第38話 腕輪と男のロマン
舞い上がった瞬間に、キーファの眼鏡は傾いで枝の上から落ちてきた。
それに慌ててゴーロとツァハリスが駆け寄り、眼鏡が地面にぶつかる前に何とか受け止めた。
「カァッ!」
短く鳴いた鴉は俺目掛けて一直線に突っ込んできた。
宙を滑るように飛ぶ鴉の姿は格好いい。
格好いいけれど、羽根と同じ色をした鋭い
数百年前から傷どころか指紋ひとつ付いていない事から、鴉に少々つつかれたところで、まず腕輪は大丈夫だろう。
いや、本当にごめんなさい、ご先祖様、始祖様。
俺が眼鏡奪還の囮に腕輪を使ったのは、単に食い付きそうなものが他になかったわけではない。
腕輪を試そうと思ったのだ。
一計を案じた父上に騙し討ちのような形で腕輪を嵌められたのは記憶に新しい。
あの時の話では、試練を与えたり、俺の身を守ったりしてくれるという触れ込みだったが、実際に装着した者が初代以降皆無な為、詳細は不明だ。
一度付けたら外れない腕輪。
留め具が固いだけなら俺はまだ引き剥がす方に情熱を注いでいただろうが、まるでそんなものは最初から無かったかのように留め具自体が綺麗さっぱり消失しているのだから、諦める他無い。
外せない以上、俺は病める時も健やかなる時もこの先ずっとこの腕輪と付き合っていかなくてはならない。
だから俺は腕輪を知ろうとした。
試練の方は検証が難しい為に現状手が出せないが、御守りの方は簡単に試す事が出来る。
俺が危険な目に遭ってみればいいのだ。
そこで鴉の気を逸らすついでに、俺を狙わせようと考え、実践したわけである。
今まさしく鴉は俺に襲いかからんとしている。
これは俺の狙い通りだ。
狙い通りだけれど、俺は一つだけ失念していたようだ。
危険が身に迫ってくるという恐怖を。
平たく言えば、頭で考えてやったみたら予想以上に怖かったというやつだ。
えーっと、俺、大丈夫だよな?
視界の端の方でマヤさんが駆けてくる姿を認識する。
多分、鴉に襲撃されそうな俺を心配して動いてくれているのだろう。
見切れた彼女の姿に俺は少しだけ安心する。
もし腕輪が役立たずな場合でも、彼女がいればきっと大丈夫だ。
異変が起きたのは、俺と黒い鴉の距離が三メートル程まで縮まった時だった。
腕輪の下の肌がチリッとしたかと思うと、腕輪が目映い光を放った。
「ギャッ……」
光ったのはほんの一瞬だった。
それこそ瞬きをする刹那のような。
しかし光に敏感な生き物を驚かせるにはそれで十分だった。
潰れたような鳴き声を発して怯んだ鴉は俺への突進を止め、もといた木の枝に戻っていく。
これは腕輪が助けてくれたと思って良いのだろうか?
いまいち判断に困った。
父上の話から、もっと結界を張って弾き飛ばすような格好いいものを想像していたのだ。
侯爵家の代々伝わる家宝というと、伝説級アイテムだと思うだろう。
正直、少し落胆してしまった。
勿論、結果的には腕輪に助けられた事には代わり無いし、これが腕輪の全てとも限らない。
俺の使い方が下手なだけっていうのも大いに有り得るな。
誰か、俺に腕輪の取扱い説明書を下さい。
何かこう手探り感満載だが、気休めにしかならないただの御守りやファッション意外の用途があると判ったので、今日のところは良しとしよう。
「なんだ? もう終わりなのか?」
撤退した鴉と俺の姿を見比べて、レオンがつまらないと呟く。
彼は俺と鴉の攻防戦を見て楽しんでいたようだ。
「いや、これ以上続けても意味無いから。眼鏡は戻ってきたしな」
眼鏡とキーファは感動の再会を果たしていた。
一度距離感を測り間違えて瞼を突いてしまったのは見なかった事にしよう。
「見える、見えるぞ!」
感極まったようにキーファは叫ぶ。
目が見える喜びを噛み締めているのだろう。
だが端から見るとその姿はトランス状態でちょっとヤバイものが見えている人に見えた。
喜びのあまり顔から出せる液体が全部出ているせいだ。
分厚いレンズの眼鏡をして汁という汁を顔面から垂れ流しているとか危ない人以外の何者でも無いと思う。
眼鏡を取ったら目付きの悪いイケメンだろうが何だろうが、危ない人は危ない人だ。
せめてヨダレは拭け。
「ありがとうございやす!」
「ああ、うん。いいから。落ち着いてから……いや、顔を洗ってから来てよ」
おいおい泣きながら礼を述べる三人衆に引き気味で応対した。
エキスが付いたら嫌だからな。
「アルト?」
「どうした?」
レオンが俺のシャツの裾を引っ張る。
振り返った俺にちびっ子はキラキラした目で質問した。
「次回はいつなのだ?」
「は?」
ちょっと意味が判らない。
聞き違いだろうか?
「はではない、次回はいつかと聞いておるのだ」
「次回って何の?」
「鴉との対決に決まっておろう」
聞き間違いでは無かった。
聞き間違いでは無かったけれど話がおかしな方向に爆走していた。
「え、いや。あれは見せ物ではなくて……」
「マヤから聞いた事があるぞ! 皆を守るヒーローは身体のどこかにそれとわかる装身具を付けているものだと。余にはわかるぞ。その腕輪はまさしくヒーローの証ではないか!」
「いや、全然わかってないから」
感情に任せて突っ込んでしまったのは不可抗力だった。
彼の目は特撮ヒーローに憧れるちびっ子のそれそのものだ。
どうやらレオンは俺の腕輪を変身ベルトか何かと勘違いしているらしい。
「どうやってその金ピカの腕輪を手に入れたのだ? いつからなのだ? 腕輪をもう一つ手にいれれば余もヒーローになれるのか?」
質問が多い。
加えて俺のシャツを両手で掴んだレオンが両手で揺さぶってくるからさあ大変だ。
やめてくれ、脳味噌がシェイクされる。
「まあまあ、そのように一度に質問をぶつけられてはアルフレート様も困ってしまわれますわよ?」
「そうなのか?」
マヤさんがレオンの肩に手を置いて、制止をかけてくれたのでなんとか酔わずに済んだ。
が、しかし!
「出たな、諸悪の根源!」
こんな事で誤魔化されてはならない。
ビシッとマヤさんに人差し指を突き付ける。
「あまりに酷い仰りようではございませんか……」
「そうやって泣き真似をしても無駄ですよ! 今度はいったい何を吹き込んだんですか?」
「お話をせがまれるので、我が国の英雄譚を語って差し上げただけですわ」
「どうせまた過度な脚色をしたのでしょう?」
レオンの勘違いは十中八九マヤさんのせいだ。
そういうとマヤさんは妖しい笑みを浮かべた。
「物語には盛り上がりが必要ですもの」
「開き直った……」
悠然と微笑むマヤさんの言葉は確かに間違いじゃない。
だけど
相当いい趣味をしていると思う。
『この物語はフィクションです』と最初に注意喚起するのが正しい大人の在り方だろう。
ああ、色んな意味で目眩がしてきた……。
「それで余はどうすればヒーローになれるのだ?」
「あーっと……」
真夏の空を思わせるような青い瞳はどこまでも澄んでいる。
レオンに詰め寄られて、俺は答えに窮した。
子供に残酷な現実を告げなければならないなんて、嫌な役目だ。
腕輪戦隊などというのは儚い夢である。
子供に子供の夢を破壊させるとは、血も涙も無いな。
「この腕輪はな、多分世界に一つしか無いんだ」
「凄いな! アルトはどうやって手に入れたのだ?」
「ああ、いや。これは父上にハメられて嵌められたんだけど……」
説明している間にも父上の顔を思い出して、苦々しい気持ちになる。
息子を騙す親が他のどこにいるというのか。
宰相がセコ過ぎやしないだろうか?
「……よく判らぬが父君に貰ったのだな」
「まあ、物凄く好意的に解釈すれば」
思い出したくない個人的な話をぼかしながらレオンの言葉に頷く。
こうして向き合って話しながら、今か今かと身構えている言葉があった。
待機しているとは言っても、待ちわびている訳ではない。
出来ればレオンにそれを言わないでいて欲しかった。
だけどこうであって欲しくないと願う時程、望まぬ展開はやってくるものだ。
「余もアルトと同じ腕輪が欲しいぞ!」
来るだろうと思っていた。
心の準備は万端だった筈なのに俺は驚いたように肩を揺らしてしまった。
レオンは俺と同じこの腕輪が欲しいと言う。
薄汚れた大人みたいな強欲や傲慢では無く、ヒーローへの憧れという純粋な思いだ。
もしかしたら、友人の証になんて事も考えてくれているのかもしない。
だけど俺にはその願いを叶えてやる術すべが無かった。
同じ腕輪はおそらく存在しない事、これは俺の家に伝わる大切な宝である事、外そうにも外せない事。
俺はそれらを一つひとつ丁寧にレオンに説明した。
レオンがどこまで理解出来たのかは判らないが、全部話終えるとレオンは小さく頷いてくれた。
解ってくれたのだと思う。
だけど頭で解っていても、自分の感情を上手くコントロール出来ないようで、小さな王子はしょんぼりと肩を落とした。
*****
三人衆とさよならをし、屋敷に入って大好きなおから揚げを食べていても、レオンの表情は曇ったままだった。
いつもはカッカッと前歯を景気良く鳴らして食べるのに、今日は勢いが無い。
いつものように癇癪を起こすだろうと思っていた。
しかし今回は違った。
全てが思い通りになる訳では無いとレオンは学んだのだ。
ここは大騒ぎされずに済んで良かったと安堵すべきところだろう。
もしくは小さな友人の成長を喜ぶべきなのだろう。
だというのに、いつも元気でうるさいくらいのレオンが押し黙っているのを見て、俺まで暗い気持ちになってしまう。
何か出来る事は無いだろうか?
そう考えて閃いた。
「カーヤさん!」
「はい!」
「大きめのいらない紙は無い?」
「紙、ですか?」
テーブルの側を横切ったところを俺に急に大きな声で呼び止められたカーヤさんが一瞬だけびしりと背筋を伸ばして硬直する。
それも構わず、これくらいの大きさと手で示すと何枚か束になったのを持ってきてくれた。
「ありがとう」
「いえ、でもいったい何に使われるのですか?」
「まだ内緒」
興味深げにカーヤさんが見守る中、うろ覚えの記憶を便りに不器用な手でそれを折っていく。
何とか狙い通りのものが出来て、もう一枚紙を手に取り、同じものをもう一つ作った。
「レオン」
「む、なんだ?」
「これ、あげる。俺とお揃い」
俺と己の手の中のそれを不思議そうな顔をして交互に見比べるレオンの前で俺は一緒に作った片割れを自分の頭に被った。
「これは遠い異国で、武士または侍と呼ばれる真の勇者のみが装備を許された伝説の被り物だよ」
「むっ!?」
俺の説明を聞いたレオンはぴくりと判りやすい反応を示した。
髪の毛がちょうどアンテナのように立っている。
「……お揃い。これの名は何と言うのだ?」
「
「兜……。うむ、良い響きだな」
そう言うとレオンは大事そうに紙製・兜をひと撫でした後、ニカッと太陽のように笑ってそれを頭に被ったのだった。
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