幕間2 お菓子の誘惑(イルメラ視点)
私は綺麗なものが好きだった。
真っ赤な薔薇のように華やかな色合いのお花が好き。
キラキラと輝く宝石が好き。
でも一番のお気に入りは、お人形みたいに綺麗なお母様だった。
黄金の豊かな髪に、とろっと甘い光を宿したエメラルドのような大きな瞳、品良く整った桃色の唇。
女性らしい丸みを帯びながらもすらっと長く優美な手足。
くびれた腰は、お父様の腕が回されるのを見るたびにあまりの細さに折れてしまうんじゃないかと思っていた。
どれも私には無いものだけれど憧れていたし、私も早くお母様のように素敵な大人のレディになりたいと思っていた。
――そう、捨てられたあの日までは。
あんなに綺麗だったお母様の醜く歪んだ顔は見たくなかった。
だけど嫌な記憶ほどしっかりと覚えているもので、一年以上経った今でも瞼の裏に鮮明に焼き付いている。
お父様とお母様の間に何があったのかはわからない。
だけどきっと、お母様が綺麗じゃなくなったから捨てられたのだろうと思った。
時々お家を訪ねてくるだけだったお父様にお母様が捨てられた後、お父様は私に一緒に暮らそうと言った。
ひとりぼっちは嫌だったから、それに頷いて新しいお家に引っ越した。
そこで会ったのがお兄様とお父様のお嫁さんだった。
「はじめまして、イルメラです」
ぺこりと一生懸命、不馴れなお辞儀をする。
「まあ、なんて可愛らしいお嬢さんなのかしら」
そう言って、お父様のお嫁さんは微笑んでくれたけれどお兄様は無反応だった。
無愛想でよく判らないけれど、お母様の目にちょっとだけ似た色の髪をした綺麗な顔立ちの子。
それがお兄様の第一印象だった。
それからというもの、私は一緒に暮らすようになったお父様や新しいお母様、お兄様に気に入られようと頑張った。
文字を教えてもらってご本を読んだり、新しいお母様を観察してマナーを覚えたり。
子供らしくないとお父様に言われたけれど、それすら私は嬉しかった。
だって早く大人になりたかったから。
何不自由無く暮らせたし、新しいお母様はお兄様と同じように優しくしてくれた。
だけど、ひと月もすればそれが気持ち悪いと思うようになった。
本当のお母様では無いのに、と。
そんな時、目に止まったのは日がな一日ぼんやりと座り込んで過ごすお兄様の姿だった。
艶やかな翠の髪とウサギのように真っ赤な瞳は綺麗だったけれど、生き物じゃないみたいだと思った。
お兄様はせっかちな私と違って何をするのもゆっくりだ。
小一時間見つめていても、小揺るぎ一つしない。
本当に息をしているのだろうかと不安を覚えた時、唐突に欠伸をしたお兄様のしどけないお顔に何故か私は胸を捕まれた気がした。
お兄様は何事にも関心を寄せない。
それには他ならぬ私自身も含まれていたけれど、それは心地好いものだった。
お兄様にとっては道端に転がる石も、お父様もお義母様も私もみんな同じなのだ。
好かれる事は無いけれど、嫌われる事も無い。
だから安心して傍にいられた。
世界にはお兄様と自分だけいればいいと思った。
だけど、そんな優しい世界は永くは続かなかった。
「こんなもの!」
叫んで掴み上げた茶色くて平たくて固いソレを投げようとする。
だけど、『おやめぐださい!』なんて使用人に言われるまでも無く、やっぱり投げ捨てる事は出来なくて代わりに口に運ぶ。
――美味しい。
だけど美味しいからこそ憎たらしかった。
お義母様に連れられて、お城の中をお散歩していた時の事だった。
薔薇の花が美しくて気に入っている庭園の近くまでやって来た時、輪になって何やら談笑している貴族女性たちの会話が聞こえてきた。
「この間、遠回しにですけど、婚約者に目方が増えたんじゃないかと言われてしまいました」
「まあ、何て酷い!」
「ですけど、あれだけ夜会でお菓子を御召しになっていらしたのですもの。太っておしまいになるのも当然ですわ」
光魔法に撃たれたような衝撃を受けた。
食べると太る。
初めて耳にした情報だった。
お母様に捨てられる前、綺麗なお母様に近付きたい一心だった私は訊ねたことがあった。
『ねえ、どうしたらお母様みたいに大きくなれるの?』と。
それに対して、お母様は『沢山食べたら大きくなれるわ』と答えた。
それからというもの、私はお料理を出来るだけ残さずに食べるようになった。
もともと食べる事は嫌いでは無かったし、甘くて可愛い砂糖菓子も大好きだったから、それで大きくなれるならと思っていた。
……それなのに、それなのに!
食べたら早く大人になれるのでは無く、醜く太ってしまうだなんてあんまりだ。
「お義母様!」
パッと勢いよく振り向くと同時に隣を歩く人を呼んだ。
「イルメラ、どうしたの?」
「あの方たちの今のお話は本当ですの?」
「え? ええ、まあ……」
何故急にそんな事を、というお顔をしながらもお義母様は肯定する。
何て事かしら!
長年信じてしてきた事が間違っていただなんて。
そういえばいくら食べても、なかなか手足は細く長く伸びてこないし、腰だってくびれは見当たらない。
スープを煮込む鍋のように
その後、おやつは控えるようになった。
さいわい、まだ太っていると言われてしまうような体型ではないけれど、これからそうなってしまうとも限らないのだ。
本当は食事の量も減らしたかったけれど、お義母様が駄目だと言うので仕方なくそこは現状のままとした。
それなのに、天敵が現れた。
シックザール家のアルフレートという子がある日突然、『お裾分け』と言って手作りのお菓子を渡してきたのだ。
貰っておいて食べないのも失礼だからと思い、後日感想を求められてもいいように一口だけと決めて、手を伸ばした。
カリッと音がして上品な塩味が口に広がった。
お菓子なのに、甘くない。
不思議なお菓子だと思い、もうひと欠片だけと思いながら次に手を伸ばす。
気付けば包みは空だった。
悲劇はそれだけではなかった。
なんとお兄様が『おから揚げ』というそのお菓子を気に入ってしまわれたのだ。
自分から人に話し掛ける事など滅多にない、私の知る限りでは家の者以外に話し掛けた事など皆無だったお兄様が、あの子に『美味しかった』と伝えたのだ。
許せない。
いや、許さない。
あの子は私からお兄様を奪おうとしているに違いない。
そう思って私はあの子を警戒し始めた。
一方であの『おから揚げ』というお菓子を家の料理人に作るように命じた。
あの子が作るお菓子にお兄様が心奪われる、という点が一番我慢ならなかったから。
だけど、料理人は首を振るばかりだった。
何をどうやって作っているのか判らない、と。
嫌がらせのつもりなのかあの子は毎週、闇の日に決まっておから揚げを持ってくる。
そして毎週のように私はその未知なるお菓子の誘惑に負けてしまうのだった。
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