クロノトロピー

クロノトロピー※1

「お疲れさまでした」


 観客達の声援を背に控え室へと向かったセイトは、その入り口で一人のメイドに出迎えられた。


 メイドは彼にタオルを手渡し、労いの言葉を贈る。そしてすぐさま彼の為の椅子を用意すると、予め暖めて置いたカップへと蒸し立ての紅茶を注ぎ給仕していった。

 その動作は、まるで渓谷を伝う流水のようだった。粛々と、淀みなく、それでいてその全てが予定調和として溶け込んでいる。


 言うなれば、給仕者の鑑といったところだろうか。


 彼女――いや、セイトがエニスと名付けたエニスエードガンマ型機械人形は、その特性によって彼が望む未来を予期し、最適と信じる行動を的確に実行していた。

 セイトはそんな一風変わった専属メイドに尽くされながら、先程受け取ったタオルで荒々しく汗を拭う。そして、先程まで溜め込んでいた不満を無遠慮に愚痴っていった。


「やっぱ話になんねえ。つうか、こんな相手と戦ったって充足感なんて味わえねえし、客達の声援もただ喧しくしか聞こえてこねえ」


 別に、苦戦したいなどとは思っていなかった。だが、セイトはこれまで戦ってきたその全ての相手に対して不甲斐なさを感じていた。


 ――弱い。……いや、弱過ぎたのだ。

 それは単にセイトが強者であったというただそれだけのことなのかもしれないが、しかし彼が抱く不満はそんな理屈では押さえきれない。


「……ふふ、ご機嫌斜めですねセイト様」


 セイトの顔は、まるで絵に描いたかのような仏頂面。

 エニスはそのとっても分かりやすい感情表現に対して笑みを溢し、「そんなセイト様に……」と、どこからか取り出した紙袋を彼の目の前に差し出す。


「遠州堂のぷよまんで御座います。本店がこの催しに合わせて新作を発表したという情報を入手しまして、あらゆるコネを駆使して入手して参りました」


「お、おおお……」


 赤丸の中心に【遠】の一文字。

 セイトはその紙袋を見ると途端に瞳を輝かせ、早速袋の中を覗き込む。


 丁寧に煮出された楓の樹液の上品な甘さに、温めたチーズのような柔らかさと少々の弾力が想像できるその見た目。基本は一口大の『ねりきり』と呼ばれる菓子であるが、この東の国から持ち込まれたぷよまん――特にその伝道者であり総本家でもある遠州堂の品については、『完売の札が刺さらない日は無い』などと持て囃されるほどの人気である。


「よくやった、素晴らしい働きぶりだ」

「お役に立てて光栄の至りです。それにこうしてセイト様がお喜びになられると、私も……こう、胸の辺りが温かくなって参ります」


 エニスは湧き上がってくる感情を確かめるように胸元に手を当て、しかしそこでふと違和感を覚えてしまう。


 それは、不意にあてられた微かな敵意だった。

 そして、

 ――、――。

 部屋に響く、二度の乾いた音。

 突然の訪問者を知らせるそれは、部屋の片隅で埃を被るくぐり戸から響いてきた。


「おかしいですね。表彰式にはまだ時間がありますし、そもそも運営の連絡であれば常用口を使うはず……」


 エニスは呟くように唱え、件の扉へと歩んでいく。そして、ことと場合によっては少々の荒事も辞さないとばかりに語気を強め、この突然の来訪者を威圧した。


「失礼ですが、どなた様でしょうか? 現在セイト様は試合に備えお体を休められていますので、ここから先はメイドを務める私が対応させて頂くことになりますが……」


 …………。返答は、ない。――が、


「エニス、先ずは後ろだ」

「――はいっ!」


 エニスはセイトの言葉を受け、眼前の扉――にではなく、自身の背後に向けて即座に回し蹴りを放った。見た目上、そこにはなにもない。だが、振り抜いた左足は先刻抱くこととなった違和感を捉え、そこに潜んでいた何者かを打ち据える。


「ほう、なかなかに鋭いじゃないか。フォーリックのところには珍しいヤツがいると耳にして楽しみにしていたんだが、なるほどなるほど……」


「――っく、主の許可なく、しかも無断でそのテリトリーに侵入してくるその自信と度胸には感服します。ですが、もしあなたがこの一撃を防いだことで余裕を感じておられるのでしたら即刻退散されることをお勧め致します」


 エニスは最後に「いかがなさいますか?」と警告し、その後相手に逡巡させる間も与えずに連撃を繰り出していく。右、左、左――と、鋼鉄の高度を上回る拳を振り抜き、踊り子のように舞いながら不特定なパターンで相手を釘付けにする。


 すると、相手の態度が途端に一変した。


「ちょ、ちょっと待て。さっきのはともかくこんなのマジでシャレにならねえぞ? おいフォーリック、なんでもいいからコイツを止めてくれっ!」


 言葉には明らかな焦りが現れ、先程までの余裕は一切感じられない。かの者は未だその姿を隠蔽してはいるものの、それもいつまで続けられるかという所まで切迫していた。


 そして、セイトはそんな相手を助けない。

 それどころか、


「やだね。つうか、お前らって王立騎士団の連中だろ? こんな隠蔽含みの転移魔法テレポートなんて使うのは、この交易都市じゃお前等しかいねえからな」


 と、相手の正体を見破るに止め、悠長に茶を啜ったりしている。


「まてまてまて。そこまでわかってるんならいますぐ止めろよっ! というか、お前だって国の従事者じゃねえか。俺達は同穴の狢、助け合ってなんぼだって思うわけよ」


「ふうん。……で?」

「いやだから助けろつってんのっ! 流石にこんなのを受け続けてたら体が持たねえし、それに俺はお前らとやり合いにここにきたんじゃねえ」


「エニス、続行だ。そのアホは徹底的に教育してやれ」

「承知しましたセイト様。このエニス、全力をもってこの命を達成致します」


 エニスはセイトの許可を得ると途端に魔力回路を活性化させ、自身の活動能力を飛躍的に向上させていく。これまでは相手を半殺しにして生け捕り、この狼藉に至った経緯などを吐かせようと手加減していた。――が、これでその必要はなくなったのだ。


 それに、エニスは個人的感情で怒ってもいた。


 主の喜びに触れたことによる心に芽生えた暖かさ――、その心地よい感覚に浸りきれなかったことに対して。


 故に、

(赦しません、赦しません、赦しません……)

 と、メイドとしての使命感を超える力を込めていく。

 もはや、尋常の領域はここにはない。虎どころか竜の尾を踏んでしまったかのような有様であるが、


「お、やる気満々じゃねえか」


 セイトはその顔に企みの笑みを浮かべ、潜り戸の方へと歩いて行く。

 それも、「ヤバいなあ~エニスを怒らせると怖いからなあ~きっとコイツ死んじゃうなあ……」などと、実にわざとらしい口調で嘯きながら。


 そうしてセイトは潜り戸の前に立ち、その扉を無造作に引き開けていく。

 ギィ……と錆び付いた金具が軋み、外側の空気が控え室へと流れ込む。そして、扉が中程まで開かれたその刹那、


「――エア・ブレイク」


 暴力的な魔力が非常口の扉に――いや、扉の影から姿を現したセイトに襲い掛かった。

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