三章・03



 土曜が過ぎ、日曜が明けての月曜日。

 外出時の鞄の他、スーツケースを傍らに止めている田中が腕時計を確認する。

 

 現在、朝六時前。

 あともう何時間かすれば刺すように厳しくなる日差しも今はまだ穏やかで、人気もぽつぽつとあるばかり。目覚めた町が、本格的に活動を始める少し前。


 噴水の音、蝉の声、交じり合い耳に届く。田中は呼吸をひとつして、首をわずかに上に傾ける。

 水色の空。

 晴の予感。


「たーなーかーさーん」


 呼び声に、視線を下げた。

 ぶんぶんと手を振りながらやってくる姿に、見覚えはあるようでないようで。


「すいません、もしかして、お待たせしてしまいましたでしょうか……!?」


 女神は申し訳無さそうに眉を顰め、田中はそれに「お気になさらず。おかげでのんびりと朝の空気を楽しめましたよ」と社交辞令ではない笑みを返す。

 

「お似合いですよ、それ」


 返す刀で言葉を差し込む。

 罪悪感を消しながら、その頬に喜びが差す。


「昨夜、工藤さんから連絡がありましたからね。『是非、楽しみにしておくように』と」


 昨日と、一昨日。

 普段女神が行っているプログラムは、急遽予定を変更された。

 田中が訪れての、異世界のテストプレイとレポートの提出の代わりに、女神がこちらの世界に来て、田中ではなく工藤と行動を共にした。

 何の為か。


「成程、いい見立てだ。それならば随分と過ごし易いでしょう」


 ウィンドウショッピング。

 女神は、工藤と一緒に服を買いに出かけたのだ。


 これまで着ていた、【神としての象徴たる姿】に含まれる荘厳な衣装では、普段の“外部からの不快感を一切シャットアウトしている状態”であるならまだしも、人間に感覚を近づけている状態では過ごし難いことこの上ない。


 そこで。 

 工藤は、女神に【人間としての季節との戦い方】を仕込んだ。

 それは最も単純で、手軽な解決策。

【暑いなら、薄着になればいいじゃない】。


 風通しのよく動き易い、ふわりとしたサマーワンピース。足にはサンダルを履き、その長い髪も、背中との間に熱が篭らないよう、ポニーテールに括ってある。


 ――――普段の彼女と、脳裏で比べて。

 田中は、うん、と頷いた。


「随分と、印象が変わりましたね」

「そ、そうなんですっ。私自身も、驚いちゃって。あの服は別に汚れたり破けたりということになりませんからこれまで殆ど着替えたりしたこともなかったんで最初は抵抗があったのですけれど、凄いですね、着替えるのって! 快適になるだけじゃなくって、なんだか楽しくてうきうきします! 先日のグヤンドランガでの工藤さんのユカータも、そういった意味があったんですね!」


 羨ましい話ではある。

 汚れも破けもしない服など軽く諸々の物理法則を飛び越えているが、女神はしかし、今着ている服のほうにこそ、愛着を持っている様子だった。


「――――で、ですけれ、ど、その。私、こういうものを着るのは、は、はじめてで、慣れてなくって。……田中、さん、これ、…………しょ、正直に仰って、欲しいのですけれど。みっともなかったり、しませんか?」

「大丈夫。御綺麗ですよ。その髪型も爽やかだ」

「…………っ!」 


 肩を大きく露出した状態で外を歩く、というのに抵抗があったのか若干落ち着かない様子だったが、田中に褒められてからすぐにわかりやすく態度が軟化する。背筋が伸びて、視線が上がる。顔の赤さは相変わらずだが。

 

「むしろ僕のほうこそ、釣り合いがとれていなくて申し訳ないです。女神様がそのように着飾ってくださったというのに、いつもと代わり映えのしないスーツ姿ですから」

「いえっ! それはありません、それだけは絶対ありません! むしろそれがいいっていいますか、その、田中さんは――いつでも田中さんですからっ!」


 裏を返せば、何を着ても変わらないという意味か。

 ともあれ、若干テンパってこそいるが悪意も悪気もなさそうだ。褒め言葉と受け取るものだろう。

 

「さて。それでは参りましょうか。話はゆっくりと、電車に乗ってからでも」

「はいっ! …………でも、その前に」


 言って。

 女神は、今までずっと、自分の後ろに隠れるように身を顰めていたもう一人を、「ほら」と前に進ませた。


「この子にも一言お願いします、田中さん!」


 負けず、劣らず。

 涼しげという点ではタメを張る――ただ、その方向は対照的だ。


 ヘソを出す長さのシャツに、軽く羽織られた上着。

 小柄でスレンダー、引き締まった身体のラインが健康的に最大限に強調されて生かされるホットパンツ・スタイルに、運動靴履きのショートカット。


 見事。

 見事、という他に無い、その全身から放出される、溢れんばかりの中性力ヅカパワー。恐るべきは、彼女にこの才能が眠っていたことを見抜いた敏腕異世界コンサルタント。


「――――言うな。後生だ。頼むから、何も、言ってくれるな、タナカ。わたしが、いちばん、よくわかってるから」


 ともするならば真夏の日差しより強烈なオーラに当てられて、

 つい、

 うっかり、

 口が滑った。


「すっごいハマってるじゃないですか天使さん! 僕が女の子だったら絶対放っておかないなあ!」

「どぉおぉいう意味だそれはぁぁぁぁッ!!!!」


 裂帛の叫びの後。

 自ら大声で集めた視線の中心で、彼女は羞恥と恥辱に震え、か細くか弱く「おうちかえる」と呟いた。


「もう。違うよう、天使」


 えっぐえっぐ、と蹲るその頭をぽんぽんと撫で、

 主はそこに、畳み掛けた。


「これから一緒に出掛けるんだよ?」


 市役所より、徒歩十分。

 町の中心部に位置し、日々内外の利用者を迎えるここは、守月草かみつぐさ駅。


 地続きか否かの違いはあれど、異世界転生課と同じく、人々が別の場所へと向かう為の場所――二つを繋ぐ、移動拠点。

 目的の電車の発車時刻までは、あと十五分。


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