第7話 不敬なメイドと生意気殿下




 彼はメイドさんを伴って姿を現した。

いや、正しくはメイドさんに伴われてやって来たと言うべきかもしれない。


 フワフワの金髪の髪、湖の水底を思わせる澄んだ瞳、幼いながらも整っていると判る面差し。

とどめに唇には笑みが湛えられている。


 完璧だ、コイツ。

乙女ゲームにおいて容姿的にはパーフェクトな王子様だコイツ。


 そしてやはりと云うべきか、俺はコイツを知っている。


 ……王子だ。

こいつはまごうかたなき、このアイヒベルガー皇国の王子、そして乙女ゲーム『運命の二人』の攻略対象キャラ、レオンハルト・アイヒベルガーだ。


 ゲーム本編では勿論こんなチビッ子ではなく、十代後半のモラトリアムな青少年として登場してくるが、おまけエピソードで身体が縮んで赤ん坊になった王子がちょうどこんな感じだった。


 つまりコイツは正真正銘のキング・オブ・プリンスという事になる。


 ……あれ?

王様だか王子様だか判らない……?


 まあいい。

とにかく今回母上が――もしかしたら父上も一枚噛んでいるかもしれない――俺に会わせたかった人物とは目の前の王子殿下らしい。


 確かに、ゲーム本編でも王子とアルトは幼馴染みという設定だったから俺の知っている予備知識とも目の前のこの状況は合致している。


 こんなに早くにこういう形で引き合わせられるとは思って無かったけどな。

幼馴染みとはもっと自然な成り行きとか、腐れ縁から出来る関係だと思っていたのに違うのか……。


 こんな力一杯作為的に会わされて、現状一番の問題は今ここで彼に対してどんな態度を取るか、だよな。


 場合によってはシックザール家は他の四大公爵家すら凌ぐ権力を持っているけれど、王家を敵に回すというのはきっと得策では無いだろう。

あくまでゲーム本編での話にはなるが、レオン殿下自身は他のメンツに比べればさほど難の無い人物だったと思う。


 面倒事に巻き込まれるのは御免だと思っていた。

ただ穏やかに過ごせればと願っていた。


 けれど俺の父上は侯爵で、この国の宰相。

これ以上無いくらいに政界の中心人物と云える。


 俺はその嫡出子。

ゲームシナリオ云々を差し引いたところで、俺がどう頑張ったところで、どんなに無関心を装ったところでそれらに巻き込まれるのが俺の運命なのかもしれない。


 だったら敵は少なく、味方は多い方がいいに決まっている。

王家なんて厄介事の塊みたいな連中だが、国内最高の権威を味方に出来たら心強いよな?


 とりあえずは無難な態度で相手の出方を窺ってみるか。

一応メイドさんがついてはいるものの、ターゲットは赤ん坊王子だ。

見目は麗しいけれど、きっと中身はその辺りの鼻水を垂らした子供と大差無いに違いない。


 そう思い、ソファーから飛び降りるべく(絨毯に足が届いていない)反動をつけた時だった。



のれいをとれ!」


 非常に舌足らずで甲高い、けれど偉そうな声がして、不覚にも固まってしまった。


 一応確認しよう。

この場にいるのは先方のメイドさん、王子殿下、カーヤさん、俺の4人で子供――それも赤ん坊と云えるのは王子殿下と俺のみである。


 さっきの声は明らかに子供の声だった。

しかし俺は殿下たちが現れてから未だひと言も発していない訳で。

という事はさっきのあの命令は殿下が発したという事になる。


 ……子供の癖に生意気だ。

臣下の礼を取れ、だと?


 顔に浮かべていた表情の一切を消して、物言わず今度こそ赤い絨毯の上に降り立った。

スーッと、止まっていた時の流れを取り戻すかのように深呼吸する。


 大丈夫だ、俺はまだ“僕”を忘れていない。


「御初に御目文字仕ります、殿下。御挨拶が遅れてしまいました事、弁明の余地も御座いません。ですが今日という日を私が如何程待ち焦がれたか、眠れずに過ごした千の夜の寂寞はどのような辞ことばを以てしても非才なるこの身では申し開く事は適わないでしょう」


 慇懃無礼に。

先程の無表情を強調するが如く、微笑みの色を深める。


 ゆっくりと見渡すように、自分以外の誰もが呆然とこちらを見つめている事を確認して鼻を鳴らし、さらに重ねる。


「畏れ多くも罪を重ねる覚悟で申し上げますが、殿下は何れは誰よりも高くに昇り詰められる御身。先より賢明なる君主には自ずと臣下、臣民が集うと申しますが、今の殿下は如何でしょうか」


 恐らく通常ならここは跪き、頭を垂れて赦しを乞うべき場面。

だが俺は敢えて背筋を張って胸を反らし、殿下を見上げた。


 王子は確か俺より数ヶ月ほど誕生日が早かった筈だが、今は二歳だろうか、三歳だろうか?


 然程体格も無いのに、何故こちらが一方的に見上げる形になっているのか?


 それは殿下がメイドさんの腕に抱かれ、物干し竿に干された衣類のように引っ掛かっておられるからだ。

そんな場所から、そんな状態で頭ごなしに言われて、誰が大人しく地に臥してやるか、糞ガキ。


 子供のする事にいちいち目くじらを立てて大人げないと言われようが、不敬罪だと罵られようが、俺はこんな糞ガキに仕えるのは真っ平だ。


 敬えと言うのならそうされて然るべき為政者になれ、と皆まで言ってはいないが、主張した。


 赤ん坊のレオン殿下には恐らく俺がキレているという漠然とした事実のみしか伝わっていないだろう。

あまり叱られた経験が無いのだろうか、目を丸くしている。


 だが、彼を腕に引っ掛けているメイドさんはどうだ。

彼女は大人、それも王子付きの女官なら俺の言葉の意味くらいわかるだろう。

さて、彼女はどう出るか?


 感情のまま捲し立てる自分と、一方で激昂した自分を冷静に見つめる自分がいる。

そんな奇妙な己の心理状態を認識しつつ、観察するように王子の頭の上に目を向けた。


 きっちりと纏められた栗色の髪、鳶色の瞳。

この国では別段特徴的とも思えない色合いの瞳を瞬かせた後……。


「……ふっ」


 彼女はクスクスと笑い始めた。

決して狭くは無い部屋に、先方のメイドさんの笑い声のみが響き渡る。


 意味が判らない。

俺が自ら作り出しておいてこう言っては何だが、この緊迫した雰囲気の中で笑うか、普通?


 絶対にここは笑う処ではない。

その証拠に王子もカーヤさんも面食らった様子でいる。

……いや、二人は俺が説教ぶちかました時からずっと目を白黒させていたから参考にはならないか。


「さすがあのお嬢様の血を引かれる御方という事かしらね……」


 相変わらず王子を片腕に引っ掻けたまま、体幹を震わせる彼女の言葉はやはり微妙にずれているように思えて仕方が無い。


 さすが宰相の息子と言われるのなら判る。

でも、何故ここで母上なんだ?

母上の事をお嬢様と呼んだのも気になる。


 前世で覚えた台詞を噛まずに言えた事による優越感と達成感はとっくに消え失せていた。


「ふふっ……ああ、主がごめんなさいね」


 笑いの滲んだ声が急に真剣味を帯びた気がした。

何だか肌寒い。


 思わず自分の身を抱きかかえるように腕を擦っていると、栗毛のメイドさんが動いた。


 手近なソファーにレオン王子をそっと座らせると、視線の高さを合わせるように、服の裾が床に付くのにも構わず隣にしゃがみこむ。


「ほら、殿下。アルトくんにごめんなさいは?」

「ぶーっ……」


 小さい子に言い含めるように(実際に殿下はお子様だが)言うメイドさんと、桃色の唇を尖らせてそっぽを向く殿下。

女官と王族という構図にはとてもじゃないが見えない。


「誤魔化したってダメですよ。それに不満があるならきちんと言葉で説明して下さいね。もともと殿下はお喋りなんですから大丈夫です」

「おうぞくるもの、かんんにあやまってはいけないと、ちちうえが……」

「そうですね、王族たるもの簡単に謝ってはならない。確かに一理あります。が、しかしそれは公の場での事です。帝王学も必要な知識ですが、殿下はまず人としての礼儀作法を学ぶべきかと存じます。このままでは将来が……あ、いえ。出過ぎた事を申しました」


 かんちゃんって誰だ、とかノリで突っ込んでいる場合では無い。

王子はた行の発音が苦手らしいとか分析している場合でもない。


 栗毛メイドさんがわりと、というかかなり酷い。

泣きそうになった殿下を見て一応謝ってるけど……。


 文句があるなら言えと催促しておいて、実際に言われたら容赦無い切り返しを繰り出すタイプだあれは。

慇懃無礼の手本を見せられた気がする。


 ここまで王子に対して強く出られるなんて、栗毛メイドさんは果たして何者なのだろうか?


 まあ、あの痛烈な批判をどの程度殿下が理解出来たのかは未知数だけれども。


 不満をきちんと言えているあたり、二、三歳にしては王子は意外と賢い部類に入るのか。

勿論、クソ生意気な事に変わりはないが。


 変に賢い分、弁も立つから傲岸不遜な印象も倍増してしまうのかもしれない。


「……ごめんない」

「お判りになったなら宜しいですわ。さすが殿下ですね、聡明でいらっしゃいます」


 メイドさんに気圧された感が強いが生意気王子がきちんと頭を下げて謝罪する。

それを見てすかさず誉めるところを見るに、栗毛メイドさんは飴と鞭の達人か。

ますます得体が知れない。


 そんな陰口紛いの事を考えていたからだろうか?


「さて……」


 栗毛メイドさんの顔が此方を向いた。

鳶色の瞳には再び鋭い光が点っている。

何だろう、物凄く嫌な予感がするのですが……。


「これでお許し頂けますか?」


 うん、言葉の上では真摯なんだけれど、絶対含みがあるよな、これ!

ここで許さないとか言ったらどうなるんだろうか?


「ふぁ、ふぁい!」

「ふふっ、そういうところはちゃんと子供なのですね」


 興味はあるけれど勿論、命が惜しいので試さない方向でいきます。

声が裏返ってしまった俺を笑ってメイドさんは立ち上がり、こちらに詰め寄って来た。


「先程の殿下を諭されるお言葉には本当に驚嘆致しましたわ。ですが、まだ詰めが甘い部分があるようですわ。どこであのような言葉を覚えられたのかは存じ上げませんが、アルト様が生誕なさってからまだ千日も経っておりませんものね?」


 ほら来たコレ!

栗毛メイドさんがこちらを向いた瞬間から、ロックオンされているのは何となく感じ取れていた。


 先程王子を叱った時と同じように、メイドさんは俺の前で屈み込み、至近距離から俺の顔を見つめた。

蛇に睨まれたカエルというのは、これの事だ。


 前世で覚えました、とか言えたらどんなに楽だろう。

言えやしないけれど、本当の事だ。


 あれはゲームのヒロインが王子に初めて謁見した際の台詞を少しアレンジして言ったのだ。

確かに生まれてからまだ千の夜を数えていない俺が眠れない千の夜の寂しさを語るのには無理がある。


 けれどそこを突っ込まれるとは思っていなかった。

この際、俺が何歳とか関係無いだろうに。


「それから……」

「……まだあるか?」


 この時の俺は心底嫌そうな顔をしていたと思う。

悩ましい顔をした幼児ってどうよ?


「プライベートな席とはいえ、王族に対して遠慮が足り無いと思いますわ」

「貴女に言われたくありまん」


 さりげなく己を棚に上げるメイドさんはやはりやりおる。

栗毛メイドさんにそれ言われたら終わりだよな。

いったい何者だ……。


「んっ、んっ、うん、まあいいでしょう、合格ですわ」


 わざとらしい咳払いをしてメイドさんは俺の手を取った。


 何が合格なのだろうか?

そんな疑問が頭に浮かぶ前に彼女は続けた。


「わたくし、王妃様専属の女官をしております、マヤと申しますわ。御自分が叱責を受ける覚悟で間違いは間違いと指摘する厳格さ、王族相手にも怯まない豪胆さは今のレオン殿下には必要なものかと存じます。一女官に過ぎぬわたくしごときが貴方を試すような行動に出た事は幾重にも重ねて謝罪致します。ですから、殿下の最初のお友達になって下さいませんか?」

「えっ……」


 今日この部屋で何度もびっくりするような出来事に出くわした。

実際に何度も驚いた。

だからこそ、もうこの上驚くような事は無いだろうと考えていた。

それをこの人――マヤさんは簡単に乗り越えてしまった。


 絨毯に膝を付き、俺に頭を下げるマヤさん。

俺はただ、茫然と立ち尽くしていた。

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