第十九話・甘え



 執務室の外、再びフードで顔を覆ったリウィアスは回廊の壁に寄り掛かっていた。それを騎士が案じるように見つめる。

 コルゼスと別れたレセナートは、足早にリウィアスの傍へと寄る。

「リウィアス!」

 今にも崩れ落ちそうなリウィアスは、弱々しい笑みを浮かべた。

「……一度気を抜いてしまうと、駄目ね。少ししか保たない」

 小さく告げたリウィアスをレセナートはその腕の中に引き寄せた。そして一度ぎゅっと強く抱き締めると、片腕は背中に、もう片方の腕は膝裏に廻して、ぐいっと持ち上げた。

 横抱きにされ、緩くまばたきを繰り返して驚きを示すリウィアスに、レセナートは微笑む。

「こうして移動したら楽だろう?」

「……楽……だけど……」

 恥ずかしそうに顔を伏せるリウィアスの頭上へフード越しに唇を落としたレセナートは、窺うように見遣る。

「ここで休んで行かないか?」

 けれどそれに、リウィアスは軽くかぶりを振って答えた。

「何かあった時に森の近くにいたいから……。折角の好意を無にして、ごめんなさい」

 九割方そう答えるだろうと予想していたレセナートは、気にするなと笑み、回廊の隅に控えていた己の護衛に声を掛ける。

「悪いが、馬車を一台用意してくれ。なるべく目立たない物を」

 理解した騎士が頭を下げる。

「は。直ぐに」

 数人いる護衛のうち一人が抜け出て、レセナートの望んだ物を用意しに行く。

「レセナート」

 馬車で自分を送る気だと気付いたリウィアスが止めるように声を上げるが、レセナートはそれを呆気なく却下する。

「その状態では馬には乗れないだろう?落馬するのがオチだ」

 言われたそれに、リウィアスは口を噤んだ。

 確かに今の状態では、相手が英明である己の愛馬であってもその背に乗って移動するのは難しいだろう。

 押し黙ったリウィアスにレセナートは小さく笑み、足を踏み出した。

「……このまま行くの?」

「王族専用の通路を使う。だから大丈夫だ」

 不安を滲ませるリウィアスにレセナートは優しく笑んだ。

 その言葉に安堵したようにリウィアスは力を抜く。

 今のリウィアスは外套のフードで顔を隠している。それはリウィアスを知らないものからすれば、不審人物でしかない。

 幾ら人の出入りが制限される王の執務室付近とはいえ、そんな何処の誰とも知れない者を抱いた皇太子の姿を人目に晒すわけにはいかなかった。

 レセナートは苦笑した。

「気にしなくても良いのに」

「そういうわけには……」

「何か言われたら『俺の婚約者で正式に披露目を行うまでは俺だけの人だから顔を隠させている』と言えば良いだけだろう?」

「……」

 恥ずかしげもなくさらりと告げられた言葉に何も言えなくなったリウィアスを、不思議そうに当のレセナートは覗き込む。

「ん?どうかしたか?」

「……何でもない」

 皇太子としては少々問題のある発言だが、しかし嬉しく思ったリウィアスはその事実を胸の内に留めた。




 レセナートがリウィアスを抱いて足を踏み入れたのは、執務室から程近い一室。

 国王一家の姿絵が飾られ、時として国賓相手の応接室としても使われるその部屋の壁に向かって真っ直ぐに進んだレセナートは、ある箇所に迷う事なく触れた。

 力を加えて押すと、カチッ、と僅かに音が鳴る。すると、別の壁の一部が静かに動き出した。

 ──それは城内に十数箇所ある、有事に備えて造られた隠し通路の一つである。

 薄暗いそこを照らすのは、通路に入って直ぐに常備してある洋灯。

 今日の護衛隊長を務める第二師団副長ロイが火を灯した洋灯で足許を照らす。

 穏やかな印象のあるロイが先導するように数歩先を行き、その後ろにリウィアスを抱いたレセナートが続く。

 レセナートに抱かれたまま移動するリウィアスは、ともすれば沈みそうになる意識を必死に繋ぎ止めていた。

 気付いたレセナートが笑みを溢す。

「眠って良いぞ」

 それにリウィアスは、ふるふるとかぶりを振る事で答えた。もう、言葉を発する気力もない。

 そこまでして襲って来る睡魔にあらがうのは、襲撃に遭った時のため。

 レセナートの剣であり盾であるにも拘らず眠ってしまえば役に立つどころか足枷となってしまう。

 けれどもレセナートは穏やかな口調で、リウィアスを夢の中へといざなう。

「大丈夫だから眠って。……たまには俺にリウィアスを護らせて」

 その言葉に、意識を保とうとしていた思いが消えた。

 きゅっとレセナートの服を握ったリウィアスはその胸元に頬を擦り寄せる。

「──」

 小さな呟きを最後に、リウィアスは意識を手放した。

「……眠ってしまわれたのですね。……?殿下、顔が赤いようですが……」

「……黙れ」

 振り返ったロイが不思議そうにレセナートを見るのを、睨んで止める。

『──傍にいてね』

 リウィアスが眠る直前に告げた言葉。それはレセナートにだけ届く小さな声だった。

 不意打ちを喰らい、薄暗い中でも分かる程に顔を赤くしたレセナートは、それを収めようと気付かれないよう深呼吸を繰り返す。しかし全く意味を成さない。

 自分の服をしっかりと握って眠るリウィアスがとても愛しく、熱い吐息を吐く。

「……ずっと傍にいる。絶対に離さないから」

 眠るリウィアスの耳許に唇を寄せ、そっと囁いた。



 ・*・*・*・*・*・



「……随分と、無理をさせてしまったな」

 護人の家にある自身の部屋に寝かせられたリウィアスに、アゼルクは言葉を落とした。

 寝台に横たえられたリウィアスは、ゆっくりと瞼を上げる。

「……レセ……ナ、ト」

「うん?」

 下りそうになる瞼を必死に押し上げながら手を伸ばすリウィアスに、彼女を降ろしたレセナートは目を細めて顔を近付ける。

 手を包まれて、何か言葉を発する訳ではなくただ嬉しそうに笑むだけのリウィアスに、とろけるような笑みを返したレセナートは、優しく唇を額に落とした。

 それに幸せそうに顔を綻ばせたリウィアスは再び夢の世界へと旅立つ。

 傍に寄ったアゼルクは、片手で足りる程しか見た事のない無防備なその寝顔を覗き込んだ。

「……ありがとうな。お疲れ」



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