い粗悪なハリボテにしかならなかった。


 命が息づくにはまるで要素の足りない、不見識と無理解の産物。

 そうした無様を晒させること。

 その眼を通じて――自らを生み出した本当の主に、創造神ハルタレヴァたちに、見せ物を愉しんでもらうこと。

 それが、天使の役割だった。


 繋がった念話の経路で、時折天使は褒め言葉を貰う。『いい働きをした』、『あの煽り方は良かった』、『皆様も喜んでくださった』。

 それが、天使の原動力だった。


 主が喜ぶ。主の役に立つ。それだけで何だって出来た。表情と本音を切り離すなど造作も無かった。創られた理由が果たされること以上に、それ以外に、被造物たる身の幸福は無い。


 たとえ。

 ハルタレヴァが一度として、【道具の役立ち】ではなく【天使自身】に対し、およそ【愛情】と呼べるものをまったく送っていなかろうとも。


 不満は無い。

 疑問は無い。

 不憫は無い。

 自問は無い。

 天使は、自らを肯定する。


 これでいい。

 間違っていない。

 何もかも。

 何もかも。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る