第77話 運命の女神



「フリューゲル! フリューゲルはいるか?」

『そのように怒鳴らずとも聞こえておるぞ』


 生誕祝賀会がお開きになったのち、俺は厩に駆け込んだ。

後にして思えば、この時の俺は動揺のあまり周りが見えなくなっていたのだと思う。


「ルルが! ルルが黒かった!」


 順を追った説明などまるで無しに騒いで回る俺の様子は、端から見ればいつかのツァハリスのように見えた事だろう。


『何やら顔色が悪いわりに興奮しておるようだが、どうした?』

「だからルル……、ゲームのヒロインが……!」

『落ち着け! 念話で喋らぬと我には理解できぬ』

「あ……。ごめん」


 フリューゲルの正確無比な突っ込みにようやく我に返った俺は、ごくりと唾を呑み込んで、生まれてこのかた六年誰にも話した事のなかったこの世界の記憶の詳細を語った。



『ふむ、つまりその乙女ゲームとやらの舞台にこの世界がよく似ており、アルトや白いのを含めた高位貴族の子息たちがヒロインと恋仲になる候補者、ヒロインがルルと呼ばれる中産階級の娘だと申すのだな?』

『うん』

『そしてその娘がそなたたちを殺めようとしておる、と』


 一通りの話を聞き終えたフリューゲルは自分なりに話をまとめ、確認するように問うてきた。

説明していくうちに頭の中の整理がつき、叫びたい衝動が消えるくらいには落ち着きを取り戻せていた。

フリューゲルの首のあたりの白い鬣を指先で梳かすようにしながら、俺は頷く。


 やたらめったらにまさぐると、いつもは顔を背けて不機嫌そうに鼻を鳴らすフリューゲルだが、今日ばかりは好きにさせてくれている。


 無意識に手を動かしながら俺はぼんやりと続けた。


『やっぱりルルは俺と同じ転生者なんだろうか? だって、出会った時から俺の名前も、ルーカスの事も知っていた』

『だが、それだけではそうとも言えまいよ』

『じゃあどうやって?』

『判らぬ』


 こうして話し合っても浮き彫りになるのはやはり圧倒的な情報不足だった。

こうもきっぱりさっぱり判らないと言われると、胸に突き刺さるものがある。


『ヴァールサーガー教が世界征服を目論んでいるとかは?』

『憶測で滅多な事を言うでない。確かに、我の見立てでは神殿の方角の空気が淀んでおるがな』

『そんな事、判るものなのか?』

『ああ。正確には神気が薄れ、隠れてはいるものの邪悪な気が蔓延っておる』

『それって乗り込んで祓う、とか出来ないの?』

『宗教と国の覇権というものは複雑に絡み合っておってな……』

『そもそも乗り込むのが容易じゃないって事ね』


 政治と金問題みたいなものだ。

怪しいとわかっていながら乗り込めない、なかなか歯がゆい問題だ。


 鬣を弄んでいた手で俺はガシガシと自分の頭を掻いた。

祝賀会の為にカーヤさんが綺麗に整えてくれた髪がグシャグシャになってしまうが、そうせずにはいられない。


『だが、そなたの話を聞いて我はようやく合点がいった部分もあるぞ』

『なに?』

『そなたは、運命の女神がこの世に直接遣わした存在なのだな』

『は?』


 余りに突拍子も無い話に、俺は髪の間に手を突っ込んだまま、固まった。


 神の使いといえば、真っ先に思い浮かぶのは天使だ。

だけど俺が天使なんて……有り得ない。


 女性を天使や妖精、果ては女神のようだと称えて失笑を食らった事なら前世で山ほどあるが、まさか自分がそう称えられる日が来ようとは思ってもみなかった。

同時に、“僕”を白い目で見ていた人たちの思考を正確に理解した。


 ――『何言っちゃってんの、こいつ?』である。

だが、フリューゲルは大真面目だった。


『考えてもみろ、おかしいとは思わぬか?』

『何が?』

『そなたの前世の母君は何故、環境にそぐわぬ言葉遣い、立ち居振る舞いをそなたに刷り込んだのであろうな?』

『それは、あの人が重度の乙女ゲーマーだから……』

『そなたにまでゲーム内容を覚え込ませたのはどうしてだろうな?』

『それは子守の一環として……』

『そなたがそう思いたいのなら、そう思えば良い。だが、我の考えは違う』


 フリューゲルは自分の主張をああだこうだと言って否定したがる俺を金色の瞳で正面から射抜きながらのたまった。


『そなたの周りだけ神の気配が濃いのも道理だ。そなたは女神は直接腹を痛めて産んだ子で、女神が救世主としてこの世界に送り込んだ存在なのだからな』

『なっ……』


 バカな、とひと思いに振り払ってしまいたかった。

だけど考えれば考えるほど、昔の出来事を思い出せば思い出すほどフリューゲルの考えが正しい気がしてくる。


 社交ダンスだとか、徹底したフェミニスト教育だとか、魔法使いっぽい決めポーズだとか、いったいどこで役に立つのか判らないものを詰め込まれた。

王族への礼儀作法だとか、普通に生きていてればまず知る必要のないものだと思っていた。


 あれらにもし意味があったのだとしたら?

俺が、この世界に馴染みやすいように、と。


『……いや、やっぱり無い。だってあんな乙女ゲームヘビーユーザーな女神様がいてたまるか』


 危うくフリューゲルに賛同しかけて、慌てて頭を振った。

俺の主張がこれっぽちも理論的で無い事は理解している。

だけど息子だった者として言わせてもらうなら、あの人が女神様だったら泣けるぞ。


『それとて、何か目的があったのやもしれぬ』

『ゲーム画面を通して、無数に存在するパラレルワールドの監視する、とか?』

『ご名答!』

「のわっ……!」


 実に適当に、ただの思いつきの強引な推論を口にしたところで第三の声が頭の中に割り込んできた。

この声は……。


『まあ。それが六年ぶりに聞く母の声に対するリアクションなの?』

『普通驚くよね? 俺、間違ってないよね?』

『これは神の奇跡か、はたまた幻聴か……』

『このタイミングでボケるな! 出来る事なら俺は空耳だと思いたいよ!』


 目くじらを立てるあの人の顔を久々に思い起こしながら契約馬に同意を求めるも、明後日の方向へ行くコメントをもらって地団駄を踏んだ。

この薄情ものめ。


『こっちの世界とは関わりの無い筈の人の声が聞こえるなんて、俺は疲れているのかな。今日は神殿で色々あったし……』

『ちょっと、勝手に閉め出さないで!』

『よし、今日は早く寝よう』

『ちょっと! 聞いてるの、或人あると!』

『聞こえない。力づくでも聞こえないぞ。これは空耳だ……』

『ううっ、或人が意地悪……。せっかく六年ぶりに話せたのに……。せっかく女の子に優しい子に育てたのに……』

『うっ……』


 頭が痛い。

無理やりだろうが無視してやろうとしたのに、相手の声は頭の中に直接響いてくるものだから、耳を塞ごうが何をしようが問答無用に聞こえる。

その上、すすり泣くような声を脳髄の奥深くで延々と続けられたら、うるさいなんて生易しいものじゃない。

ホラー、もしくは拷問だ。


『……分かった。分かったからその泣き声はやめてくれ、母さん』

『ママでしょ、或人? いつもそう呼んでくれていたのに』

『嘘を言うな。ママなんて呼んだ事は一度も無いだろう!』

『一度くらい呼んでくれたっていいじゃないの』


 正確には声のみの出張だが、前世の母の登場によって真面目な雰囲気は吹き飛んでしまった。

先ほどから慕わしげに呼ばれている『或人』とは、確かに俺の持つ記憶の主の名前だ。


『母さんが本当にこの世界の神なのか?』

『ええ、そうよ。私の向こうでの名前は宿世すくせ。こちらの世界では運命を司る女神・ファタリテートよ』


 よく知っている声で紡がれる名前は非常に仰々しい響きを持ったものだった。

ファタリテート、宿命か。


 当然の事ながら神様の自己紹介なんて聞くのは初めてで、それが記憶の中で母と呼んでいた人だと思うと、悪い冗談のようにしか聞こえなかった。

そもそも転生にしたって、真面目に話しても馬鹿にされそうな話ではあるけれど。


『こんな気軽に出てこれるならもっと早く出てきてくれれば良かったのに』

『実はけっこう大変なのよ、これ』


 これもファンタジー映画や小説の知識でしかないが、神様のお告げだとか託宣というものはもっと荘厳な雰囲気の中で為されるものだと思っていた。

そんな拍子抜けした感情と、これまで沈黙していた事に対するクレームを併せて呟けば、鬱屈した感情で返された。


『私の力が正常に及んでいる状態なら、こんなの朝飯前よ。だけど神殿を乗っ取られた今となってはそれすら容易では無いの』


 息を呑む俺とフリューゲルに、女神・ファタリテートは事の始まりを話し始めた。


 彼女によるとこの世界は何千年という長い周期で同じ運命を繰り返していたらしい。

ところがその運命が何者かの手によってねじ曲げられ、幾つにも枝分かれしてしまった。

最初はある町娘の結婚相手が隣家の幼馴染みではなく、町長の息子に変わっただとか、当人にしてみれば一大事でも世界規模で言えば大した変化では無かった。


 だけど、軸が歪んだまま世界が再生と崩壊を繰り返すうちに枝分かれはより複雑化し、また異変も加速度的に次第に大きなものとなっていった。


 枝分かれした並行世界・パラレルワールドの管理に追われた彼女は、ひとつだった大元の世界――つまりこの世界の神殿を度々空けざるを得なくなってしまった。

そんな彼女の不在のうちに何者かによって神殿は穢され、神体である女神像に戻れなくなってしまったという。


 そこで状況を打開すべく彼女は全くの別世界へと渡り、日本人の宿世として暮らして、或人を産み落とした。

そして来るべき時に合わせて救世主として送り込むべく、こちらの常識に合わせた英才教育を俺に施しつつ、あちらの世界で怪しまれないゲームという体裁に落とし込んで、密かに世界の監視を続けていたらしい。


『つまり、ゲームでのルート分岐が全てパラレルワールドって事?』

『さすが私の息子。理解が早いわね』


 事実なのかどうかはともかく、理屈としては何となくは理解出来た。

神の息子などと言われても、全く実感は湧かない。


『だけど、困った事に世界は思っていたよりも遙かに急速に歪んでしまったの。私を助ける筈の存在だった巫女が闇に堕ち、貴方たちの命を狙うようになってしまったわ』

『その巫女っていうのはルル・クレーベルの事で間違い無い?』

『ええ』


 何て事だと、大きくため息を吐いた。

想定していたよりも遙かに事は大きい。

ルルの目的の阻止は最優先でおこなうべきだが、それを成し遂げたとて、問題を次回の周期に繰り越せるだけだ。

そして繰り越した次の周期に、或人の記憶を持った俺は存在しない。

俺が俺として存在できるのはこの人生一回限りだ。


『あれ? でも俺がこっちに来る前、前回の周期でもアルフレート・シックザールは存在していたんだよね? 俺って、この世界のアルトに憑依した形になってるの?』


 この身体が本来別の人格のものだとしたら、俺のせいで追い出された元の人格はどこにいってしまったのだろうと気になり、訊ねる。

しかし頭の中の声は、俺の言葉を否定した。


『いいえ。貴方の身体は貴方のものよ。貴方がゲームで見ていたアルフレート・シックザールという人物は、歪んだ再生を繰り返すうちに運命の歯車から零れ落ちていなくなってしまったの』

「え……?」


 落ちかけた夕日が照らす中、フリューゲルのいななきが空に響き渡った。



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