三章・02
「いや、そのりくつはおかしい」
「さもありなん」
居酒屋食火で繰り出された工藤の無情なる一言を、田中は粛々と受け止めるより他なかった。
「しかし、そう来ましたか……そこまでですか……」
凄まじく衝撃的な話だったが、思い返してみれば腑に落ちることではある。
「純エーテルで充たされた、汚濁も劣化も変質もしない世界。それを最上であると考える方であれば――確かに、妥当ではありましたね」
「うん。もっと早く、気付くべきだった」
田中が気を落とすのも無理はない、それはもう率直な反省点だ。
様々な条件が複雑に作用し合い発生する、自然の営みの結果としての、環境変化。
その、包括的な総称としての概念。
変わらないようでいて同じことなど一瞬とてない、条件の巡り移り。一瞬毎に絵を変える、生命のパズル。
それを、
彼女は。
「女神様は。季節っていうものを知らなかった」
考えれば考えるほど表情が陰る。世界を、環境を作る上で、これほどに綿密に、密接に関わってくる、どのように関わらせるか考えるべき要素もそうそうあるまいに。
そんなものを、田中は見落としてしまっていた――説明することを、失念していた。
これほどの大事を、また一から理解させた上で世界創造に取り組んでもらうとなると、たとえば彼女が考えていた、『こうやりたい』という構想に水を差したり、どころか台無しにしてしまう結果なりかねない。
……というか。
そもそも、【季節】の概念を知らない相手に、【季節とはどういうものか】を教えるのは、果たしてどれほど難しいものなのだろうか。
「しかし、田中さん」
わずかに眉を寄せ、首を傾げる工藤。
「そもそもおかしくないですか。あの女神様――創造神がどうして、人間が苦労する程度の暑さや寒さに悩むのです」
「ああ、その点はほら。君のおかげだよ、工藤さん」
「……? 私、ですか?」
「ほら。先日の、グヤンリーでの、憑依体験」
田中も同じ疑問を抱き、そして、女神から説明を受けた。
何でも、
「君の互換を通し、世界を体感したおかげで。そういうものを感じ取るコツっていうのか、【性能の絞り方】を理解出来たらしい」
驚きと、訝しみとが半々で交じり合った反応。
つまり、昼間に田中が女神に見せたのと同じ顔。
「とんでもない話だよね。自分が何をどう感じるか、頑強さや感知の度合いまで、随意で調整出来るなんて。……本人を前にしてたら絶対に言えないけど、これまで何度かあの人のことを普通の人間みたいに勘違いしそうになったこともあった。でも、今回の一件で改めて目を覚まされた感じ。どう見ても演技なんかじゃないふうに気温にやられてたのに、女神様、証拠を見せるからって、『こんな具合なのです』なんて言いながら、平然とライターの炎で指を炙って見せたんだぜ」
やっぱり凄いよなあ、神様って。
そう話す田中には、距離感を抱いている類の緊張は見えない。
自分と相手の違いを比べ、それをただ純粋に違いとして認めているような、気負いの無い物言いだった。
「だから女神様、これからはより世界のことを人間目線で知る為に、“人間に近い状態”を保っていくって言ってた」
「その結果が今日の、進捗申請をする以外は何も出来ないぐらいのへばりかたというわけですか」
「異世界以前に余所の国から来た人でも、日本の温暖湿潤気候は慣れるまで辛いって聞くし。まして、つい最近はじめて人間と同じ感覚に合わせた、それまでは暑いも寒いも、どころか痛いも痒いも外部からの不快をまるで味わったことがない神様じゃあ、相当キツいんだろうねえ……」
うぅん、と悩んだ様子で頬杖を突く田中。
「出張のことについてもきちんと話せなかったし。予定は次の月曜からだから、なるべく早めに僕がいない間のスケジュールも決めておきたかったんだけどなあ」
「田中さんは、どう話すつもりだったんですか?」
「そうだねえ。自習、っていうのが一番当たり障りがなくはあったんだけど、こういきなり新しいことを考える必要が増えたタイミングで、誰からもアドバイスを受けられないのは正直厳しい。……その、出来れば工藤さんに、ちょっとだけ代役を頼めないかな、なんて考えてはいたんだよ。図々しいけど。君なら女神様も信頼しているし、何を言ってくれるかにも不安が無いし」
「ははあ。だから今日、急に呑みに誘っていただいたというわけですか。下心アリで。親交を深める為でなく、報酬の先払い的に」
「う。ま、まあ呑んでよ工藤さん。前回は流れでああなっちゃったけど、今回は僕が、」
「御安心ください」
テーブルから。
乗り出してくる、身体。
酔いが回って、据わった眼差し。
「突然の出張についても。女神様の変化についても。一挙両得、ぴたりと嵌まる、妙案が御座いますとも」
実に不安をもよおさせる様子、悪巧みを思いついた顔つきで、工藤は田中の猪口に酒を注ぐ。
「く、どう、さん?」」
「耐え切れないほど、苦しいならば。いっそ――――そこを突き抜けたところにある快感を、教えてやればよいのですよ、田中さん」
ひっく、と。
蛙を睨む蛇の目で、工藤は田中の首筋を、その指でしゅるりと撫でた。
その個室で何があったのか、誰も知らない。
ただ、息を押し殺したような声が三十分ほど続いた後、二人が出る時に、
「ごちそうさまでした、田中さん。というわけで、今日の支払いは私が奢らせて頂きますね」
「はい……はい……ありがとうございました、工藤さん……」
工藤はやたらと晴れがましい顔で、一方田中はぷるぷると、恥辱に震えるようにして目を伏せていたのだった。
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