二章・03



 待ち合わせは、女神側の異世界転生課に、日曜の正午。

 田中が来訪するようになってからは多少マシになった来客用スペースで、約半日程度行われる。【検討会】。


「ではこれより、第五回異世界創造検討会を始めます」

「どうぞ厳しくお願いしますっ!」


 前日に体験した異世界の雑感、客観的な目線に基づいて列記された良い点と悪い点、女神がテーマとして選んだ事柄と類似の特徴を持つ異世界との比較、あちらはうまくいっていてどうしてこちらは失敗したのか――そうしたことを、田中は持参したレポートを手に語る。


 女神から質問があれば挙手をして尋ね、田中が丁寧に解説を返す。それはさながら、家庭教師に教えを受ける生徒にも似た構図で、そしてそんじょそこらの受験生より女神は実に熱心だったと断言出来る。


「な、成程成程……! これが、目から鱗というやつなのですね! それでは早速、もっとぽろぽろ零させて頂きます!」


 それもまた、資質だ。

 机の上にどんと置かれたレポートの束が分厚ければ分厚いほどに、自分がこれだけのミスを犯したと落ち込んで、こんなにも読まなければならないとうんざりする――のではなく。


 田中がこれだけの時間と労力を自分の為に費やしてくれたのだと、ひたすら低頭に感謝をしてから、一語一句読み飛ばす事無く集中して読み込んでいく。

 その、自身の過ちと未熟さ、至らなさに情けなさが嫌というほど詰め込まれた訂正指摘の大群に、彼女は真摯に向かい合う。


 ――成果へと劇的に反映されるか否か。

 そこに目を瞑らなければならないことを除いたら、およそ、理想的な学習者の姿勢ではあったろう。


「…………」


 女神が読込を始めれば、その間は待機になる。

 田中は、手持ち無沙汰の時間にも、自分の出来ることを続ける。思考を続ける、考える。


 五週目のテストが終わったのは、今から三十七時間前のことだ。

 金曜の夜十時に始まった体験旅行は、忘れもしない初回の事件――【純エーテルとの接触による汚濁物質強制浄化】に次ぐ早さで決着した。


【各種特産大盤振舞自動的】の世界を味わい、田中側が出したヒントの最も大きなものとは、要するに【足るを知る】こと。

【いくら価値があるものだって、自分が欲しいより多く押し付けられれば疲れてしまう】。


 ――言外に、というのも難しいほど、これはあからさまな女神の【攻撃力の高さ】への諫めも兼ねていたのだが、どうやら、良くないほうにだけ取られた。


 今回の世界。

 女神が用意したのは、【自由自在の世界】だった。

【物質寄り】ではなく、【理寄り】の世界。

 世界に満ちる法則性、特殊なルールを持つ世界。

 女神は。

 それならば、と打開策を提案した。


『ありすぎるのが辛いなら』。

『欲しい分だけ、手に入ればいい』。

『それも』、

『自分が欲しいタイミングで』。


 そうして、女神様は世界は――その世界にいる人間は、【欲しいものを言えばそれがどこからか現れる、満たされる世界】を創った。

 要するに。

 これまでで、最も手酷い大失敗。


 自信満々の女神に期待して、田中がその世界に一歩、踏み出した瞬間。

 彼は、中空に投げ出されていた。

 ふわり、ふわりと。

 踏み出して、蹴り出した足の勢いで、彼はそのままどこまでも、浮き上がり飛んで行ってしまった。


 その際に襲われた混乱といったらなかったし、自分の身に何が起こっているのかを理解しているときにはもう、何もかも後の祭りだった。

 ……本当に、馬鹿馬鹿しいことに。

 今回の、田中の死因は墜落死だ。


 どれだけ空を掻いたところで姿勢制御も軌道を変える推進力さえ得られず、地上から高く浮き上がり過ぎた為に高山病の症状に蝕まれ始めた頃、頭痛や吐気の中で田中は、ようやく自分の身に起こっていることを推測し、そして、焦りから判断を誤った。


 彼は言った。

 願ってしまった。


『重力が欲しい』。


 無重力状態から瞬時に転換し、田中の身に掛かった負荷は数値にして15G。

 最新鋭戦闘機のパイロットがドッグ・ファイトの中で体感するよりも凄まじい荷重、自然界の法則ではなく神が創り出した理の実行は、同じ神の分霊を借用している田中の肉体にも致命的な作用を及ぼす。


 自分の口から出た懇願を自分で認識する前に、彼の意識は15Gに齎された血液が心臓から脳に上らぬ非供給、G-LOCで喪失される。

 ある意味では幸運だった。

 田中は重力を求める訴えを発して、それから次に目を覚ました時にはもう終わっていた。自分の肉体が高高度から地面に墜落した瞬間の、その感触を味わわずに済んだのだから。


 謝罪を重ねながらもしきりに首を振る女神の口から、ようやく今回どういう世界の法則を作り上げたのかのネタバラシを聴いて、田中は内心で頭を抱えた。


 果たして。

 どうすればこの、自分がどれだけ完璧な存在か気付いていない、人よりも遥かに優れた神様に。


 人間とは、自らが普段、どういう条件が揃っているおかげで生きていられているかを正確に把握も意識してもいない、脆弱でおろかな生物であるのかということを、納得させられるのだろうかと。


 この隔たりスケールを。

 この性能差ディテールを。

 どうやれば、埋めることが出来るのだろう?


 今回は。

 異世界体験があまりにも早く終わったから、そのおかげで、休養や私事に割けそうな時間も確保出来た。


 けれど、いつもの通りだ。

 どれだけたっぷりと猶予があったところで、女神の異世界を体験した後はろくすっぽ眠れやしない。


 気がつけば彼はモニターを睨みつけ、昨晩も、カーテンの向こうが白むまでキーボードを叩く音を響かせていた。


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