第64話 ごろつきの底力



「いらっしゃいませ~!」

「まいど~!」


 一週間の準備期間はあっという間だった。

今は皆、一人ひとり丁寧に、けれど迅速に確実にお客さんを捌いていっている。


 今日の布陣は俺が客引き、ゴーロが豆腐の受け渡し、ツァハリスとキーファがお会計、カーヤさんが行列整理兼斥候役だ。

行商の方はお休みにしている。


 今日までの一週間もカーヤさんに頼んで、相手の動向を探ってもらっていたのだが、その報告がまた奇妙だった。

俺が必死に宣伝活動をしている中、向こうには特にこれといった大きな動きは無かったという。

こちらの調査力不足なのか、あちらが巧妙なのかは判らないが不気味で不愉快だと思った。

油断してくれていた方が好都合な筈なのに、鼻で笑われていると思うと腹が立つ。



 勝負開始間際にやってきた彼女は、互いの様子がわかりやすいからといってわざわざうちの豆腐屋の隣に、屋台を引っ張ってきた。

そして勝負開始間際に彼女は、『愉しみだわ』と言って握手を求めてきたのだ。


 普通、こういう時は『正々堂々と戦いましょう』だろ。

完全に舐められている。


 そんなこんなで燃えさかった敵愾心はそのまま仕事に向けられた。



「来たわよ~」

「お姉さんありがとう!」

「いいわよ、可愛いアルフちゃんのお願いなんだから」


 苦労して作ったビラの効果はなかなかのものだった。

開店早々、普段より三割増しのお客さんがお店の前で綺麗に並んでいる。


「ちょっと、私はここの常連なのよ!」

「お客様、最後尾はこちらでございます」

「ハ、ハイ。ごめんなさい……」


 時々割り込んだり順番を抜かそうとする不届き者もいたけれど、立て札を持ったカーヤさんが婉然と微笑むと不思議と皆が素直に指示に従ってくれた。


 先日目にした惨状を父上に伝えると、『規則を作って押しつけるのは簡単だが、まずはお前自身が手本を示してみてはどうだ?』と言われたのだ。

本来であれば商品の受け渡しにもっと人数を割きたいところなのを、こうして行列整理に充てたのはそれが理由だった。


 一方、隣のパン屋の前は相変わらずの荒れ模様で、無秩序に壁を成した集団が押し掛け、カオスと化していた。



 さて、俺は俺でこの辺りでそろそろあれを始めるべきか。

何も俺だって全部人任せにしてただ突っ立っている訳では無い。


「さて、お立ち会い! ここにあるのが、万能調味料・醤油。うちで売っている豆腐には勿論、お肉や魚にだって合う優れものだよ!」


 マスコット役以外の俺の大事な役割がこれ、醤油の宣伝である。

今はまだあまり量が無いが、バルトロメウスから譲り受けたそれをベースに、醤油の量産を計画していた。

もともと麹菌の問題さえクリアしてしまえば、そう難しい問題でも無いのだ。


 バルトロメウスがこれを作り出したのは全くの偶然だというのだから、俺は相当ついているに違いない。


 慣れないながらも、前世のテレビで見た通販番組を参考に俺は注目を集めた。


 キンキンに冷えた豆腐に醤油と刻み葱、おろし生姜はお好みで少々。

これは最高の組み合わせだ。

欲を言うと削り節や大根おろしも欲しいところだが。


 万能調味料の真価は口で説明するより、実際に味わってもらった方が早いだろうと、試食販売なるものをおこなった。

とりあえず手の届く範囲にいたお姉さんたちに、特製冷や奴を振る舞う。


「何かしら、このすっきりしているのに後を引く味わいは?」

「クセになる味ね」

「これとビネガーを合わせたら、夏にぴったりのさっぱり料理が出来そうね」

「料理の味がこってりし過ぎだといつも嫌みを言ってくるお義母様に、これで味付けをした料理を出せば見返せるかしら?」


 アレンジのしやすさは醤油の長所の一つだ。

醤油を口にした奥様方の評価も上々だった。


 まずは第一段階クリアだと小さくガッツポーズをして、再び声を張り上げる。


「今日、うちで豆腐を買ってくれたお客さんの中から、抽選で五名の方にこのスペシャルな調味料・醤油をプレゼントしちゃいます!」


 本当は全員にプレゼントといきたいところだが、肝心の醤油がまだ量産出来ていないので、麹の培養に使う分と試食に使う分を別にすると小瓶に五本が限界だった。


 だからこそ女性を狙って試食してもらったのにも狙いがあった。

女性というのは噂好きなものだ。

醤油の話を彼女たちに広めてもらうのだ。


 かくて俺の狙いは達成された。

醤油の匂いに釣られて来る者、話を聞きつけて野次馬に来る者、新しい味覚を求めた料理人など様々だ。


 お会計後にくじを引いてもらい、当たった人だけが醤油を手に出来るという事で、何度も並ぶ人まで現れた。

当選者が現れるたびにちょっとしたお祭り騒ぎになる。

雰囲気は商店街の福引きだった。


 その他、行商限定で売り出していたおから揚げを今日限り店の方でも販売している事が功を奏し、午前中だけで開店以来最高の来客数を叩き出した。


「良かったらお昼ご飯を一緒しない? うちのパン、美味しいのよ?」

「今の貴女と俺は敵対者だよ」


 お昼過ぎ、昼食に誘われ、それを俺が断るという一幕があった。

俺の返事に残念だと彼女は呟くけれど桜色の唇は弧を描いていて、とてもそんなふうには見えなかった。

どこまで人を馬鹿にするつもりなのだろうか?


 彼女と相対する俺の胸には不快の文字しかない。

それでも得体の知れない恐怖で固まってしまうよりはよほどマシだと思えた。



「くそっ」

「あちらの盛況ぶりには陰りが見えませんわ。こんな事って……!」


 勝負を初めてから二度目の鐘の音が鳴り響く頃、目減りしていく客足を実感して俺はじりじりと精神力を削られていた。

景品の醤油も先程最後の一本が出てしまったのだ。

パン屋の様子を窺って逐一報告をくれるカーヤさんも、俺に呼応するかのように動揺を隠し切れずにいる。


「ふふっ、降参かしら?」


 対して隣のパン屋は開店以降、押し寄せる客の波は衰える事を知らない。

少女の鼻にかかった笑い声が頭の中でグルグルと渦を巻いている。


 俺の見込みが甘かったのだろうか?

挑発に乗って俺は勝てない勝負に手を出してしまったのだろうか?


 ネガティブな考えは良く無いけれど、振り払おうとすればそれを嘲笑うかのように彼女の声がリフレインする。


 レオンやルーカス、ディートリヒ、イルメラには今日だけは絶対に店に来るなと言ってあった。

既にこちらの正体を知られているのだとしても、わざわざこちらの方から近付かせるわけにはいかないからだ。

勝負の事を聞きつけたレオンとルーカスには応援したかったのにとかなり粘られてしまったが、それでも俺は首を縦に振らなかった。


 守る為だなんて格好を付けたのがいけなかったのだろうか?

わからない。



「親分、客引っ張って来たッス!」


 自問自答を繰り返してマイナス思考の渦に取り込まれそうになっていた俺を救い出したのはツァハリスの声だった。

休憩に出ていた筈の彼の背には大集団があった。


「ツァハリス! これはいったい……?」

「行商の方の常連さんッスよ。訳を話したら、皆来るって言ってくれたッス。勝負してるのは親分だけじゃないッスよ」


 鼻の頭を掻きながら得意気な顔をするツァハリスの言葉に俺は頭と胸を打たれた。


 そうだった。

俺は一人で戦っている訳じゃない。

戦ってくれているのは豆腐屋のメンバーだけじゃない。


 ルーカスだって必死に生きて、俺を応援したいと言ってくれた。

好きなの笑顔は俺の力になる。

お客さんの声も俺の力になる。


 まだ何の事情も話せていない俺だけど、それでもこうして集って助けてくれる人がいる。


「親分、落ち込むのはまだ早いぜ。そろそろ団体客が来る頃だからよ?」


 今まで見たことの無いくらい眩しいの笑顔を浮かべてゴーロは親指を前方へと向ける。

通りの奥に視線と神経を向けると、数百人規模の団体がこちらに向かって移動している気配が感じ取れた。


「俺たちも伊達にごろつきやってた訳じゃねぇんだよ」

「これでも顔は広いんですよ」

「元・ごろつきの底力ってやつッス!」


 カーヤさんを見ると彼女も苦笑を浮かべていた。

これは初めて三人に一本取られたな。



――ゴーン、ゴーン。


「これまで、ですわね」

「ふ~、さすがに草臥れた」

「俺はまだやれるぞ。若いからな!」

「んだと、ツァハリス! お前は俺がジジイだって言いたいのかよ!?」


 勝負終了の鐘の音が鳴り響くと同時に、俺たちはその場にへたり込んだ。

服が汚れるとか、砂が付くだとかそんな事は気にしていられない。


「はぁ、はぁ……。まだやれるって言っても、もう売る物が無いからね……」

「さすがですわ。それに引き替え、私は少々焼きが回ってしまっていたようですわ……」


 こんな偶然があるものなのかとも思うが、鐘が鳴り止むと同時に全商品を完売したのだった。

勝負は売り上げ金額ではなく、お買い上げ人数でという事なので今日限定で商品の価格をかなり引き下げていたが、それでも売り上げはかなりのものだろう。


「六千九百七十四人、か……」


 売って売って、売りまくった。

そんな表現が正しい人数だが、果たして向こうは何人なのだろうか?


 勝負の行方が気になって、自分の足を叱咤して立ち上がる。

ハードな一日に、生まれたての子鹿のようにプルプルと震える脚で一歩踏み出そうとした時だった。



「残念だけど、私の負けね」


 彼女がすぐ傍にまで来ていた。


「うわっ……」


 ちょっと手を伸ばせばすぐに触れられそうな距離感に、思わず仰け反る。

それを照れているのだと勘違いした俺の従業員三人と、外野の人たちはヒューヒューと囃し立てた。


「約束だから私の名前を教えてあげるわ」


 夏も終わりが近いというものの昼間は炎天下でこちらが疲労困憊の汗だくだというのに、彼女は汗一つかいていなかった。

咽せ返るような匂いは汗ではなく、彼女の纏う甘ったるい麝香じゃこうだ。


「私の名前はルル。ルル・クレーベルよ」


 蜂蜜色の頭を包む白いスカーフの下で微笑む彼女の言葉に、俺はハッとした。

やっぱりという感情と、そうであってほしくなかったという感情がせめぎ合う。


「ルルはね、真珠のように白くて清らかな子に育つようにってお母さんが付けてくれた名前なの。素敵でしょう?」


 そう言ってルルは俺との間合いを一瞬で詰めた。

やられる、と身体を固くする俺の目の前で金色の髪が揺れて、柔らかくて冷たい感触の何かが頬に押し当てられる。


「また会いましょう。次はきっと遊びじゃないわね」


 そう告げる彼女の背中はすでに遠く離れていて。

夕日が射しているというのに、ルルの周りだけ暗く空気が淀んでいるように見えた。



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