四章(急)・12



 歯を食いしばり。

 呼吸を殺して。 

 眼を見開いたまま。


 田中は、そいつを睨んでいた。

 前世からの、宿敵のように。


「つっまんないのぉ」


 倒れ伏した彼に、冷笑を浴びせるのは、誰あろう。

 大創造神ハルタレヴァ――【世暦】の象徴たる、信仰の要。


 神迎神楽祭、特別控え室で、彼女は、今しがた自分に向かって振るわれた剣――――神器の粗悪コピーの劣化コピーのへたくそな真似っこのそのまたやる気のない模造品を、その足指でいとも容易く踏み折った。


「期待外れもいいところね。あなた、正気? こんなものに頼ろうなんて、恥ずかしくはなかったの?」

「――――」

「わっけわかんないなあ。ねえ、どうして――自分の力でやろうと思ったの、神殺しちゃん?」


 ――――それは。

 異世界公安が、必死に、組織の命運を賭けて、秘匿している筈の情報だった。決して、外に漏れてはならないはずの、事実だった。


「こんな百流品に頼らなくたって。あなたなら、創造神ミロレフロームを殺した力が、あるのではないかしら?」


 その口から出た単語に、田中はしかし、驚きはしない。

 そのような余分を、抱いている余裕は無い。

 ただ、ただ――――完全に制圧され、眼に見えぬ力で拘束され、それでもまだ、彼は、この状況になっても、欠かなかった。


 殺意を。

 濁らせることなく、持続させていた。


「……そう。それが、答えということね」


 冷笑が、落胆に変わった。

 あからさまな、不機嫌。

 彼女が決して、人々の前では晒さない表情。


「【神殺し】。あなた、もう、そんなこと出来ないんでしょう? ミロレを殺したその力は、どうやったのかは知らないけれど、その世界の中でか、或いは、彼女に向けてしか使い得ないものだった。極めて限定された条件、状況が組み合わさることで出来た、一回きりの間違いだった。だから――」


 ――残ったのは、その純白の殺意だけ。

 ――死ぬほど殺したい神様を、死んでも殺せない無力さだけが、貴方の中に残留しているのだわ。


 ハルタレヴァはそう言って、田中の眼を見た。

 自分を。

【人の愛する偶像】たる、大創造神のことを――討ち果たすべき怪物として、嫌悪と憎悪を燃やす眼差しを。


「ねえ。あなたはどうして、わたしを殺そうとするの? わたしは、ミロレとは違う。こんなにも、人を愛し――人の為の世界を創り、人が求めるものを、与えているのに」

「ほざけ」


 炎を、

 吐いた。


「おまえは、【破滅】だ。あの狂い神と、同じ匂いがする。同じ眼をしている。奴の妄言と、おまえの歌は、同じぐらいに耳障りだ」

「――――」

「異世界なんか知るか。神々なんか反吐が出る。滅ぶのも滅ぼすのも、いくらでも余所で好きにやれ。だがな、ここに、地球に、俺の育った世界に、手を出すな。与える振りをして奪い続けていくやつを――俺は、死のうがおまえを呪い続けるぞ。大創造神、ハルタレヴァ」


 宣言。

 今ここで殺されようと構わないという、殺されても邪魔をしてやるという、覚悟。


 それを受けて。

【どうぞ好きにしてください】という、不屈を目の当たりにして、

 しかし。


「――――――――――――――――いいじゃない」


 どうでもいい木っ端の不躾に、琴線を弾かれた。

 自身さえ予期せぬ反応。

 背筋の震える不意打ち。


 その眼。

 その炎。

 その啖呵。

 その憎悪。

 掛け値なしの、全力の、嫌悪。


「そういう眼で、人に見られたのは。【世暦】が始まって、初めてだわ」

「死ね」

「~~~~~~~~ッ!」


 抑えようもなく、頬が緩む。

 斬首に値する無礼。


 次の瞬間にもそうなっておかしくないと、自らで理解していながら、そのちっぽけな人間は、引かない。逃げない。改めない。


 生命ではなく。

 精神の中に。

【ここを越えたら死ぬ】という、その境界を設けている――それが、どうしようもなく伝わってくる。


 それは。

 それは。

 大創造神ハルタレヴァが、

 決して誰にも語ることなく、

 自らの中に敷いているのと、同質のモノ。


「……そう、か」


 恍惚が。

 愉快が。

 快感が、吐息となって溢れ出た。


「素敵ね、あなた」

「死ね」

「いいえ。死なないし、死なさない。もっと、いいことを思いついたから」


 指を、一振り。

 田中は、不可視の拘束から解き放たれる――同時に、躊躇なく襲い掛かる。うつ伏せの姿勢から、バネ仕掛けのように飛びつく。


 それを、

 その動きに合わせて、一緒に倒れこむように、もつれるように。

 じゃれついてきたペットを可愛がるように、ハルタレヴァは、田中に圧し掛かられながら抱き抱えた。


「あなたは、“戒め”。そして、“姿見”。気に入ったわ、神も殺せぬ神殺し――その炎で暖めて。決して忘れ得ないこのを、より頻繁に思い出す為の栞になって頂戴な」

「死ね」

「いいえ、愛すわ。勿論、あなたが要らなくなるまで。この大創造神ハルタレヴァの――愉快な玩具になりなさい、たーなーちゃん」

「死んだほうが、マシだ」


 死ねないし、死ななかった。

 田中はこの後、かつて自分を救出した異世界公安に取り押さえられ、【大創造神殺害未遂】というとてつもない不祥事の始末、しでかした罪の償いとして、【大創造神ハルタレヴァの要望する限り、何であろうとそれに従う】という条件を呑まされる。それは、地球の異世界公安と、ハルタレヴァの間で交わされた、事実を秘密にする条件でもあった。


 限りなき不本意と不愉快――しかし、【それを断れば義父・田中浩幸が異世界転生課職員として処罰を受ける】と言われ、彼はそれを飲まざるを得なくなる。


 ハルタレヴァはこの事件以降、度々彼のことを呼び出しては、からかい、遊び、苛んだ。つまらないことを世話させ、忌み嫌う対象に屈服しなければならない人間を眺め、手を叩いて面白がった。


「今に見ていろ」「相手が神だから怯むと思うな」と田中は決まって吐き捨てた。

 ハルタレヴァはその度に、「その気持ち、こちらが三百年早いわ」と張り合うのだった。


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