三章・30



 そうして、【松衣幽霊城事件】は解決を見た。

 天岩戸から、田中たちと子供たち、計十五人が外へ出る。


 遠くの空の、色が違う。

 田中たちが入ってきたのは真夜中のことだったが――どうやらもう、朝が近いようだった。


「――――せーの、」


 藤間少年の号令に合わせ、

 呼吸が揃い、

 頭が下がる。


「「「「「「 ありがとうございました、神様! 」」」」」」

「こちらこそ、中々に楽しかったよ。今度はそうだね、是非正式な一般解放日に会いに来てくれたまえ。やはり娯楽施設というのは、家を出る前から、目的地へ向かう道中もワクワクするのが醍醐味だからね。――それと、田中職員」

「はい」

「気まぐれで随分と騒がせてしまったからね。連絡はこちらのほうから、世暦神社庁や心配性の課長さんにもしておくよ。それにしてもまったくあの坊やと来たら、子供の頃からぼくのことが好きすぎるんじゃあないかなあ」

 

 けらけらと笑いながら、背後へと大胆に身を倒す――すると、そこに突然例の卵ソファが現れ、柔らかなクッションにその小さな身体が受け止められた。


「じゃあね、名無しの女神様。きみも今度は遊びにおいで。太陽神と創造神じゃあどうにも畑は違うんで、実になることはそう言えないが……実にならない楽しみならば、ぼくは結構教えられるぜ」


 そんなふうに手を振って、天照大神は中へと戻り。

 そこを避難の場所としていた子供たちに見守られながら、松衣風城跡に出現していた天岩戸は、徐々に、中空へ薄れるようにして消えていった。


 ――そして。

 その向こうが、顔を出した。

 山の先から登る朝日。


 一日の始まりを告げる、眩しい太陽。

 まるで、その存在を司る神様からの、旅立つ彼らへの|最後の応援《エール》のように。


 言葉もなく、この場の誰もがそれに見惚れる。

 深い溜息だけが、唯一の音になる。


「……さて。それじゃあ、行こうか皆」


 それがどれだけ、心地良くても。

 ずっと同じ場所にはいられない。

 これからやらなければならないことがあり、やるべきだとわかっていることがある。

 子供たちはもう、それを十分に知っている。


 どんなに恐ろしくても。

 足が竦むほどの気後れがあっても。

 それでもその先に踏み出していけるだけの強さを、彼らはもう、貰っている。


 あの、皆で過ごした一時の逃げ場所で。

 そして、

 ついさっきまで――旅立っていた、異世界で。


「なあ、田中さん」


 子供たちの最年長である藤間少年が、尋ねてきた。


「おれが先頭、歩いちゃ駄目かな」

「いいや」


 そんなことは勿論無いさ、と道を譲る。


「ただえらそうにしたり、格好つけたいだけじゃない。自信があるからそう言っているんだって、目を見ればわかるさ」

「――うん。ここ、この城のあたりには、よく、遊びに来てたからさ」

「最後の。見てたよ、こっちでも。なんだい、君――僕よかずっと大人じゃないか」

「――あの、」

「うん?」

「……あ、のときはッ! その、乱暴なことして、すみませんでしたっ!!!!」

「うん。悪いことをしたと思ったとき、ちゃんと謝れるのが、本当に立派な人間だぜ」


 元気に、騒ぎながら、夏の早朝の空気の中、階段を下る、藤間少年以下、十二人の子供たち。

 その後ろについて帰る大人組、田中と、女神と、天使と、オウルは、彼らの様子を、見守りながら感じ入る。


「田中さん」


 ふと。

 女神が、不安そうに言った。


「これから、……藤間くんたちは、どうなりますか」


 根は、深い。

 家庭環境、家族との不和――彼らの前に存在する解決すべき問題は、外部の人間がおいそれと立ち入れる領域のものではない。


 況して、異世界転生課。

 それこそ、田中には完全にお門違いだ。彼が公的な身分と権限を以て関わることが可能なのは、あくまでも異世界転生に絡む事態のみ。境界の外と内、本来決して交わらぬ、無縁の二点を繋げることこそが、異世界転生課の職務である。


 最初から繋がっているもの。

 繋がっているからこそ、悩ましいもの。


「彼らは、大丈夫でしょうか」

「ええ」


 勿論、田中は市役所職員として築いてきた可能な限りの人脈を用い、この件を支援する気だ。松衣の児童相談所や子ども福祉課への連絡、これまで正確に認知されていなかった事実を浮き彫りにし、問題の解決に働きかける。


 それもまた容易ではなかろうし、管轄違いに手を伸ばすからにはこれから更に猶予は減ると見るべきで、各種調整に伴う摩擦を考えれば今から既に胃が痛く、給料だって一銭足りとも増えはすまい。


 些細なものだ。

 志願して茨を歩む大人の悩みなど――自ら選択したわけでもなく、そうならざるを得なかった環境に追い込まれた彼らの痛みに比べれば。


 逃げる場所も。

 隠れる場所も。

 自分で選び取り、許されることが、まだ、あまりにも少なく。生活を成り立たせる能力を、まだ持たず。【与えられたひとつの世界】でしか生きられないが故に、知られざる涙を流してきた、子供たち。 


 だが、それでも――最後にものを言うのは、苦しみの当事者たる少年少女の決断だ。


 どれだけ疲弊していたとしても。

 どんなに周りが補助しようとも。

 不本意の位置から踏み出し、新しい未知へと向かう最初の一歩は、

 いつだって、自分の力でしか、踏み出せない。

 そして、


「大丈夫ですよ、女神様」


 その為に、最も必要となるものを。

 彼らは既に、持っている。


「藤間くんたちは、立派にやれる。何てったって――とびっきりの神様の加護を、二つも貰っているんですから」


【天岩戸の生活】と。

【新世界の旅路】が。

 それらがあったからこそ、山を降り、かつての自分たちが居た場所に帰ろうとする子供たちの足取りには、怯えが無い。


 待つ苦難を知りながら。

 立ち向かう強さを、備えている。


「ああ、そうだ。これを言い忘れてました。……今回の異世界創造、実に面白かった。参ったな、あの時グヤンリーからの帰り道で切られた啖呵、どうやら本当になりそうだ」


 人が喜び。

 人が望み。

 人を幸せにする、世界。


「なあ、女神様ッ!」


 先を歩く子供たち、その先頭の藤間少年が叫ぶ。


「すげえんだなあ、創造神って! ほんっとうに、楽しかった!あそこ、あの世界、きちんと出来たら教えてくれよ! おれ、きっとさ、あんたの世界に一回、転生してみたいって思ったんだ!」


 参った。

 つまり、最後の決めも掻っ攫われた。

 間違いなく今回の事件のMVPは、何から何まで藤間圭介で決まりだろう。


 だって、何と言っても、だ。

 ――自分の作品を、純粋なお客から相手から褒められることほど、真っ直ぐに嬉しいものはない。


「はいッ! では皆さんが転生可能な大人になるのを、もっと、もっと、もーーーーっと世界を創り込みながら、楽しみにお待ちしておりますね!」


 そして、こっちはこっちで、だ。

 田中には、あった。

【行方不明の少年少女】に、【自分の家を帰りたい場所に出来なかった子供たち】に――【立ちたい場所を見失った心】に、伝えたいと思ったことが。


 もう要らない。

 あんな彼女の一言の後、言葉以外で示したこと、体験を通じて促した発見――その中に、何を足しても無粋になる。


 神様は笑う。

 子供たちも笑う。

 自分が与えたかったものを、自分が与えるよりもずっと確かに、別の手から与えられた風景。

 それを眺める田中が、ぽん、と左右の肩を叩かれる。

 

「お疲れ様でした、タナカさん」

「まったく、お互い有意義な出張だったな?」


 ちっぽけな悔しさなど、それでたちまち吹き飛んだ。

 つまらぬ意地に苦笑で決着、之にて一件、大団円。


 山の麓へ下りてくれば、どうやら今日から祭りのようで、そこかしこに朝も早くから店が出ている。

 松衣馴染みの活気に元気、威勢のいい売り向上と鼻をくすぐる旨さの匂い。


 何といってもついさっき、大冒険から帰ったばかり。思い出したかのように子供たちが腹を鳴らし、田中はこの三日で培った目端を聞かせ、炭火が売りの串焼き屋台に人数分の肉を頼む。瞬間的に湧き上がる、やんややんやの大喝采。


「ありがざっす! ゴチんなります、田中兄さんっ!」

「かっけーーーー! マジかっけーーーー!」

「こういうのがさらっと出来るの、ホント憧れのオトナってかんじだよなーっ!」


 とまあそういうオチとして、最後に田中もささやかな、発見ひとつを貰って帰る。

 何のことはない。


【ヒーロー役】は、持ち回り制だ。

【強い】【弱い】の矢印やくわりが固定されていないからこそ、いつでもどこでも誰にでも、どんな些細な自分にだって、スポットライトは当てられる。


 だから。

 その時を、格好良く迎える為に。

 助けられた相手を、次は、助ける事が出来るように。

 人はきっとその為に、背筋を伸ばして生きていく。


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