第63話 貴女はだぁれ?



 あの子だ。

三歳の誕生日に、神殿ですれ違った女の子が目の前にいる。


「おーい、親分~?」

「おーーい」


 ツァハリスとゴーロがしっかりしろとでも言うように俺の眼前でブンブンと手を振っているのをカーヤさんが無言で叩き落とした。


「三歳のお誕生日以来、かしら? フフッ、貴方の方から会いに来てくれるなんて思わなかったわ」


 桜色の小さな唇の端を歪めて笑う少女の姿に俺はぞっとした。

口調だけなら、大人の真似をして背伸びをしているごく一般的な女の子だ。

だけど、その表情が身震いしたくなるような不気味な印象を俺に与える。


 鼻にかかった笑い声は決して好意的なものでは無い。

嘲笑は強い怒りの裏返しだ。


「お知り合い、にございますか?」

「顔見知り程度をそう呼ぶのなら」

「どなたなのですか?」

「そんなの俺の方が知りたいよ……」


 カーヤさんは少女にでなく、俺に尋ねる。

妙に途切れ途切れの言葉遣いから、彼女も何か感覚に訴えるものがあるのだろうと察する。

少なくとも俺の様子がおかしい事には気付いている筈だ。


「貴女はだれ?」

「まあ。紳士ならそちらから名乗るのがマナーじゃないかしら?」

「うっ……」


 少女の言葉は正しい。

だけど俺は自分の名前をここで言いたくなかった。

……例えこちらの正体がとっくにバレているのだとしても。


 逃げ出したい衝動と嘔吐する寸前の感覚が俺を襲う。

それを必死に堪えた。


 咽せそうになるのは砂埃のせいか、麝香じゃこうのような甘ったるい匂いのせいか?

こんなにも強烈だというのに人垣の構成員も、豆腐屋三人衆も気付いていないようだ。


 暢気に一目惚れだ、初恋だなんだと茶化してくる三人に俺は何も応えなかった。


 一介の街娘が放つプレッシャーでは無い。

いや、彼女がルルと仮定した上で後に預言者として選定される事を思えば正しく一介の街娘では無いのだけれど、それでも何故と首を傾げてしまう。


 預言者・聖女と言われてイメージするのは、清純・清廉・神聖・神秘などという言葉だ。

傍にいて心地良さを感じるような、それでいて後ろめたいような、そんなイメージだ。

だけど彼女にはそれが無い。

これじゃまるで悪女じゃないか。


「う~ん、でもそうね。私と競争をして勝ったら、私の名前を教えてあげてもいいわ」


 妖しげに微笑むその姿に鳥肌が立つ。

恐怖とはまた違う、得体の知れない気味の悪さだ。


「俺が負けたら?」

「その時はじゃあ、貴方のお名前を教えて頂戴」

「勝負の内容は?」

「それは受けてもらってからでないと教えられないわ」


 勿体ぶるような少女の言葉に俺は舌打ちをしたくなった。


「やったな、親分! どう転んでも仲良くなれるチャンスじゃないッスか!」

「売られた喧嘩は買うのが男ってもんよ!」

「久々にこういうのも悪くないね」


 何も知らない、何も気付かない三人は煽るように野次を飛ばす。

そんな三人を見て少女はまた笑みを深めた。


 俺が負けた場合の要求にあまり彼女の利点が無い気がするが、これはどういう意図があるのだろうか?


 そう思いかけて俺は得心がいった。

彼女はこの状況をただ純粋に愉しんでいる。

ゲームに勝とうが負けようが、そんな事は彼女にとってどうでも良いのだ。


 ――狂っている。

そう思った。



「分かった。受けて立つよ」

「ふふっ、そう言ってくれると思ったわ」


 肉食の獣が獲物を前にした時のような舌舐めずりを少女を睨みつける。

良いのか悪いのか、彼女の前では俺の呪いも鳴りを潜めて発動しそうにない。


「競争の内容は簡単よ。互いのお店で客引きをして、どちらがたくさん人を呼び込めるかを競うの」

「時間は?」

「二回目の鐘が鳴ってから、五回目の鐘が鳴り終わるまでの間よ」


 朝九時から夕方六時まで、九時間だな。


「いいだろう」

「それから、誰に何の仕事を割り振っても構わないけれど、勝負の間のクルーは自分を含めて五名ね。勝敗を決める人数はお会計が終わってお客さんが商品を受け取った時点で加算するわ」

「ひやかしの客はノーカウントって事か……」


 頭の中で幾つかのプランを思い浮かべながら呟く。

勝負の行方は事前の宣伝活動による集客と、どれだけスピーディーに効率良く客を捌けるかによるな。


「宜しいのですか? こんな……」

「男に二言は無いよ」


 確認するように問うカーヤさんに俺は頷く。

必要以上に目立つのは本意では無いけれど、今回は致し方無い。

勝てたとして、彼女が正直に本名を名乗ってくれるかは判らないけれど、これは彼女の動向を堂々と見張れるチャンスなのだから。


「勝負は次の光の日でいいか?」

「ええ、私はいつでも結構よ」


 余裕の笑みを浮かべる彼女に対して俺は表情を引き締めた。



*****



 一週間後の勝負に向けて、俺はいくつかの下準備を進めた。

まずはビラの作成だ。


 この国に電動の印刷機なるものは存在しない。

新聞社などは版画のようなやり方で文字通り刷っている訳だが、個人でそんなものを所有している人間は金持ちの好事家くらいだろう。


 父上にお願いしすれば都合がつけられるかもしれないが、それはフェアじゃないと思う。

勝ち方をあまり選んでいられない状況ではあるけど、そのせいで勝利にケチがついてしまったら元も子も無い。

第一、お金がかかり過ぎる上に、父上に借りを作ってしまうのは、経営者としてナンセンスな選択だ。


 となると、選ぶべき方法はひとつだった。

魔法を使って自分で何とかしよう。

さすがに手書きは量産する事を考えると難しいので無しだ。

何でも有りだな魔法と言われれば、何でもありますとしか言いようが無い。


 そもそも、等級をつけられている魔法というのは世間一般に広く知れ渡っている魔法を便宜上の名称を付けて呼んでいるだけで、魔法というのはもっと汎用性が高いものなのだと、俺の血を鍵に内容が変化した師匠の本を読んで思い知らされた。


 便宜上の名称がついた魔法というのはまさしく、ゲームの名残なのだろう。

ゲームできちんと名称が出てくるのは戦闘向きの魔法だけだった。

だからスープをじっくり煮込む為のとろ火を出す魔法だとか、飲用水を出す魔法には、日常的に使われているものにもかかわらず世界共通のこれという名称は無い。


 魔法は生命エネルギーを用いて物質を生み出したり、操ったりするものだ。


 例えば俺や母上の使う転位魔法も、指定した座標の光と自分の身体の位置を入れ替える魔法だ。

だから光系統に分類されているが、理論上は他の系統でも転位は可能なのだ。


 だけど入れ替えた風や水、火の後始末の問題や、座標指定する際の利便性などの問題から、光系統以外で試す人はいなかった。

それらがいつしか忘れ去られて、ただ記号のように呪文を唱えるようになってしまった。

論理的にきちんと理解出来ている者がいないから、魔法の指導は感覚的なものが主流になってしまったのだ。


 そういった意味で、水系統と光系統を組み合わせた魔法を自力で編み出した母上は稀有な存在だと言える。

現代魔法は衰退しているのだ。


 今回、俺が試すのは闇魔法。

紙面の上に闇を定着させて文字や図画を形作るのだ。

題して、『俺自身がプリンタ』だ。


 この方法だとせいぜい闇の濃淡で色に変化をつけてモノクロ印刷に似せるのが精一杯だが、それだけ出来ればビラとしては十分活用できる。

レーザープリンタの仕組みに近い発想で、魔力に反応して色を変える試魔水晶の成分を研究すれば、そのうち六色刷りまでは対応出来るようになりそうだけどな。

トナーの代わりに試魔水晶を砕いた粉なんてどうだろう?


 さすがに今はそんな時間は無いし、コストがどのくらい掛かるかも分からないので保留だけれど、純粋な興味からいつか試してみたいと思う。



 まずはデザインの原案を実際に紙面に描いていく。

この段階の作業は字の綺麗なカーヤさんと母上にも手伝ってもらった。

出来上がった原稿のイメージを一つひとつの文字や絵ではなく、一枚の画像として脳内に取り込む。

そのイメージ通りに形成した闇の魔粒子の固まりを魔力に練り上げ、紙面に照射するのだ。


 まずは一枚。

作業自体は魔石作りによく似ている為、案外あっさりと成功した。

あとはこれを量産するだけだ。


 紙代以外まったく経費が掛かっていない為、コストパフォーマンス的にはこれ以上無いだろう。


 出来上がったビラを持って、家中の使用人さんたちに来店してもらえるようお願いすると、皆快く承諾してくれた。



 ビラの問題が解決した後、次に手を付けたのは調味料の問題だった。

かねてより計画し、また手をこまねいていた魚醤及び豆由来の醤油の開発に取りかかったのだ。


 ツァハリスの地元の調味料・ウスターソースについてはカーヤさんに頼んでかなり前に入手しており、賞味したところだいぶ酸味が強いようで、俺の目指す醤油とは異なるものと分かった。

どうやら、葡萄酒やリンゴ酒などから作られる、前世でいうところの西洋風の酢・ビネガーの風味に由来するらしい。


 これを混ぜ合わせる前の段階の魚醤を豆腐に合わせられないものかと考えたのだが、これがなかなかうまくいかなかった。

塩気を抑えようと思えば魚臭く、魚臭さを抑えようとすれば喉や舌を刺す程に塩分が強くなってしまうのだ。

どうやら、ウスターソースのビネガーは魚臭さを抑える為に入れられていたものらしかった。


 俺が北領に滞在する前にも幾度と無くも試作をおこなったが、結果は惨憺たるもので、満足のいく魚醤は出来なかった。

ひよこ豆腐自体、大豆の豆腐と比べると豆の風味が豊かなのだが、それでも魚臭さは鼻についてしまうのだ。


 差し迫った勝負の為にああでも無い、こうでも無いと研鑽を重ねるも、いっこうにうまくいく兆しが無い。

何十年掛かっても納得の水準のものなんて出来ないのでは無いかと、気が滅入った。


 俺が東領のバルトロメウスの家を訪れたのはそんな時だった。

息抜き兼、監視の為に俺は決戦の日の三日前に何気なく彼の家を訪ねた。

バルトロメウスとその助手のモニカさんは野放しにしていると何をしでかすか分からない変人なので、たまに様子を見に行かねばならないのだ。


 いつもは礼儀としてきちんと先触れを出してから訪問するようにしていたのだが、その日はうっかり忘れて転位魔法でささっと跳躍してしまった。

その時点でしまったと思いはしたが、少し様子を見てすぐにお暇する予定だからと自分に言い聞かせて俺はアイゼンフート家の門扉を叩いた。


 相変わらず訳の判らないド派手な蛍光色のマント付き衣装を身に纏ったバルトロメウスは、俺の突然の訪問に驚いて比喩でなく喉を詰まらせた。

研究室でゆで卵をむぐむぐやっていたところに俺が登場したのだ。

どうやら黄身に咽せたらしい。


 咀嚼中だったものを助手の顔に浴びせてたしまった彼は、俺の顔を見てバツが悪そうにした。


「やあやあ、アルフレート・シックザールくん! 君は卵の白身と黄身、どっちが好きかね?」

「そんなくだらない事を聞く君が好き、とでも言うと思ったか? 今度は何をやらかした?」


 バルトロメウスは必死に何でもないとうそぶくけれど、彼の背景は真実を語っていた。

それにフルネームで呼んでくる時は大抵何かを隠している。


 どうしても口を割りたくない様子のバルトロメウスに詰め寄った時に、俺の鼻先を掠めたものがあった。


 匂いだ。

それも懐かしい匂い。


「バルトロメウス。これって……」

「いや、研究中にたまたま出来た液体を舐めたモニカが食欲をそそる味だと言うのでな……」


 しどろもどろに展開される言い訳は俺の耳を右から左へと何の引っかかりも無く通過していった。

いつも、『むやみやたらと変な薬品を舐めるんじゃありません!』と口喧しく言っていたのだが、この時ばかりはそんな場合ではなかった。


 バルトロメウスがそろ~っと背中に隠そうとした小瓶を強奪し、まずは香りを堪能する。

うん、涎の出そうないい匂いだ。


 次は見た目。

俺のよく知っている、赤褐色だ。


 気持ちが逸り、慎重さを欠いてしまったが匂いも見た目もそっくりで、まるで違うものだとは思いたくなかった。

踏むべき行程を幾つかすっ飛ばしてしまっているが、瓶の口を濡らすそれを指で拭い取り、ぺろりと舐める。


「醤油だ! 醤油を見つけたぞ!」


 てっきり雷を落とされると思っていたバルトロメウスは歓喜の雄叫びを上げる俺の姿を呆然と見つめながら頭上にクエスチョンマークを浮かべていた。



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