第9話 訓練所の災禍




「こちらですわ」


 そう言ってマヤさんが指し示した先はたくさんの気配でごった返していた。

城の敷地内を歩くこと十数分、西の外れに連れて来られた俺は目を丸くしていた。


 屍だ。

屍になる一歩手前の人たちが無数に転がっている。


 ここは訓練所か何かだろうか?

広々とした更地の他、見るからに重そうな大岩がいくつか転がっており、壁には弓道の的のようなものが設置されている。

よく見るとグロッキーな表情で転がっておられる方々も、統一規格のローブを纏っている。

如何にも厳しいトレーニングが行われた後、といった感じだ。

それらに気付いた俺のテンションは一気に高揚した。


 ここってあれじゃないか?

王立魔法師団の訓練所じゃないか?

すげぇ、魔法師団ってこんなになるまで毎日訓練をしているのか?


 魔法使いってなんかもっとひょろっとしてて、泥臭さ汗臭さとは無縁だと思っていたんだけど。

国の鏡だな、おい!


 魔法見たい!

見れるよな?

見せてくれるよな?


 身体の脇でぐっと両の拳を握り締め、期待満面にマヤさんを仰ぎ見れば、彼女は鷹揚に頷いてある一方を指差した。


「次っ!」

「はい」

「どうした? 声が小さいっ!」

「ハイ~~ッ!!」


 上官と部下の会話といった感じだろうか?

そこらじゅうでバテて転がっている人たちとは若干意匠の異なるローブを身に纏った人たちが例の壁の的に向かって一列に並んでいる。

その傍らには見覚えの有り過ぎる人物が立っていた。


「は、母上?」

「やはりこちらでしたわね」

「奥様にとってここは古巣ですからね」


 俺の驚愕に続くメイドさん二人の言葉が俺の見間違いでは無いと告げている。

――さも当然と言うように。


 いやいや、ちょっと待て。

確かに母上は過去に王立魔法師団に属していた事がある。

それも雑兵等では無く、それなりの地位にまで昇り詰めたと聞く。


 だが確か、父上との結婚を機に現役を退いたんじゃあなかったのか?

そんな母上が何故こんなところにおられるのか。


「荒ぶる光よ、我が稲妻と成りて彼のモノを打ち砕け」


 ――ズドンッ。

閃光が煌めく。


「うむ、詠唱速度と射出速度は今一歩だが的の中心を正確に射抜いておるな。威力も悪くない」

「はっ、マレーネ教導官様! 勿体無きお言葉に御座います!」


 母上とたった今まばゆい光を放った列の先頭の青年の会話を聞いて、ぎりぎりと歯を食い縛った。

外気は暑くも無いというのに、こめかみを汗が滴るがそんな事はどうだっていい。


 母上は何故団員を指導し、教導官なぞと呼ばれているのか。

何故、おしとやかな筈の母上がどこぞの鬼軍曹のような口をきいているのか。


 訳が判らない。

そんな設定はゲームには無かった筈だ。


 別に魔法を教わっているのが自分じゃないだとか、自分より先に教わっているのが腹立たしいだとかは思っていない。

けれど何となく、母上に裏切られたような気分だ。


「次!」

「お願いします!」


 結局、母上による教導は団員が全員地に倒れ伏すまで続いた。

体育会的スパルタな指導により一人、また一人と昏倒していく様は悪い夢でも見ているようだった。


 今地面に転がっておられる方々が皆、母上の教導の巻き起こした惨劇だとしたらさらに恐ろしい。


「申し訳ございません、私も此処までのようです。マレーネ教導官、貴女と共に戦えて幸せでした……」


 最後の一人ががっくりと地面に膝を付き、苦しげな息の最中に何やら戦死する兵士のような言葉を遺す。


 ……これが世に言う死亡フラグ発言だ。


 ぷつりと意識の糸が途切れた団員は身体を一切庇う事無く前に倒れ、地に頬擦りをして横たわる。

端で見ていただけだが、この人は随分と頑張ったと思う。


 ローテーションで回していた訓練だが、魔力を使い果たした人が倒れるたびに、順番が回ってくる間隔は短くなる。

けれどこの人は最後の一人となってからも、何度も何度も諦める事無く母上に要求されるがまま、連続で魔法を放っていた。


 おそらく俺達がここに到着した時点で立っていた人達はエリートと呼ばれる人達なのだろう。

その中でもこの人はずば抜けている違いない。


 最初は純粋でない感情を持ちながら訓練を見学していたが、不撓不屈の精神に最後は感動した。


「見込みはあるが、ファルコもまだまだ……」


 だからこそ母上のこの発言には肝が冷えた。


 慈悲深い筈の母上の、最後の団員――ファルコさんというらしい――の真上から投げ掛けた身も凍るような冷ややかな視線が怖い。

いつものあらあらまあまあのおっとりした母上は何処にいったんだ?


 俺が今まで見てきて、なおかつゲームに登場した母上が虚構でこちらの鬼畜軍曹――最終階級はもっと上だけれど――が本物なのだろうか?


「つまらぬ……」


 立てる団員の一人も居なくなった訓練所で孤独に佇む母上がぽつりと呟く。

それを受けてパンッと乾いた音が空間を切り裂いた。


「はいっ、そこまでですよ」


 手を叩いたマヤさんが俺の前を横切って、鬼軍曹……いや、鬼教導官モードの母上に悠然と近付く。

死屍累々と積み上がった魔法師さんたちの身体を華麗なステップで避けながら。


 新たな汗がこめかみを伝った。

本当にマヤさんって何者だ、裾一つ乱れていない。


「相変わらずですわね、お嬢様。……いえ、今はシックザール侯爵夫人でしたわね」

「マヤ……?」


 こちらからは横顔しか見えない。

しかしマヤさんは微笑み、鬼教導官モードの解けた母上の頬は引き攣っているのが判る。

母上のいつも薔薇色の挿している頬は色を失い、マヤと確認するように呼ぶ声は震えていた。


「ええ、ご無沙汰しておりました。そのように確認して戴かなくとも正真正銘、以前はマレーネ様のご実家にお仕えしておりました、マヤでございますわ」

「そ、そう……」

「えっ?」


 間違いなくマヤさんだと確証を得た母上の顔は土気色を通り越し、蒼くなった。

マヤさんは母上に仕えていたのか、と驚く俺の声は見事にスルーされた。


「せっかく王城にお越しになられたのに、ご子息と昔の部下一人を残して御自分はさっさと古巣に行かれるなんて、寂しゅうございますわ。それともマレーネ様はわたくし如き使用人の顔などお忘れになられたのでしょうか? だとしたらあんまりですわ、十数年も誠心誠意お側に仕えておりましたのに……」

「待って! 覚えている、覚えているわ! 私が貴女を忘れる訳ないじゃない!」


 わざわざエプロンドレスからハンカチを取り出してわざとらしくよよと泣く振りをするマヤさんに母上はたじたじだった。

どういうわけか、明らかに狼狽している。


「でしたら何故、お顔を見せては下さらなかったのですか?」

「そ、それは……」


 ハンカチを顔半分に押し付けたまま、マヤさんは背の高い母上を恨みがましく見つめる。

言い淀んでしまった母上の方が分が悪い。


「そんな必要は無いとお思いになられたのですね。嗚呼、世界はなんて残酷なのかしら! わたくしはこんなにもお慕い申し上げておりますのに……!」

「違うわ!貴女がそうやって私を玩具にして遊ぶから、会いたく無かったのよ!」

「嗚呼、なんて嘆かわしいの!御自分より立場の弱き者を小突き回して愉しむだなんて……。わたくしはマレーネ様をそんな子に育てた覚えはございません。昔は素直で心のお優しい方でしたのに……」


 母上が掌の上で転がされている、或いは手玉に取られていると表現したら良いのだろうか?


 被害妄想全開の見解を大仰に捲し立てられ、ええいままよと心境を吐露した母上の言葉を受けてマヤさんはまたもやオーバーリアクション気味に嘆いてみせる。


 ごく個人的な感情のすれ違いで残酷と評されてしまっては世界も堪ったものでは無いだろう。

とんだとばっちりだ。


「それは貴女の事でしょう!」

「いいえ、わたくしのは愛情の裏返しですので」

「わざわざ裏返さなくていいわよ……」


 言い掛かりを付けられた母上も黙ってはいない。


 果敢に挑んでいるのだが、どうにもこうにも歯が立たないようだった。

母上にとってマヤさんは天敵といって良い存在かもしれない。


 はっきり言ってこれは由々しき事態だ。

母上は一国の宰相を夫に持つ夫人である。

これでも父上は敏腕と謂われる宰相で、母上はその宰相を相手に口論を仕掛けて勝ってしまうような人なのだ。


 そんな母上のさらに上をいく人がいるだなんて、悪い冗談はやめてほしい。

確かに、父上より強い母上をマヤさんが圧倒しているからといって、父上とマヤさんが争った場合にもマヤさんの方が上手になるかどうかは判らないけれど。


 父上が母上に弱いだけかもしれない。

……いや、わりと切実にそうであってほしい。

そうでないと父上の、宰相の立場が無い。


「甘く優しいだけが愛ではございませんわ」

「はあ……もういいわ」

「だから下手に逃げるのは得策ではありませんよとあれほど申しましたのに……」


 まさにああいえばこう言う。

何か言えば勝ち誇った顔で倍返しをされる、そんな現状にため息をついて母上は降伏した。


 それを受けてこれまで俺の隣で黙って事の成り行きを見守っていたカーヤさんが嘆息する。


 カーヤさん的にはこの展開は予想のど真ん中的中なのか。

母上とマヤさんの間には何やら因縁があるらしいが、カーヤさんもそれに関わっているのだろうか?


 そして母上はやはりマヤさんから逃げたのか。

忠告に耳を貸さずに逃げるなんて、よほど苦手なのだろう。

何かトラウマでもあるのだろうか、あるとしたらどんなトラウマを植え付けられたのだろうか?


「カーヤ、それはマヤの前では言わない約束……」


 然り気無く隠していた(隠し切れてはいない)裏事情を暴露されてしまった母上がカーヤさんに文句を言うけれど、時既に遅し。


「マレーネ様、逃しませんわよ?」

「ひっ……」


 マヤさんの力一杯の微笑みが母上を襲う。


 何故怒った顔より笑顔の方が怖いのか?

それだけは深く考えてはいけない。


「わたくしも自分の命は惜しいので、申し訳ございません」


 諍いの渦中から離れ、安全な場所に立ってしれっと言い放つ。

自分の身の安全の為なら主人を売る事も厭わない姿勢。

カーヤさんは意外としたたかだった!?


 母上、カーヤさん、マヤさん。

この世界の女の人はどうして揃いも揃って異常なのか?

これがこの世界の普通なのか?


「なんの事情のご説明も無くこちらにお連れ致しました事、深くお詫び申し上げますわ、アルフレート様。大層驚かれました事でしょう。ですがご安心下さいませ、この方は正真正銘貴方様の母君にあらせられます。ご存じないかもしれませんがお母君は過去、女性の身でありながらこの王立魔法師団の副師団長を務めておられたのですよ」


 掴み合いをする母上とマヤさん、それにカーヤさんを交互に見つつ目を白黒させていると、マヤさんが母上の隙を見つつこちらに顔を向けて言い遣る。


 俺を慮っての発言だろうが、もし俺が本当に何も知らないで生まれてきた子であれば、それすらも驚愕に値する内容であろう。

それに今日会ったばかりの人に安心しろと言われてもなんとなく素直に頷けないものがある。


「ちょっと、マヤ! 貴女勝手に何を……!?」

「捕らえましたわ!」

「ぐっ……」


 勝手にベラベラと秘密を明かし始めたマヤさんに母上が憤慨するが、理性を失った人間などマヤさんの相手では無かった。


 大きな隙の出来た母上の両腕を掴んで後ろ手に拘束する。

押さえつけられる痛みに母上の顔が歪む。


「マレーネ様は何というか、一度教導官モードになられるとお人が変わってしまわれるのですわ。普段の暢気なところも演技等では無く、紛れもなくマレーネ様御自身の性質ですので」


 親切心なのか何なのかマヤさんが色々と説明してくれるが、そんな些細な事などどうでも良かった。

いや、どうでも良くなった。


「……放して。母上が痛いって言ってる」



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