第4章

第25話 神の祝福と微笑




 この世界、特にアイヒベルガー皇国には、取り分け三の倍数の年齢の誕生日を重要視し、これを盛大に祝う習慣がある。

それぞれの年齢でお祝いの内容は微妙に異なるが、三年毎に共通して行われるのが神殿での祝福だった。

この習慣は貴族・平民共通のもので、神殿には毎日たくさんの子供たちが訪れる。


 という訳で、俺・アルフレート・シックザールは本日三歳になりました。



 記念すべき三歳の誕生日の今日、一番におめでとう、と祝福してくれたのは母上だった。

いつもなら俺を起こすのはカーヤさんの役目なのだけれど、なんと今朝はサプライズで母上が起こしてくれたのだ。


『私が一番乗りでお祝いする筈でしたのに……』とぼやくカーヤさんにもお礼を言っておいた。


 サプライズは他にもあった。

レオンとクラウゼヴィッツ兄妹からそれぞれメッセージカードが届いていたのだ。


 レオンの方は王子直筆のメッセージとこれまた王子力作の俺の似顔絵。

文字も似顔絵も元気いっぱいの勢いのあるタッチでかかれていた。


 うん、文字は所々しか読めないけど、祝ってくれているのは雰囲気で何となく判るぞ。


 俺の似顔絵は顔の輪郭線から目と口が飛び出しているという、素晴らしく前衛的なデッサンだった。

俺は出目金か。


 イルメラとディートリヒのメッセージカードは連名で、ほとんど紙面いっぱいに『一つ年を取ったからって、いい気にならないでよね。私の方がお姉さんさんだから!』という主旨のイルメラからのメッセージが書かれていた。

お兄さんの方からは、シンプルに一言だけ、『おめでとう』と書かれていた。


 読み終えたカードを丁寧に畳んで大事にサイドテーブルの引き出しの中にしまい込むと、フカフカの白パンとスープで簡単に朝食を終え、カーヤさんに選んでもらった服に自分で着替える。


 少し苦戦しながら胸元の細いリボンを結び、仕上げにコートを羽織れば準備万端だ。



 ガラガラと音を立てながら石造りの道を馬車で行く。

城下町を少し離れた教会自治区にそびえるのが、ヴァールサーガー教のこの国で一番大きな神殿だ。



 ヴァールサーガー教。

別名預言者の教団はこの世界で最も多くの信者を抱える宗教団体であり、そのトップの発言力はこの国の王と同等とも言われている。


 神託、神のお導き。

この言葉をお題目に、建国の時代から順調に信徒を増やしていったと家の蔵書にも記されていた。


 現在、アイヒベルガー皇国はこのヴァールサーガー教を国教に指定している。


 宗教なんて言うと、前世の感覚でいえば苦しい時に都合良く縋れるものというだけで、胡散臭いイメージが先行する。

実際に輪廻転生とやらを体験してなお、積極的に心の拠り所にしようとは思えなかった。


 しかし、長いものには巻かれろ、郷に入っては郷に従えという言葉もある。


信じる者を否定しようとは思わなかったし、普段これといって面倒な戒律の存在する宗教でも無かったので、表面的にでも信仰している振りをすれば丸く収まるというのなら、そうしようと思った。


 そんな訳で神殿へと馬車を走らせている。



 一つ、神殿訪問において気掛かりな事があった。

ゲームのヒロインの事だ。



 彼女の名前はルル・クレーベル。

平民の、少しだけ普通より裕福な家に生まれた彼女は、十五歳の誕生日にヴァールサーガー教の主神・運命の女神の神託を授かる。


『この世界は、魔王により滅びる』と。


 それをゲームの主要キャラの中で一番に耳に入れた、つまりその場に居たのは同じく十五歳の誕生日を迎えたアルフレート・シックザールであった。


 この事実は瞬く間に世界に広まり、神殿は彼女を預言者とした。



 つまり、俺と同じく今日が誕生日で、三歳になる彼女は同じように神殿へ祝福を授かりに行く筈なのだ。

ゲーム通りの設定なら、彼女はまだ国境沿いの小さな村に住んでいるので、わざわざ遠路はるばるこちらにやってくる可能性は低い。


 だけどもし、何らかの影響でそれが変わってしまっていたとしたら……?

気まぐれに王都周辺地域までやってきたとしたら……?



 ゲーム上での出会いは十五歳の誕生日だ。

だけどそれが絶対に遵守されるとは限らない。

考えてみれば、転生者が俺一人であるという保証はどこにも無いのだ。


 俺自身のケースを考えてみても、普通に寝たつもりが何日も目を覚まさず、次に起きた時には自分とは異なる人間の記憶を持っていたのだ。

レオンやルーカス、イルメラ、ディートリヒが急に記憶に目覚めたっておかしくはない。

ましてや、ヒロインなんて話を引っ掻き回す補正が掛かっているとしか思えない存在だ。


 それが前世のあの人のようにヘビーユーザーでフルコンプリートの記憶持ち、早々に接触を試みて来て、逆ハーレム狙い、とかだったら最悪だ。


 攻略されるなんて冗談じゃない!

だけどそうならないという確証は何処にもない。


 俺自身の好意は今の時点で断然イルメラに向いているけれど、ゲームシナリオの強制力で意志がねじ曲げられてしまう可能性だって無いとも言い切れない。

出来れば会いたくない、というのが本心だった。



 困った事に今現在俺が手にしている彼女の情報は驚く程少ない。


 一般的には乙女ゲームより、男性向けのゲームに多いらしいがプレイヤーがヒロインに自分を重ねてプレイするという都合上、『運命の二人』ではヒロインの顔は一切描かれていないのだ。


 今の時点でヒロインに遭遇しても、彼女が自ら名を名乗らぬ限り俺にはそれがヒロインであると判別出来ない。

髪の色は色素の薄い金色だと知っているが、そんな人間などこの国には巨万ごまんといる。


 名前を彫り込んだかまぼこ板でも首から吊り下げて、『私がヒロインのルル・クレーベルです』ってどこぞの政治家みたいに遠目にでもそれと判るように練り歩いていてくれないかな。

そしたら全力で避けてやるのに。


 三年に一度の祝福はこの国の民にとっては重要な行事だ。

理由も無く行きたく無いと行っても、子供が駄々を捏ねていると思われるのが関の山だ。


 さっさと祝福を受けてさっさと帰ろう。

それが今の俺に出来る多分唯一のヒロイン対策だった。



「到着致しました」



 現状確認を終えたところでタイミング良く馬車が止まる。


 大丈夫だ、もし今日ヒロインに会うような事があったとしても、俺は今朝のイルメラからのメッセージカードを思い出して、にやける事が出来る!

ここからは一人だ。


「行ってきます!」


 自分に自分で発破をかけて馬車を降りた。



 目の前に飛び込んで来たのは白い石造りの建て物だった。

一目でそれが神殿だと判る。


 馬車を降りた瞬間に外の寒さに身を強張らせた俺だったが、顔を上げた瞬間にその寒ささえも忘れて見入った。



 白を基調とした壁面に等間隔で入っている黒い横縞は大理石によるものだろうか?


 建築の事はあまり詳しく無いけれど、ゴシック調だとかロマネスク様式だと、ロココ調だとかそんな言葉が頭の中を飛び交う。

どれがどんなだかとんと判らないけれど。


 正面入り口の屋根の下には色とりどりのガラスが嵌め込まれたいわゆる薔薇窓が作りつけられている。

その周りには天使や動物の彫刻が所狭しと設置されている。


 神殿全体は直角のL字型をしているらしい。

正面が入り口ホールと礼拝堂、右手側に見える棟はシスターたちの居住区か何かだろうか?


 さらに上を見上げると正面奥に見えるドーム型の屋根と一体になる形で鐘楼が設置されているのが見えた。


 鐘は今はその時では無いようで音色は閉ざされている。

せっかく来たのだから聞いてみたかった、と少し残念に思った。



 さっさと行って帰ると言いつつ、長い事見とれてしまっていた。

やっと硬直が解けた俺は駆け込むように正面の三つに分かれた入り口のうち中央の門扉を潜る。


 一歩踏み込んだ瞬間に空気が替わった気がした。

やけに空気が重く感じるのは天井が高いせいだろうか?


 中は外よりさらに見るものが多かった。

至るところに壁画や彫像が設置されている。

下を見れば足元にもなにやら描かれているではないか。



 気分は観光客だった。


……カメラが欲しい。

だけどさっきと同じ轍を踏むわけにはいかなかった。


 見れば、既に奥の礼拝堂へと続く長蛇の列が出来ている。

そこの最後尾に並ぶと自分の番を今か今かと待った。



 母上の情報によると祝福と言っても、やる事といえば神父様の前でこうべを垂れ、聖杯の水に浸した手で頭を撫でてもらうだけらしい。

声が聞こえたと言う人もたまにいるそうだが、母上自身は一度も聞こえた事は無いそうだ。


 どの子もどの人も神殿の神秘的な雰囲気に呑まれたのか、落ち着かない様子ながらも騒いだり喋ったりする事無く、無言で大人しくしていた。


 一歩一歩列の流れに従って前に進みながら、床に描かれた馬やら狼やら牛やら鳥やらの絵を見ているうちに、礼拝堂の中へ入ったようだ。

最後に天使が現れて絵の途切れた床から目を離し、前を見ると巨大な女神像が立っていた。


 ローブのようなものを纏ったその背中には翼が生えている。

胸の前で組み合わされた両手は何かを祈っているように見えた。


 温和そうに見えるその手元に反して、顔には表情がいっさい窺えなかったのが何となく気になった。



「お次の方、どうぞ」



 長いようで短い待ち時間が終わった。

祭壇の上から、シスターさんに声を掛けられる。

促されるままに一歩、二歩と赤い敷布を踏み締めて階段を上った。


 神父さんの前で静かに頭を垂れ、目を瞑る。



 帰ったら母上はご馳走を用意して待っていてくれるのだろうか?

父上は今日も仕事らしいが、俺の誕生日を覚えてくれているのだろうか?

そんな事をぐるぐると考えながら、祝福を待った。


 暗闇の中、するりと衣擦れの音がする。

触れた、と思った瞬間に誰かの叫びが聞こえた気がした。



 ――助けて、と。




「終わりましたよ」


 しわがれた男性の声が頭の上からした。


 さっきの声とは違う。

今のは神父さんの声だ。

さっきのは女の人の声だった。


 でもいったい誰が?

あの声は耳から聞こえたんじゃない。

頭の中で直接響いた気がする。


 聞き覚えのある声だった。

聞き覚えがあるどころか頭の奥深く、それこそ魂の溝にこびりついて離れない例の人の声だと思った。



 そこまで考えて俺は首を振った。


 何を馬鹿な事を。

神殿の空気に当てられていたのだろうか。


 よし、ここでの用事は終わった。

あとは家に帰って、コック長さんの美味しい料理に舌鼓を打つのみだ。


 ぐずぐずしていたら、本当にルルに出会ってしまうかもしれない。

そんな思いから、自然と歩調が速くなる。



 あと一歩で神殿の外という時だった。



「わっ……」

「きゃっ……」


 光の向こう側から現れた女の子とぶつかってしまった。



「いてて……」


 打ったお尻を擦りながら立ち上がると、向こうも同じように尻餅をついていた。



「ごめんね」

「いえ、こちらこそ」



 手を差し出せば、その子は俺の方を見上げた。

俺の手に掴まったその子を軽く引っ張るようにして立ち上がらせる。


 少女の顔に掛かる波打つブロンドの髪がはらりと揺れた。



「怪我は無い?」

「ふふっ、優しいのね」


 心配になって問えばその子は口元に手を添えて、可笑しそうにわらった。


 良かった、怪我は無いようだ。

ホッと胸を撫で下ろす。



「それじゃあ、俺はこれで」

「お友達に宜しくね」


 軽く目礼してその場を去ろうとした俺にその子はおかしなことを言った。


 お友達……?

発言の意図が判らず、首を傾げつつものんびりはしていられないので足を止めずに神殿を後にする。



 少女とすれ違ったその瞬間。



「おやすみ、ルーカス……」



 ぞっとするような甘い声が人のまばらになった入り口ホールの天井にかすかに響いた。

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