第78話 昨日の失敗、今日の過ち




 前世で見ていたアルフレート・シックザールは消えてしまった。

そう聞いた時に俺が一番に覚えたのは哀悼の感情でも、歪んだ世界への悲しみでも怒りでも何でもなかった。


『俺は誰なんだろう?』


 この世界はゲームではないと解っていた筈だった。

だけど本当は、これっぽっちもわかっていなかったのだろうか?


 頭で理解するのと、実際にそう思い、行動するのとは違う。

もとはゲームだからという考えが根底にあったからこそ、無鉄砲にすら思える行動も躊躇無く出来たのかもしれない。

何処かで甘えていたからこそ、本来他の人が立つべきだった筈の場所、本来のアルフレートが受ける筈だった母上の愛情や信頼も何の疑問も抱かずに受け取る事が出来たのかもしれない。


 別段、アルフレート・シックザールらしくと考えて行動した事はなかった。

俺は俺のやりたいようにやっていた。

だけど、消えてしまったアルトは、何も出来ない。


 今まで信じて築いてきたものが、ガラガラと音を立てて崩れ去っていくような感覚に囚われる。


「俺はアルトの偽者なのか……?」

『それは違うぞ!』


 愕然と呟く俺の頭の中で響いたのは、フリューゲルの鋭い声だった。

独り言を呟いたつもりだったのに念話を続けていた事を、その声で理解する。


『例え世界がお前を偽者だと言っても、我や白いの、イルメラ嬢、その他お前に関わったすべてのモノにとっては、お前こそが本物のアルフレート・シックザールだ』

「俺が、本物……?」


 世界にとっては消滅してしまったアルトこそが本物で。

だけど、それを知らないこの世界の住人にとっては、俺がただ一人のアルフレート・シックザールで。

世界がどうであれ、そこに生きているものが感じた事こそが全てだとフリューゲルは言う。


『そうよ。私にとって貴方は可愛い息子だけれど、この世界のアルフレート・シックザールは貴方しかいないんだから。偉そうな事を言っても、巻き込んだのは私なんだけれどね』

「俺はここにいていいのかな?」


 続いて語る声色には聞き覚えがあった。

これはあの人が珍しく何かを反省している時の声だ。


『そなたがおらねば困る者ならたくさんおるぞ。勝手にいなくなったりしたら、特にイルメラ嬢は怒るであろうな』

『いてほしいからわざわざ送り込んだんじゃないの』


 俺がふらっと消えた事にイルメラが激怒し、魔王化。

今の俺に、イルメラに対してそこまでの影響力があるのかと言われれば首を傾げてしまうが、もしそうなってしまったらそれはそれでバッドエンドな気配が濃厚だな。


 フリューゲルがわざわざ引き合いに出してくれているという事は、傍目にはイルメラの遊び相手その一か、下僕その一くらいのポジション、最低限気に掛けてもらえるくらいにの存在には見えているのだろう。


 いてほしいと言われて感じたのは喜びだった。

もしここに、本来のアルフレート・シックザールの魂が戻ってきたとしても、俺はこの立ち位置を譲れない。

色んな柵やら頭を悩ませる背景を脇へ追いやった上で思うのは、ここで生きたいという純粋な欲求であった。


『時には我が儘に、がむしゃらに生きよ。そなたはまだ若い』

『お前にそれ言われたら、人間は誰でも若いうちに入ると思うよ』


 すとんと胸のつかえが一つ落ちた。


『俺は何をすればいいの?』


 ここで生きると決めた。

だったらこの世界の神様の目的を知るべきだ。


 落ちるだけ落ちて、落ち着くべき場所にすっぽりと収まって腹が据わった俺は、実際に姿が見えるわけでも無いのにかつての母が笑ってくれている気がした。


『私はね、別に世界を元通りにする事を貴方に強要するつもりは無いの。再生を止めて、滅ぶのが運命というのならそれも仕方ないと思う。だけど、おかしいじゃない? 何の希望も、喜びも無い、ただ無意味に悲しいだけの終わりだなんて。どんなに悲しい物語にだって、どんなに悲しい結末にだって、何かしらの救いはあるべきよ』


 共鳴するように心に直接響いてくる感情は怒りか、悲しみか。

激しいのに、凪いでいて穏やかだった。


「俺もそう思うよ」


 ぽつりと呟くと、心の中にじんわりと温かなものが広がる。

多分、向こうで泣いているのだろう。


『ルルを救う事って出来ないかな?』

『何故また?』

『何でって言われても上手く説明出来ないけれど、敢えて言うならそうしたいから?』


 ファタリテート神は、真の黒幕はルルでは無いと言っていた。

その話の通りなら世界を歪めたやつ、そいつが元凶だ。


『魂を送り込む事くらいしか私は直接世界に干渉出来ないのが悔しいわ』

『そういうものなの?』

『神がそうそう人前に姿を現しては、その威厳が損なわれるというものだ』

『いや、フリューゲル。干渉出来ない理由の第一のそれを述べるのはおかしいだろ』


 自分から種を撒いたというのに、女神はこの件に関しては終始ノーコメントを貫いていた。


 色々考えて、色々話して。

結局俺がする事は何も変わらなかった。


いつ、どんなタイミングで、どんな手段で襲ってくるか判らない。

ルルが最終的な黒幕では無いにしても、彼女が俺たちを狙っているのは間違い無い。


だったら俺たちは何が何でも生き残らなければならない。

俺たち自身の為、世界の為、そしてルルの為にも。

シンプルに考えれば、何も混乱する必要は無かった。


 日が完全に沈む頃、また三年後にと言い残して女神は消えていった。




「イルメラちゃん?」

「フンッ」


 翌日、卒業まで残り数える程となった魔法の授業の場で、俺はイルメラを前にして右往左往していた。

昨日の俺の態度に対してご立腹の彼女は、露骨に俺を無視してきたのだ。


 自分でもあれはまずかったと思う。

別に邪険に扱っただとか、冷たい態度だったとかではないけれど、心ここにあらずだったのだ。

女性はそういった人の心の機微に敏さとい。

あの場では怒りより心配が上回ったらしく、どこか気落ちしているように見えたイルメラだったが、一晩眠って起きた今、怒りが勝ってしまったようだ。


 俺の方があの場であんなだったのに、一晩でころっといつも通りになっているのが余計に『じゃあ昨日のあれはいったい何だったの?』と彼女を苛立たせているのかもしれない。


「イルメラちゃん?」

「申し訳ございませんが私、今は貴方とお話する気分ではありませんの」

「そう言わずに、ね?」


 望んだ事では無いとは言え、紛れもなく自分の撒いた種でこんな状況に陥るだなんて、昨日の俺は欠片ほども思っていなかった。

そんな余裕は無かったのだとしても、昨日の俺しっかりしろよと過去の自分に対してクレームのような感情が湧いたのは致し方無い事であった。

それだけ、好きな子にそっぽを向かれるのは辛い。


 出会ってすぐの頃であれば、もともとディーの関心を巡って敵愾心すら抱かれていた節があるからそれほどダメージは大きくなかったのだろうが、最近はよく話し掛けてくれるようになっていた分、ショックも大きい。


 時間が解決してくれるのを待つのが早いかとも思ったものの、何もしないのはどうにも落ち着かなくて、結局何度も話し掛け、その度に傷口を拡げていった。

ようは自滅だが人間、常に正しい行動を取れるとは限らないのだ。

むしろ愚かしさこそ人間らしさとも云える。


「イルメラちゃん、明日ひよこ豆を使った新作のスイーツを持ってこようと思うんだけど、良かったら食べて感想を聞かせてくれないかな?」


 正面からかかっても効果が無いと判断した俺は食べ物で釣る作戦に出る。

卑怯のそしりを受けようが何だろうが、手段は選んでいられない。


「口に入れた瞬間、ものすごい勢いで幸福感で満たしてくる生クリームとはまた違うんだけど、煮込んだ豆がほくほくとしていてね。何というかものすごく優しい甘さなんだ。ほろほろとした食感はいくらでも食べたいって気持ちにさせられるよ。きっと気に入ってくれると思う」

「うっ……。い、いりませんわ、そんなもの!」

「ならば、その新作スイーツ、余が食してみせようでは無いか」

「レオンくんは黙ってようね」


 食レポよろしく味の解説をする俺に、イルメラは瞳を震わせて迷う様子を見せはしたものの、パタパタと豊かな黒髪を揺らして頭を振った後、ノーサンキューとはっきり宣言する。


 落胆する中、狙っていなかった獲物が見事吊り上げられていたが、金色の魚は渋い顔をしたルーカスに視野外へとずるずる引き摺られていった。

ルーカス、お兄ちゃんになってからますます逞しくなったな。

レオンはレオンで、じたばた暴れながらフェードアウトしていく様は良い仕事をしていたと思う。


 ちなみにこの場に『王族に試作品を口にさせるなんて!』と騒ぐ者はこの場にはいなかった。

もちろん公の場ではあってはならない事だが、この部屋の中ではもはや恒例行事であり、天井裏に潜む護衛の皆さんも特に害は無いと判断したらしく、沈黙を保ったままコントを繰り広げる護衛対象たちを見守っている。

優雅とは程遠い雰囲気は、一般階級の人々が思い描く高位貴族の子息・子女たちのイメージと大きくかけ離れている事だろう。


「イルメラちゃんが食べているところ、俺は見たいな……」

「うっ……」

「美味しそうに食べてくれる君が好き」

「なっ……。軽率ですわよ!」

「軽く無いよ。だってこれが俺の本心だもの」


 多少強引でも、後に禍根を残しそうな事は排除しておきたくて、うっかりするっと妖精だの女神だのと言ってしまわないように注意しながら、呪いすらも利用して詰め寄る。

イルメラ以外眼中にない俺を目に焼き付けてもらう事で昨日の失態をカバーしようという作戦だ。


 軽蔑したと言いながらも大きくうろたえるイルメラを見て、もう少しだと俺は油断した。

しかし、これがいけなかったのだろう。

じわじわと壁際に追い詰められた彼女は、絆される一歩手前でハッと我に返った。


「……そうだわ。きっと昨日も神殿で同じような言葉を他の女の子に囁いたのね」

「え?」

「護衛の方に聞きましてよ。貴方、なかなか帰って来ないと思ったら昨日、神殿で女の子と随分話し込んでいたそうじゃないの」

「いや、それは……」

「祝賀会の時も、きっとその方の事で頭がいっぱいだったのね!」


 イルメラの勘は当たっているけれど、外れている。

確かにルルには会ったし、帰ってきてからの俺の頭はルルに関する事で占拠されていたけれど、そんな春めいた事情では断じて無い。


「違うんだ! そうじゃない、聞いてくれ!」

「言い訳は見苦しいですわよ!」

「そうだ、そうだ!」

「だから違うんだって!」


 必死に頭を振って否定するも、まさか詳しい事情をまだ幼い彼女らに説明する訳にはいかなくて、だけどそれを言わずして心変わりなど断じてしていないと信じてもらう術も無く。


 訳も知らずに気分でイルメラに味方をして、ノリで外野から野次を飛ばしてくるレオンには、後でくすぐりの刑を執行してやろうと心に誓いつつ、どうにも出来ない誤解を憂えて俺はただ天井に向かって空しく咆哮をあげるのだった。



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