四章(破)・06



「ひとつ、聞かせて欲しいんだ。どうして君は、あの方に、関わろうと思ったのか」


 春の終わり。

 一段と――異世界転生課が騒がしくなった、あの日のこと。 


「最初の、【純エーテルによる即死】の時点で、異世界転生課萬相談員としては、【許容危険度閾値超過】を理由に持ち込まれた案件を拒否する条件が整っていた。神と人の関係を取り持つのが僕たちの仕事だったが、神の個人的な悩みや相談事は、本来神と神の間で行われるべきことで、業務内容の範疇外だった。それを、どうして請け負おうと思ったのか。殆ど無理矢理、綱渡りみたいな手続を行ってまで」


 異世界転生課の歴史上、何処の世界でも類を見ない。

 創造神に世界の創り方を意見する、人間の相談役アドバイザーなど。

 それを通す為にいくつ、危うく強引な、【前例の無さ】を利用した法の抜け道を潜ったか。


「もしかして、だけれど。君は、かつての自分の二の舞を、防ごうと思ったのじゃないのかい。君は彼女の側にいることで、悩みの果てに創造神が乱心を起こさないよう、監視するつもりであの仕事を受けたんじゃあないか?」


 その動力。

 その動機。

 確かに存在しているはずの、していなければいけないそれを、

 彼は。


「嬉しかったんだ」


 田中は、そう語った。


「……え、」

「彼女が。誰かに相談したいと考えたことが」


 僕だって今更だ、と田中は笑う。

 彼女と会って。

 訴えられて。

 ようやく、思い至ったのだと。


「もしも、――――僕を浚った、あの神様にも。そういう相手がいたのなら。神様も、世界も、あんなことにはならずに済んだかもしれないって、そう思った。そう思ったら、もう、放っておくことは出来なかった」

「――――それは、」


 それは、

 

「やっぱり、似るものなんだよ、親子って」


 一度捨てられた赤子を、もう一度見捨てなかった、父のように。

 育てられた子は――いつか自分が苦しんだ過ちを、繰り返さないことを選んだ。


 ごく自然に。

 当たり前に。

 そうすべきだと、そう思った。


「本当、駄目だな、僕は。いくつになっても、はらはらさせてばっかりだ。――――でも、そうだね。うん、ひとつだけ、安心して欲しいことがある」


 徳利を。

 手に持って、猪口に注いだ。

 そういう年になった子供が、

 微笑みながら、酌をした。


「僕は絶対に、田中浩幸を、義父さんを、恨むようなことはない。あなたや――義母さんには、感謝することしかない。二人がくれた時間が、教えて貰ったことがあるからこそ、僕は、何度も何度も何度も何度も間違えて、それでもまだ、最後の最後で踏み止まってこられた。生きることを、嬉しいと思った。何も無かった僕が、何を楽しいと感じたのかかを――きっと、死ぬまで覚えてる」

「、」

「だから、ごめんなさい」


 ――行ってきます、とうさん。


 腿に手を乗せ、田中は深く、深く、頭を下げた。

 父は、それを見た。

 子の、我儘を聞いた。


 これからやろうとしているのは、仕事ではなく、安全の保証もなく、先程の意見を聞いた上で、知っている上で、個人的な願望として真正面からそれに背くことになると、彼は言ったのだ。

 それでも、通すべき義理だけは、きちんと通していく――その姿勢を今、見せ付けて。


 まるで。

 一丁前の、大人のように。


「――――ふはは、」


 ああ、

 まったく、


「いい酒だ。今まで、一番うまい」


 飲み干すのが惜しくなる。

 けれど、そう言ってもいられない。

 それがどれだけ、いいものだろうと、大事でも。


 ――新しい一杯を注ぐ為には。

 ――きっぱりと、踏ん切りをつけなくてはならないことがある。


 そうとも。

 子が本当にやりたいことを、

 邪魔する権利は、

 親にも無い。


「こんなものを、呑ませて貰っちゃったからには。ぼくも、やれやれ――色々覚悟で、やることをやらないとなあ」

「――――とうさん、」

「いいや」


 ちっ、ちっ――殊更に格好つけて、精一杯、背伸びをして決めるような仕草をして。

 いい年のおっさんが、にひ、とウィンクした。


「課長、と今は呼んでくれ。僕の自慢の、異世界派遣調査員――田中くん」



                 ■■■■■



「交渉は、うまく行きましたか?」


 居酒屋【食火】を出て、浩幸と別れた直後。

 田中は、背後から掛けられた声に、まさしく冷水を浴びせられたかのような不機嫌面で振り向いた。


「――――おかげさまでね」

「結構。いやあほっとしました。私たちがこれからやらねばならないことには、異世界転生課責任者の非合法的協力が不可欠ですから。まったく、情というものは実に便利な手段だ。形も無い、費用も要らない、その癖上げる成果は道理を曲げる。こんな抜群の道具、利用しない手はありませんよね、田中さん」


 皮肉、では収まらない嗜虐的な言葉に、しかし田中は反撃しない。

 それどころではない。


「それは違うさ、クドウ。見返りを求めぬ働きを愚かと笑うことも確かに出来よう、しかしな、私はこう思う。その行いこそ正に人の高潔の証明であり、形も無く貨幣にも換算できない心というモノが、それらに依存することなき値打ちを備えることが出来るという希望であると! なれば私はヒロユキ殿の選択を、万感の敬意を以て賛辞せしめんものとする!」


 真夜中の飲み屋街で全力の拍手を行う、でっかい未成年が気になって気になってしょうがないからだ。


「……えっと、」


 田中の視線が、二人の間を行ったりきたりする。

 ネフティナは、……珍しい。三徹の朝に誤ってカーテンを開けてしまったような、苦々しい表情を浮かべている。


 対して、その隣に並び立つ偉丈夫は、登る朝日のようにとにかくにこにこにこにこと。

 どっちに聞くかと一瞬考え、本人に問うことにした。


「どうしているの、オウル」

「ええ!」


 直立、そして、グヤンリー王族式、敬礼。

 ちょっ、と思うが、時既に遅し。


「不肖、グヤンヴィレド・ベル・オウル! 異世界公安ネフティナ・クドゥリアス殿より御身の窮状を伝えられ、此処に参上致しましたッ!!!!」


 それはそれはドでかい声で、守月草福々通にえらい機密が流出した。


「この私が来たからには! 不埒な野望の大創造神、ハルタレヴァが何するものぞ! 義を胸に、怒りを拳に、いざ、女神をその手に奪還致しましょう、タナカ! いえ、マイ・ディア・タイクーンよッ!!!!」


 百点満点の美男子が、全幅の信頼と忠義を惜しみなく篭めた笑顔を、背の低い年上の一般人に向けて傅く。


 通りがかった酔っ払いが突然の大声に、出し物でも始まったと勘違いしたのか指笛を鳴らしながら座り込む。何事かと遠巻きにこちらを見ていたクラブのホステスが、持っていた鞄を取り落として携帯を構える。


 一方ネフティナは凄まじい二日酔いに襲われたような表情でスーツの襟元に口を寄せ、『六班、至急情報封鎖と機密保持を願います』と囁いた。


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