第75話 青眼




「レオン?」

「何奴だ。この国の王子たる余を呼び捨てにするとは、無礼だぞ!」

「俺だよ、俺」

「アルトの真似をして余をたばかろうとはこの不届き者め。アルトは城の筈だ。このような場所にはおらぬ」


 レオンがいるという客室の前に辿り着いた俺たちだったが、思いも寄らぬところで足踏みをする事となった。


「いや、それがいるんだな。オレオレ詐欺とかじゃないから、ここ開けて?」

「ならぬ!」

「殿下」

「むむむっ!? イルメラの偽者までおるのか!? ますます怪しいぞ!」


 どうやらレオンは俺たちが自分を追ってここにやってきた事を知らないらしい。

城にいる筈の友達がこうして扉の向こうに存在しているのを信じられないレオンは、俺を偽者だと断定し、入室を頑なに拒んでくる。

妙なところでこの子はしっかりしているのだから困るな。


 さて、どうやってここを開けさせるかだが。


「イルメラちゃん?」

「何ですの?」

「あのね……」


 レオンに聞こえないように声を落として提案すると、イルメラはしっかりと頷いてくれた。


 すーっと、胸いっぱいに空気を吸い込んでわざと高めの声を張り上げる。


「あーあ。レオンが帰ってこないなら、兜シリーズ他の子にあげちゃおうかな? 見てくれる人がいなきゃ芸術も張り合いが無いからね」

「あら、なら私がいただいてもよろしいかしら」

「イルメラちゃんなら、大歓迎……」

「ならぬっ! それはならぬぞ! あれは余の物だ!」


 かくてドアは勢いよく開かれた。

王子一匹釣れました。


 せっかく扉が開いたので、向こう側に片足をねじ込んでおく事も忘れない。

悪質な訪問販売員のようだけれど、事情が事情なだけに良しとしよう。


「本物のアルトとイルメラなのか?」

「その言い方だとまるで俺たちの偽者がいるみたいだな。うーん、何を言えば信じてもらえるのか判らないけれど、初めて会った日の事とか、俺しか知らないお前の秘密を言えばいいのか? 初めて会った時は確かレオンはマヤさんの腕に洗濯物のように引っ掛けられていて、威厳も何も無かったよな。それから……」

「もう良い! 信じる!」


 未だ怪しむような目を向けてくるレオンに、どうにか疑いを解いてもらうべく、昔の話を始める。

するとレオンは早々に降参してきた。

そんなに嫌なのか、昔の話。


「じゃあ、中に入れてくれ……」

「そなたがアルトだと信じるとは申したが、部屋に入れるとは申しておらぬ」


 てのひら返しとはこの事を言うのだろう。

信じると言ったその舌の根も乾かぬうちにレオンは俺たちを拒絶しようとする。

だけど甘い。


「なっ、アルト! いつの間に。足をどけるのだ!」

「嫌だね」

「余は今、一人になりたいのだ!」

「お前がどう思おうと関係無い。俺とイルメラはお前と一緒にいたいから、こうして追いかけて来たんだろう? 本当は寂しがりのくせに、変なところで意地を張るな!」

「閉じ籠もって良い事なんて何もありませんわ!」


 ドア板一枚の押し合い、引っ張り合いを繰り広げながら、わあわあと喚き立てるように口論する。

当然の事ながら、退けと言われて簡単に退くくらいなら、こんな悪徳業者紛いの事はしない。


 我が儘と我が儘。

所詮はどちらも自己中心的主張に過ぎないが、イルメラという加勢を得て天秤はこちらに傾いた。


 正反対の方向に働く力を失って、押していた勢いをそのままに部屋の中へとすっ飛ぶように俺たちはなだれ込む。


 レオンはその場に崩れ落ちた。


「……アルトは会いたい時にどこにでも追いかけて来られる。転位魔法で、どこにでもすぐに跳んで行ける。だが、余は……! 余にはそれが出来ぬのだ!」


 青い瞳から、大粒の滴がこぼれ落ちて赤い絨毯に染みを作る。

幼い王子は肩を震わせ、心を震わせて慟哭していた。


「何度も努力はした。だけどどうしても出来ぬのだ。ならばどうすれば良い!? 余はどうすれば母上や父上に会えると言うのだ!?」


 頬を濡らして、心も濡らしてレオンは俺に問うた。


 毎日多忙でなかなか会えない両親に会いたい一心で、レオンは魔法を練習していたのだ。

もっと幼い自分に、陛下の口調を真似し始めたのも、父恋しさ故だ。

何となく察してはいたが、声に出して言ってしまうと余計に恋しくなるだろうと思い、敢えて話題にはしていなかった。


 転位魔法が使えて、母上にはいつでも会えて。

そんな俺がレオンの目には羨ましく、また憎らしくさえ思う事もあったに違いない。


 レオンがほしいものを全部持っている俺は、何と答えればいいのだろう?

何を言っても、薄っぺらく聞こえてしまいそうだ。


「それならば諦めなさい」

「余がほしいのはそんな言葉では無い!」

「たとえ王族であったとしても、思い通りにならない事なんて幾らでもありますわ」


 迷う俺の代わりにイルメラが答える。

どこか達観したようにすら見えるその言葉に、記憶の一部分を刺激された。


『この剣だけは、俺の思い通りに動いてくれる。鍛錬を重ねれば重ねた分だけ、剣は俺に付いてきてくれる。だから俺は剣以外の全てを捨てたんだ』と朝の素振りをしながら言ったのは、十代後半のレオンハルト王子だった。

これはヒロインの、『どうしてそんなに剣術にばかり打ち込むの?』という質問に対する答えだ。


 思い通りにならないから、全てを断ち切って自分から一人になって、孤独を直視しないようにした。

陛下の真似も封じて、ゲームの中の彼は自分を『余』では無く、『俺』と呼ぶようになった。


 王族であっても、神に等しく尊い存在であろうと、世の中には思い通りにならないものなどいくらでもある。

イルメラが、昨年兄と離れ離れになるのを厭いつつも、最終的に受け入れたのも、決して自分の思い通りになりはしないだろう事を悟ったからだ。


 だけど、諦めて絶望してほしい訳じゃない。


「イルメラちゃん、それじゃ不完全だよ」

「え……?」

「君の主張は正しいけれど、正しくない」

「どういう事なのだ?」


 泣いている影響で頭がうまく回転していないレオンは、涙と鼻水で端正な顔をぐちゃぐちゃに汚したまま、困惑の表情を浮かべた。


「諦めるんだ」

「アルトに余の気持ちなど解るまい」

「いや、わかるよ。俺だって出来ない事なんてたくさんあるから。だから諦めるんだ、願いを全部一人で叶える事を」


 我が儘なくせに不器用で、妙なところで遠慮深くて面倒な子がレオンだ。

他力本願は良くないと、我が儘は自分の力で貫き通すものだとイルメラは言った。

だけど、人の力で出来る事なんて所詮限られている。


「頭で理解するのと、実行出来るかどうかは別問題だから。片方がどんなに歩み寄ろうとしても、もう一方がそっぽを向けば永遠に交わる事なんて出来ない。自分だけ努力しても、どうしても相容れない事だって世の中たくさんあるよ」

「でも……」

「うん、プライドが邪魔してなかなか素直に出来ないって認められないんだけどね。でも、人には向き不向きがあるから。やる前から諦めちゃうのは良くないけれど、頑張って頑張ってそれでもどうしても上手くいかないっていう時は、頼っていいと俺は思うよ」


 青い瞳は揺らいでいた。

そこに浮かんでいるのは戸惑いか。


「例えばさ、俺には魔法がある。だけどこの先、魔法じゃどうにも出来ない場面だってきっとあるよね。そういう時に、レオンが剣で俺を助けてくれる。反対にレオンが剣でどうにも出来ない時は、俺が魔法でレオンを助ける。これって、すごくいい関係だと思わないか?」

「余がアルトを……?」

「うん。レオンがそう望むのなら、俺が転位魔法でどこへだって連れて行く。俺がお前の魔法になるよ」


 霧が掛かったように曇っていた青い瞳には、光がちらついていた。


 レオンに似合うのは絶望や孤独じゃない。

底抜けに明るい笑顔だ。


 ここへ来て、俺もようやくきちんと理解出来た気がする。

陛下やマヤさんは、何も馴れ合いをさせる為だけに俺たちを引き合わせた訳では無かった。

支えとなる事を俺に望んだのだ。


「剣術は格好いいぞ。レオンに渡した魔石の兜シリーズがあるだろう? あの兜を被っていた侍も、刀っていう剣を持って戦ったんだ」

「なぬ!? 魔法では無いのか?」

「侍は魔法が使えなかったからね」

「魔法の使えぬ勇者……。分かった。余は世界一の侍になるぞ!」

「じゃあ、俺は世界一の魔法師を目指すとするか」


 右手を差し出すと、レオンはおずおずと手を伸ばしてそれを握った。

そのまま反動をつけてレオンを引っ張り立たせる。


 勢いがつきすぎて蹈鞴たたらを踏んでしまうレオンはどんくさいと罵っていいのだか、それでもけないからバランス感覚がいいと褒めるのがいいのか判らない。


「お二人とも、何だかずるいですわ」


 一人置いてけぼりになったイルメラが薔薇色の頬を膨らませた。


「ごめん、ごめん。そうだな……。イルメラちゃんは……」


 俺のお嫁さんにと言い掛けて、言葉を呑み込んだ。

さすがにこれは破廉恥極まりないと言われてビンタを食らいそうだ。

いや、ビンタならまだいい。

ドン引きされる方が精神的に堪えるな。


「何ですの?」

「何でも無い」

「……おかしな人ですわね」


 ふるふると打ち消すように首を振る俺に対して、イルメラはどうしてだか肩を竦めた。

彼女が何を期待していたのかわからないけれど、もっとムードのある時に言おう。


「だからもう、いきなりいなくなったりするなよ? 傍にいないと、助けるのもままならないだろう?」


 釘を刺しておくのも忘れない。

忠告という大義名分を振りかざしていながらその実、ただの苦情だけれども今回は甘んじて受けてもらうつもりだ。


「ああ、それから。大嫌いと言った事も訂正してもらわないとね。もちろん城でお留守番中のルーカスの分も」

「改めて取り消すというのは、なんだか気恥ずかしいぞ……」

「きちんと言葉にしていただかなければなりませんわ」


 大泣きした現場をばっちり見られた気まずさも相俟って、レオンはもじもじとする。

そこへ追い討ちをかけるように訂正を要求するのはイルメラだ。


 そんなタイミングで、スパーンとドアがノックも無しに開かれた。


「そうですわ。大嫌いだなんて、冗談でも言ってはなりません。それがどれだけ人の心を深く抉る事だか……」


 いきなり現れた見慣れぬ女性、それも超絶美人に俺とイルメラは阿呆のように口を開けたまま固まった。

これまでの話を聞いていたのか、彼女は俺とイルメラに賛意を示している。


「母、上……?」

「地獄で仏の姿でも見たような顔をしてどうしたのかしら? それとも、親不孝にも母の顔を忘れたのですか?」


 壁に当たってドアが跳ね返るのもいっこうに気にした様子も無く、金色の髪を高く結い上げた女性は迷い無くレオンに近づいていくと、上から下まで青い瞳を往復させて眺め、抗議するように唇を尖らせる。

剛胆さと可憐さを併せ持つだなんて魔性だな、オイ。


 レオンが母上と呼んだこの女性は、つまり……。


「妃殿下!?」


 俺とイルメラが異口同音に叫んだ。


「母上!」

「あらあら。もう、こんなに顔をぐちゃぐちゃにして……。鼻水をドレスで拭いてはダメよ?」


 腹の底から空気を押し出すようにして会いたかった人を呼んだ小さな金獅子は、再び涙を滲ませながら床を蹴って母親の元に駆け寄った。

ハシッと足元に抱きつかれた妃殿下は、どこかずれた事を言いながらも屈んで息子に頬を寄せる。


 こちらからはレオンの顔しか見えないけれど、お揃いの青色をした瞳はきっと同じように潤んでいるのだろうと思った。


 後になって聞かされた話によると、鉱山資源の流通条件について会談するべく東の隣国に向かっていた妃殿下は、クラウゼヴィッツ公爵からレオンの話を聞き、急遽寄り道をする形で東の領主宅を訪れたらしい。


 妃殿下の滞在が数時間程と聞いたレオンは、それこそ時間いっぱいべったりと母親にくっついて離れなかった。

五歳なんて、まだまだ母親が恋しい年頃なので、皆微笑みながら見守っていた。


 一方、俺の方はというと魔力が満タンに回復するまでの数日間、『貴方が魔法を使わないように見張っていなくてはなりませんわ!』と主張するイルメラにこれまた始終くっつかれていた。

公爵の俺に向ける視線が一際ひときわ険しかったのは、語るべくも無い事である。



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