第8話 口は禍いのもと



「殿下の最初のお友達になって下さいませんか?」


 乞い願う。

まさにそんな様子で頭を下げてきたマヤさんに俺は目を見開いた。


 いや、だってねえ?

何、この掌返し!?

っていうか俺、試されてたのか。


「貴女がそれを望まれるのならば」

「うふふ、さながら小さな紳士ね」


 俺の口から勝手な言葉が滑り落ちる。

今のがこっちの人生初の、呪いお披露目だ。


 やっぱりまだ駄目か。

さっき王族への配慮云々の話をされた時はちゃんと言い返せたのに。

気を抜くとすぐこれだ。

“僕”は女性の頼み事を断れない。


 鳶色の瞳が面白いものを見つけたように、キラキラと輝いている。


 いや、確かに当初の予定では王子に取り入ろうとしてたけどさ。

こんな筈じゃなかった。

それでも男に二言は無い。

一度引き受けたからにはこのクソ生意気な殿下とお友達になってやろうじゃないか。


「レオン、よろしく」

「むっ? とよべっ」

「レオン!」

「むーっ……」


 王子に歩み寄った俺は彼を敢えて名前で呼び、手を差し出す。

涙が引っ込んだらしい王子はそれに偉そうな態度で不満を洩らす。


 強調するように再度レオン、と呼ぶと渋々といった様子で俺の手に触れた。


 友達と言うからには対等な関係が大前提だ。

王子が相手だからといって、公式の場以外で下手に出てやる気はさらさら無い。


 そんな俺達を見てマヤさんは満足げに何度も頷いた。


「さて、そろそろお開きに致しましょうか」


 小一時間ほど殿下とホットミルクを酌み交わした後、今回の会合は終わった。


 どうでもいいがこういう言い方をすると酒飲みのオヤジみたいな感じがするな。

ホットミルクじゃ全然締まらないけど。

せめてココアか普通の紅茶にしてくれ。

おかげで俺の腹はミルクでちゃぽちゃぽいっている。


 そんなに飲まなきゃいいだろうと思うだろう?

それを承知で言わせてもらうが俺だって好きで何杯も飲んだわけじゃない。

レオンが面白がって俺のカップに注ぎまくったんだ。


 それはマヤさんの仕事だろうと思うが、彼女は横に控えてハプニングに備えつつも我が儘殿下の好きなようにさせている。

何事も経験、という教育方針なのだろう。


 実はそのミルクが入ったポットがマジックアイテム、魔道具の類いらしかった。

ポットの大きさからいってせいぜい二杯しか入らないはずなのに、何度おかわりしても中身が尽きる事はついになかった。

それに時間が経っても温かいままだった。


 それを何がそんなに楽しいのか、レオンは俺のカップにミルクを次から次に注いでくる。

無限湧き状態で注ぎ足されるのは脅威だ。


 そんなレオンのミルク攻めに音を上げて、マヤさんとカーヤさんも一緒にと提案したものの、頑なに拒まれてしまった。

二人とも色々尤もらしい事を言っていたけれど結局、使用人が主と同じテーブルにつく訳にはいかないという考えらしい。


 そのくらいいいじゃないか、主従関係無くみんな仲良く何が悪い?

その方がレオンの楽しみは増えるし、俺はエスカレートしていくミルク攻めを回避できる。

一石二鳥じゃないか。


 そう説き、レオンと二人でメイドさん二人を誘ったが、メイドさん二人は見守る立場に徹するのみだった。


 これだけならまだしも、さらに事態は混迷を極めた。


 魔道具に興味津々のレオンは非常に饒舌だった。

彼はミルク攻めに加えて俺を質問攻めにしたのだ。


 いや、最初はマヤさんに聞こうとしていたのだが、当のマヤさんが『せっかくですからアルト様にお聞きしては?』などど言ってこっちにお鉢を回してきたのだ。


 これは何なのか、どういう仕組みなのか、誰が作ったのか、どうやって作るのか、最初の一杯と次の一杯でミルクの味に違いはあるか、等々。


 よくもまあそんなに口が回るものだと感心していいのか、質問の多さに素直に辟易した方がいいのか、どちらにしてもため息が零れる状況だった。


 そんな事、俺が知る訳がない。

きちんと答えられたのは最初の質問だけだ。

答えられた理由は単純明快、うちにも同じものがあるからだ。

ここまでフル活用したのは初めてだけどな。


 あとは多分だのおそらくだのが前や後ろに入る、憶測の域を出ない回答だった。

魔道具の起源や仕組みについて淀みなく解説を始める二歳児がいたら嫌だろう。


 二重の責め苦に堪え忍んでいたからこそ、マヤさんのお開きという言葉にほっと胸を撫で下ろした次第である。

ミルクはもう暫くはいらない。


 喉の奥から湧き出てきそうなミルクを抑え込みつつ、マヤさんの案内で長い廊下を歩く。

マヤさん、俺、カーヤさんの順だ。

レオンは他のメイドさんに連れられてどこかへ行ってしまった。


 これでもかというほど賑やかな王子がいなくなって、一気に静まり返ったように思う。


 そういえばカーヤさんは今日、やけに言葉が少ない気がする。

ふと思い返して半歩後ろを見るとちょうどカーヤさんと目があった。


「うん?」


 黒髪に縁取られた顔が何か言いたげな表情を浮かべている。

そう思って歩きながらも首を傾げると、カーヤさんが思わずといった様子でぽつりと呟いた。


「アルト様はいつの間にあんなに御言葉が堪能になられたのかしら……」

「ふべらっ」


 奇声を発してよろめく。


 ……忘れていた。


 俺はここ最近、ある悩みを抱えていた。

記憶を取り戻してからここまで、色々精力的に行動してきたわけだが、ある疑問が浮上したのだ。

果たして子供がまともに会話が出来るようになるのは何歳なのだろうか、と。


 地味に発声練習を繰り返せば、きちんとした発音で話せるようになる日も近いだろう。

この世界の言語についても、ヒアリング・リーディングは出来てもスピーキングはままならないのではないかと危惧していたが、何も考えずに単語を口走ったところ、きちんと母上やカーヤさんには意味が通じているようだった。

今さらながら先程の一件でもこれについては確証がある。


 しかし能力的には実現可能な日が近いと悟ったところで、いつからどのくらい俺は喋り始めれば良いのだろうかという懐疑にぶち当たったのである。


 前世でも、十代以降身近に赤ん坊が居た事は無かった。

とくに子供好きというわけでも無かったので、興味を持って観察した事も無い。

自分が赤ん坊の頃の他の子の様子なんかも覚えているわけが無い。


 つまり、自力で見当をつけるのも難しければ、参考になる存在も何も無く、いつどのタイミングでどのくらい喋ればいいのか判断に困っていたのだ。

だからこそ不用意な発言は控え、イエスorノーで答えるくらいに留めていた。


 だが、今日の俺はどうだろう。

生意気殿下についカッとなって、喋るわ喋るわ……。

ドヤ顔で喋りまくる小一時間前の自分を張り倒して、問答無用で口を塞いでやりたい。


 寡黙だった子がいきなり色んなプロセスをすっ飛ばして喋るなんて、どう考えても異常・不自然だ。


 さて、どう誤魔化したものか。

素直に転生者ですなどどありのままの現状を告白する線はだけは絶対に無しだ。


『アルト様が病んでいらっしゃるわ! 大変!』などと大騒ぎされて、箱庭みたいな環境に一生押し込められるなんて真っ平だ。


 一切の悪意無く、むしろ俺の事を慮ってそうされそうなのがまた頭の痛い話だ。

そんなのは双方にとって悲劇でしか無い。


 じゃあどうするか?

『言葉は元々堪能ですけど何か?』なんて可愛い気の無い言い方をして、今後カーヤさんと気まずくなるのも避けたいところだよな。

中途半端な誤魔化しはかえって憶測を生みやすい。


 やっぱりここはあれしかないか。


「アルト様?」

「どうかされましたか?」


 意味不明な叫びと共に急に立ち止まった俺は、余程酷い顔をしていたのだろうか?

前を歩いていたカーヤさんまでもが振り返り、メイドさん二人が心配そうにこちらの様子を窺っている。


 ちょうどいい。

二人ともこちらを注視してくれているなら、好都合だ。


 敢えてゆっくり。

もどかしい程にゆっくりと胴体の横にぶら下げていた右腕を上げる。


 軽く感触を確めるように拳を握ってから、笑みの色を深めた顔の前で人差し指を立てて口を開いた。


「ナイショ」


 メイドさん二人が同時に息を呑んだのが判った。

けれど続く反応はこちらの予想と期待に反して、各々違うものとなった。


 まずカーヤさん。

彼女は期待通り、俺につられたようにただ黙ってニコニコとご機嫌な笑顔を浮かべてくれた。


 なんというか、こんなに簡単に誤魔化されてくれると、この先カーヤさんが変な男に騙されやしないか心配になるよな。

純粋でいい人なんだろうと思う。

なにせ母上が一番信頼しているメイドさんの一人だ。


 それにこの笑顔、きっとカーヤさんはめちゃくちゃ子供好きなんだな。

この前も絵本を読んでくれたし。


 対するマヤさんは、微笑みを浮かべて見つめ合う俺達を交互に見比べ……。


「ふっ………ふふふふふ。あっはっはっはっは!」


 豪快に笑い始めた。

驚くほど人通りの少ない長廊下に豊かな女声が響く。


 カーヤさんとマヤさん。

二人ともひと口に言えば笑っている。

笑っている事には違いないのに、何故こうも違うのか。


 カーヤさんのを微笑みと呼ぶならば、マヤさんのは高笑いだ。

マヤさんたら最初御上品な笑いにとどめようとして、失敗してるし!


 半ば二人の空間モードに入りかけたカーヤさんさえも、マヤさんはその大きな笑い声で現実へと引き戻してしまった。

何がそんなにおかしいのか、立ったままお腹を抱えて大笑いしている。

そんな仕草にもどこか上品さが漂っているのにはさすがと言う他無いのだけれど。


 何故か意外な程に人気の少ない廊下とはいえ、人払いをしているわけでは無いので普通に人は通るし、衛兵のお兄さん方だっている。


 そんな通りすがりの方々と偶然持ち場に居合わせた衛兵二名の視線をマヤさんは未だ続く笑いの発作で欲しいままにしている。


 案外、笑い上戸なんだろうか?

色々急所を指摘したり、我が儘王子をぽんぽんと簡単にあしらってる姿からは想像出来ない。


「そうですか、ナイショですか……。中途半端に誤魔化したり、嘘をついたりはなさいませんが、真実を話すおつもりも無い、という事ですね」


 笑い収めたマヤさんの口から出るのが正確無比なツッコミである事は必定だった。

スーッと急に感情の読み取れない真顔になるところがまた怖い。

この顔を見るのは二回目だ。


 何故今日初めて会ったばかりの人の、稀に垣間見えるくらいのおっかない部分を二回も見せ付けられなければならないのか。

そういうのは隠しておいてくれないものか。

何とも理不尽で荒唐無稽な話である。


「さっ、立ち止まっていないで参りましょうか」


 早くもマヤさんに苦手意識を持ち始めた俺は、それ以上追及する事無くこちらに背を向けたのを見て胸をホッと撫で下ろした。

誤魔化されてはくれなかったものの、どうやら今回は見逃してくれるらしい。


 カーヤさんと違ってマヤさんは俺の普段の様子を知らない。

だからこそ、先程の俺を一般的な子供の枠組みを逸脱した存在と断ずるのみに留まったのだ。

きっと知っていたら、否定も肯定もしないうちに解放などしてくれなかっただろう。


 最悪の事態を思い当たったところで、ぶるぶると身体を震わせた。

表情筋が徐々に強張っていくのがわかる。

つくづく敵に回したくない人だ。


 王妃様付きの女官・マヤさんは絶対に怒らせてはいけないタイプの人。

これは今日この手で得た情報の中でも最重要の部類に入る。


 おそらく常日頃からマヤさんに突っつかれているのだろうレオンが少し可哀想に思えてきた。

あれだけ容赦無く言われて直さないレオンも大概だけれども。


 頭の中でごちゃごちゃとそんな事を考えつつ、遠ざかっていく背中を追いかけて、俺たちはその場を後にした。



 のちのち、この廊下に高笑いする女の霊が現れるとまことしやかに噂されるようになったというのは余談である。


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