第6章

第39話 もう一人の変人




「はい、いつもの」

「お預り致します」


 毎週闇の日の恒例、おから揚げの事前引き渡しを終えた俺はふっと詰めていた息を吐いた。

そんな俺の様子を、おから揚げの包みを持ったゲオルグさんが不思議そうに眺めている。

公爵家に連なる方がわざわざご苦労な事である。


 以前、受け渡しだけなら別の誰かに頼んでもいいのではと婉曲的に伝えた事があったが、彼は首を縦に振らなかった。

有事の際にこの方が犯人を特定しやすいのだとか。


 そう言われて以来、毎週申し訳無いと思いながらもこのやり方で通していた。

全てはきかん坊殿下の為である。



「ところでゲオルグさん」

「……何か?」


 受け取ってすぐに踵を返そうとしたゲオルグさんに俺は待ったを掛けた。


 挨拶もそこそこに用が終わったらそそくさと帰ろうとする辺り、医者・研究者というのは皆、末期の時間欠乏症な生き物であるらしい。

移動は白衣をバッサバッサとはためかせて、常に早歩きのイメージがある。


 おそらくそこに属するであろうゲオルグさんを呼び止めるのは忍びない。

忍びないが、今朝の俺にとってはおから揚げの引き渡しは口実で、むしろここからが本題だった。

先程の溜め息は安堵による不随意のものでは無く、緊張を解す為に意識的におこなったものである。



「バルトロメウス君はお元気ですか?」


 さも今思い至った何気無い話を装って問い掛ける。


 バルトロメウスとは『運命の二人』における攻略対象キャラの、俺がまだ出会っていない三人のうちの一人で、フルネームをバルトロメウス・アイゼンフートと云う。

そう、ゲオルグさんの親戚である筈なのだ。


 バルトロメウスといえば、全攻略対象キャラの最年長にして、群を抜く変人で通っていた。

他のキャラとて大なり小なりおかしな部分があるけれど、彼を前にすればそんなものは霞んでしまう。


 彼はひと目、それも遠目に見て変人と判る稀有な存在だった。

どこがおかしいのかは見れば嫌でも判る。

百聞は一見にしかずというやつである。


 憶測ではあるが、その辺りが引っ掛かって王子の最初の友人の選外になった理由だと思われる。


 そんなもっぱらギャグ要員で、画面越しであれば生暖かい目で見守っていられた彼と俺は出来ればあまり関わり合いになりたくないと思っていた。

暑苦しい系の変人かつ変態など、誰が好きこのんで傍に置いておくだろうか?


 しかしルーカスの一件以降、誰が何の目的で誰を狙っているのか判らない上、ルルの動向も掴めない以上、狙われる可能性が高い人間とはなるべく早い段階で接点を持っておく方が賢明だろうという判断から、自ら踏み込んでいく事になってしまった。

その足掛かりにと、こうしてゲオルグさんに声を掛けた訳だ。


 無論、ゲオルグさんとバルトロメウスの続柄が気になって、というただの興味本意な面もあるが。



「バルトロメウスと知り合いなのですか?」

「ううん、噂で聞いただけです」


 まさか俺の口からその名前が出てくるとは思わなかったとゲオルグさんの顔には書かれていた。

驚きつつ、知り合いかと逆に問い掛けてくるゲオルグさんの言葉に、フルフルと首を振る。


「噂ですか……。例えばどのような?」

「まだ子供なのに、凄い研究者で凄い変わり者がいるって」


 噂の内容についてはかなり適当だった。

だが思い当たる節があるらしいゲオルグさんは、特に不審がる様子も無く、唸った。


「弟がそんな噂に……」


 バルトロメウスへと繋がる道を求め、蜘蛛の巣のようにセンサーを張り巡らす。

そのおかげで、俺は“弟”という単語を聞き逃さなかった。


「ご兄弟だったんですか!?」

「ああ、私とバルトロメウスはかなり年が離れていますからね。私の三つ上にも成人した兄がいて、バルトロメウスだけ離れているんです」

「三人兄弟?」

「はい」


 頓狂な声を上げた俺にゲオルグさんは訳知り顔で説明してくれた。

俺は唯々驚くばかりである。

名前からバルトロメウスの近親者である事は察しがついていたが、まさか兄弟とは思わなかった。


 ゲオルグさんの正確な年齢は知らないが、見た目から察するに十代後半から二十代前半くらいだと思う。

一方、バルトロメウスはというと俺より二つ年上だから現在は五歳の筈で、ゲオルグさんとは十四、五は離れていると考えられる。

兄弟は絶対に有り得ないという訳では無いが、少し判断に迷う年齢差だ。


 しかし俺が最も驚いたのは年齢差の話では無く、ゲオルグさんがバルトロメウスの兄という事実そのものだった。

バルトロメウスはアイゼンフート公爵子息。

その兄という事は、当然ゲオルグさんも公爵子息な訳で。


 ……やんごとないご身分の筈の公爵子息がどうして毒見なんて危ない事をやっているんでしょうね?


 薬に詳しいからお医者様というのは理解出来る。

だけどゲオルグさん自身が毒見をする必要がどこにあるのだろうか?

あれか、彼はありとあらゆる薬品をテイスティングしていて、味で判別出来るのだろうか?


 よくよく考えてみれば、その辺りは実に疑わしい。

彼は『偽りの白』を解説する際に、無味無臭と言っていた。

しかし無臭はともかく、無味はどうやって調べたのだろうか?


 この世界の科学は便利な魔法の影響でいびつな形でしか発達しておらず、とてもじゃないが詳しい成分分析が出来るとも思えない。

味を確認するには舐めるしかない筈なのだ。


 偽りの白は最近開発された毒だと言っていた。

薬物研究に関して最先端を自負する男がこれを放っておく筈が無い。

恐らくは彼自身か彼の知る誰かが舐めたのだろう。

いや、自ら最先端と語っていたのだから、本人が舐めた可能性が高いか?


 研究の為とはいえ、自ら毒を舐めるとは何て変態なのだろう?

俺だったら絶対に嫌だ、有り得ない。

もし誰かに舐めさせたのだとしたら、それはそれで鬼畜確定だ。


 変態か鬼畜。

これ以上無い究極の選択だ。



「今なにか失礼な事を考えていませんでしたか?」

「いえ、何も?」


 彼はいったいどちらだろうかとジト目で観察していると、居心地の悪さを感じたのか逆に質問された俺は首を左右に振り、惚けた。


 まあいい。

ゲオルグさんが変態だろうが、鬼畜だろうが今の俺が彼に求めるものは一つだ。



「バルトロメウス君に会ってみたいなぁ……。誰かが引き合わせてくれるといいんだけどなぁ……」


 大きな声で独り言を言う。

するとゲオルグさんの眉が眼鏡のフレームの上でピクリと動いた。

もうひと押しだろうか?


 『お願い』の形を取らないのは、彼が鬼畜だった場合に要求されるであろう対価が怖いからだ。

杞憂であればいいのだけれど、予防線を張っておくにこした事は無い。

取引の上では少しでも優位な立場を保っておくべきだ。


「会ってみたいなぁ……」


 わざとらしく、いかにも子供の好奇心だと言うようにダメ押しで呟く。


 今日はかなり早めに城へ到着したせいで、他の子はまだ来ていない。

母上は準備があるとかでここにはいない。

二人だけの室内はしんと静まり返っていた。

そこへ、ごくりと唾を嚥下する音が響く。


 掛かったな。

はっきりと突き出たゲオルグさんの喉仏が上下する様を目にした瞬間、俺は胸の内でじわりと喜びを滲ませた。



「宜しければ私が仲介致しましょうか?」

「えっ、いいの? ありがとうございます! うわ~、楽しみだな~」


 提案された瞬間に飛び付いた。

無邪気にはしゃいでいる愚かな子供に見える事だろう。

だがゲオルグさんが取引を持ち掛けてきた時点で俺の作戦は第二段階へと移行していた。


「ゲオルグさんって、見かけによらずいい人なんですね! 何の見返りも求めず、こんな子供の我が儘に耳を傾けてくれるなんて! 感激です、まさに大人の鏡ですね! いや~、こんないい人、他にはちょっと知らないなぁ~」


 本作戦のかなめはいかにして相手に口を挟む隙を与えず、ずっと俺のターンを続けるかだ。


 ハイテンションに、饒舌に。

思い付く限りの言葉を発する。

とにかくペラペラと息継ぎの間も惜しんで、一方的に喋り倒すのがポイントだ。

いきなり饒舌になった驚きもあり、事実ゲオルグさんは俺に何も言えずにいる。


 ここからが第三段階だ。


「でもそれだとさすがに申し訳無いので、そうだな~、今日の授業で貰える魔石なんてどうですか? あれ、凄く美味しいんですよ。身体にもいいみたいですし。うん、そうだ。それがいい」


 条件を突きつけられる前にこちらで勝手に決めてしまう。

契約書を取り交わさない、口約束だから出来る事だ。


 ちょうど折良く母上が戻ってきたのを視界の端で捉えて、俺は仕上げにかかった。


「母上!」

「あら、アルちゃん。どうしたの?」


 声高に叫ぶ俺を見て母上は今日の授業で使うらしい大きな水晶玉のようなものをテーブルに置きながら、目を丸くした。

自分のいない間に何かあったのかと、俺とゲオルグさんに交互に見ている。


「ゲオルグさんが今度、弟君に俺を紹介してくれるって! 俺に年の頃が近いからって」

「あら、良かったわね~。ちゃんとお礼を言うのよ?」

「言ったよ?」


 話を聞いて俺がハイテンションの理由わけに得心がいったらしい母上はおっとりと微笑んだ。


 二人だけで話を完結させてしまうと、それ自体を無かった事にされてしまい兼ねない。

だからこうして他の人も巻き込んでしまうのだ。


 嘘は言っていない。

一部しか話していないだけだ。


 男には誇りがある。

それに貴族というものは、一般人に比べて自分の評判や外聞を気にするものだろう。


 ほんの少しの労を惜しんで自分の評判を落とすか、しょっぱい報酬で堪えてプライドを守るか。

一時の感情だけに流されたりしない大人なら、答えは決まっている。


「私からもお礼を申し上げますわ。ありがとうございます」


 細かい経緯を把握していない母上は、本心からゲオルグさんに感謝の言葉を述べた。

それがトドメになっているとも知らずに。


「いえ、大した事ではありませんから」


 額を押さえて大きく息を吐いたゲオルグさんは観念したように言った。

肩を落とした拍子に、一緒になって眼鏡がずり落ちる。

作戦終了、俺の勝ちだ。


 とは言え、こんな子供騙しの作戦なんて使えるのは奇襲狙いの一回きりだ。

それどころか父上のような本職の人には、おそらく全く通じないだろう。


 ゲオルグさんが口下手で助かった。

でも、こうも簡単に陥落してくれたところを見ると彼は鬼畜では無く、変態の方でこんな騙し討ちなんてする必要は無かったのかもしれない。


 いや、マニアの興味の対象に掛ける情熱は常軌を逸するところがあるから、まだ警戒を解くべきでは無いか。

研究の為なら、道徳や倫理観なんて平気で置き去るかもしれない。


 どちらにせよ、公爵子息でありながら毒見なんて酔狂な真似を続けているあたり、彼もまた変人である事に変わりは無い。

ゲオルグさんとバルトロメウス。

揃って変人とはなんて恐ろしい兄弟なのだろう。

もう一人のお兄さんが果たしてどんな人なのかが非常に気になる。

偏執的な人って怖いよね。


 それでも素直にお願いせずに騙すような真似をした事に苦い思いが拭えず、少しだけ反省しつつ目を閉じると、異次元の一人の女ゲーマーの姿が目蓋の裏に浮かんで、俺はそれを急いで掻き消すように身震いをした。



「むっ、妖怪眼鏡オバケが何故がこんなところに!」

「こんにちは、殿下」


 いつもは最後にやってくるレオンが天敵のゲオルグさんの姿を認めて甲高い声を上げた。

ここで会ったが百年目とでも言うようにビシッと指を差しながら変な名前で呼ばれた本人は、慣れているのか気にした様子も無く、当たり障りの無い挨拶で返す。


 妖怪眼鏡オバケか。

言い得て妙という感じもするが、妖怪なのかオバケなのか判らないな。


「殿下、人を指で差してはなりませんよ」

「しかし!」

「では私はこれで」


 いつものように礼儀作法を説くマヤさんと自由人なレオンが言い争っている間に、ゲオルグさんは小さく頭を下げながらこの場を辞したのだった。



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