第二十二話・対峙



 扉の横に立つ二人の姿を認めた騎士が一度頭を深く下げると、室内に二人の到着を告げた。

「皇太子レセナート殿下、婚約者シャルダン公爵令嬢リウィアス様、ご到着されました」

「通せ」

 騎士によって開かれた扉から中へと入ると、既にコルゼスとフィローラが席に着いていた。

 ロバリアの面々は、まだいない。

「遅くなりまして、申し訳ございません」

「いや、良い。リウィアス、良く似合っているな」

「本当、美しいわ」

「ありがとうございます、陛下。王妃様」

 頭を下げるレセナートと共に、リウィアスも静かにこうべを垂れる。

 満足げなコルゼスやフィローラとは違い、着飾ったリウィアスを呆然とした様子で見つめるウェルデンとラルファ。そしてフレイラ。


 今回の会談では、アスヴィナも同席する。それはロバリアへの牽制のために。

 敵が事を起こす可能性が最も高いのは、祝賀会終了直後。壮大な催しが終了した事で気が緩みやすい時。

 アスヴィナはそれまでの重し役として、自分達の存在を強く意識させるためにここにいた。

 セイマティネス王国騎士とアスヴィナ王国騎士。ギセドはともかく、この二つを相手にロバリア国王が逃げ延びる事は実質不可能。

 我が身が可愛ければ、その牽制は十分に効果を発揮する。


「──ウェルデン殿」

 苦笑し、控え気味にコルゼスに声を掛けられたウェルデンを始めとするアスヴィナは、はっとたように漸く動き出す。

 彼らが目にした事のあるリウィアスは常に仕事着。髪を結い上げ、女性らしいしなやかな身体の曲線が分かる美しいドレスを身に纏い、薄く化粧を施された姿は初めて目にする。

 首を傾げるリウィアスに気付いたウェルデンは、共闘する相手に誤魔化しは不要と正直に告げた。

「……すまない。見惚れていた」

 それにまばたくと、リウィアスは柔らかく微笑んだ。


「──座りなさい」

 コルゼスに促され、彼らと同じ並びのレセナートの隣に腰を下ろす。その脇にはラルトとルーカスが控えた。

 言葉を交わすレセナートらの声を耳に入れながら、リウィアスは瞼を下ろした。

 表情は穏やかで、陽のような暖かい気を纏うリウィアスは、その実、全神経を張り巡らせていた。常よりも、ずっと細密に。

 それはいつ何時なんどき、敵の襲撃に遭っても対処出来るように。

 直様、前線に行けるように。

 程なくして瞼を上げたリウィアスは、すっと目を細めて扉の方へと顔を向けた。気付いたレセナートが手を伸ばし、自身の左手でリウィアスの手を包み込む。

 リウィアスは応えるように微かに頷いた。

「──失礼致します。ロバリア国王ガイル陛下がお見えになられました」

 直後に掛かった声。

「お通ししろ」

 コルゼスの威厳ある声が響いた。

 それを合図にゆっくりと扉は開かれた。

 室内に足を踏み入れたのは、三十代半ばの代赭色だいしゃいろの髪に暗褐色あんかっしょくの瞳の男。その瞳はコルゼスとレセナート、そしてウェルデンを捉えた瞬間、憎悪と野望に色濃く染まる。


 ──この男こそ、ロバリア国王ガイル・アレクセイ・フェルロンドである。


 背後には予想通り、アスヴィナ王国元騎士団長ギセドの姿。

 ギセドは謁見の間に足を踏み入れるなり軽く視線を巡らせたかと思うと、リウィアスでそれを止めた。


 セイマティネス国王夫妻とウェルデンは着席したまま。それ以外の面々は立ち上がってガイルを迎えた。

「この度はお招きありがとうございます。──レセナート殿下、御婚約おめでとうございます。……お隣がくだんの姫でいらっしゃいますか?」

 一応は協定国であり、その中でもセイマティネスが格上。

 先に挨拶を行い、ガイルはリウィアスに視線を移す。途端、その瞳に欲望が宿った。

 それを認めた瞬間、レセナートはガイルの目を抉り出したい衝動に駆られる。が、無理やり抑え込んで隠し、ただ気付かない振りをしてリウィアスの腰を抱き寄せた。

 婚約の事実は未だ未発表だが、護衛を兼ねて会談に同席するため、ロバリア側にはリウィアスの事を簡単に伝えてあった。

「ありがとうございます。──ええ、彼女が私の婚約者のリウィアスです」

「お初にお目もじ仕ります。リウィアスと申します。不束ふつつか者ではございますが精一杯殿下を支えて行く所存。協定国であるロバリアを治められているガイル陛下におかれましては、御指導ごしどう御鞭撻ごべんたつを賜りますようお願い致します」

 淑やかにこうべを垂れ、リウィアスは艶やかに微笑む。──勿論、最後の一文は露程も思ってはいない。

 そうと気付かないガイルはその艶っぽさに更に欲望を色濃くする。


 遣り取りが交わされる横で、ギセドはリウィアスの全身を舐めるように見た。

 陽に焼けにくい体質なのか白い肌に紅く色付いた唇。豊かで形の良い実にくびれた腰。

 自然、いやらしい笑みが口許に浮かぶ。

 その時、リウィアスと

 リウィアスは今気が付いたようにギセドに視線を滑らせると幾度かまばたき、そして──微笑んだ。

 その笑みを目にした瞬間、ギセドの胸に欲望が渦巻く。


 意図に気付いたレセナートの腰を抱く手に僅かに力が籠った。

 リウィアスはギセドに向けていた顔をレセナートへと向け、花が咲くように笑む。

 それは端から見れば、上手く挨拶出来たでしょう?と無邪気に恋人に笑むようで。

 誰も二人のに気付いてはいなかった。




 ウェルデンへの挨拶も終え、ガイルが席に着くとその傍らにギセドが控え立つ。

 その姿をウェルデンの鋭い眼光が捉える。

「──その男が曾てアスヴィナから逐われた者と知って雇っているのか?」

 それはガイルらの企みを知らなければ確実に訊いていた事。

 気付いていないと思わせるためのウェルデンの問い掛けに、ギセドは素知らぬ顔をし、ガイルは口角を上げた。

「それはもう十五年も前の事でしょう。今では良く仕えてくれていますよ」

 ウェルデンが仕えるに相応しい人物ではなかったとも取れる発言。

 けれど流石アスヴィナ国王と言うべきか、それに対する怒りは見せずに目を細めた。

 怒りを顕すわけでもなく、ただただ鋭い瞳で二人を見据えるウェルデンにギセドは平然としていたが、ガイルは表面上こそ余裕を見せながらも冷や汗を掻いていた。背筋をつぅっと流れて行く。

 ──格の違いと言うべきか。

 自身の睨みも挑発の言葉も一切意味を成さず、対してウェルデンの怒りさえない、ただ相手を測るような全てを見透かすような眼光はガイルを畏縮させるには十分だった。


 僅かな言葉と、その存在で、今回背負った自身の役割を十二分に果たすウェルデン。

 加えて、身を刺すような視線は一つではなく。

 先程のガイルの発言をきっかけに、コルゼスら三人の軽蔑を含む鋭い眼光がガイルに向けられていた。

 フレイラは顔を青褪めさせ、王妃として様々な状況を経験し潜り抜けてきたフィローラでさえその身を強張らせる程の不穏な空気。そんな中でただ一人、リウィアスだけは少し困ったように、けれど穏やかに微笑んでいて。


 リウィアスを観察していたギセドは見定めるように目を細める。

 こんな状況の中、笑っていられるのはただの馬鹿か、それともこの状況さえ許容する器の持ち主か。

 リウィアスを見て、後者だと判断した。

 そして容姿で惹かれた以上に興味をそそられた。




 ──リウィアスが意図したものだとも気付かずに。



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