四章(序)・08



「自分は、これからどうなりますか」

「そうだねえ。その処遇は、連盟の方でも目下検討中らしいが。少なくとも、これ以上異世界転生業務を続けさせるなどとんでもない、と」


 知っていたこと。

 わかっていたこと。

 覚悟を済ませてあったこと。

 元より承知の、

 潮時の予感。


 落胆より、哀切より。

 仕方ないか、と思うより。

 結構長く続けられたな、と、そう吐息が漏れた。


「神々に、中でも創造神と関わらせるなんてことは言語道断でありすぐもやめさせろ、わずかでも反抗的な素振りを見せたら然るべき処置を取れ――なんて、言われちゃったもんだからさあ。ぼくもこんな、年に一遍着るか着ないかの正装を、渋々袖を通してきたってわけさ」


 まったく、こんな姿をもしもケースケたちに見られたら数週間は笑いの種だぜ――

 ――そんな軽口を叩きながら、天照から発される威圧感は、微塵も薄れてはいない。


 彼女は、本気だ。

 もしもここで、田中が何がしかの、ほんの些細でも、下された処遇に異を唱えようものならば。

 やるべき処置を、迷い無く行う覚悟でいる。


「……ええ、確かに」


 つまり、それは、取りも直さず。

 日ノ本の太陽神が、その背後に構える神々が、それほどこの、ちっぽけな人間を危険視している、ということでもある。


「あの子たちなら、きっと。トモダチであるあなたに遠慮なんかしないのでしょうね、天照様」


 虚勢だ。

 努めての振る舞い、恭順の姿勢。

 そうした態度を見せることで、田中は自身の意向を表明する。


『そんなつもりはない』。

『恩人たちに、砂をかけるなどとんでもない』。

『本意不本意に関わらず、当局の決定には納得した』。


「ふふふふふ」

「あはははは」


 会議室に響くのは、上っ面の笑い声。

 個人の気分を置き去りに、進めるべき手続が滞りなく執行される為の処世術。


「――失職ですか。参ったなあ」

「転属、で済むようには便宜を図るさ。市役所の仕事、公務員の業務は別に、異世界転生に関わるものだけじゃない」

「出来ますかねえ。理由が理由だ、肩身の狭い思いをしようと、受け入れてくれる部署があればいいんですが」

「何、わざわざきみのことを吹聴して回るようなことはないさ。妙な風評が、厄介な事実が知り渡るのは、お上も歓迎してはいない。表向きは単なる、人事課判断の転属の打診にきみが応じたと、そういうことになるだろう」

「志望動機をでっちあげるのが大変そうだ」

「そうでもないぜ。人と円満な交流をするコツとはね、田中職員。相手が嬉しくなる台詞を選んでやることだ。ゲームと同じで、システムだよ。なんならぼくが、みっちり仕込んでやったっていいぞ?」

「うっわあ、中々腹黒い話ですねえ」

「いやいや、白く保つ為の機転だよ」


 本意、本心、本音、本懐。

 そういうものは、と天照は言う。


「誰でも触れる表に出せば、手垢をつけて汚される。だから――本当に大切にしたいものを、曲げられたくないものを、絶対に守り抜きたい時にはね。ただ、その身の内にだけ、秘めておくべきものなのさ」


 真実は、嘘の殻を着る。

 もっともらしい正論の奥に、曖昧で、複雑で、こともすれば醜悪で、誰にも共感できなくて――けれど、その本人にとっては、何よりも大切な、理解不能の歪がある。


 演じることが、戦うことで。

 大事に思う自分自身すら、そんなものは無いように振る舞わなければ、たちまちに袋叩きで粉々だ――


 ――天照の語りには、成程理がある。田中にとって、これほど頷ける説法は無い。

 けれど。

 ああ、けれど。


「――それを。百万の道理で打ち付けられるとわかっていながら、それでも。理想を謳い続けるというのは、どんなに、熾烈で、過酷で、覚悟のいることなのでしょうね」


 思い浮かぶ。

 知っている。

 どんなにうまくいかずとも、自らが目指す光から、目を逸らさなかった彼女のことを。


 馬鹿げた望み。

 遠い理想。

 彼女自身は本当に、

 ただの一度もその成就を、

 疑ったことが、なかったろうか?


「――天照主祭神」

「お、今日からさっそく特訓かな。いいよいいよ、ぼくは一度出雲に顔を出さないとならないから、先に天岩戸のほうででも、」

「僕が、異世界転生課を辞めたら。彼女への対応は、どうなるのですか」

「打ち切られる」


 斬り帰すような、返答。

 容赦なく、それでいて、鋭く。


「そちらも大問題だった。あの人間が、創造神を、誑かしている――そう危惧している連中を宥めるのに、随分とぼくも骨を折ったんだ。申し訳ないが、きみが担当を外れた後、守月草では……いや、気休めは止そう。この世界の異世界転生課では、あの女神の面倒は見られない。それが、地球の神々が下した決断だよ」


 では、ならば、この後誰が――尋ねるはそれこそ無様だ。

 そのような腫れ物を、まさか、異世界数多といえども面倒を見る物好きなどいない。公に禁止されておらずとも、だ。


 残酷なのでも、薄情の故とも違う。神ならば、神々ならば、当然のこと。

 守り愛する者たちの住む自分の世界に、好き好んで爆弾を持ち込み危機に晒そうとする創造神など、一体何処にいるものか。

 

「――――――――僕は、」


 血を吐くような、呟き。 


「僕ならば、自分の始末だ。こういう日がいつか訪れると、心の何処かで知っていたから――未来を、先のことを、遠くなんて見ないようにして、生きてきた。でも――それだけじゃあ、全然、足りなかったんですね」

「…………」

「これもやっぱり、因果応報って言うのかな。力になりたいと思った、相手のことを。邪魔することしか、出来なかった」


 擦れ漏れた、自嘲の笑い。

 それに天照は、


「最後に、挨拶ぐらいはしておいで」

「主祭神」


 言葉を挟んだのは、課長だった。

 二人はその視線で、物言わず意見を戦わせ、そして、折れたのは課長のほうだった。


「行きな。責任は、ぼくが持つ。ただし――きみのことや、理由については、誤魔化すように。あの子、相当懐いているようだったからな。下手な騒ぎには、間違ってもしたくない」


 田中は無言で立ち上がり深く頭を下げると、会議室から出て行った。


「――――そうだ」


 その、去り際に。

 ひとつ、質問を残して。


「天照主祭神、課長。――アンゴルモア、という名に聞き覚えか、或いは、そういう存在を知りませんか?」


「……? なんだい、それ? アン……あんころもち?」


 首を傾げる天照。

 相変わらず田中とは会話をしない課長。

 その様子を確認し、改めて田中は頭を下げて退出する。


 ――防音の部屋に、足音は聞こえないが。

 それでも、田中が市役所を出るであろう時間を空けてから、


「…………………………………………だっはぁぁぁああ」


 背凭れをずるずると伝い落ちながら、天照が死にそうに長い溜息を吐いた。


「なんっっっって嫌な役回りだ……これだからぼくは、お役場の責任者なんてゴメンだったんだよなあ……くっそう」


 とろけた姿勢のまま、不満を満面に敷き詰めて、頬を膨らませる天照。


「大体なんだい、あの連中はさー。びびりすぎなんだよ、まったくもう。相手はヒトだぞ? 弱く儚く幼く小さなだぞ? そりゃあ恐れるのはわかるさ、だがこれじゃあ責任放棄じゃないか。今はもうそんなことはないし本人だって更生の為に努力してる、周囲がいつまでも引き摺っていては変わろうにも変われない」


 そうとも、と彼女は言う。

 それは、しかし。

 純粋な善意、同情、悲哀ではなく。


 そうであって欲しくはないという――自身の中に深く根付いた恐れを、無理矢理に笑い飛ばそうとする、願望交じりの一言だった。


だなんて。そんな経歴、別に、大したことないじゃないか、なあ?」


 明確な安心を欲しての、同意を求める呼び掛け、

 それに返ってきたものは、


「いいえ、天照様」


 およそ。

 彼女が、最も望まぬ回答だった。


「――田中くんが、先程、口にした名前。その意味次第では……これは、【神々の連盟】が危惧している以上の――全異世界に起こり得る、その滅亡の懸念かと」

「あっははははははっ!」


 天照は笑った。

 これもいつもの、彼お得意の、緊張した場を和ませる冗句だと思ったから。

 そうとしか思えない、と思ったから。


 十秒立つ。

 二十秒立つ。

 課長はひたすらキーボードを打ち、何かを調べ続けている。

 椅子に座り直した天照が、呼吸をひとつしてから言う。


「その話、詳しく」


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