第二十一話・訪れし者
「──最後の一隊が今出立しました」
側近からの報告に、男は口角を上げた。
「そろそろ、我らも行きますか」
背後に控えていた騎士の言葉に、男はますます怪しく目を光らせる。
「いよいよか。──必ず、取り戻してやる」
・*・*・*・*・*・
準備を整え、祝賀会まで一週間となり後は敵を迎えるだけとなった今日。
ロバリア国王がセレイスレイドに到着する。
一行を森の外で出迎えるのはアゼルク。
城で皇太子の婚約者として顔を合わせるリウィアスは、気付かれて警戒されぬようその役からは外れた。けれども気配を絶ち、距離を取って同行する。
フードで顔を隠したアゼルクが迎えた一同の中に、予想通り騎乗したギセドの姿があった。
四十前後という年齢ながらもそうは思えない若々しく整った容姿に、程良く陽に焼けた肌。筋骨隆々とはしておらず、無駄のない筋肉の付き方をした均衡のとれた身体に
──以前見た時よりも、
久々に見るギセドに、アゼルクの背中に嫌な汗が伝った。
首を捻る、眼球を動かす、そんな些細な動きにすら隙がない。僅かでも不審な動きを見せれば距離があったとて一瞬で首が物理的に飛びそうな気さえする。
森の獣も、ギセドの気配を感知した直後から、
「──ご案内します」
怯みを抑え込んだアゼルクに先導され、ロバリア──いや、ギセドが森に足を踏み入れると、瞬間、獣達は激烈な殺気に身を包む。が、直前にリウィアスがそれを凌駕する気をほんの一瞬放つ事で、封じ込んだ。
相手に警戒心を受け付ける事態は、なるべく避けるべきだ。寧ろ、容易いと思わせていた方がセイマティネスにとっては事が運びやすい。
ギセドは軽く周囲を見回し小首を傾げた程度で、再び前を向いた。
放った気は察知されるか否か、ぎりぎりのもの。ギセドはどうやらリウィアスの存在には気付かなかったらしい。
(……リウィアス、良くやってくれた)
一行が森を抜け、街中に消えたのを確認したリウィアスは、気配を断ったまま城へと先回りをする。
到着したリウィアスが向かったのは、警備の最終調整を行ったあの塔。そこでは養子縁組を結んだ際に身支度を整えてくれた侍女らが待ち構えていた。
彼女達に協力してもらい、リウィアスはドレスに手早く着替える。
ロバリアが王都に到着するのと時期を同じくして、居住を城へと移す事になったリウィアス。
本来ならば正式に婚約を済ませた
そして元々人の出入りが厳しく制限されるこの塔ならば『代理者』を続けるリウィアスにとって何かと都合が良いだろうと転居を機にコルゼスから付与された。
「──さあ、出来ましたわ」
藤色の真っ直ぐな髪を一つに纏めた年嵩の侍女が満足そうに笑む。
「ありがとうございます、アシュリー殿」
「アシュリーと呼び捨てて下さいまし。リウィアス様は
それに他二人の侍女が頷き同意見を示す。
アシュリーは一回り歳上。本当は呼び捨てなどしたくはないのだが。
「分かりました、アシュリー」
「
「はい。ドリュー、エリン。これから宜しくお願いします」
黒髪で五つ上のドリューと、強く波打つ橙色した髪の一つ上のエリン。
今日より三人は、その生涯をリウィアス付きの侍女として過ごす。
「祝賀会当日までは大きな公務はございませんが、本日は越せられた初日となりますので両陛下ならびに皇太子殿下、シャルダン公爵御一家との会食が予定されております」
「分かりました」
アシュリーの説明に頷いたリウィアスは、ドレスに幾つもの武器を仕込んでいく。
身に纏うドレスは、これから置く立場上帯剣出来ないリウィアスのために
良く見ても凝った作りのそれにしか見えないが、その実至る所に武器が仕込めるようになっており、且つ動きを妨げない構造となっている。
リウィアスの希望もあり、王家が用意したドレスのほとんどがこの作り。
武器を仕込み終えた頃、扉が叩かれた。
「失礼します。ドールビイ卿がお見えです」
「お通し下さい」
「失礼致します」
返事と共に扉が開き、現れたのは、灰色の髪をした何処か冷たい印象のある整った顔立ちの男。
軍服に身を包んだ二十代後半のその男は、リウィアスに
「本日よりリウィアス様の護衛を務めます第七師団所属ルーカス・ドールビイ。ただ今より任に就かせて頂きます」
抑揚に乏しく、表情も然程豊かではないためにやはり冷たい印象を与える男だが、忠義に厚く、その能力も高い。手に出来る者が限られる徽章も身に着けた優秀な男で、
彼の所属する第七師団は、リウィアスが輿入れすると決まった
ただ、今回の祝宴の席で傍に侍るはルーカスのみ。
「宜しくお願いします、ルーカス殿」
「リウィアス様。私に『殿』は必要ありません。ルーカスと呼び捨てて下さい。敬語も出来ればなくして下さった方が良いのですが」
先程のアシュリーらと同じ事を言われ、リウィアスは苦笑気味に眉尻を下げた。
「名前は、分かりました。ですが、言葉遣いは大目に見て下さいませんか?」
人を従える立場となる以上、簡単に侮らせないためにある程度大きな態度が必要となる事は承知している。しかし、リウィアスはそれを苦手としていた。
「……分かりました」
仕方がないといった音を含んだルーカスの返答に、リウィアスは明らかに、ほっとした様子を見せた。それにアシュリーら侍女は微笑み、滅多に表情を崩す事のないルーカスは微かに頬を緩ませた。
「そろそろ、殿下がお見えになられる頃ですわね」
ドリューの言葉に、リウィアスは頷く。
城へ到着後、滞在する部屋へと一旦通されるロバリア国王と時間を置かずに、国王夫妻、レセナートと共に会談する事になっている。
その席にはギセドも同行する事になるだろう。
リウィアスは瞼を下ろして、ふぅ、と息を吐いた。脳裏に王妃フィローラと友人のフィーネを想い描く。
リウィアスの纏う気には常に鋭いものが含まれている。それは死地を掻い潜って来たが故に。
普段から幾らか抑えてはいるものの、流石にアゼルクが簡単に格上と断じる程の腕を持つギセドが相手では容易く見破られてしまう。
今はまだリウィアスが剣客だと知られるわけにはいかなかった。
「……!」
気付いたルーカスは、軽く瞠目した。
リウィアスの纏う気が、徐々に変化して行く。
暫くしてゆっくりと瞼を上げたリウィアスは穏やかな笑みを浮かべた。
そこに確実にあった触れれば一瞬で身を切り刻まれそうな程の鋭さは完全に鳴りを潜め、代わりに丸く柔らかなものがその身を包み込んでいた。
「──失礼します。皇太子殿下がお見えです」
扉が叩かれる音と共に、レセナートの来訪を告げる声があった。
「お通し下さい」
──カチャ、と扉が開かれると、そこには皇太子然としたレセナートの姿があった。
これからロバリア国王に会うからか、その纏う空気は刺々しいもの。しかしリウィアスに目に止めると一瞬でそれは消え、表情には蕩けるような甘い笑みを浮かべた。
「リウィアス」
傍まで歩み寄ったレセナートは、ふわりとそのしなやかな肢体を腕の中に閉じ込めた。
「──凄く、綺麗だ」
甘く囁くような声で、リウィアスの耳朶を
赤く染まったリウィアスの頬に、そっと唇を押し当てたレセナートは腰を抱いて、互いの額を合わせた。
「随分と変わったな」
それは纏う気の事。レセナートはそれを偽った理由も知っている。
リウィアスは微笑んだ。
「王妃様とフィーネを参考にしてみたのだけれど、どうかしら?」
首を傾げるリウィアスに、レセナートは目を細める。
「うん、可愛い」
「……そういう事は訊いていないのだけれど」
不自然ではないか、という意味で訊いたにも拘らず、レセナートから返って来たのは全く別の答え。
苦笑するリウィアスに、甘い笑みを湛えたままレセナートは口を開く。
「リウィアスを可愛いとしか、愛しいとしか思えない」
それが答えだ、と。言外に告げたレセナートに、リウィアスは頬を赤く染めつつも安堵の表情を浮かべた。
つまりはそう感じる程に自然である、という事だ。
けれどそれを答えるだけで、どれ程リウィアスの胸を高鳴らせれば気が済むのか。どきどきと大きく跳ねる鼓動を落ち着かせるために、少し深く呼吸をする。
そんなリウィアスの頬をレセナートは愛しげに撫でる。
「──そろそろ行こうか」
「はい」
雰囲気をガラリと変えたレセナートが出した腕にそっと手を添え、リウィアスは
腕を絡ませ、仲睦まじく回廊を進むレセナートとリウィアスの背後に、ルーカスとラルトが付き従う。
ルーカスの腰には二本の剣。
一本はルーカス自身の物。そしてもう一本はリウィアスの物。
元々同時に二本の剣を扱えたルーカスはその
ロバリア国王らと
何時もレセナートがリウィアスと共に過ごす際に纏うのは優しく穏やかで、それでいて激しい恋情が込められたもの。
けれど今、普段リウィアスが感じる事のない王位を継ぐ者としての覇気を纏っている。
互いに忙しい時間の合間を縫って同じ
皇太子としてのレセナートを間近にするのは数える程しかなく、それを隣で感じる事が出来る事実が誇らしく、嬉しかった。
レセナートの纏う覇気は生まれ持ったものも大きいが、この世に生を受けてから、王となるために、常人ならばその重圧に圧し潰されているであろう沢山のものを背負って生きて来た事実によって生まれたそれも上乗せされている。
己のためではなく、国や民のためにその命を生涯使い続けるレセナート。
そんな彼を隣で支えたいと、護りたいと、強い想いがリウィアスの心を満たす。
自然と、凛とした空気が身を包んだ。
けれどそれは剣客としてのものではなく。
今リウィアスが纏ったのは、王妃としてある時にフィローラが纏うそれに酷似していた。
自然と人々が頭を垂れるような、膝を折るような、気高く美しい、そして何物にも穢されない芯が強い者だけが纏う事の出来る気。
──いずれ玉座に座るレセナートの妻としての有り様が完成した瞬間だった。
気付いたレセナートは誇らしげに笑むと、二人寄り添って目的の場所まで歩を進める。
それを目撃した者達の中には初めてリウィアスを見た者も数いたが、それでも彼女が未来の皇太子妃であると瞬時に悟り、二人の周囲を圧倒する程の存在感に、高潔さに、自然と
そして思う。
──ああ、この二人が国を治める限りセイマティネス王国は安泰だ、と──。
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