第26話 噂話




 翌日の授業。

俺は完全にうわの空だった。


「ちょっと! 貴方聞いてますの!?」

「んー……」


 考えているのは昨日、神殿の出入り口でぶつかった女の子の事だった。

いや、正確には彼女の発言か。


 あの意味深な発言だ。

『お友達に宜しくね』の方はまだ良い。

問題はすれ違いざまの『おやすみ、ルーカス』の方だ。

あれはどういう意味だろう?



「聞いているのならお返事をなさい!」

「んー……」


 ……判らない。

新手の逆ナンパとかじゃないよな?

だとしたら三歳という幼き年齢にしてあの手練手管は恐ろし過ぎだろ!


 俺の前世が三歳の時なんて、カッチカチでスベスベの泥団子を作るのに精を出していたくらいだ。

その力作を当時同じ幼稚園に通っていた初恋の女の子にあげたら、こんなのいらないわよとぶん投げられたのはいい思い出だ。


 名前は確か、まりえちゃんだった。

勝ち気な女の子だったと記憶している。


「聞いておらぬのなら返事をせよ」

「うん」


 夕陽の下、割れた泥団子の前にしゃがみこんで黄昏たそがれたあの日を俺は忘れない。


 ……だいぶ話が逸れたな。



「返事したぞ!」

「たまたまタイミングが良かっただけですわ!」

「え、何か言った?」


 考え事を最初からやり直そうといったん意識を浮上させたところで、レオンとイルメラが何やら騒いでいるのが耳に入った。


「二人ともいつの間に仲良くなったの?」

「……やはり聞いていなかったようだな」

「だから言ったじゃない」


 羨ましいぞと言外に含めて問えば、レオンはやれやれと呆れ顔で肩を竦める。

イルメラちゃんは何故そんなに得意満面なのでしょうか?

……まあいいか、楽しそうで何よりだ。


 何だかんだと、この授業のお陰でお兄さん以外とも普通に会話出来るようになったので良かったんじゃなかろうか。


 もともとプライドが高いものだから、ついつい高飛車な態度を取ってしまい馴染めなかったのだろう。

俺に対しても最初はつっけんどんだった。

それでも、おから揚げをきっかけにだいぶ話してくれるようになったと思う。


 今朝も、メッセージカードのお礼を言ったら、『別に貴方の為なんかじゃないんだからね! 公爵令嬢の嗜みよ!』とのお言葉を賜った。


 うん、可愛い。

ビバ・おから揚げ、ビバ・ツンデレ。


 初めて渡した時はやはり気に入らなかったのだろうかと悩んだが、今は可愛い照れ隠しだと理解している。


 レオンに催促される事もあり、あれから毎週闇の日におから揚げを配るようになった。

それだけじゃなくて、気紛れでひよこ豆腐の方も持って行ったら、ディートリヒがどハマりしたのには驚いた。


 ゲームでは和食は出てこなかったからなぁ……。

そのうち、スウィーツなんかも作って渡してみたいな。


 イルメラに美味しいと言ってもらうのが、俺の密かな目標だ。

未だ彼女は美味しいとは言ってくれない。

そのくせ、来週も持ってきなさいだなんて言ってくれるので、それはそれで捨てがたくて困るのだった。


「貴方、目の前でレディが話し掛けているのに、お返事なさらないのは失礼ですわよ」

「イルメラの言う通りなのだ。余が話し掛けておるというのに……」

「……え? ああ、ごめん」


 俺を嗜めるイルメラの声に、頬を膨らませたレオンが同調する。

どうやら俺がぼんやりしている間に二人は話し掛けてくれていたらしい。


「貴方がそんなふうにしょぼくれていては、張り合いがないわ」

「そうだぞ! 悩みがあるなら余に相談するが良い。恋わずらい、か?」

「なんでそうなる!?」


 こんなに心配してくれるなんて二人ともいい子だ、とうんうん頷きながら聞いていたが、一瞬でおかしな方向に話が転がったのに気付き、光の早さで突っ込んだ。


「違うのか?」

「違うよ! なんでそう思うの?」

「若者の悩みは大半は恋わずらいだとマヤが申しておったのだが……ふぅむ」


 予想が外れて残念そうな顔をいくらされても、違うものは違う。


「マヤさん……」


 頭の中に高笑いする女官の姿がありありと浮かんでくる。

貴女は純粋無垢で騙されやすい子供に何を吹き込んでいるんですか!


 レオンのさっきの言い方からすると、それが何かは判ってないらしいが……。

今度会った時にマヤさんをとっちめてやらねば。


「本当に違うのか? 時には己も知らぬうちに夜も眠れぬ胸の痛みに苦しむ……」

「だから違う!」


 今度は被せ気味に否定すると、さしもの殿下も押し黙った。


 念押しされても返事は変わらない。

頼むからそんな残念そうな顔をしないでくれ。


 そして、イルメラさん。


「えへっ……」


 そんなに頬を真っ赤に染めながら身体をくねらせて、嬉し恥ずかしな顔をしないで下さい!

可愛いけど、恋に恋しているだけで今のところ俺は眼中に無いと判って、胸に刺さるものがある。


 女の子は男の子より、おマセさんだとよく言うけれど、レオンと違ってイルメラはきちんと意味が解っていそうな辺り、その俗説は本当なのかもしれない。

女の子はこういう話好きだよな。


 おから揚げだけじゃ、全然足りないという事か。

射止めたのはハートでは無く、所詮は胃袋という事らしい。


 ……もっと研鑽を重ねねば。

食べ物以外のプレゼントも検討してみよう。


「それでアルトは何を悩んでいたの?」

「そうだった!」


 珍しく口を挟んできたディートリヒが今の俺には救いに感じられた。


 最近彼はよく見ないと判らない程度ではあるが、少しだけ表情が豊かになってきたように思う。

善きかな、善きかな。


 そんな黎明期を迎えつつある彼の表情だが、増えたバリエーションの中にも謎の婀娜あだっぽさは健在だった。

いや、むしろ磨きが掛かっている。


 ディートリヒにさすが攻略組最年長だ、なんて惜しみ無い賛辞を贈りながら、話の軌道修正をしてくれた事に感謝した。


「実はちょっと気になる事があって」

「気になる事、とな?」


 三人を代表して聞き返すレオンの言葉に頷きを返す。


 レオン、イルメラ、ディートリヒの三人が示し合わせたかのようなタイミングで一斉に同じ方向に首を傾げたのが微笑ましかった。


「うん。最近、ルーカスが授業に出て来ないなぁって思って」

「そう言われてみればそうですわね」

「確か、風邪を引いて休んでいるのだったな」


 そう、レオンの言う通りルーカスは二月程前から、風邪を理由に授業を欠席していた。

彼が実際に参加したのは最初の数回だけで、その後ずっとお休みが続いている。


「きっと、あの者は朝が弱いのだな」

「いや、授業はお昼からだからさすがに……」


 根拠無く自信満々に自説を述べる王子に今度は首を横に振った。


 もともと身体の弱い子という前提知識があったから、今まで彼が風邪で欠席という事に何の違和感も抱かなかった。

しかし昨日、あの少女の意味深な発言を受けて気になり始めたというのが現状だった。


 気になる点は二つ。

一つは彼女のあの言葉の意味、もう一つは彼女が何者であるかという事だ。


 俺にとって最も都合よく解釈するなら、あの言葉は俺でなく他の誰かに向けられたもので、彼女自身も今後二度と接点の無い人物、となる。

だがそれは余りに楽観的過ぎる気がした。


 最悪の予測をするなら、昨日ぶつかった彼女がゲームヒロインのルルで、しかも何らかの方法でゲームの知識を得ているってところか。


 確か昨日の子の髪も、ルルと同じ亜麻色だった。

それにルーカスと言ったのだから、偶然の一致と捉えるより、ルルが接触を試みてきていると考える方が自然に思える。


 となると、冗談のつもりだった逆ナン説もあながち間違いとも言い切れないのか。


 そこで気になるのが、『おやすみ』の方だ。



「そういえば、この間服を売りに来た商人が気になる事を仰っておりましたわ」

「気になる事って?」


 思い出したとばかりに手を打つイルメラの話は、俺の関心を引くには十分だった。

先を促せば詳細を語ってくれた。


「ええと、確か……。ルーカス様のお家に行かれた時に会われた公爵夫人の様子が、以前と変わってしまわれたとか」

「以前は優しい方だったのに、怒りっぽくなられたそうだよ」

「う~ん……」


 ディートリヒの補足を聞いて唸る。

優しかったのが、急にヒステリックになったって事か。

益々きな臭いな。


 だけど、確実に事件性があるかと言われれば首を傾げてしまう。

人の感情とは移ろいやすいものでその日、その時、たまたま機嫌が悪かっただけ、というのも大いにあり得るからだ。

判断材料が少な過ぎる。


 今日の帰りにでもルーカスのお見舞いに行ってみようかな。

不安要素は出来るだけ早く排除すべきだ。

行けば何か分かるかもしれない。


 何も無いなら無いで良いのだ。

それが確認出来ただけでも一歩前進したと云える。


 ただ、用心するに越した事は無い。

取り返しのつかない事になってからでは遅い。



「はいっ、仲がいいのはとっても良い事だけど、今は授業中よ。皆お喋りはそこまでね。集中して」


 パンッと手を打つ乾いた音が空気を両断したかと思うと、母上の号令がかかる。


 それにハッとした俺達は、ついついお喋りに夢中になり過ぎてしまった事を恥じ入りつつ、各々眠たい瞑想へと戻っていった。


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