第12章
第76話 再会は神殿にて
「汝、アルフレート・シックザールに問う。汝が運命を如何に願うか?」
「母上のような立派な魔法師になります」
「では女神の名のもとに、祝福を」
聖水に塗れてひんやりとした神官の指先が俺の額に触れる。
今日、六歳になった俺はヴァールサーガー教主神殿において二度目の洗礼を受けていた。
三歳の時と違うのは、祭壇上で自分の運命に何を望むのか問われる点だ。
とは言っても、形が少し仰々しくて堅苦しいだけで、別に難しく考えなくていい。
何の事は無い、将来の夢を語ればいいのだ。
たかだか六歳の子供が将来の夢として大逸れた事を語ったところで、誰も気にはしない。
ただ微笑ましく見守るだけだ。
実際、祝福を受けた他の子たちはお姫様やら、近衛騎士やらと月並みな将来の夢を述べていた。
子供がまっすぐな目で夢を語れるのは国が豊かな証拠だ。
さて、本日一番乗りで通過儀礼を終えた俺は辺りを見回した。
世間的にはさっきの一連の流れが今日という日のメインイベントだが、俺にとってはここからが本番だ。
我が儘を言って転位魔法で神殿に張られた結界のすぐ外にすっ飛んで来たのには狙いがある。
ルルに会う為だ。
レオンハルト王子砂漠遭難事件から一週間ほど西の領主・クラウゼヴィッツ公爵家のお邸でお世話になり、もう普段通り生活して良いというお医者様のお墨付きをもらって転位魔法で王城へと帰還した俺たちは、城の方は城の方で状況に動きがあった事を聞かされた。
ずばり、マナー講座講師の失踪である。
今回の件でやはり問題があると判断した王子サイドの人たちが、慇懃無礼寸前の態度を取り続けていた講師を排斥しようと家を訊ねたところ、もぬけの空だったと言うのだ。
いちいち口喧して、目の上のタンコブであった講師が消えた事をレオンは大いに喜んでいた。
『うるさいのはマヤとゲオルグだけで懲り懲りだ』と。
だが、その側で大人たちは何とも言えない表情を浮かべていた。
詳しい状況を聞いても『分からない』の一点張りだった事から、俺は直感した。
そしてその裏を取るべく、豆腐屋のお客さんたちにそれとなく聞いて回ったところ、俺の推測が正しいと断定出来る情報が上がってきた。
マナー講師は自宅で毒を呷って自害、つまり亡くなったらしい。
子供の耳に入れるまいと、マヤさんやファルコさんは嘘をついたのだ。
直接口にはしないものの、大人たちは何か不気味なものを感じている様子で、レオンの周りに配置される護衛はそれとなく増員され、警戒しているのが判る。
イルメラやルーカス、俺の護衛もそれぞれ見えない形で追加された。
授業中、しばらくは天井裏が大混雑だな。
そんな事情を一切知らないレオンは入れ替わる形でやってきた講師のもと、めきめきと王族男性としてのマナーを身につけていった。
同時に、宣言通り侍になるべく剣術を学び始めた。
こちらの教師はなんとマヤさんである。
いや、うん、元近衛騎士団長だしね。
俺には剣術の事はよく分からないけれど、魔法が一切使えない中、国の騎士の頂点に上り詰めた人だから、きっと腕は確かなのだろう。
それに彼女はレオンの目指す方向性としては近いのかもしれない。
指導者としての彼女は大方の想像通りかなりのスパルタのようだが、疲れた、鬼だなんだと言いながらもレオンは鍛錬を楽しんでいる様子なので任せておいて間違いは無いのだろう。
マヤさんの方も俺たちがもうすぐ学園に入学するにあたり、一人でも練習出来るように基礎を急いで覚えてもらうのだとやたら張り切っていた。
事件のこともあってか、レオンが自衛手段を身に付けるのには諸手を挙げて賛成の人が大多数のようだ。
そんな、やっと前を向いて歩き出したレオンに事件の裏を伝える気は無い。
傍若無人のようで、優しいやつだから言うと傷付くだろう。
それに初めて目の当たりにする死が、自分のせいかもしれないなんて残酷過ぎる。
俺はどうなんだろう?
一度会ったきりのよく知りもしない人の死だから、涙は流せなかった。
だけど無性に腹が立った。
まず間違い無く、三歳の時のルーカスの事件にルルは関わっている。
それなら今回はどうだろう?
ルーカスの時に使われたのは毒だった。
そしてマナー講師が使ったのも毒だ。
その辺りの真実を探るべく、俺は初めて自分からルルとの接触を試みていた。
客引き対決以来、
行き交う人の流れは行列を成す程では無いが、一人、また一人とさほど間を空けること無く続いている。
国中から人が集まるのだ。
今はまだ早い時間だからあまり多くないが、午後になればもっと人気も増える事だろう。
出入り口付近で往来を監視しながら、俺は三年前を思い出していた。
あの時は、初めて来る神殿の大きさに驚いた。
前世では大聖堂の薔薇窓だの、彫刻だのをテレビや世界史の授業の資料で見た事はあったが、実際に訪れるとそこを満たす空気に圧倒された。
大きく感じるのは今も変わっていないな。
そういえばあの時、能面のような女神像に何か違和感を覚えたんだっけ?
それと洗礼の瞬間に何か声が聞こえた気がしたんだ。
あの時はそれらしい人なんて誰もいないのにと思っていたけれど、あれは誰かの念話だったりするのか?
……いや、考え過ぎか。
どうも今日の俺は落ち着かないようだ。
ただじっと立っているだけなのに、胸の鼓動がいつもより早い気がする。
神殿の空気のせいなのか、緊張のせいなのか。
ブルブルと身震いしてから、気合いを入れる為に自分の顔を両手で挟むようにして叩いた瞬間に空気が変わったのが分かった。
他の全ての音が俺の中では止み、ただ一つの足音が礼拝堂の廊下に響き渡る。
最後に見た時より幾分か背丈の伸びた彼女は、すぐに俺に気が付いた。
「ご無沙汰しておりましたわ」
「貴女は何者だ?」
向こうから近付いてきて、町娘のようにワンピースの裾を摘んで腰を折り、古い友人に会ったかのように彼女は笑みを作る。
いや、今の彼女はまだ確かに町娘なのだろうが。
俺は挨拶もそこそこに話を切り出した。
世間話をする為にわざわざ待ち伏せした訳では無い。
「まあ、薄情な人。あんなに熱い想いを交わした仲だというのに、もうお忘れになったの?」
「そんな言葉を聞きたい訳じゃない。ルル・クレーベル」
「良かった。覚えてくれていたのね」
甘えるような仕草で伸ばされた手を俺は僅かに身体を反らして避ける。
洗礼の邪魔にならないように密やかな声で、それでもはっきりと拒絶したつもりだった。
だけど彼女は気にした様子もなく、乙女のように胸の前で両手を合わせて微笑む。
聞いちゃいない。
ここに張り付いていた数時間も無駄だったかと肩を落として首を振り、歩きだそうとする。
だが、俺はつんのめりながら立ち止まる事になった。
「殿下が大変だったようですわね」
「……どうしてそれを!?」
「さあ、どうしてかしら?」
振り向きながら問う俺の姿を彼女はまるで温かみの感じられない目を細めて見つめる。
最初から最後まで、徹頭徹尾しらを切るつもりなのかと思っていた。
だけど実際はどうだ?
彼女は自分から、世間一般に公表されていない出来事を知っているような素振りを見せる。
「一、誰かから事件の情報をもらった。二、実は全くのでたらめ」
俺の前にグーの形で掲げられた手は、彼女のカウントに従って一本ずつ指を立てていく。
「……三、殿下のマナー講師を操り、殿下の心を乱すように仕向けたのは私だから」
「なっ……!」
三本目の指が立てられた瞬間、心臓がドクリと大きく鼓動をした。
――黒だ。
白いワンピースの彼女は真っ黒だ。
「そんなの、三以外にないじゃないか」
「正解っ! でも残念だったわ、もう少しだったのに。お陰で代わりにあの人が死ななくちゃいけなくなったわ」
「ふざけるな」
ギリッと奥歯を噛みしめた。
人の命を何だと思っているのか、と強い憤りを感じる。
だけどそれ以上に、たった六歳の子供が命を軽いもののように言っている事実が悲しかった。
「お前の狙いはなんだ?」
「狙い? う~ん、そうねぇ……。正解ついでに教えてあげようかしら。私の狙い、願いはね、あなたたち八人に死んでもらう事よ」
「どうしてそんな!」
「だってそれが私の……、いいえ。世界の為なんですもの」
小首を傾げ、頬にかかる金色の長い髪を揺らして彼女は唇の両端を吊り上げる。
酷く歪んだ笑みだった。
意味が解らない。
いや、解りたくなかった。
彼女は、彼女の心は狂っている。
「そんな理不尽な事があってたまるか」
「理不尽? そんなの今更よ。世界は酷く理不尽で、不愉快で、残酷なものなんだもの」
目の奥で赤やら黄色やら原色カラーがチカチカと点滅する。
彼女の瞳はもう何もうつしてなどいなかった。
「……待て。次は誰を狙うつもりだ?」
「それは、その時のお楽しみね」
洗礼を待つ列の最後尾に加わろうとした彼女の背中を呼び止める。
首だけ動かしてこちらを振り向いたルルは、ゆっくりと言い聞かせるように答えると、今度こそ礼拝堂の奥へと消えていった。
「くそっ……」
「そこの坊や、ここは神聖な場所です。どうかお静かに」
歯噛みしながら絞り出すような声で悪態をつき、ぎゅっと拳を握りしめる俺にシスターが注意をする。
俺は黙ってその場を後にした。
*****
「あら、お帰りなさい」
「遅いですわ! 招待しておいて主役が遅刻とは何ですの? せっかく私が来て差し上げましたのに……」
「ああ、うん。ごめん……」
「アルフレート様? どうかなさいましたの……?」
「何でもないよ。宴を始めようか」
帰宅した俺を、俺の誕生日祝賀会の為に集まってくれたメンバーが出迎える。
母上に続いて苦情めいた言葉を投げかけるイルメラだったが、俺の方はまったく気のない返事しか出来なかった。
そんな様子の俺に、普段なら怒るはずのイルメラが心配を声と表情に滲ませる。
よほど酷い顔をしているのだろう。
誤魔化す方が余計心配を掛けると判っている。
だけど、どうしても打ち明ける訳にはいかなくて、胸の中のもやもやを少しでも追い出せるように息を吐くと、無理やり笑みを浮かべた。
今日は記念すべき誕生日の筈なのに、自分の誕生日が嫌いになってしまいそうだ。
今日という日の大儀は達成されたというのに、俺の中には長く後味の悪い感覚だけが渦巻いていた。
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