第六章・古からの盟約
第十七話・代償と手助けと
──ぱたぱた、と滴る血。
それにデイヴォは口を付けた。
「……ありがとう、デイヴォ」
微笑み礼を述べるリウィアスに、デイヴォは目を向けた。
リウィアスの左腕には決して深くはないが切り裂いた疵があり、そこから赤い血が流れ落ちる。
舐め取るデイヴォは自身が付けたにも拘わらず労わるようで。
そんなデイヴォに、リウィアスは目を細めた。
これは殲滅依頼のために必要な事。
依頼は護人か代理者の血を捧げる事で行われる。血を
今、こうして生きてリウィアスが立っているという事は、デイヴォが依頼を受諾したという事を示しており、控える獣は殺気を霧散させ、伏せて従う意思を示した。
「大丈夫」
契約上、仕方がないとはいえリウィアスに疵を付けた事が気に病まれるらしいデイヴォの鼻上を撫でると、疵を軽く布で縛り、彼に対峙する前に取り除いていた外套を羽織り直す。
愛馬を呼び、背に跨って再び森を疾走する。
幾ら認めていても、幾ら好いていても、王であるデイヴォはこの件に関して手を貸す事は出来ない。
ただ彼は静かにその姿を見送った。
「──ここまでありがとう、ウィル」
地に降り立ち愛馬の名を呼べば、その愛馬は案じるように鼻先を寄せる。
リウィアスは手を伸ばして頬を撫でた。
青毛である愛馬に連れて行ってもらえるのはデイヴォの縄張りの境界ギリギリまで。
森の掟として、己が従う王以外の縄張りには緊急時を除いて立ち入る事は禁じられている。
手を離し、境界を越えたリウィアスの背を愛馬はじっと見つめた。
一度振り返ったリウィアスは、笑んで手を振る。
──ここから先は自力で行くか、脚となってくれる獣を見つけねばならない。
愛馬と別れ、縄張りの境界が見えなくなった頃、リウィアスは、ぴたっと足を止めた。
草花が揺れる音が近付いて来たかと思えば、鋭い眼光を湛える何かが眼前に飛び出す。
その姿は豹。
しかし、その体躯は通常の豹よりもふた回りは大きい。
闇のような毛色の豹は、リウィアスを見据えたかと思うと、くるりと背を向けその場で身を低くした。
リウィアスは目を細めた。
「……乗せてくれるのね?」
その言葉にちらりと視線を投げただけで目の前にある豹は動こうとしない。
それが答えだった。
「ありがとう」
リウィアスが背に跨ると豹は身を起こし、地を蹴って猛然と駆け出した。
自ら脚となる事を買って出た獣。それはリウィアスだからこそ。
獣の力も借りながら、自身の脚でも急斜面を駆け下り、流れる川を泳ぎ渡り。
──そうして、リウィアスは約四日掛けて各王の許を巡った──。
・*・*・*・*・*・
「……全護り人の総数八百五十六。その
それを聞いたコルゼスは僅かに難しい表情をする。
先程、城の救護室に移ったウォルターから得たロバリアが雇った者らの幾らか詳しい情報を耳にしたばかり。その中には、国を跨いで手配を受ける賊の名も数あって。
「思ったより少ないな……。最悪、数千の敵を相手にせねばならぬが、行けるのだな?」
アゼルクは不敵に笑った。
「
つまりは四千の敵を相手にする事も可能。
「それに今、リウィアスが頑張ってくれていますから、譬えこちらが苦戦したとしても七王が残りを片付けてくれます」
まだ若く優秀な愛弟子を想っているのか、小さく優しい笑みを浮かべた。
「私よりも上手くやってくれますよ」
そこにあるのは絶大なる信頼。
しかし表情を改めたアゼルクはレセナートに視線を移し、眉尻を下げた。
「ただ、殿下には申し訳ない事をしたと思っています」
「……いえ。リウィアスが良しとした事ですから」
レセナートは
依頼に何を使うか、知らないわけではない。そのためにリウィアスが負うものも。
「本来ならば当代『死の護人』である私がやるべきなのですが……」
王の信頼の厚いリウィアスの方が確実。
それはレセナートもコルゼスも十分に理解している。
「生きて、私の許に帰って来てくれればそれで良いんです」
力強い言葉。そこに嘘偽りの音はなかった。
アゼルクはリウィアスに向けられる想いに、頬を緩めた。
貴族にとって、女の身体に疵があるのは忌むべき事。それは身分が高ければ高い程に。疵があれば、想いが冷める要因にもなりかねない。
けれどもレセナートはそれを是とした。
「──ありがとうございます」
リウィアスの意思、行動を全て受け入れ、包み込むようなレセナートの大きな想い。
自然、アゼルクは
「私は何があってもリウィアスだけを愛しています。私にはリウィアスしかいない。──未来永劫、心を捧げる相手はリウィアスのみ」
真っ直ぐに放たれたその言葉に、アゼルクは二人の出逢いを心からこの世界に感謝した。
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