二章・04



「タナカ」


 物思いに耽る心が、ふいに、引きずり上げられた。

 天使だ。

 女神は今、先だって創造した、異世界転生課内の【女神席】に座って、必死に田中が纏めたレポートを読み込んでいる。


 何の冗談か、『集中にはこれが覿面と聞きました』と、フレームが太い黒縁の眼鏡なんかをかけながら。

 きっと、大真面目に。

 それを作成した田中に、勝るとも劣らぬ熱量で。


「君は、頑丈だ」


 突然に何を言い出すのか。

 さっきあんなふうになったのだが。

 当然表情に出すようなことはしなかったが、天使は察して言葉を続けた。


「弱音を吐くということを知らない。投げ出そうとする素振りもない。……ここしか知らない自分には、正確に把握出来ていないのだが。皆、タナカのように苦境に踏み止まる使命感、鉄にも等しき職業意識を備えているのか? ……コウムイン、という部隊は」


 さて、返答に困る問いではある。

 田中は小さく苦笑して、それから静かにこう返す。


「ええ。特に、工藤さんという同僚なんかは、私では足元にも及びません」

「な、なんと。タナカよりもか」」


 畏怖する天使を微笑ましくて見て、田中は言う。


「ですけど、ひとつ訂正としては。私は自分がやっているのは、必ずしも、公務員の立場に相応しいものか、自信が無いんです」

「……? なんだと?」

「使命感や、職業意識。もし本当に、異世界転生課の人間としての立場を優先するのであれば――女神様はあのように苦労なされる必要など無く、“正解”は、もっと簡単に手に入るのだ、ということですよ」


 田中の“願い”か。

 女神の“望み”か。


 結局はそれだ。彼女の異世界を、誰かにとっての故郷にする――異世界転生者を招く為には、実際のところ、通れる近道、早道、抜け道の類は山とある。


 わざわざ茨を選択せずとも。

 既に拓けた王道がある。

 早く、易く、巧いやりかた。

 誰もが求め、誉めそやす――時代に馴染んだ、最適解。


 手に入れようと思ったのならば、彼女はそこに、すぐにも到達出来るだろう。

 田中の纏めたレポートなんぞ、遠回りの役立たずだと放り出せば、それこそもう明日にでも。


「天使さん。僕は女神様に、自分の理想を押し付けているのかもしれません」


 公務員とは、何か。

 それは、真摯で、かつ公正であるべき存在だ。そのようにあらねばならぬ職業だ。

 大きな機構の滞り無く正確な運営、自治体の、つまりは人の健全な生活の成立に携わる立場の人間には、与えられた資格と権利に相応しい義務と責任がまた伴う。


 独り善がりの私情に、個人的な願望。どちらも等しく言語道断。

 信頼への裏切りは、透いているからこそ許されている関係性を濁らせる。田中は十分自覚している。


「本当ならばもっと簡単な、こうすればいいという方法を隠している。だから、ずっと申し訳が無い。さっきだって、『私の為に田中さんもこんなにもがんばってくださっているのですから、こちらが先にへこたれるわけには参りません』と言われた時――一瞬、どうしようもなく僕は、自分で自分を叱り付けたくなりましたよ」


 没頭する女神には、雑音は届かない。それでも意識して小声で喋る。人間相手に行うような小細工が創造神相手に意味を持つのか、甚だ疑わしいものだが。


「……どういうことだ。まさか――タナカ、我が女神と少しでも長く接点を継続させるべく、わざと虚偽を吹き込んでいるのはあるまいな!? や、気持ちは痛いほどよくわかるのだが許されんぞそれは!!!!」


 それが出来たならどれほどに容易いか。

 首を振って否定する。


 むしろ正反対だ。

 その創造に。

 その道程に。


 一切の妥協を、手抜を、半端を、容易を。

 混ぜずに行こうと決めたからこそ。

 田中は、女神に負い目がある。


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