第三章:公務員と子供たち

三章・01



「――――というわけでね、ここのところ何ともしんどい暑さが続いておりますので、職員の皆様に於かれましては各自クール・ビズの心構えと定時後の一杯を楽しみに、健康的に乗り切って行きましょうと、まあぼくからはこんなところかな。では今日も一日、世界と世界と世界の為にがんばろう」


 異世界転生課の朝、始業前の朝礼が課長の言葉で〆られる。

 静聴から一転、各々の持ち場に職員たちが活気に溢れた様子で散っていく。

 そんな時だった。


「あぁ田中くん。ちょっといいかな」


 彼が、呼び止められたのは。

 

「先日はどうもありがとうね、御土産」

「いえ。課長には普段から何かとお世話になっていますから」

「ははは、そんなもん全部帳消しになる出来だったよ。おかげで見識が広がった。これからは甘めの酒にも、どんどん挑戦したくなったね」

「そう言って頂けて何よりです」

「うふふ。いいねえグヤンドランガ、僕もいつかは自由にのんびり行ってみたいなあ」

「あれ。確か課長、グヤンドランガには何度か訪れたことがあるのでは?」

「異世界転生課の職務、でね。大切なのは、『自由にのんびり』の部分だよ。なんだろうね、ぼかぁ不思議といいかげんに見られることが多いのだけれど、あながち間違いでもないのだけれど、それでも実は仕事に関して言うとマジメなほうだぜ」

「そうすると。ほら、いっそ転生してしまうというのは? 残数はまだ残っているなら、そのほうが手っ取り早いかも」

「うむ、実にナァーイスアイディアだ。けれど、そうだねえ。それも楽しそうなんだけどねえ。残念ながらそりゃムリだな」

「どうして?」

「ほら。僕が行ったら、寂しいだろう?」

「ええ、実に」 

 

 二人は顔を見合わせ、一緒に笑う。

 勿論、どちらもわかっている。

 これは段階で、ある種の儀式だ。


 ただ雑談をする為に、

 わざわざ他の人間に聞かれる心配の課長室にまで、田中が呼ばれたりしない。

 ――――そうして、


「行って帰って来られる旅だ。気楽なもんで、遠くでもない」


 ほぐれて和んだ空気の中に、

 本題が切り出された。


「田中くん。君にさ、ちょっと出張をお願いしたいんだ」


 大丈夫。

 回数が減るわけじゃないからね、と。

 異世界転生課課長は、のんびりと打診した。



                 ■■■■■



 さて、困った。

 無論田中は社会に属する公務員であり、職務に関する上司からの、能力を見込まれての采配を、まさか無理だと断れようか。


 ――などと言ってしまえば語弊があるが、別に田中は命令事態に抵抗を覚えているわけではない。

 悩みの種は、別にある。

 

「その間を、どうしようか……」


『ちょっと放っておいたら枯れる』とか、そんな植物的なアレとも違う。

 ただ、今、流れが来ている。


 先日の一件以来、これまでただでさえ満々だったやる気に元気に集中力が倍増しに増した。自分の肌で直に感じる取材体験(厳密には本当に“自分の肌”とは言い難いが)は多くの気付き、認識のブレイクスルーをもたらしたらしく、明らかに調子がいい。


 具体的には――ひたすらに過剰だった攻撃力の、減少。

 先日にはついに、【死に戻り】をすることなく一日の体験を終えることさえ出来た。……まあ、相当危うい、ギリギリのところだったのだが。


 ともあれ、目下最大にして最初の課題であった部分の改善がめきめきと進行中であり、この勢いを止めてしまうのはいかにも惜しい。


 田中の出張中。

 自分が別件に関わっている間、女神との【世界創り】はどうするか。


「……なるべく、穏便に伝えないとなあ」


 背凭れに体重を預ける。

 今日は月に一度の田中方異世界転生課への訪問日、進捗申告の予定日であり、そういう意味では都合が良い。


 なるべくショックを与えないよう、モチベーションやテンションが落ちてしまわぬようにうまく出張の事実を伝え、それから二人で話し合ってスケジュールを組み直そう。


 一応はそのように結論付けて考えを切り替えた田中に、

 その瞬間は、ほどなくして訪れた。


『異世界転生課萬相談窓口、田中様。申告の件で、女神様が御出でになられました』


 総合受付で訪問の胸を伝えた後、担当、即ち田中と合流して別室へと移動する。

 それが進捗申告日に於ける女神の普段の流れであり、田中はフロア内放送に呼び出されてすぐあらかじめ纏めておいたファイルを持って席を立ち、受付横の待機スペースへと向かう。

 

「ど、っ…………う、も?」


 そこで見たものこそが、彼の声を裏返らせた。

 どう言おう。

 どう言うべきだろう。


 おかしいところは、無いのだ。

 女神はいつも通り、あの日、最初にこの異世界転生課に訪れた時のまま――春の日と、まったく何も変わっていない、そんな姿で立っている。

 立っているから、問題なのだ。


「…………………田中さん」


 その人は、いや、その神は。

 世界を創り出し、作り変える力、数多の絶大な能力を備える女神は。

 神妙な顔で。

 深刻な声で。

 さながら、始めてこの場を訪れた時に勝ると劣らない、追い詰められた悩みの様子で。


 決して余所には漏らせない、秘密の話をするように言ったのだった。


「即刻、太陽神に連絡を。この世界に今、どうやら、かつてない異変が起きています。一ヶ月振りにここへ来た私だけが、それに気付いたみたいです」

「…………えっと、」

「急いで下さい。早く手を打たないと、きっと大変なことになる」

「女神様、その、」

「地球の温度調節――完全におかしくなっていますッ!!!!」


 絶叫。

 その善良なる正義感から生じる使命感が、音量調節をぶっ壊した。

 異世界転生課全体に轟く羽詰った大声が、否応無しに注目を集める。

 一点に。


 極めて豪奢で神々しい、これから何のパーティに出かけるのかと思われそうな、ゴテゴテとした厚着の女に。


「女神様」

「はい!」

「今の季節は、夏です」

「はい!?」


 やたら勢いのあるテンションのまま首を傾げた女神は、それからすぐに「成程!」と全力で手を打った。


「【イマノキセツハナツ】という怪物が太陽神を暴走させていることまでは、もう突き止めていたのですね! さすが田中さん、いえ、有能なる異世界転生課の皆様方です! さっそく祭祀の準備を! 不肖私も、異世界のものとはいえ神の一人として全力でお手伝いしますので、この世界の太陽神に慰撫と感謝をお捧げし一刻も早く元に戻って貰いましょうとも!」

 

 グッ、と頼もしい笑顔でガッツポーズを決める、だらだらと汗だくの女神。

 田中は。

 小さく頷いて、手のひらで指し示した。


「女神様」

「踊りましょうか!?」

「御案内致します。職員用のものではございますが、あちらにシャワールームがございますので」


 田中は、努力した。

 精一杯、相手が神であれ女性であるという気遣いで、ひそひそ声で教えたのだ。


「そうか、神に祈りを捧げるのであれば、まずは身を清めろということですね!」


 そのような、人間のせこい企みなど神は容易く上を行く。

 人の心、神知らず。

 彼女は何に気を遣われたのか、今自分がどんなことをしてしまっているのかも知らぬまま、足早の田中に手を引かれ異世界転生課を後にした。


「お役に立ちます」「今こそやりますよ」とやる気満々な女神の背を見送りながら、エアコンに最も近い位置にいた田中の後輩が物悲しげに冷房の温度を確かめる。

 きっちり普通に、二十八度。


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