第65話 駄々っ子




「余はもう嫌だ!」

「まあまあ。レオン、落ち着け」


 癇癪を起こす王子を俺はドウドウと宥めた。

この所、魔法教室を訪れたレオンはいつもこうだ。

午前中にやっているマナー講座の先生と折り合いが悪いらしい。


「だいたい、おかしいではないか! アルトはどうしてマナー講座を受けずとも良く、余は受けねばならぬのだ!」

「いや、それは……」


 ずるいと言って俺に詰め寄ってくるレオンの言葉に、俺は返事に困って口ごもる。


「それはアルト様のマナーが完璧だから、ですわ」


 俺の代わりに答えたのはマヤさんだった。


「何故だ!? アルト、いつ抜け駆けをしたのだ!?」

「いや、一回聞いたら覚えただけだって」

「おぉ、おのれ~……。ずるいぞ、アルト!」


 まだ華奢な肩をいからせてレオンは俺を糾弾した。

どうにも自分だけ、という点が一番不満らしい。

しかし俺とて、自由に動き回る時間を確保する為にはマナー講座ごときに躓いている訳にはいかなかった。


『いつ』と問われて内心ひやりとしたのはここだけの話だ。

まさか生まれる前から知っているなんて言う訳にもいくまい。


 前世の母の英才教育の中で、唯一役に立ったのがこのマナー全般だろう。

当時の“僕”は必要無いと思いながら徹底的に叩き込まれていた。


「余はあの者が好かぬ! 先日などせっかく父上と母上が一時帰城なされたというのに、くだらぬ授業を優先して会ってはならぬなどと申すのだぞ!」

「……お寂しいのですか?」


 レオンの両親、つまりこの国の王にして皇帝とその正妃様は公務で諸外国に滞在している事が多い。

たまに帰ってきてもレオンとはすれ違いが多いようで、年に数回しか会えないらしい。


 駄々をこねるまだ幼い王子を気遣うように訊ねるマヤさんの声はいつもとは違って温かく聞こえた。


「余は寂しいなどとは申しておらぬ!」

「申し訳ございません。出過ぎた事を申しました」


 男にはプライドがある。

例えそれが年端もいかぬ子供であってもだ。

素直になるにはまだ子供過ぎて、諦めが付くにはさらに幼い。


 騒がしいのは誰かに己の孤独を気付いて欲しかったからだと、ブルーの瞳を陰らせながら画面越しに吐露する、成長した王子の姿を幻視した。



「行くよ?」

「うん」

「それっ!」


 掛け声と共に、レオンが目一杯腕を降って一枚の紙を投じた。


 この日の魔法の授業は、風系統に焦点を合わせたものだった。

子供の魔法学習は遊びながら楽しく学ばせるという基本方針の母上は、魔法師団へのスパルタ指導とは違い、よく考えた遊びで俺たちを楽しませてくれる。

皆の得意系統が異なる事もあって、俺たちは日替わりで違う遊びに興じている。


 先程レオンが投じたのは紙飛行機だった。

それにディーが風魔法を当てて、より遠くへ飛ばそうという遊びである。


 言葉で説明するのは簡単だが、これが案外難しい事は俺が家の庭で体験済みだ。

風を当てる角度、強さを少しでも間違えば紙飛行機はバランスを崩して墜落してしまう。


 そんな作業をディーは慣れたように緩い微笑混じりの表情で巧みに風を操り、宙返りさせたり旋回させたりして軽々とこなす。

この訓練も何度か回数を重ねて、実際に慣れているのだ。


 紙飛行機は肉眼で捉えられるギリギリの距離まで飛んでいき、くるりと旋回してレオンのボサボサ頭の上に着陸した。

非の打ち所の無い制御だ。


「ディーくんすご~い!」

「ふふっ、ありがとう。だけど制御コントロール力では君には負けるよ、ルーカス」

「余も頑張ったぞ?」


 年長者の余裕だろうか?

すごいと言って飛びついてくるルーカスにディーはにこりと微笑み、ふんぞり返るレオンの頭をも優しく撫でてやる。

最初は我関せずだったディーも、この場では笑う事が増えた。

これなら愛玩人形そっくりだなんて言う人もそういないだろう。

すっかり皆のお兄ちゃんだ。


 撫でる手つきと微笑みが若干妖しげに見るのはご愛嬌だ。

だけど俺はすぐに違和感を覚えた。

その違和感の正体を俺はすぐに見つける事になる。


 こういう時にいつも真っ先にディーを誉め称えるのは誰だったか?

イルメラだ。


 イルメラは兄の事が大好きな筈で、見方によってはそれは盲目的な信仰のようにも映る。

だけど今はどうだろう?

彼女はツンとそっぽを向いたまま、兄の方を見ようとすらしない。

膨れた頬も小動物のようで可愛いけれど、このままという訳にはいかないよな。


「兄妹喧嘩……?」

「うん、ちょっとね……」


 兄妹の間に流れる常ならぬ雰囲気に、声を落として訊ねるも、ディーは笑って誤魔化すばかりで事情を教えてくれる事は無かった。


 そんな異様な雰囲気は次の授業も、その次の授業も続いた。

そして翌週、ついにイルメラが授業を欠席する事態となったのである。



「イルメラちゃんは?」

「ちょっとね……」


 兄であるディーに聞いても、やはり言葉を濁して教えてくれない。

よほど言い難い事情なのだろうか?


「う~む、わかったぞ! イルメラはずる休みなのだな!」

「はいはい、レオンじゃあるまいに。イルメラに限ってそれはないだろう」

「むっ。じゃあいったい何だと言うのだ?」


 ポンと手を打って自信たっぷりに述べられたレオンの推察を一蹴した。

再び訊ねられたディーは柳眉を顰める。

ルーカスも黙ってこちらを注視している。


 別に秘密を暴いて茶化したり、避難したりしようとしている訳ではない。

程度に差はあれど皆、純粋にイルメラとディーの事が心配なのだ。


「そうね……。イルメラちゃんが急に駄々っ子になってしまったから、ディートリヒくんも焦っているのよね?」

「むっ?」


 困り顔で睨めっこをする幼児四人に割って入ったのは母上だった。

駄々っ子と聞いてレオンがぴくりと反応したのは、自分の事を言われているのかと思ったのだろう。

フリーダムさでは甲乙つけ難いが、表立って駄々を捏ねる子と言えばレオンをおいて他にいない。

駄々っ子はレオンの代名詞なのだ。


 兄以外、特に俺に対してはつっけんどんな態度をとるイルメラだけれど、決して聞き分けの悪い子では無い。

たまに我が儘を言う時も、許される我が儘と許されない我が儘をきちんと区別して言うのだ。

そんなイルメラがどうしてそんな事になったのだろう?


「どういう事なの?」


 事情に察しが付いている母上と、確実に事情を知っているディー。

どちらに訊けば良いのか迷って、俺は二人を交互に見比べながら訊ねた。


「……フゥ。僕が来年六歳になるのは知ってるよね?」

「うん」


 仕方無いとばかりに湿っぽいため息をついたディーの言葉に首を傾げながら頷く。


「つまり、来年僕は学園に入らなきゃいけない」


 そこまで言われてようやく俺はイルメラが退行に走った理由に気が付いた。


 この国の学園は六歳から入学可能となり、最終学年までストレートに進学・卒業で十八歳となる。

初等部・中等部・高等部の区切りが三年・三年・六年で、飛び級制度は無しという辺りは、俺にとっては非常に馴染み深い。


 また、この国に学園と呼ばれる、子供の為の教育機関はただ一つしかない。

それが国立騎士・魔法師養成学園だ。

何の捻りも無い名前だが、分かり易くていい。

読んで字の如く、騎士と魔法師の人材を育成する為の学園だ。


 今回のその問題はこの学園が全寮制である事だった。

つまり一度入学してしまえば、家族とはなかなか会えないのだ。


「不満大爆発?」

「爆発と言うよりは噴火かもしれないね」


 遠い目をしてそう告げるディーは疲れたように見えた。

退廃的な雰囲気を漂わせながらも、そこに色香が混ざるのはさすがだと思う。


 来年になれば大好きな兄となかなか会えなくなると知ったイルメラは烈火の如く怒ったのだろう。

あの性格から考えれば、それはかなりの苛烈さを極めた事だろう。


「それでも最初はいつものような、ちょっとしたただの可愛い我が儘と変わらないように見えたんだ。だから皆で説得を試みて宥めてみたんだけど、聞かなくて。最初の数日は僕に縋りついて離れなかったのが、一変して避けるようになったんだ。イルメラが僕に対してそんな行動を取った事は今までただの一度も無くて。どうしていいか判らなくて困っていたら、手が付けられない状態になった」

「手が付けられない状態って?」

「辺り構わず火魔法を使って物を燃やしたり、闇魔法で作り出した繭のようなものに閉じ籠もったり」


 想像通りというか何というか。

非常に分かり易い拗ね方だと思う。

要するにヒステリーを起こしているのだろう。


 だが彼女は幼いながらも将来は魔王になれる程の力を持った子で、その彼女が暴れているのだとしたら、それを止めるのはなかなか容易では無い。


 加えて兄のディーの得意系統は風。

イルメラの得意な火系統とは相性が悪かった。


「ディーくんの言い方だと、まるでイルメラちゃんが自分で望んで辺りを燃やしているみたいに聞こえるけど、自分でも止められなくなっているのかもしれないね」

「そうね、ルーカスくんの言う通りかもしれないわね」


 人の感情の機微に聡いルーカスが推論を述べると母上も頷く。


「イルメラはディーが学園に入る事の何がそんなに不満だと言うのだ?」


 ただ一人、今一つ状況が呑み込めていないレオンが俺たちにとっては今更な疑問を口にした。


「じゃあレオンは、陛下たちがどこか遠くに行ってこの先ずっと会えないって分かったらどうする?」

「どうするもこうするも無い。ついて行くに決まっておろう」

「イルメラにとってディーが入学するっていうのはそういう事だよ」


 自分の体験に置き換えたレオンは珍しく難しい顔をして考え込んだ。


「イルメラもついて来るなんて言っていたけれどね。あの子があそこに入れるのはさらに翌年だから」


 日本の教育制度と違って、この国には義務教育期間というものは存在しない。

六歳になったからといって、必ずしも学園に入る必要は無い。

実際に庶民の子の殆どは高い学費を理由に入学なんて考えもしないし、貴族の子であっても学習面だけを言えば家庭教師を雇えば済む話なので、皆が皆、初等部一年から入学するという訳ではなかった。


 例えば身近な存在でいうとバルトロメウスなどはまだ学園に入学する事無く、自宅で研究に勤しんでいる。

子供が幼いうちから入学させる貴族の多くは、社交界上の戦略としての意味合いが大きい。


 この辺りの判断は家風や親の考え方によるのだろう。

伝統と格式高い家系のクラウゼヴィッツは、当然初等部一年から高等部三年までみっちり学ぶのを良しとしている。

四大公爵の一角を担うクラウゼヴィッツの動きは国中の貴族が注目していると言っても過言では無い。

保守的な考えのクラウゼヴィッツ公爵としては、是が非でも息子を入学させようとしている。


 行かないで、というイルメラの可愛いお願いは決して叶う事が無いのだ。



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